智慧と王冠の大禁書   作:生野の猫梅酒

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第二十五話 霧中の探索

 霧の都ロンドン。

 一般にそのようにして呼ばれることの多いロンドンではあるが、けれど今回の事態は異常の一言に尽きる。神代と同じだけの魔力を含んだ魔霧に、市内を徘徊する不明の怪機械(ヘルタースケルター)、果ては目的も正体も見えない黒幕たち。これまでカルデアが解決して来た特異点の中でも、今回が一番先の見通しの立たない物であった。

 そしてだからこそ、このロンドン市内をよく知っている者と出会えたことは何より大きかったのである。

 

「やあ、初めまして。僕はヘンリー・ジキル、魔術師兼科学者と言えば分かるかな? このおかしくなったロンドンでモードレッドの仮マスターを務めているんだ、よろしくね」

 

 モードレッドの案内に従い向かったアパートで出会ったのは、本来ならば小説『ジキル博士とハイド氏』の主人公である架空の人物ヘンリー・ジキルその人であった。しかもこの人物、サーヴァントではない。あくまでも一人の人間としてこの場に存在しているのだ。

 そのことに対する疑問はさておき、それによってロンドン市内を非常に歩きやすくなったのだから巡り合わせに感謝するほかないだろう。そのうえで戦力的にも、カルデアの一行が加わったことでより強化された状態にある。余程の大英雄でも出てこなければ、まず敵はいないと考えて良いだろう。

 

 実際、途中までは明らかにトントン拍子で進んでいた。モードレッドと共に手分けしてヘルタースケルターを蹂躙し、ソーホーに跋扈する空飛ぶ魔本を退治して、アンデルセンによって実態を現した絵本の概念より形作られた英霊を倒すなど明らかに順調に、一歩一歩特異点の謎を解明すべく動けていた。

 

 ◇

 

「何にも見えない夜空というのは、どうにもつまらないものですね」

 

 ほうと息を吐いて、霧に覆われた夜空を見上げる。そこには星々の輝きなど一つとして見えず、ただ靄に覆われたような暗黒がのしかかっているだけだ。そんなものを見ていても気が滅入るだけだと判断したマーキダは、視線を前へと戻した。

 場所はアパートの屋根の上、時刻は既に深夜に入っている。ちょうどこの日のうちにもフランケンシュタイン博士の家を訪ねたり、新たな仲間として仮称フランを引き入れたり、他にもアンデルセンと同じく有名作家のシェイクスピアを引き込んだりと波乱の展開だったと評して良いだろう。しかもその過程で話すだけでも疲れるような狂気の悪魔とすら邂逅しているのだからたまらない。サーヴァントであっても精神的な疲労を覚えてしまう程だ。

 

 とはいえ、疲労とは裏腹にカルデアの探索はどこまで行っても非常に順調であった。これまでの所圧倒的に強いというような英霊とは出会っていないし、市内を徘徊する敵とて相手になりはしない。

 唯一強敵だったと言えるのは絵本より実体化した英霊、ナーサリー・ライムであるが、それすらも流石に数の暴力の前に抵抗することは不可能であった。結局は敗北しこの世界より退場することになった――

 

「そうかしら。私はとっても楽しいわよ。こんな暗い空なら、いっそ夢も見ないで寝れそうだもの。疲れた子供には最適のお供ね!」

 

 わけでは無かった。さすがに子供の姿をした英霊で、しかも悪気があってソーホーで騒ぎを起こしたのではなかったからか、とどめを刺すのが躊躇われたのである。そのうえモードレッドもオルタも今回は相手の邪気の無さを認め、容赦なく殺すのではなくマスターの意見を尊重した。

 故にこそ、マーキダの隣には足をブラブラさせて楽しんでいるナーサリー・ライムの姿があるのであった。

 

「子供、ね……そう言っている貴女も子供じゃないですか。寝なくて良いのですか?」

 

「あら、失礼なこと言うわね。私、これでもサーヴァントなのよ。寝なくたってへっちゃら、夜更かしは子供の醍醐味なんだから」

 

「そ、そうですか……」

 

 納得いかないという表情を見せながらも、ひとまずそれで話を切ったマーキダはのんびりとロンドンの市内を見渡す。霧に包まれてあまり遠くまでは見えないが、それでもぽつりぽつりと灯りの暖かい色は見受けられる。それらを眺めている間に、ゆっくりと時間は経過していく。

 

