智慧と王冠の大禁書   作:生野の猫梅酒

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第三十二話 その日の夜

 多くの特異点を越えたカルデアの、夜の食堂は伽藍として活気が無い。きっと、誰もが明日に備えて十分な休息を取っているのだろう。とりわけ藤丸立香は"第七の"特異点から帰還したばかり。だのにほとんど昨日の今日で最終決戦に挑めというのだから、それがどれだけの無茶ぶりなのかは想像を絶することに違いない。

 

「まあ、それでも『行ってきてくれ、人類の未来の為に』と言わないといけないのが、ボクら大人の仕事なんだけどね。まったく難儀なものだよ」

 

「いいのですよ、それで。指揮官というのはえてしてそういうもの、大衆の為に泥を被り責任を取るのがお仕事ですから。仮にも王だった貴方ならば、自明の理ではありませんか?」

 

 自嘲するようにロマンは嘯いて、その答えを否定するように柔らかな女性の声が覆いかぶさる。声のした方へと目線をやれば、そこにはちょうど調理室から出てくるマーキダの姿があった。ミトンを着けた両手は小ぶりの鍋を抱えており、どうやらそれが今晩の食事──ある意味では、最後の晩餐となるようだ。

 使い慣れた箸に手を伸ばして、ふと思索する。いつからだろうか。簡素な食事ともいえないような栄養摂取を繰り返していたロマンは、こうして食堂にまで足を伸ばす機会が多くなっていた。それでも他の職員と比べれば半分以下かも知れないが、かつての彼の努力を知る者からすれば、よくぞここまで習慣改善されたと喜ぶことだろう。

 

 そのままテーブルに向かい合うように座り込んだ両者は、しばし無言で湯気の立つ鍋の中身をつつきあう。元は中東圏の二人ではあるが、既にしてよその文化にも染まりきっていた。

 そして明日への緊張をほぐすかのように、取り留めもない話を繰り返す。第五の特異点の思い出話から始まり、第七特異点における極限状態での戦いまであらゆる事を。けれどその中で最も話が弾んだのは、やはり第六特異点の話だっただろうか。互いにとって想い出の地であるエルサレムが舞台だったのだ、思うところはたくさんあった。

 

「それに後は、名探偵さんとの出会いでしょうかね。秘密にしてくれと言われたのに速攻でばらしてしまったのは私も悪かったとは思ってますけども」

 

「うーん、あっちが僕のことを警戒している気持ちはわかるからね。……よく考えなくても経歴がないとかすっごい怪しいよねボク……でも疑われたのもショックだなぁ……」

 

 かつての経歴は不明、聖杯戦争後に唐突に出現、そして前所長直々の呼び出しでカルデアの医療部門トップに。確かにこれは怪しい。誰がどう見ても怪しすぎる。ロマン自身客観的に見てそう思えてしまう程だから、ホームズの推理は妥当と言って当然だろう。

 けれどその横でマーキダが笑顔で「私とカレで厳重抗議しといたので大丈夫ですよ」と言っているせいで、このことは胸の裡に秘めておこうと決意したのだが。

 

「ですが立香君もマシュさんも、どちらもその話を聞いたうえで貴方を信用すると仰っていましたから。ダ・ヴィンチちゃんや他の皆もそう、そして私は言わずもがな貴方が大好きです。だから、貴方は最後まで貴方のままでいてください」

 

「はは、ありがとう」

 

 それに、他にもいろいろあった。第七の特異点、ウルクではギルガメッシュ王と直接対峙した。その際にマーキダの扱っている武具を見咎められて危うく処断されかけたり──これは非常時ということでどうにか賢王からお目こぼしをもらえた──マーリンに色々とちょっかいを出されて鬱陶しかったりと様々だ。

 そんな他愛もない話を重ねながら、今もゆっくりと湯気を立てている鍋の中身を平らげていく。食堂で二人だけ、普段のマーキダならばそのまま何かしらせがんできそうなものだが、その素振りもなくただ静かに食事を続けている。

 

「……とうとう、明日が決戦の日なのですね」

 

 その中でふと、マーキダがぽつりと言葉を零した。常の静かな調子は変わらないが、そこには隠しきれない不安と恐怖が潜んでいる。ここまで付き合いも長いのだから、それに気づかないロマンでもなかった。

 

「やっぱり怖いかい? "アレ"と対決することが」

 

「怖くないと言えば嘘になるでしょう。とりわけあのビーストⅡ──ティアマトを見てしまっては」

 

 ビースト、それは先の特異点で出会った最強最悪の敵を指す言葉だ。人類悪とも呼ばれる神霊の降臨はどこまでも破滅的で、希望の絶無な戦いだった。それでもカルデアの一行はあらゆる運を味方につけて、蜘蛛の糸よりも弱くて脆い光明の筋を辿って、そしてどうにか勝ち抜いた。

