智慧と王冠の大禁書   作:生野の猫梅酒

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このシバの女王はオリジナル設定を用いていますが、憑依転生などの要素は一切ありません。


第一話 魔術王と幻想女王 Ⅰ

 英雄には二つの種類がある。

 

 古今東西、天に煌く星の様に存在する英雄たち。彼らは様々な無理難題を越え、偉業を成し、人類史にその業績を残した。ある者は万軍を単騎で相手し、ある者は人類史に残る発明をし、またある者は華々しく散ることで自らを示した。誰も彼も、万人が頷くにたるだけの行いを成し遂げて、その名を刻んだのだ。

 

 けれど、これらの中で更に英雄は二つに分類できる。

 

 一つ目、それは運命に射止められた者たち。もしくは世界、神に見初められたと言い換えても良い。こういった人物は最初から英雄として生きることが結論付けられている。人生において起こり得る難題を、様々な存在の手を借りて乗り越えていくのだ。無論の事、ただ流され任せきりではない。下地を与えられた後、更に自身の手で道を切り開く天賦の才覚と運がこれらの英雄には求められる。

 二つ目、こちらはもっと単純で、様々な偶然や思惑が絡んだ末に英雄となった者だ。中には英雄となるべくしてなった者もいるだろうし、本当に意図せずして英雄と呼ばれることになった者もいるかもしれない。一つ目の例と比べれば千差万別、些細な切っ掛けが名を長しえに残す礎となるのだ。

 

 ――そういう意味で言えば、シバの女王マーキダは後者の分類であった。

 

 ◇

 

 月の綺麗な夜だった。エルサレムの宮殿は白い月明かりに照らされ、昼間の活気が嘘のように鎮まっている。けれどその絢爛さは些かも衰えず、むしろ荘厳さはいや増しているようにも思える。

 その宮殿の奥、中庭にて。風を切る音が響いていた。規則正しく、また爽快に空を切るそれは剣を振る音に相違ない。微かな息遣いが人気(ひとけ)のない中庭に響き、ただ一人剣を振るう女の姿が月光の下に浮かび上がる。

 黒の長剣で素振りをしているのは誰あろう、シバ王国からの賓客であるシバの女王マーキダその人であった。数日前にソロモン王と知恵比べをした際の黒いドレスは無く、動きやすい簡単な服装に代わっている。うっすらと滲んだ汗によって亜麻色の髪が顔にしっとりと張り付くが、見苦しさよりもむしろ凛々しいといった印象が先立つ。

 彼女は一切姿勢をぶらさないまま、ひたすらに剣を揮い続ける。その細腕からは信じられないような勢いの単純な上からの斬り込みを始め、斜めからの一撃や鋭い突きまで多種多様。もし誰か見ているならば、その静謐な緊張感と相まって身が締まるような思いだろう。

 

「……誰でしょうか?」

 

 ここで、マーキダが剣を止めた。見つめる先は中庭の一角、月の影となっている位置だ。仮にもソロモン王の居城に不埒な者はやってこないだろうが、黙って見られるのもそれはそれで嫌だった。

 

「ああ、すまない。別に悪意があってやったわけじゃないんだ。ただ何となく、魅入ってしまった」

 

「貴方は……これは失礼しました。ソロモン王」

 

「いいや、構わないさ。先に見ていたのはこっちだからね」

 

 陰から現れたのは褐色の肌に白髪の青年、ソロモン王である。たった一人しかいなかったはずの静かな中庭に、二人の人間が並び立った。周囲の木々や花々は変わらず、ただ月に照らされそこにある。

 

「このような夜更けにどうされましたか? 王が一人で外に出られるなど――」

 

「それは君も同じだろう。私は単に、ここで剣を握る女王の姿を寝室で見たから来てみただけさ。いつも夜はこうしているのかな?」

 

「眠れない日はそうですね。って、寝室から見た……? もしやここから見れるのですか?」

 

「私の千里眼ならば、この程度の距離と遮蔽物なら無いも同然だからね」

 

