智慧と王冠の大禁書   作:生野の猫梅酒

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第三十七話 失恋

 その日、カルデアは運命に打ち勝った。

 

 崩壊する冠位時間神殿ソロモンからどうにか藤丸立香が帰還し、そしてどのような理屈かマシュ・キリエライトが蘇ったそのあとで。とうとうカルデアは元の時間軸、二〇一七年の一月一日に戻ってこれたのだ。その時の管制室の沸き立ちようと言えば、疲弊しきった状態とは思えない勢いを生み出したほど。

 ようやく取り戻した平穏な世界は美しく、また鮮やかであった。きっとこれから魔術協会への釈明やら、未だコフィンで冷凍保存中のマスターの扱いで追い掛け回される日々となるのだろうが、それでも今だけは守りきれたという感慨に誰もが浸ることを許されたのだ。

 

 無論のこと、人理修復を成し遂げた裏には悲しい犠牲もまたあった。最初から最後まで精いっぱいにカルデアを支え続けた男は、もういない。その身を賭して人類の未来を守るべく戦い抜いた彼は、特異点から帰還することなく終わってしまったのだから。

 そのため、今夜だけはいなくなってしまった者たちを偲ぶべくしめやかに過ごす──なんてことはしなかった。むしろ人理修復を成し遂げた今夜だからこそ、派手に祝って平和と楽しさを享受すべきだと誰もが思ったのだ。きっとドクターも平穏な世界で皆が笑っている方が嬉しいだろう、と。

 

「さあ、そういうわけだから今日だけはしめっぽいのはなしだよ! どうせ明日からはまた事後処理が山積みなんだ、せいぜい楽しんでおくとしようじゃないか!」

 

 よって食堂に集まった面々は、ダ・ヴィンチちゃんの音頭に合わせて早速祝勝会となっていた。戦い抜いたマスターを讃え、どうにか乗り切れた自分たちを褒めあい、ここまで手を貸してくれた英霊たちに感謝を示し、マシュの帰還と成長を喜んだり。あらゆることに理由をつけて祝いの言葉が飛び交って、熱狂した会場にはありったけの食べ物やら酒やらが持ち込まれた。

 しかも気が付けば聖杯としか思えない盃まで鎮座していて、さらに大量の食べ物を出してもらう始末である。魔術協会が見たら卒倒しかねない状況ではあるのだが、今更これを悪用しようと思う人間なんて一人もいない。それ故に今日だけは黙認されたのだった。

 

 ◇

 

 夜も深まった来た頃、祝勝会は宴もたけなわといった様子を見せていた。酒に気持ちよく酔って、これまでの旅を語り合って話のタネとしているのだ。

 その最中で、そっと食堂から抜け出す影が一人いた。他の誰にも気づかれないようにするりと廊下に出ると、別世界のように静かで人気のない廊下を歩きだす。

 コツコツと、足音が廊下に響く。どこか覚束ない足取りで進むその先には、とある一室があった。扉に手をかけてみれば、鍵はかかっていない。これ幸いとばかりに入り込む。

 

 そうして一人祝勝会を抜け出したマーキダは、どさりとベッドに倒れこんだ。枕を胸に抱いて、この部屋の主のぬくもりをほんの少しでも感じ取ろうと身をよじる。

 だけどそんなことをしようとも、空っぽになった心には何一つ波立ものはなかった。さっきまで出ていた祝勝会と同じ、祝う気持ちも楽しむ心もあるのに一向に晴れないのだ。

 

「ドクター、私は……一番大切なものを失ってしまいましたよ」

 

 誰に言うでもなく、見慣れた天井を見上げて一人呟いた。ここはカルデアの司令官であった者、ロマニ・アーキマンの自室である。最初は本当に散らかっていてどうしようもなかったのだけど、マーキダがよく訪ねてくるようになってからは少しづつ整理整頓が進んでいったのだ。

 今となっては懐かしい思い出で、もしロマンが居ればきっと笑い話にでも出来たのだろう。けれどそれは夢物語、現実は故人の残滓を求めて記憶の海を彷徨うほかに行き場がないのだ。

 

「知らなかった、これが喪失というものなのですね……なんて恐ろしいものなのでしょう。貴方は、こんなものに耐えたのですね」

 

 ゲーティアに打ち勝つために、自身の魔剣に自身の愛情を惜しみなくくべて燃やし尽くさせた。それはすなわちマーキダの燃え盛る愛慕の情の喪失であり、かつては思いつめた挙句に自殺を選んだことを思い返せばとんでもない決断だったといえるだろう。

 自身の心の大部分を埋め尽くす感情の喪失は、彼女の想像以上に辛いものであった。絶対に忘れない、好きだと言い切った相手のことを想っても、心が何一つ動かない。暖かくなってくれない。

 彼の死を悼もうとしても、ただ仲間が死んで悲しい程度の気持ちしか起きないのだ。それが悪いとは言わないが、けれどマーキダにとってはとても考えられない事態である。できることなら、無様にみっともなく泣いてでも惜しみたかったのに。それすらできない。する資格を失ってしまったから。

