屋上にて 作:VRT
それはいつも通りの昼下がりのことだった。お馴染みのチューリップハットを被ったソイツはこれまたお馴染みのよく分からん弦楽器を弾きながら、いきなりこんなことを言い始めた。
「To be or not to be that is a question……」
「は? いきなり、何言ってんだ?」
いきなり聞こえた英語に思わずそんな言葉が口から出た。英語がサッパリな俺には彼女のその言葉の意味が全く持って分からない。
「ふと、ある本の冒頭が頭に浮かんだだけだから、気にしないでくれ。それよりも、時に先輩、生きていくために必要なことは何だと思う?」
俺と違ってソイツは頭がいいため、時々こんな哲学めいた人生において何の役に立たないことを話すことがあった。
「さぁ、どうだろうな。男なら強さって答えるのが、男らしいか?」
「強くなければ生きていけない……」
「だろ?」
「しかし、優しくなければ生きていく資格がない」
「なんだそれ……?」
「レイモンド・チャンドラーのプレイバックの中に出てくる言葉だよ。先輩はもう少し本を読むべきだと思うな」
「悪かったな学が無くて……」
紫煙を空に吐き出してながら感情の籠っていない声で言う。そりゃ俺も本を読むことは大切だと思っているが、今は本を読むことに時間を使うよりもこうやって寝そべりながらタバコを吸い、そして空に浮かぶ雲の数でも数えている時間の方が何倍にも有意義に感じるからしょうがない。
それに彼女も本気で言っている訳ではないだろう。この屋上という空間にいる以上、お互いに相手の話は話半分に聞いている。教室や寮に帰ればそんなことは許されないだろうが、この屋上という空間は特別だ。ここには俺と彼女しかいない。そして、お互いに相手の事を気遣うことなんてせずに好きに過ごしている。そんな地上にはない楽園だからこそお互いに好き勝手に言葉を投げ合うことが許されるのだ。どうせ、ここでの会話何て一歩この屋上から出てしまえば何の意味を持たないのだ。ならば、ここでの会話は気軽なものになる。
「別に攻めてはいないさ。ただ、本は読んでおいて損はないと言いたかったのさ」
――それに先輩が少し頭がよくない事くらいしっているよ。
そう彼女は付け加えて笑う。
「最後の一言は余計だ」
「あはははは、それは悪かったね」
彼女は更に目を細めて笑う。何だか楽しそうで何よりだ。出来ればその愉快さを俺にも分けてほしいね。
「それで先輩は何が人生において大切だと思っているんだい?」
「そうだな……」
ここまで言葉を出すと視線を彼女から空に向ける。青い空に羊雲が泳いでいた。
「やっぱりタバコと空を見上げる時間さえあれば世はこともなし、かな」
「あはははは、先輩は面白いね、やっぱり」
「それ褒めてんのか?」
「さぁ、どうだろ? 先輩はどう思う?」
「じゃあ、褒め言葉として受け取っておくよ」
「そうか、そうか、先輩がそう思うのならそうだろうね」
彼女の笑い声が収まったころあいを見計らって俺は口を開いた。
「そう言うお前は何が生きていく上で大切だと思っているんだ?」
「うん、そうだね」
――美なんて、どうだろ?
思いもしていなかった言葉が出たため純粋に驚いた。
「美って……?」
「美しき所作は正である、義である、直である。正と義と直を行為の上にもって示すものは天下の公民の規範である。私も一人の芸術家としてこの境地に至ったのさ」
――最も私は画家じゃないけどね。
彼女は最後にそう付け加えた。
「人に言うだけあってよく本を読んでるな」
「うふふふ。ありがとう。まぁ、この話は置いておこう」
彼女の話は始まるのも突然だが終わるのもまた突然だった。
「別に好きにすればいいさ」
「あぁ、好きにさせてもらうよ――」
こうしてある日の午後は過ぎていくのだった。