 笑ったソロモン王に、マーキダは若干顔を顰めた。一体今の応対のどこが不味かったのか、ソロモンは内心で不可思議に思いながらも特には聞かない。こっそり陰で見ていたように、表面的な性格は内気でもあるのだ。

 それを察したのか、マーキダは顰め面をやめてソロモンに向き直った。

 

「いえ、それじゃ女性の諸々を見放題ではないかと思いまして。愛多き王とも呼び名の高い貴方ですから、ちょっと不安になりました」

 

「……驚いた、まさかそのような事を言われるとは。心配せずとも、そんなくだらないことに千里眼は使わないさ」

 

 どうやらこのうら若き女王は男女関係についてはかなり初心であるらしい。あからさまに安堵した様子を見て、さしものソロモンも何となく察する。

 苦笑した――ように見せた――ソロモンは、ふと彼女が今だに握る黒の剣に目を留めた。そもそもここまで来たのも、なんとなく直接この女王と話してみたかったから。深い理由は無いが、別段やめる理由もなかった。

 

「その剣は? 中々凝った魔術礼装のようだけど」

 

「ああ、これですか。これは私がかつて討伐した竜のねぐらに有った剣ですよ」

 

 言いながら、ゆっくりと長剣が月光の下に晒される。刀身は黒、至る所に呪言が刻まれ、また黄金と宝石で装飾がされている。見るに、魔術と呪術を扱うための礼装でもあるのか。華美な見た目に反してかなりの業物にも見えるが、それだけに先の言葉が気になった。

 

「竜を討伐した?」

 

「ええ、そうです――ああいや、そうですね。この話はやや長くなるので、よければこの美しい庭を眺めながら話すのはどうでしょう?」

 

「なるほど、それはいい提案だ」

 

 同意したソロモンはマーキダに手を伸ばす。その白い顔を僅かばかり赤らめながら手を取った彼女は剣を腰に帯びた鞘に仕舞うと、静かに語りだした。

 

「もともとはシバの王国はただの諸民族の集まりでして。私も正統な血統だとか神に愛されたとかのような背景は何もない一人の村娘でした。それで、一地方の内でそれぞれの村や民族で集まって平和に暮らしていたのですが、ある時強大な竜が地下より現れたのです。その竜はひたすらに巨大で強くて賢くて、そして人を殺すことに何の躊躇いもない災害の様な存在でした。私たちは竜に脅され、毎日たくさんの家畜や生贄の娘を差し出す羽目になってしまったのです」

 

「酷い話だ」

 

 ”世界にありふれた話であり、今更思う所は無い”――その本音を押し込んで形だけの同意をソロモンが示すと、今度は彼の内心に気づいた様子もなくマーキダは話を続ける。

 

「けれどアクスムの村の人たちも当然そのままなんて認められず、少しずつその竜を退治するための策を練りました。生贄の家畜に僅かに毒を混ぜて、徐々に徐々に弱らせていく。だけどあまり毒を盛りすぎてはきっと気付かれるから、引き際を見極めて直接殺さなければならない」

 

 ”そこで指名されたのがこの私です。”、そういったマーキダの顔は微かに誇らしげだった。

 

「ちょっとだけ自慢になってしまいますが、実のところ私は結構剣や魔術、呪術に秀でていまして。他の村民の方たちと比べても抜きんでていました。だから私が竜退治の主役兼生贄に選ばれ、かの竜が弱った所を討伐しに行ったのです」

 

「それはだいたい何年前の話だったのかい?」

 

「五年前といったところでしょうか。今が数え年でおそらく二十なので、まだまだ若かった頃ですね」

 

 くすくす笑うマーキダを脇目に、ふとソロモンは自身の千里眼を用いてしまうか迷った。具体的な時間すら分かったのだから、過去を見通す目にかかればその竜退治の様子を見るなど造作もない。しかし、

 

「それで、その続きはどうなったのだい?」

 