 そして本来、冠位(グランド)のサーヴァントとはそのビーストクラスの相手をするために召喚される存在だ。少なくともウルクで共に闘った"山の翁"はその触れ込みに恥じない強力な人物であった。となれば、同じくグランドの称号を戴くあのソロモンがどれだけ無茶苦茶な相手か、仮にロンドンの一件がなくとも推し量れようというものだ。

 

「白状しましょう。私は怖いです。ただ単純に力に押しつぶされるのももちろん怖いし、私たちの肩に乗る責任を思うと目を背けたくなる。けれど何より恐ろしいのは──」

 

 そこで一息入れた。ほうと緩く息を吐いて、それから押し出すように言葉を紡ぐ。

 

「好きな人と一緒に過ごせなくなること。そうなるくらいなら()()()()()()()()()()といえるでしょう」

 

「そ、そうも直球に言われると恥ずかしいけれど……うん、せっかく人理修復が終わっても心から楽しめないのは勘弁してほしいね」

 

 最近思うが、ちょっと彼女の愛は重たくはないだろうか。別に嫌じゃないし、そこまで想われるのも悪くないのだけど、これで仮に恋に破れていたらどうなっていたのだろうか──なんてことを柄にもなく考えながらのロマンの言葉に、マーキダが静かに首肯する。

 そして真っすぐに見つめて来た。まるで何かを悟っているかのような表情で。

 

「第六特異点でダ・ヴィンチちゃんから聞きましたよ。なんでも貴方は、死よりも恐ろしい事になるかもしれない特別な力を持っているとか」

 

「それは──」

 

 いつの間に、そんな考えが思わず(よぎ)り言葉につまるロマン。確かにダ・ヴィンチちゃんの言葉は真実だ。けれどそれは、マーキダには一切伝えないようにと考えていた内容でもある。それを伝えてしまえば、これからの戦いに間違いなく支障をきたすと考えたから。

 そしてそんな彼の焦りを知ってから知らずか、さらにマーキダは問いを投げる。だけど確信を持ったその口調は、もはや確認としか言えないものであった。

 

「きっとこの力というのは、貴方に残されたソロモン王としての力とかそういった類のものなのでしょう? だからこそ私は不安なのです。もしかすれば、貴方が私の前から消えてしまうかもしれないから」

 

「どうしてそんなことが──」

 

「私が貴方の最後を知らないと、本気で思っていますか?」

 

 静かな、けれど気迫を感じさせる声音でそれを告げられればもはや押し黙るほかない。

 やはり彼女はその可能性にまで行きついてしまったか。そんな諦観すら感じてしまう。

 

「ソロモン王の最後は、天に『十の指輪』を返すことでその生涯を終えたとされています。そして貴方の手には一つだけ残った本物の指輪があり、あのソロモンは自力で復活したと証言しました。ここから鑑みるにもしあのソロモンが"かつての貴方の死体"だというのなら、すべてに説明がつきます。七十二の魔神柱を使役する理由も、千里眼も、()()()()()()()()()、何もかもが。であれば、指輪の返却を利用してソロモンの力を失わせることは十分に可能でしょう」

 

「……参ったよ。まさかそこまでお見通しだとはね。君もあのキングゥから同じ発想に辿りついちゃったか」

 

「ならやっぱり──」

 

「うん、理屈のうえでならそれは可能だ。ボクはこの世界のどこからも消える代わりに、あのグランドキャスターを名乗る存在も消失、ないし大幅な弱体化にまでもっていけるだろう」

 

 いっそのこと白々しいほど、普段と変わらない調子で残酷な真実を告げる。まるで世間話でもするかのような気やすさだ。

 けれどマーキダの反応は劇的だった。大きな音を立てて椅子が後ろに倒れる。気がつけば、彼女は両手を机に叩いて立ちあがっていた。

 

「そんなこと、認めるわけにはいきません。貴方には何としても生きてもらわなければ困ります」

 

 意識しているのかいないのか、語調も微かに荒い。

 

「認めるも認めないも、これはボクらだけの話じゃない。全人類とボクの命の等価交換ならばむしろ安い話じゃないか」

 

「嘘ばっかり。貴方はそんな恐ろしい決断をやれるわけがありません。確かに貴方は根は真面目でしっかりしていますが、それでも小心者で無用な危険は極力避けたい性格でしょう。そんな貴方がそのような恐ろしいことを出来るはずがありません」

 

「うわぁ、君にまでそんな辛辣に言われるなんて! というか、もしかして初めてじゃないかな?」

 

