それを確認したのはつい先ほどのことだった。
彼が提督として着任してから一年経ったころ、彼が率いている艦娘の一人が練度の最高に達した。
これは更なる練度向上のための拡張品であるが、
「指輪と書類か。聞いていたとはいえ、これを渡すのは流石に気恥ずかしいどころではないな……。加賀は私のことなど」
そこにあるのは結婚指輪と書類の一式に他ならない。
もちろん本当の意味での結婚ではなく、申し訳程度にだが仮と片仮名で書かれている。
それでも、これを渡すと言うことは、共に絆を育んできた女性に告白するも同義なのだから、大本営も意地が悪い。
しかも、彼が指輪を渡そうと思っている相手は加賀だ。彼にとっては、この指輪を渡したとしても加賀の眉一つ動く未来を想像できない。
彼と加賀は付き合いが長いが、お互いの関係は職業上の付き合いにしか過ぎない程淡々としている。
もっとも、進展はなくとも彼は加賀に惚れ込んでいる。だが、加賀が同じ感情を抱いているとは思えない上に、何の感情も抱かれていない可能性すらあると彼は考えていた。
お互いの距離は遠く、距離を詰めない告白は、果たして加賀に届き得ることなのだろうかと、無為な悩みばかりが彼を悩ませる。
だが、この道具の本質はお互いの気持ち云々ではなく、拡張機能による戦いを有利に進めると言うもの。
告白の如何に関わらず渡せば有効になる。だからこそ色恋に関係なく渡すべきなのだと彼は更に悩みを根深くさせたのだが。
頭を抱える彼をよそに、執務室の扉がノックされる。
彼は驚くと同時に書類一式を引き出しに押し込むと、早鐘を打つ心臓を落ち着ける間もなく無理に冷静を装いながら、ノックした人物を迎え入れた。
「入れ」
「ただいま艦隊が帰投しました。損害のある子は既にドックに向かわせています」
入ってきたのは海域から帰投した加賀だった。
今しがた指輪と睨めっこしながら加賀のことを思い耽っていた彼は、未だ忙しい心臓の鼓動を更に速めながらも至極冷静を装いながら言う。
「そ、そうか、お疲れさま。キミも損害は無いのか?」
「ええ、多少は掠ったりもしましたが、殆ど無傷です」
「なら良かった。流石は加賀だ。最高練度は伊達ではないな」
単純に褒めよう褒めようと言葉を出すが、彼はますます指輪のことを意識してしまうような文句が口から出て来る。
「……顔色が悪いようだけれど大丈夫?」
「あ、ああ。ここ最近は敵が強くなっているからね。キミ達が勝てるように、私も出来ることを色々考えていたんだが……」
そんな墓穴を掘る褒め言葉とは裏腹に、とっさにお茶を濁す言葉だけはどこまでも磨きがかかっていた。
しかし、加賀はそれを聞くと呆れたように溜息を吐きながら彼に言葉を返す。
「それで不安がそのまま顔に出ていた、と」
「そう、なるね……」
「提督がそうオドオドしていては艦全体の士気に関わります。もっとどっしりと構えて私たちの帰りを待っていてください。それが提督にできる最善です」
ごもっともな言葉だった。
常日頃から装備の開発や、海域を進めるための編成に気を使ってきたが、いざ海域に出てしまえば、あとは信じて待つことが彼にとって一番の最善であることに違いは無い。
指輪のことを誤魔化すためとは言え、加賀の言葉にはまさしくその通りだと感服させられた。
同時に、また一つ加賀の魅力の一端を垣間見てしまい、尚更彼は惚れこんでしまうのだが。
「ああ、確かに海で勇ましく戦っている子たちがいるのに、私は執務室で頭抱えて震えているなんてな。ぐうの音も出ないな」
「……それに私は貴方と共にある限り沈むなどあり得ません」
「それはどう言う……」
「報告は以上です。下がってもよろしいですか?」
彼の言葉を遮って加賀は言う。
改めてその意味や真意を探ろうにも、妙な圧力が彼を委縮させる。
「……ああご苦労だった。しっかり休むと良い」
結果、やはりいつもと変わらない淡々とした流れが出来上がった。
ただ違うとすれば、去り際に加賀は後ろ姿のまま、顔をほんの少しだけ彼の方に向け、
「提督。これでも私は貴方のことをとても信頼しているんですよ」
ほんの僅かに見せた顔のほんの僅かに差しかかった赤みが、彼の目と脳裏を焼き付けたことだろう。
1
時刻は丁度二十三時を刻んでいた。