 そのような無粋な真似をわざわざする理由も見つけられなかった。せっかく横で楽しそうに話している()()()()()()女性が居るのだから、王として付き合うのが自然な態度だろう。幸いにしてソロモンには受動的なところもあるから、聞き手に回るのはそれほど苦でもなかった。

 

「これがもう大苦戦でして。毒で多少弱っていたはずではあったんですが、むしろ嵌められたことへの怒りで大暴走。あればかりは本当に死ぬかと思いましたが、どうにか三日三晩くらいの激戦の末に首を断ち切って見せました。もう何と言うか、物理的にも精神的にも燃え尽きるかと思いましたよ」

 

「竜が相手だからね。幻想種の中でも最良の種族、例えどんなに与しやすいように見えても油断できないのが彼らだ」

 

「お詳しいですね。やはり戦ったことがあるのですか?」

 

「いいや、無いよ。ただの知識の受け売りさ」

 

 ”悪魔はたくさんいるけどね”と冗談っぽく付け加えれば、マーキダは目を輝かせて”どんな悪魔が居るのですか!?”と聞いてくる。好奇心旺盛なその姿はとても知恵者の女王には見えず、どことなく愛らしい姿だ。知恵比べの際の約束もあるから話すのは吝かでもないのだが、その前にまずはシバの女王の竜退治譚の顛末だ。目線で促すと、はっとした顔で慌てたように結びを話し始めた。

 

「それでどうにか討伐した証として首を持ち帰って、その後はお祭り騒ぎです。みんなで竜の死を祝って、その勢いで私は地方をまとめ上げる王様にされました。ちょっと自分でもどうかと思うのですが、本当に満場一致で断るに断れない雰囲気でして」

 

「それでたった五年でここまで評判が届くような大王国を打ち建てたのだから大したものだ」

 

「それはまあ、運が良かったと言いますか。ここで先ほどの剣の話に戻るのですが、竜のねぐらにはこれまで数百年とか千年くらいの間に溜め込んだたくさんの財宝があったのです。私はそれを元手にして、国を栄えさせることに成功しただけですから。すごいんですよ、本当に山積みの金銀宝石に、古の名剣や鎧、それに武具はもちろん魔力砲台とか果ては空飛ぶ乗り物まで盛りだくさんで」

 

「ああ、それらはきっと中東の蔵から流れてきた物だろうね。私も幾つかお目にかかったことがあるが、どれも素晴らしい品だ」

 

 かつて世界が一つだった頃に君臨した半神半人の英雄王。彼の蔵から散逸した品は今や世界中に巡っている事だろうが、かの地に近いだけあってイスラエルやシバ王国には比較的それらの財宝や二次的複製品が多いのだ。これらの品を強大な竜が宝として死蔵していたとしても決して不思議ではない。

 

「私のこの”呪魔の剣”もそこから取り出したものなんです。私は剣術、魔術、呪術を主に扱うのですがこれがもう誂えたかのように私にちょうど良くて。なので愛用させてもらっているのです」

 

「物は全て使い様だ。例え元手があったとしても使いこなしてここまで国を栄えさせたのは君の実力だろうし、その剣を振るう姿も見事だった。うん、やはり君はこれからもっと素晴らしい王になる事だろう」

 

「……そう直球で言われると中々恥ずかしいですね」

 

 俯いて顔を隠してしまったマーキダは、照れ隠しをするように視線を中庭の花々へ向けた。色鮮やかな花々が美しく、芳香が胸いっぱいに広がる。話しているうちに明確に月は動いており、いつの間にか沈みそうにまでなっている。

 そろそろ寝室に戻らないとマズイか。明日はシバ王国との交易についての話し合いもあるのだから、互いに万全の状態で臨みたい。なのでそれとなくソロモンが話を切り上げようかと考えたところで、マーキダが不意に彼を見た。

 

「ですが、私はやはり貴方こそ最も素晴らしい王だと思います。その知恵も勿論ですが、このイスラエルの国は凄く豊かで落ち着いている。まだ私の国はせわしなくて、全然落ち着いてもいられません」

 

 それに何より、とシバの女王は続ける。

 