 おどけるように肩を竦めるが、さすがに理解できる。彼女のこの妙に辛辣な発言はポーズだ。本当は誰よりもそんな可能性を認めたくないからこそ、敢えて強がっているだけの話でしかない。

 それにロマン本人としても、本当にそんな大それた事を出来るかといえばきっと──

 

「見栄を張っても仕方ないから言うけど、やっぱり出来ないだろうなぁ、ボクには。御大層な事を言ったけど、本質はまさに君の言う通りだ。そりゃあここまで色々とやれることはやってきたよ? だけどこれだけは出来るか分からない。いや、むしろボクには出来ない事だろう」

 

 情けない真実だが、事実である。どうやら彼女も信じてくれたようで、どこかほっとした様子でゆっくりと腰を下ろした。先ほどまでのどこか荒れたような気配はない。

 

「そう、ですか……不謹慎かもしれませんが、それなら良かった。最後の大団円に貴方がいないなんて、どんな悪夢ですか」

 

 心底安堵しているマーキダを見て、やはりロマンも内心で息を吐く。ここまで語ったことは全部本当だ。その上で、結局()()()()()()()()()()()()()のも本当だ。だって今のロマンは人間なのだ。最後の最後にどんな決断を下すのか、それは自分自身でも決して分からない。

 気まずい沈黙が場に降りる。どうにか話題を変えるべく、ロマンはひとまず自分でも気になっていたことを訊ねてみた。

 

「そうそう、一つ気になっていたのだけど、ボクが名前を教えたあの剣、『幻想を此処に、其は不滅の呪いなり(エレタム・サーラム)』はどういった効果の宝具なんだい? 君が使っているところはほとんど見てないから気になってたんだ」

 

 実は第四の特異点以降、彼女は一度もあの剣を真名解放していない。あれだけ圧倒的な力を手に入れられる宝具なら、もっと積極的に活用しても良いはずなのにである。ロマンはそのことを指しているのだ。

 まあこれには、どうせならもっと自分が教えた宝具を活用してほしいなというなんとも言えない欲があったりもするのだが。

 

「……貴方、知らなかったんですか? 真名を調べておきながら?」

 

「いやあ、どうにもその辺りは忘却してしまってね……今のボクは(ソロモン)とは全く別人なわけだし、むしろ真名を覚えていた方が奇跡だよ」

 

 実際、色んなことを忘れてしまっているのは否めない。かろうじて大切な記憶は残っているのだが、それ以外はおおよそ靄がかかったような有様である。

 なのでどうにか覚えていられた剣の効果を知っておきたいのは当然のことであったのだが、何故だかマーキダは言葉を濁した。

 

「もう、そんなこと言う人には秘密です。せいぜい悩んで悩んで、次いでにもっと他の思い出も掘り起こせばいいんですよ」

 

「うーむ、厳しいお言葉、ありがたくいただいておきましょう」

 

 どうやら教えてはくれないようだ。仕方ないのでとぼけた風に言葉を返せば、マーキダはまた笑ってくれた。伽藍とした食堂に、再び明るい活気が灯り始める。

 ちょうどそんな時だった。食堂の扉が何の予兆も無しに開いた。

 

「うーん、美味しそうな香りに釣られてやってきたら、ちょっとばかり無粋な状況だったかな? ま、それでも自重なんてしないのが僕なんだけども」

 

「あっ、ダビデ王ですか……こんな時間にどうしたのですか?」

 

 やってきた人物、ダビデは食堂をぐるりと見まわして、ここにロマンとマーキダの二人しか居ないという状況に気がついたようだ。それでも引っ込むどころかわざわざ二人のすぐ近くの椅子に腰かけるあたり、どこまでもマイペースな王様であるらしい。どことなく嫌そうな顔でダビデの名を呼ぶマーキダにもお構いなしだ。

 そしてもう一人、ロマンは完全に困ってしまっていた。これまでもダビデと話す機会はあったが、此処まで周囲に人が居ないうえに近くで話すことは終ぞなかった。面と向かってお父さんなどと呼べるような相手でもなし、対応に困ってしまうのは明白だった。

 

「僕はいつも通りに夜のお相手でも探してみようかなって考えたんだけど、さすがに今日は駄目っぽくてね。仕方ないから徘徊してたら君たちとばったりってわけさ」

 

「いつも通りって、そんな事実が有ったらドクターが黙っていませんよ。ねぇ?」

 

「あ、あぁ。そうだね……そんな事態になってたらカルデアの風紀も一大事だ」

 

 ロマンの困惑を受け取ってか、さりげなく話を振るマーキダ。けれどその甲斐もなく、あまり気の無い返事になってしまう。

 しかしダビデはそんな不自然なロマンの態度に触れることなく、あくまで自然体に話を進めてしまう。

 