「ねえ、お姉さんは子供時代ってどんな人だったの? せっかくなんだもの、聞いてみたいわ」

 

「私のですか? あまり面白い話とは言えませんが……」

 

 急な発言に驚いて確認すれば、ナーサリー・ライムは首肯した。どうやらマーキダの過去について聞きたいらしい。あまり話す事でもないが、聞かれたのだから答えるまでだ。

 

「子供時代は基本的に一人だけで生きてました。いろんな危険のある中でどうにか食い繋いでいたので、あんまり子供らしくなかったと言えますかね。あなた達子供が持つような夢よりも、敵の効率的な殺し方を考える日々でしたよ」

 

「まぁ! 夢を見れないなんてとても勿体ないことだわ! もしかして、子供時代があんまり楽しくなかった人かしら?」

 

「そう言われればそうかもしれません。もちろん、それを後悔したことはありませんけどもね」

 

 もはや本人すらぼんやりとしか覚えていない過去の記憶。山の中で這いずり回って、明日生きるために今日無茶をする。そんなことが当たり前になっていた数年間だった。生きるか死ぬかの極限の中で擦り切れた精神は歪な心を生み出したわけだし、そのことは今でも一部で関係しているのだから業が深いと言えた。

 けれどそれでも、きっと後悔をすることだけは無いと断言できる。仮に聖杯に願えば幸福な子供時代を過ごすことが出来ると言われても、それだけは頷かない。

 

「あら、それはどうしてなのかしら? 誰だって子供として楽しく生きて、ピーターパンのように過ごしたいと願うものよ。なのに失った子供時代を取り戻そうなんて思わないのは変じゃないのかしら?」

 

「まったく変じゃありませんよ。少なくとも私にとっては紛れもない宝物と言っていいのですから」

 

 子供の夢の具現らしい、尤もな質問だ。だけどマーキダの心は最初から決まっている。

 だってそうだろう、その時の経験が無ければシバの女王にはならなかった。竜を退治なんて無謀なことに挑むことにはならなかっただろうし、そこからシバの国を建国するという話にもつながらない。

 そうなれば、彼と出会う事すらなく終わっていた。知恵比べもあの夜も何もかも、存在せずに終わっていた。だからマーキダは過去について不平を言う気はない。不幸な生い立ちを持っていた? だから辛かっただろうと? そんなのは大きな間違いである。

 

 そのことをナーサリー・ライムもまた察したのだろう。頭から納得出来た様子ではないが、それでも一つ理解したような面持ちで頷いた。

 

「そうなんだ。子供の夢を追求しないなんて、私にはとても考えられない事ね。じゃあ逆に、今はどんな夢があるのかしら? 私は子供たちの英雄だけど、大人になっても夢を見る機会自体は平等よ。お姉さんの夢、聞かせてちょうだい?」

 

「私の夢……私の夢ですか……うーん、難しいですね。ですがそうですね、こうなればいいなという願いならささやかならばありますが」

 

「聞きたいわ! 女王様の夢ってどんなものかしら? やっぱりとびっきり豪華で贅沢な悩みだったりするの?」

 

 子供らしい無邪気で直球な言い回しにマーキダが思わず苦笑した。彼女の中の自分はさながらハートの女王なのだろうか。だとすればさすがに女としてちょっとやめてほしいとも思ってしまう。

 そんなに欲深い願いでもありませんよと前置きして、静かに語り始める。

 

「私はただ、かつて有耶無耶になってしまって果たせなかった約束を果たしたいのです。国も勿論大事ですが、やっぱりこう、一人の女としてどうしても欲しい方が居ますから。そして今度こそ心を教えるというリベンジ――というよりも続きをするのです。それで改めて好きになってもらうのが私の夢ですから」

 

 それこそが女王の願い。もし聖杯に懸けるならばこれしかないという、人としてありきたりで純粋な想いである。

 

「どうです? 私の夢は貴女のお眼鏡に適いましたか?」

 

「ええ、勿論よ! そんなに素敵な恋をずっと抱けるなんて、あなたはとても真っすぐな人なのね」

 

 無邪気な賞賛の声がどうにも眩しい。そのせいでちょっとだけ目を逸らしたマーキダは、自分の内心に自問する。

 一体どうして、自分はあの人の事が好きになってしまったのか。その理由は今でも正直に言えばよく分からない。一目ぼれなのだろうし、実際いつかダビデ王に語ったように賢い人が好きなのも事実だった。良き王として君臨している様を尊敬したし、そんな人物に対して何か与えられればと思ったのもまた真実。成り行きで抱かれたのも間違いないが、その時にはもう間違いなく自覚していたからこれも正確には関係ないだろう。

