第三十三話 獣の玉座 Ⅰ
時は来た。
これよりまさに、最後の特異点へと突入する。カルデアはこれまで幾多もの苦難を乗り切り、ようやくこの時この一瞬へと手をかけることに成功したのだ。
「そして物語をハッピーエンドに終わらせるためには、ボクらの頑張りが必要不可欠なわけだ。もちろん、こんなことは前提条件だし、もっと頑張るのは立香君に他ならないけども」
管制室に冗談とも励ましともつかないロマンの一言が響いた。当然、職員たちも苦笑顔だ。そんなこと言われるまでもないと、各々が胸に刻み込んで黙々と最終調整を行っている。
結局この人理を巡る旅において、最後の最後まで管制室は明かりが灯っていた。そうでなくては生き残れないから。そうであったからこそ、カルデアはここまで辿り着けたのだ。誰か一人でもいなければ、きっとこうはならなかったのは間違いない。
そしてそれは、傍らで見続けていたマーキダにとっても、とても尊いものに思えるのだ。
「いよいよ残りは一時間もないのですね……思えばここまで、長かった」
「その通りだ。常に現状の維持に努めて自分の仕事を全うしてくれたここの皆に、実行役として体を張って立ち向かってくれた立香君とマシュ、それに力を貸してくれた君たちサーヴァント……そのすべてが噛み合ったからこそ、人理焼却の黒幕へ王手をかける段階にこれたんだ」
神妙に頷いて思い出を噛み締めるロマンに、すかさずヤジが飛んだ。さっきまで黙々と作業をこなしていたはずの
「ドクター、自分のこと入れるの忘れてますよー!」
「カルデアの司令塔として頑張ったのを忘れちゃだめでしょうに」
「不養生しまっくてまで仕事してた馬鹿はどこの誰だか思い出してみろー!」
「あーもう、そういうのいいから真面目に作業に戻ってくれ! こんなとこで凡ミスしたら人類にどんな言い訳すればいいのかわからないよ!」
茶化しつつも暖かい言葉の数々であった。あまりにも気恥ずかしくなって、ロマンも半ば遮るように作業に戻るように促す。最後の戦い直前だというのに、やはり何も変わらない。普段通りのカルデアの在り方に、無意識に強張っていた体がほぐれたのはきっと誰もが思うところだろう。
「でもさドクター、最近はそこのキャスターちゃんと良い仲って話じゃない? そこのとこどうなのよ」
「おいおいおい、シバの女王は人妻さんだぞドクターや! もうちょっと安らぎを求める相手を考えた方が……」
「いやぁ、まさか草食系を極めたような人がすっごい美人を射止めるなんて思いもしなかったぜ……」
「分かった、分かったからもう好き勝手言うのは止めようか!? ほらもうこっちは顔が真っ赤になってるし!」
さっきまで「このカルデアの終局の記録を『
それはすべてが終わってからのお楽しみ、平和になった後で存分にロマンをいじって問い詰めてみればよいのだから。その時になれば時間なんていくらでもあるのだ。
ちょうどその時、管制室の扉が開いた。
「おーおー盛り上がっているじゃないか諸君、ちょいと私も混ぜてくれないかな」
当たり前のように会話に混じってきたのは、カルデアの誇る変人にして天才であるダ・ヴィンチちゃんだ。
こちらも最後の調整を終えたのだろう、適当に空いている椅子に腰かけると、猫のように体を伸ばして一息ついた。
「こっちの準備は終えたよ。後は定刻になり次第上手いこと立香君たちをレイシフトさせて、特異点へノルマンディーをかますばかりだね」
「の、のるまんでぃー? なんですかそれは?」
「要は上陸作戦だよ。今回はレイシフト事情が特殊でね、カルデア自体が直接特異点に接触してレイシフト、そのあと帰還するにも徒歩でこっちまで戻ってきてもらわないといけないんだ」
「へぇ……って、それじゃあかなり大変なことになるんじゃ……」
これまでの特異点事情を思い出して、マーキダが深刻な顔をして問いただす。
「そうなんだよねー、今までだって聖杯を回収すれば特異点は消えていったけど、今回はもっとシンプルに危険だ。なにせあの特異点は実質的に小宇宙となっていて、特異点が崩壊すればいずれ揺蕩う魔力が弾けてパン! さ」
冗談めいた笑い声が、少し静かになった管制室に響いた。
それはあまり笑い事ではないだろう、なんて目でマーキダはダ・ヴィンチちゃんを見やる。本人も白々しい笑みを浮かべているが。