「私は、神に欲しいものを授けると言われて”知恵”を願うその謙虚さと勇気が羨ましいです。私はきっと、同じ状況下ならば”誰もを納得させるにたる武威”を求めてしまう事でしょう。知恵ではなく力で他者を制する暴君の道、おそらくはそちらに流れてしまいそうです」

 

「さて、どうだか。君は十分に賢明だと私が保証しよう。それに私が本当に謙虚で勇気があるのか、もしや君の見ているものは虚像かもしれないけどね」

 

「だとしても、この思いは変わりません。例え()()()()()()()()()()()()()()()、私は貴方の成した偉業と勇気を賞賛し続けますから」

 

「……そうか」

 

 思わず一言つぶやいて、隣を歩くマーキダを見やる。その顔は先の好奇心に満ち溢れた少女のそれではなく、才覚に溢れ若くして辣腕を振るう女王の顔だ。真正面から赤い瞳がソロモンを見つめ、その圧力に彼は咄嗟に目を逸らそうとしてしまう。

 しかし、逃れることは出来なかった。その前にマーキダの手が伸ばされ、ソロモンの頰に手のひらが当てられる。白魚のような指は、可憐というよりも刻まれた傷の印象が目に焼きつく。

 

「ですがそうですね。もしよろしければ、こういうのはどうでしょう?」

 

「何かな?」

 

「貴方は私に、求めるものは何でも与えると仰ってくださいました。故に私は貴方の持つ知恵の恩恵に預かろうと考えました。ですがそれでは私の方がつり合いがとれません。与えられたからには与える、魔術の基本でもある等価交換です」

 

 ”魔術王ともあろう方が、この法則を忘れてはいませんよね?”、そう悪戯っぽく聞かれたソロモンは真顔で頷く。

 

「だから、私からは心を教えます。何があって貴方が今のようになっているかは知りません。ですが、ほんの一端でもいい、もっと貴方という素晴らしい方に心という感情の動きを知ってもらいたいから」

 

 ――その提案は、あまりに衝撃的だった。

 ――その提案は、あまりに不可思議だった。

 ――その提案は、あまりに言われるのが遅かった。

 

 どうしようもない感情、否、感情とも呼べはしない正体不明の思考がソロモンの脳内を駆けまわる。支離滅裂な思考ばかりが表に出て、今の自分が果たしてどのような表情をしているのかすら判然としない。真正面の女王は一体何を考えているのだ、思わずそこまで考えて、けれど何一つ答えは浮かばない。

 

 当たり前だ。ソロモンに人の心は分からないのだから。

 

「おそらくはとても困っている事でしょう。まだ出会って数日程度の女が、一体何を言っているのかと呆れておられることでしょう。ですが、私はもう決めました。今日からここを去るまでの二か月の間、()()()()()出来得るすべてを持って貴方に心を教えましょう。心から生じる美しい情動を知らずにこの世を去るなんて、そのような悲劇はとても見過ごすことは出来ません」

 

 晴れやかな顔でマーキダは言う。その彼女の横顔に、ついに帰還した陽光が差し込んだ。明るく照らされるその顔は笑っているのか、引き締められているのか、はたまた両方なのか。ただ一つ言えるのは、間違いなくこの女王はやる気になっているという事。本気でソロモンに、心を持たぬ非人間に心を授けようとしている。

 

 だからこそ、

 

「ああ、それは期待できるかもしれないね」

 

 この言葉にはもしかしたら、ほんの少しだけ、本当に”楽しみ”という感情が混じっていたのかもしれない。

 

 ――これがイスラエルの魔術王ソロモンと、シバの幻想女王マーキダによる曙光の誓いであった。




竜退治については実は箔付け用の捏造ではなく、エチオピアに伝わる伝承を基にしております。そちらだと大蛇だったりもしますが、ユダヤ・キリスト信仰の敵である竜説を採用しました。
ただ竜の財宝についてはオリジナル設定で、fate的な要素を含めたシバ王国繁栄の裏側となっております。伝承のままだと本当に訳の分からない繁栄速度となりますので。

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