 だからそう、結局はこの恋に理由なんて無いのかもしれない。ただ好きになったから今でも思い続けているという、ある意味では呪いじみた気持でもあるのだろう。自分でもしつこいというか重いという自覚はあるが、一度始まったこの想い(のろ)は止められない。止める気もない。

 

 ――そしてだからこそ、ふと脳裏に浮かんだ白衣の影は何かの間違いだと断じて封じ込めた。

 

 話し込んでいるうちに夜風が段々と冷たくなってきた。いつの間にか朧に輝く月も空の中ほどにまで昇り、遅い時間であることを示してくる。どうやらそれなりに長い時間居座ってしまっていたらしい。

 

「さてと、そろそろ中に戻りましょう。いつまでもこんなところに居て誰かに襲撃されたらたまりませんからね」

 

「えー、面白くないわよ。もっとここでお姉さんと話していたいわ」

 

「そうは言ってもですね……」

 

 どうにも子供の相手は苦手だ――マーキダはそんな風に感じながらも、渋々浮かした腰を下ろすのだった。

 

 ◇

 

 そこからのカルデアの進撃は疾風怒濤にして破竹の勢いであったと言えよう。

 まずは手始めに情報入手のために時計塔の制圧を行った。ジキル自身はそれなりに危険性を考慮していたのだが、高い『対魔力』を誇るサーヴァントが四人もいて、しかもほぼ神代の魔術師までいるとなればどのような危険ももはや危険とは言えない代物であった。容赦なく飛来する魔導書や掛かれば致死に至る罠すら危険ではなく、アンデルセンは至極順調に求めていた情報を入手した。

 しかもその過程でPを名乗る英霊パラケルススと、更にはロンドンを騒がす連続殺人鬼をセイバー二人の『直感』で仕留めてしまったのだから大収穫と言えるだろう。

 

 その次はフランのヘルタースケルター探知能力を活かした大元の撃破に取り掛かる。これもまた早かった。ヘルタースケルター自体はモードレッドをして『割と歯ごたえのある敵』と言わしめる難敵だが、そうは言っても数多くの英霊が一丸となっているカルデアの戦力には敵わない。ひたすらヘルタースケルターを探知しては撃破し、そこから相手の居場所を探り出し、そしてようやくヘルタースケルターを生み出す大元、チャールズ・バベッジの下へと辿りついたのだった。

 

 本来のバベッジ自身は紳士的でも、聖杯の縛りがあれば交戦は避けられない。即座に交戦を開始したチャールズ・バベッジを見て、マーキダがさすがに愚痴を吐いた。

 

「いやちょっと待ってください。固有結界ですって? その鎧の内部が? これでも一応は魔術師なのでそう簡単に固有結界に至られると軽く殺意が湧いてくるんですが。しかもそれで鎧の機関を動かしてるって、まずその魔力はどこから引っ張って来るんですか? 世界からの修正による反動はどうしてるんですか? ああなるほど聖杯ですかそうですか、羨ましいですねまったく魔術王でも出来たか分からない固有結界をリスク無しに近代の人が扱うってなんだかすごく悔しいんですけども」

 

『お、落ち着くんだマーキダ、なんだか君らしくないぞ。そこはほら、ソロモン王にも固有結界は使えたはずとかポジティブに考えないのかい?』

 

『まあまあロマニ、それを言っても詮無い事だろうさ。そも固有結界っていうのは魔術師の中でも最高クラスの奥義なんだよ? それをいとも簡単に扱われたら同じ魔術師として多少なりとも悔しいという気持ちは私にも分かる』

 

 そんなロマンとダ・ヴィンチちゃんのやり取りを軽く聞き流しながら、どうやら魔術師として多少は思う所のあったらしいマーキダがやけに殺意に溢れている所為でバベッジも割かしあっさり沈んでしまう。そもそもがカルデアの戦力自体相当なものなので、そうでなくとも倒されるのは時間の問題であっただろうが。

 その後はしばしの小休止の後、バベッジが消滅の際に残した言葉に従いロンドンの地下深くへと向かい進んで行く。次第に濃くなる霧に従い進んで行けば、その先に有ったのは魔霧を生み出す大元である巨大蒸気機関『アングルボダ』と、この特異点における黒幕である若き日のマキリであった。

 