出撃も演習も遠征もこの時間以降は無く、居酒屋で飲み明かしている等の一部例外を除けば、だいたいの艦が寝静まっていることだろう。
戦場は艦娘が担う。代わりに書類に目を通したり開発や編成を考えたりと、提督には提督なりの成すべきことがたくさんある。
この時間になってもまだ積まれた書類に、彼は溜息を漏らす。
その重苦しい気分をを知ってか知らずか、執務室にノックの音がする。
こんな時間に何の用だろうか、と彼は疑問に思うが、次にはハッと気付く。
「榛名か? 入れ」
入ってきたのは彼が言った通り榛名だった。
片腕は後ろに回し、榛名は少し驚いた顔をしながら疑問を口にする。
「どうして榛名だとわかったんですか?」
「当直の名前くらい知っているさ。お疲れさま」
彼がそう言うと、榛名は微笑みながら言葉を返す。
「提督こそこんな時間までお疲れ様です。でもそんなに頑張らなくても少しは息抜きをなさってください」
そう言ってもう片腕を後ろに回すと、酒瓶をテーブルに置く。
「気持ちは嬉しいが、酒が入っては執務は務まらないよ」
「大丈夫ですよ一杯くらいなら。なんでしたら榛名が代わりに執務を務めさせていただきますから、どうか榛名のお願いを聞いてくださいませんか」
榛名の念押しに、仕方ないなとばかりに戸棚からグラスを用意する。
実のところ彼も酒を飲むのは久しぶりであり、特に好んで飲む銘柄の酒であったため、つい気持ちが緩んでしまったというのもある。
ここ何日もの仕事量と拡張機能の件も相成り、普段ではきっちりと断る彼もピンと張った弦を緩ませるように榛名の言葉を受け入れた。
榛名は瓶のキャップを指で容易く開けると、提督のグラスに注ぐと、じっと提督を見つめた。
「榛名は飲まないのか? 遠慮ならしなくていい」
「いえ、まだ見回りがありますし、榛名は大丈夫です。提督に一息ついてもらうために持ってきただけですから……」
「一杯くらいなら大丈夫だろう?」
榛名が遠慮がちに言うと、彼は意地悪な笑みを浮かべながらそう言った。
「まずは提督がお飲みになってください。温くなってしまったら勿体ないですよ?」
「ん、まあそうだな。取り敢えずいただくよ」
くいっとグラスを傾けると、勢いよく飲み干す。
久方ぶりに飲んだ酒が喉を焼きながら通っていく感覚に、彼は思わず気分が高揚すると同時に、一つ思うことがあった。
「榛名……」
「どうしました? 提督」
「わざわざ有難うな、こんなことまでしてもらって」
「お気になさらないでください。提督が張り詰めていて皆さん心配してるんですよ?」
クスリと微笑む榛名の顔を見ると、彼は頬をポリポリと掻いて少し俯く。
「情けないな。加賀にも言われたばかりなのに、まさか皆に心配をかけてしまってたなんてな」
榛名は彼をよく慕っている。彼もまた榛名に対しては信じているし、信じられているとも考えている。
加賀も榛名もこの鎮守府では一年と言う短い期間ではあるが、今までずっと付き合いがあった。さらに言えば、榛名は加賀よりも感情をよく表に出す。
甲斐甲斐しく世話を焼き、彼が悩めば自分のことのように考えてくれる榛名のことを、彼はよく知っているつもりでいた。
榛名からは思いつめたような声音を聞くことも、強くお願いされることも、彼は初めてのことで少し戸惑い、そして自己を嫌悪した。
「そう思われるなら、皆さんに元気な姿を見せてあげてください。そのためにも早く悩みを解決させてくださいね」
「私の悩み……?」
「あの書類一式をここに置いたのは榛名です」
「全部……お見通しと言うわけか」
「ええ、渡すんですよね加賀さんに」
彼は敵わないなと顔を押さえ、首を振る。
「そうだ。でも情けない話だが、一年間付き合ってきても、未だに加賀の気持ちが分からないんだ。私は加賀のことが好きだが、彼女はどうだろうかと考えると不安で渡すことが出来なかった」
彼は自分の気持ちを吐露すると、座っていた椅子の背もたれに一層深く背を預けた。
全てを言いきったわけではないが、誰かに聞いてもらうと言うことは効果的だったようで、彼は少し安心を覚えていた。
「ああ、だから……い……わな……と」
その言葉を言いきると、彼は顔に当てていた手をだらりと下げ、静かな寝息を立て始めた。