「このこと、マスターたちは?」
「まだ知らせてないよ。だけどこの後すぐのブリーフィングで伝えるつもりだ。最後の最後にとんでもない負担を強いるけど、それでも達成してもらわなければオーダーの完遂とはならないからね。マーキダ、君にもやれうる限りのことはしてもらうよ」
ロマンの言葉に、重々しく頷く。そうだ、ただ人理を守るだけでは足りないのだ。人理を守り、カルデアのメンバー全員で平穏な二〇一七年に帰還してこそ完全勝利となるのだから。
故にこそ、誰か一人でも欠けてはならない。それはこの場の誰もに共通する想いであった。
「元よりそのつもりですよ。なに、任せてください。今の私は絶好調なんですから、犠牲なんて決して出させやしませんとも」
──だから貴方も、早まった行動はしないでくださいね。
そっと耳元で囁かれる。まさかここで釘を刺してくるとは思わなくて、彼は反射的に周囲を見渡してしまう。すると忍び笑いを漏らしているダ・ヴィンチちゃんや、やっぱり関係あるじゃないかと呆れがちな職員たちの目線に晒されているのに気づいて、さっと目を逸らした。
「あー、全くもう! レイシフトまで時間無いんだから皆真面目にやってほしいだけどなぁ!」
自棄気味に放たれた言葉に、いよいよ笑いが蔓延する。ここまでくればもう、裏方たちは最後まで笑顔で行こうじゃないかと。あたかもそう告げられているかのように感じられて、やっぱり少しばかり不安の取れるロマンなのであった。
◇
休息をとっていたマスターとマシュ、そしてサーヴァントたちを集結させて、ついに最後のミーティングを開始した。
曰く、冠位時間神殿ソロモン。ソロモン王の遺体に宿る魔術回路を利用した固有結界にして、宇宙そのものをそのままスケールダウンしたかのような途方もない規模の特異点である。さらに特異なことに内部の生体反応は一つしかなく、それ故におそらくは末端を殲滅しなければ中心部には辿り着けないという予測が示された。
「なるほど、面白い。つまりは城攻めというわけか。果たして魔術王の本拠地がキャメロットに勝る堅牢さか否かどうか見物だな」
そういって獰猛な笑みを見せたのは黒き騎士王、セイバー・オルタだ。最後の局面であろうとも、彼女のありようは変わらない。ただマスターの剣として、一切の慈悲なく敵を打ち滅ぼすのみだ。
「まさか、あのソロモン王と拳を交える羽目になるなんて、旧約聖書を読んでいたあの頃はとても想像できないことね……本当、世の中って不思議な話だわ」
心底から不思議そうに呟いたのは聖女マルタ、敬虔なキリスト教徒の彼女からすればそれなりに思い入れのある相手だろう。だけどそれでも、やるべきことを見失うことはない。
「まったく、ただの役立たず童話作家を世界の破滅なんぞに招き寄せるとは底抜けの阿呆だなカルデアは! だがいいだろう、不本意であれ呼ばれたならばそれも縁だ、せいぜい似合わぬ冒険譚と、甘酸っぱい恋物語でも綴ってみるとしようじゃないか」
口調こそ嫌そうでも、どこか楽し気な雰囲気を見せているのはアンデルセンである。彼はちらりとマーキダを見やって、微かに唇の端を釣り上げた。もちろん、マーキダは少し睨み返して返事とした。
「いよいよ決戦か、僕から言うことは何もないけれど……せいぜい誰も消えないように頑張ろうってくらいかな」
普段よりも言葉数が少ないのはダビデ王、自分の息子と戦うと言えどもそこに特別な感情は抱かない。
「私からも、特に言うことはないですね。しいて言えば、第四の特異点で見せた醜態は二度としないとだけ誓いましょうか。あの時は心配をかけてしまい、本当にすみませんでした」
頭を下げたのはマーキダ、かつてソロモンと相対して完全に戦意を喪失してしまったのは、今にして思えばとんだ黒歴史である。結局いろんな要素のおかげで立ち直ることができたわけだが、それでも改めて謝罪をすることでけじめをつけた。
「先輩、これが最後です。たとえこの後私がどうなろうとも、先輩と共に駆けたこれまでの全てが私の誇りです。だからもう一度だけ、私と一緒に戦ってください」
「ああ、分かってるよマシュ」
盾の少女の言葉に、万感の思いを込めて返したのは藤丸立香である。
最初は、自分の真名すら知らぬサーヴァントだった。
最初は、最弱のマスターだった。