 だがそれすらも、もはやカルデアの道を阻むに能わず。凶悪な魔神柱に変貌したマキリとて例外ではない。むしろこれまでの特異点において、既に二度も魔神柱とは交戦しているのだ。それだけの機会があって、人類最後の希望たるマスターが対策を練らないなどありえない。

 

「ローマで! オケアノスで! お前たちとは二回も戦ってるんだ! それなのに、今更こんなところで負けるわけないんだよッ!!」

 

 立香の叫びと共に打倒される魔神柱。だがそこで事態は終わらない。更にマキリが呼び出したのは、雷電博士と名高いかの科学者ニコラ・テスラその人であった。

 聖杯からの魔力供給と周囲の魔霧を味方につけての怒涛の進撃に、流石のカルデアの戦力でもテスラを攻めあぐねた。けれどそれでも、最後にはロンドンの街中に出たところで遭遇した二人のサーヴァントの協力もあってテスラの打倒は完了し、これで今度こそ終わったと思えたのだが。

 

 空に集められた大量の魔霧から、恐ろしいまでの霊基反応が生まれだす。

 降臨するは嵐の王。カルデアにおいて最高戦力として迎えられているアルトリア・オルタのIFとも言うべき姿、すなわちそれは聖槍を携えたアーサー王である。

 

「ほう、まさか私自身と会いまみえることになろうとは。しかも貴様、そのような余計なものまでぶら下げてどういうつもりだ。言葉があるなら言ってみろ」

 

「いや父上、さすがにそれは言いがかりじゃ――」

 

「なんだ、モードレッド卿?」

 

「い、いえっ! なんでもありませんアーサー王よ!」

 

 シリアスなのかコミカルなのか分からないが、とにかくアーサー王の実力はこの場に集う誰もがよく心得ている事である。であれば、油断など出来ようはずもない。武器が聖剣から聖槍に変わった程度で嵐の王は止まらないはずなのだから。

 そこからは死闘の幕開けだった。

 解放される聖槍は強力無比で、星の聖剣にすら劣らない代物である。それを市内に向けて放たれれば洒落にならない事態になるだろう。現在はテスラの生み出した階段によるロンドン上空での戦いだが、間違っても戦場を地に移してはならないのだ。

 そのような地の不利に加えて、槍を扱う嵐の王もまた尋常でない使い手である。故に白兵戦に長けるセイバー二人を前に押し出して、その後ろからダビデが宝具封印を狙って石を飛ばすも当たらない。槍と馬を用いるこの王は、どこまでも難敵として立ちはだかっていた。

 

 だからこそ、この状況を塗り替えたのはもう一人のアーサー王の決断だったと述べて良いだろう。

 

「モードレッド卿」

 

「なんだ、こんな時に。余計なこと言ってる暇なんてないだろうに」

 

「――卿にその剣、『燦然と輝く王剣(クラレント)』を正式に譲渡する」

 

「なっ――それはどういう意味ですか小さい方の父上!」

 

「言葉通りの意味だ馬鹿者! ……勘違いするなよ、私はただ使えるものは全て使うというだけの事。それだけの剣をこの場でただ遊ばせておくのはあまりに惜しいから、一時的に譲るだけだ」

 

「本当に良いのか? オレが、この剣を使っても」

 

「くどいぞ、盗んだ剣で叛逆を起こした貴様が今更何を言う」

 

「ああクソッ、分かった、わかりましたよアーサー王! 御身の名に懸けて、このモードレッドが必ずや眼前の敵を討ち滅ぼすと誓いましょう!」

 

 その誓いと共に、モードレッドの勢いが爆発的に上昇する。彼女の振るう『燦然と輝く王剣(クラレント)』の本領が発揮され、所持者に対する身体能力の向上が発動したのだ。これによってここまで拮抗していた嵐の王との戦いが変化を開始する。振るわれる聖槍は次第に押し込まれ、いつの間にか乗騎であった黒の巨馬すら倒される。

 そして――

 

「これの一撃で一切合財終わらせてやるさ! 受け取れ――『我が麗しき父への反逆(クラレント・ブラッドアーサー)』ッッ!!」

 

 モードレッドの振るう王剣より放たれた赤雷が、見事嵐の王を貫き消滅させた。

 後に残ったのは結局手つかずで終わった魔霧の集合体で、これも直に拡散して消えていくだろう。

 故に今度こそこれで終わり、後は地下にある聖杯を回収さえすれば特異点の修復は完了するのであった。

 


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