 

 かつてマーキダの自害を知ったソロモンも同じような気持ちだったのだろうか。自分の全てを擲ったロマニ・アーキマンはこれに耐えたのだろうか。だとすれば自分はどれだけ罪深いのかと、今更ながら自覚してしまう。

 ならばこれは罰なのか。愛を知って、愛に溺れて、愛に狂って、そして愛を失った。なるほど、最低な自分にはこれ以上ない末路だとマーキダは小さく自嘲した。

 

「これから、どうしようかなぁ……」

 

 このまま現世に残ったところで、喪失の痛みといつまでも向き合い続けるだけだろう。そんなのにはきっと耐えられない。

 かといって、後追い自殺なんて真似は決してしない。例えこの身がサーヴァントであろうとも、ロマンはきっとそんなことは望まないだろうし、かつての自分を恥じ入る以上それだけは出来ない相談だ。

 であれば残された道はただ一つ、カルデアの職員と共に事後処理の手伝いをすることだろう。ある程度カルデアのごたごたが片付いたら、自分の気持ちに区切りをつけて、未練なくマスターと契約を終えて座に帰還する。おそらくはこれが一番好ましい選択だ。

 

「そんなの……できるわけ、ないよ……」

 

 口から零れたのはどうしようもない否定の言葉。分かっている、どうせ自分は耐えられなくなると。頭は彼のことを愛していると信じ続けるのに、心が段々と離れて行って繋ぎ留められない。最後には愛しているのに冷めているという矛盾に耐えかねて、どうしようもなくなってしまうのだ。

 故にマーキダは終わっていた。これからどう生きようと救いなどあるわけがない。それこそ、世界から消え去ったロマニ・アーキマンという男が戻ってこない限りは──

 

「……誰、ですか」

 

 ちょうどその時、扉をノックする音が聞こえた。マーキダは誰何の声にほんの少し期待が混じったのに気づいて、そんなわけないと思い直した。都合の良い夢を見ることはできないのだから。

 

「やっぱりここにいたか。期待させて申し訳ないけど僕さ」

 

 そうして普段通り飄々とした態度でやって来たダビデは、ベッドに腰かけていたマーキダの隣に座った。反射的にマーキダは少し距離を取ったが、特に咎めたりはしない。

 

「……何の用で来たのですか? 申し訳ないのですが、今の私はあまり人と話したい気分ではないので」

 

「うん、それは見ればわかるとも。だから単刀直入に話をしたいと思ってるのだけど」

 

 ダビデの様子はあまりに普段と遜色ない。ともすれば日常の延長にあるのではないかと勘繰ってしまうほど。

 だからマーキダは、何ら堪えたように見えないダビデに訊きたいことがあったのだ。

 

「どうして貴方は……それだけ平静でいられるのですか? いえ、そもそもドクターの正体を承知していたのですか? だとすればいつから?」

 

「質問が多いけど、そうだね、まずは二つ目から答えようか。結論から言えば、僕はロマニ・アーキマンの正体がソロモンだと知っていたよ。オケアノスで通信越しに話した時に”まさか、もしかして?”なんて感じたのだけど、そのあとの君の態度や彼の言動で確信したよ」

 

「ほとんど初対面からじゃないですか……それで、最初の質問についてですが」

 

「ああ、それは簡単なことさ。僕は彼の選択を見届けるといった。それがどのようなことを引き起こすかまではさすがに推測できなかったけど……彼は彼自身の選択で成すべきことを成せたんだ。それはソロモンとして生きた頃からは考えられないことで──だから僕は、その意志を尊重する。多少惜しむ気持ちがあるのは嘘じゃないけど、それよりもよくやったという方が大きいのかな」

 

「そうでしたか……私も、貴方のように思えたならばどれだけ良かったか。私は、貴方のように達観することはできないみたいです。きっとこれから先ずっと、例え座に戻ろうとも、この喪失感と痛みに付き合う羽目になるのでしょう」

 

 これから先を見据えてしまえば、とてもじゃないが正気を保てるとは思えない。故に重すぎるため息を吐いたマーキダに、唐突にダビデは懐から輝く何かを取り出した。

 

「それって……うそ、なんでこんなところに……」

 

「どうしても何も僕が持ってきたからに決まってるだろう? もちろん、今のところ聖杯に捧げる願いなんてない以上、僕には無用の長物だけどね」

 

 無造作に机に置かれたのは、黄金に輝く聖杯であった。器に充溢する魔力の渦が肌で感じられて、それが余計にこの聖杯が偽物ではない本物の願望機だと証明している。

 普段ならば特異点で回収された聖杯は厳重に保管されており、誰一人使用することはおろか取り出すことすらできない。唯一それが可能なのはダ・ヴィンチちゃんなのだが、カレとて出すつもりはないはず。例外的に今日だけは一つ食堂に引っ張り出されているが、それとて用が済めば再び厳重な封印を成されることだろう。