そんな二人の歩みは、多くの出会いと助けの下に進み続けた。そして次がその集大成、この人理修復の旅で身を結んだすべてを見せつけるときが来たのである。
「さあ、人類最後のマスターよ。これが最後、カルデアの司令官として発令する最後のオーダーだ。──勝ってこい。人理焼却なんて馬鹿げた企みを破り棄ててくるんだ」
「もちろん!」
「……いい返事だね、本当に見違えたよ。よろしい、これよりカルデアは最後のオーダーに移行する。目標は魔術王の撃破、並びに藤丸立香の帰還。そしてマスターの帰還をもって、この任務の完全達成とする」
いっそ厳かなほどに響く最後のオーダー。誰もがその重責を理解して、立ち向かうときが来たのだ。
「それじゃあ最後に立香君、せっかくだし景気づけに一言もらってみようじゃないか!」
と、緊張感の中で空気をぶち壊すような発言をするダ・ヴィンチちゃん。それにほんの一瞬戸惑いとも苦笑ともつかない顔を見せた立香は、
「勝とう、みんなで!」
『ああッ!!』
最後の締めくくりを、これ以上ない形で終わらせたのだった。
◇
獣の宙域に突入したカルデアを待ち受けていたのは、無尽蔵の魔神柱の群れであった。
出迎えとして現れたフラウロスはもはや鎧袖一触とばかりに蹴散らすも、即座に復活するフラウロスと無尽蔵に現れていく魔神柱になすすべを持たなかった。
だがここで奇跡が起きる。極点の流星雨、これまでに特異点で関りをもってきたサーヴァントたちの助力が入ったのだ。魔神柱の蘇生速度を上回る殲滅速度により、特異点の末端各所の魔神柱を一時的に封じることに成功、中央部に送られる魔力は激減し、中央への道が開かれた。
そしてついに、カルデアは魔術王の玉座に辿り着くことに成功したのであった。
◇
「……よもや本当にここまでやって来るとはな。こればっかりは私としても驚愕しているよ。なぜお行儀よく死ぬという当たり前のことができないのやら」
白い大地と、荘厳なる玉座。空には暗黒を縁取る光帯が渦巻き、辺り一面にビーストの霊器が存在する世界。
そこに、魔術王はいた。
「ここまで来たのならば、仕方あるまい。取るに足らない虫けらのように、死ね」
底なしの殺意の奔流、ここまでやって来た誰もが身を竦めるような重圧だ。
これが、グランドの位階を持つサーヴァントの力なのか。ロンドンで見知ったはずの絶対的な彼我の差はしかし、少しも埋まったようには感じられない。
だけどそれでも、この男には聞くべきことがあったのだ。
「答えなさい、魔術王を名乗る何者か。貴方は何者ですか? どうして、ソロモン王の遺骸を用いてこのようなことを為そうとしているのです?」
マーキダが気丈に問う。仮にも生前を知る者として、何よりその遺骸の男を愛していた者として、彼女には知るべき権利があるのだから。
しかし返ってきたのは──身も凍るような嘲笑であった。あいも変わらず、彼は憎悪をマーキダへと向け続ける。
「クッ、ハハハハハハハッ! あいにくと私はお前のことが大嫌いでな、素直に答えてやる義理などどこにもない。あの男を変えられたはずの唯一にして最後の女、だというのにその使命を果たさずに死んでいく始末。ああ全く、どこまでも忌々しい。なぜ貴様──
「──え?」
魔術王から零れた意外な言葉に、誰もがほんの一瞬だけ言葉を失った。
そういえば確かに、と立香は思い返す。
誰もが少なくない驚愕の視線を向ける中で、当のマーキダは悪戯がバレた子供のようにバツが悪そうな顔をしている。なんで暴露してしまったのか、どう説明すればよいのか、そんな色が滲み出た顔である。
「認めたくはない、だがあえて言おう。貴様ならばあるいはと、
自分に関連することのはずなのに、まるで他人事のように語るソロモン。それはつまり、魔術王の死体を動かしているのは決して魔術王自身ではないという証左になるのだが……白状すれば、立香にとってはそれどころではなかった。
「自害って……本当なのか?」
自殺。それ自体は悲しいくらいありふれた言葉だ。だけどそれが、よく見知った相手の最期だと知れば、とても穏やかではいられなかった。ましてや、とても自害なんてするように見えない人物であれば
果たして彼女の言葉は、
「……残念ながら事実ですよマスター。私は、シバの女王マーキダは……確かに、自刃をもってその生涯を終えたのですから」
魔術王の言葉を肯定するものであったのだ。