「……どれだけ尽くしても、提督のお心は頂けないのですね」
その様子を確認すると、榛名はいつもの彼女とは一変した暗い雰囲気を纏わせ、そう呟いた。
2
どたどたと騒がしい音を耳に、彼は目を覚ました。
おそらく、駆逐艦達が部屋の外で走り回っている音だろう。
ぼうっとした顔のまま、体を起こすと、どうやらソファに寝かしつけられていたようで、丁寧に毛布が掛けられていた。
「……! 時間は!?」
ほんの少し寝ぼけ頭だったが、すぐにハッとなって時間の確認をしようとする。
ただでさえ仕事が終わってないままいつの間にか眠り込んでいたのだから、これで遅刻するようなら艦娘達に合わせる顔が無いと、彼は焦る。
「五時丁度ですよ提督。おはようございます」
「加……賀?」
時間を告げたのは加賀だった。
五時丁度と言えば、彼が執務机の前に座っていて、その隣に加賀がいることが普通であった。
今は彼はソファにいて、加賀は何故が執務机の前に座っている奇妙な状況になっている。
「もしかして代わりに執務を? すまないすぐに代わるよ」
「もう終わりましたから、大丈夫です。まあまた昼には積まれているでしょうけれど……。それよりも、少し話があります」
加賀の言葉に偽りはなく、山積みの書類は見当たらない。
だが、そんなことよりも加賀がそんなに改まって何を話すのかと彼は息を呑む。
「隣、いいですか」
「あ、ああ勿論だ」
スッと彼の隣に座る加賀は、いつもの冷たい雰囲気はなく、表情に出てはいないがどこか温かみがある。
「提督は……私のことをどう思っていますか?」
「い、いきなりどうした?」
「答えてください」
急な不意打ちに思わず彼はむせそうになる。
驚き戸惑う彼とは対象に、その原因を作った加賀は冷静に問い詰める。
今までにこんなやり取りを一度もなかったために彼もどう答えるべきかと思ったが、偽る必要は無いと考えはっきり答える。
「信頼してるよ。一年間のほとんどを君は秘書をこなし任務をこなしてくれた。かけがえのない――」
「私が聞きたいのは、艦船としてではなくて私自身のことです」
そこまで言えば、さすがの提督も加賀の言葉の意味に気付く。
「それは……」
「私は提督のことが好きです。ええ、心から」
言葉に悩む提督よりも先に、加賀は彼に対する気持ちを伝える。
あっさりと、当然の事のように伝えるが、その顔はいつもの冷静な姿とは打って変わって真っ赤な恥じらいを示していた。
たった一言の言葉を伝えるのに、加賀の顔を見ればどれだけの勇気を振り絞ったのか窺い知れる。
「私も君のことが好きだ」
彼もまたあっさりと伝える。
勿論加賀と同じくらい真っ赤な顔をしながらだが。
彼はゆっくりと立ち上がり、執務机の引き出しから小箱を取り出す。
二人の気持ちが既に分かっているのだから彼にはもう迷いが無かった。
「受け取ってほしいんだ」
小箱を開いて加賀に中身を見せる。
加賀は中に入っていた指をを見ると少し白んでいた顔がまた赤くなり、目は少し潤んでいた。
「提督……今とっても幸せです」
3
ぱたりと加賀は執務室の扉閉じる。
薬指には今しがた受け取った指輪がはめ込まれ、それを見る加賀の顔の顔は優しい。
「おめでとうございます」
「……ありがとう」
「ただきっかけを作っただけです。扉の裏で提督の気持ちを聞いてもらえれば、加賀さんならきっと踏みだせるなんて単なる打算です」
そう言うのは榛名だった。
「榛名が思うよりも乗り気で寝ている提督に告白の練習をしていましたし、効果てきめんでしたね」
にっこりと笑いながら目は笑わずに言葉を告げる榛名に、一つ加賀は疑問を漏らした。
「貴女だって好きだったのでしょう?」
「ええ、だから幸せになってほしいんですよ。独り善がりの幸福の為に提督に悲しんでほしくないから榛名は……」
元々いっぱいいっぱいだったのだろう。皮肉交じりな言葉で笑顔を保っていた榛名の顔は、今にも泣きそうになっていた。
「提督を幸せにしてください。もしも苦しめたり裏切ったりしたら、奪いますから」
「勿論よ」
そう短く告げると加賀は去って行く。
取り残された榛名は堪えきれなかった涙を隠すことなく零し、
「例えお心がもらえなくとも、それでも榛名は提督をお慕いしています」
届かない彼への想いを告げた。