「まったく、()()()()()()()()()()だね。どうしてそうも僕の言葉を疑ってかかるんだかなぁ。そんなに僕が信用できないかい? これでも普段の行いは善くしているつもりなのだけど」

 

「どの口が言うんですかどの口が。……というより、ソロモン王も貴方に苦言を呈したことが?」

 

 ちょっとばかり興味を引かれた調子でマーキダが食いついた。自身の想い人についての話題は何にせよ気になってしまうのだろうか。

 対してその返答はといえば、意外にも否を唱えるものであった。

 

「いや、無かったよ? だけどほら、あれはけっこう腹黒というか抜け目ないとこもあるからね。たぶん内心じゃ愚痴をこぼし続けてたんじゃないかな?」

 

 話し相手は脳内にいっぱい憑いてただろうしね──

 

 おどけたように言って見せたその言葉に、マーキダもロマンもしばし言葉に困る。果たしてこの王は、ふざけた姿の下でいったいどれだけのことを察しているのだろうか。もはや真実は彼のみぞ知るといった具合である。

 

「それはさておきどうも僕はお邪魔虫みたいだし、今夜はここらで退散させてもらおうかな。サーヴァントとはいえ、下手に明日に支障を出しても困るからね」

 

 そしてダビデは椅子から立ち上がった。どこまで言ってもマイペース、ロマンもマーキダも完全に彼のペースに呑まれてしまっていた。あるいはそれがダビデの持つ不可思議なカリスマ性とでも言うべきか。

 悠々と去っていくダビデ。彼の姿が食堂を出て廊下に消える直前のことであった。珍しく、ロマンがダビデに声をかけたのだ。

 

「ダビデ王、一つ聞いておきたいことがあるのだけどいいかな?」

 

「おや、なんだい? というより珍しいね、君の方から声をかけてくるなんて」

 

 心底意外といった顔のダビデに、ロマンはバツの悪そうな顔をする。だけどすぐに取り繕って、真面目な顔になった。

 

「あなたは今回の一件をどう思っているのかと思ってね。せっかく黒幕らしき相手の縁者がいるんだ、最後に一つ聞いてみたいのさ」

 

「……また難しいことを聞いてくるね。だけどそうだね、その問いに答えを返すならば……」

 

 試すようなロマンの言葉に、珍しく悩んでいる様子だ。どう答えたものかと顎に手をやる姿からは、普段の軽薄さはとても感じられない。どうやら今回は彼なりに自分の意見を模索してくれているらしい。

 それから、ほとんど一分も経っただろうか。微妙な沈黙が場を支配する中で、ついにダビデは口を開いた。

 

「彼は完成された王であったけど、そのせいで人としての自由がなかった。まあこれを仕向けたのは結局神に子を捧げた僕なわけだし、そのこと自体に罪悪感とか後悔なんてことは一切持っていないよ」

 

 なんとも言えない表情でダビデを見ているマーキダを一瞥してから、彼は「だけど」と続けた。

 

「だけど、今は彼が彼自身の意思で一つの大事業に取り組んでいるわけだろう? 割と最低な状況ではあるわけだけど、それで少しは楽しめているのならそれもありなんじゃないかなと僕は思うわけさ」

 

「まさかあなたはこれだけのことを仕出かしたソロモンを肯定するのか!?」

 

「それこそまさかさ。僕としても羊とか、草原とか、あと可愛い娘とかが全部無くなってしまうのは大損だから勘弁願いたいけどね。でもそれはそれとして、この特別な状況が特別な存在であったものに変化を促しているのは事実だろう。これ自身はほら、一応は親だったわけだし歓迎してみても良いかなとは感じているよ」

 

 つまりダビデはどっちの味方なのかと、おもわず疑ってしまうような答えである。

 

「それじゃあドクター・ロマン、君も最後までカルデアのトップとして走り抜けてくれ。僕はその結果を見届け、そして受け止めよう」

 

 ほんの微かな笑みと共にそれだけ言い残して、ダビデは食堂から出て行った。後に残されたのは、呆けたような困ったような顔で向き合う男女が二名だけ。どちらも、上手い言葉が出てこなかった。

 けれど、その胸に抱いた想いは同じであったようである。

 

「……明日は早いですし、寝ましょうか」

 

「そうだね、そうしよう。お休み」

 

「えっ、一緒に添い寝しないんですか?」

 

「君はホントにぶれないなぁもう!」

 

 泣いても笑っても、明日ですべての決着がつく。きっと苦しいだろうし、大変な思いも数多くするだろう。

 だからせめて、その時まで今まで通りであろうと。示し合わせたわけではない。だけどその想いこそ、二人に共通するものであったのだ。

 




次回からは最終章、冠位時間神殿ソロモンに突入します。

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