 

 ただ、それを聖杯というには少しばかり違和感もあって──

 

「ちょっと欠けてないですか、これ? しかも少し小さいような……」

 

「気づいたかい? 実はこれ、厳密には聖杯そっくりの別物なんだよ。覚えてるかな、これはマスターがハロウィンパーティーに招かれた時に見つけた聖杯なんだよ」

 

「あー……あの切り札として残しておくと言っていたアレですか」

 

 結局、立香は聖杯に追従するだけの魔力貯蔵庫という切り札を温存しきったまま人理修復を終えてしまったらしい。強力な切り札だけに容易に使用することもできず、大切に温存し続けた結果使うことなく終わってしまったということだろう。

 どうやらダビデは、そんなものをマスターからもらってきたらしい。どうせ使わないなら有効活用させてくれと。

 

「で、結局貴方はこれを見せてどうしたいというのですか? 例え聖杯を使おうともあの人は──」

 

「召喚することはできない。それは承知の上だ。第一、その検証は既に技術部のトップが責任をもって果たしていたよ」

 

「……なるほど、そうでしたか……」

 

 考えてみれば、万能の天才がその発想に至らないわけがない。きっと短時間でやれるだけのシミュレーションをこなして、全てが無駄という結論を提示されて──その時のカレの気持ちが、マーキダにはありありと理解できた。

 

「先に言っておくけど、僕にはこれを使った華々しい大逆転なんて構想は見えてない。これを持ってきたのはちょっとした気遣いで、せめてもの励ましだよ」

 

「なら……こんなモノは必要ありません。これがあったところで、ソロモン王が座の記録からすら消えた現状では──」

 

 そこまで言ったところで、マーキダは不意に言葉を切った。

 ()()。確かに自分は今そのように言った。本当に何気ない事実確認であったはずなのに、どうしてかこの単語が頭に引っかかってしょうがない。

 何だ、自分は今何に気がつこうとしているのだ? 記録。それは記憶であり、事実確認であり、過去を振り返る手段であり、覆しようのない出来事の断片であり……()()()()()()()()()()()()()

 

「あ……」

 

「おや、何か思うところがあるのかな? それなら良かった、君の愛は()()()()()なのかと失望せずに済んだからね」

 

 満足そうに笑うダビデの言葉が耳に入らない。それよりもマーキダは今、できるかもしれないという己の思考に取りつかれ始めていた。

 ほとんど反射的に己の宝具である『智慧と王冠の大禁書(ケブラ・ネガスト)』を取り出して、嵐のような勢いで(ページ)をめくる。始まりはシバ王国の成り立ちの歴史から詳細な記録、中盤ではソロモン王と過ごした二か月間にまとめた内容が並んでいる。どれもマーキダにとっては大切な記述であるのだが、用があるのはそこではない。

 

「……見つけた」

 

 頁をめくる指の動きが止まる。開かれた箇所は『智慧と王冠の大禁書(ケブラ・ネガスト)』の最後の方、カルデアに召喚されてから書き足した人理修復の足跡だ。

 元々、記録を取り出したのは単なる気紛れだった。ロマンが何となくソロモンと似ているような気がして、ちょうど暇もあって観察を始めたのだ。それからは仕事を手伝いながらも記録を続け、特にロマンの正体が判明してからはより一層細かく描写がなされている。

 

 つまりこの書物にはロマニ・アーキマンという男の人生が可能な限り記されているのであり、もっと言えばその前世ともとれるソロモン王時代の記録も当然残っている。

 そして何より、この宝具は書物に残されたシバの王国を現世に映し出すための”召喚宝具”でもあるのだ。であれば──

 

「できるの……かな? 本当に? これでもし駄目ならその時は本当に……でも、もしかしたら……」

 

「ふぅ、どうやら方針は固まったみたいだね。ならここで僕はいったん退散とさせてもらおうかな。後は君の思うまま、やれるだけを尽くすといい」

 

 ダビデが部屋から去っていき、残されたのはマーキダ一人だ。彼女はダビデに声を掛ける余裕すらなく、自分の思い至った考えに頭を巡らせていた。

 理屈の上ではきっとできる。思わぬところから差してきた光明に一も二もなく飛びついて縋ってしまいたい。けれどもしこれで失敗したら……儚い希望すら打ち砕かれて、立ち直れなくなるのは間違いない。

 

「いいえ、それでも……絶対に失いたくないものをもう二つも失ったんだから。今更躊躇う必要なんてありませんよね」

 

 ──消えかけた愛の種火が、燃焼を再開する。

 

 自分を納得させたマーキダは弾かれたように立ち上がった。もうその瞳に迷いはない。机の上の聖杯を勢いよく掴んで思い出の部屋から飛び出すと、未だ祝勝会の続いている食堂へと駆けだしたのだった。

 




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