藍鷹の原野   作:副隊長

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鷹視2

 原野を馬と共に駆けるのが好きだった。思う存分に野を駆け回り、風を感じる時こそが、一番自分が自分であると思える瞬間だったと衛真は言えるだろう。日々の糧を弓馬の技による、狩猟によって得る。馬には牧草を食ませ、己は鹿の肉に幾らかの香料を振りかけ喰らう。食べきれない肉は煙で燻し持ち帰り、毛皮を剥ぎ売りに出す。その程度の生活が自分には似合っていると思っていた。

 父は漢人であり、母は烏丸の者であった。

 父には剣と弓、軍学を始めとする幾つかの学問を教えられた。その中でも武術と、軍学にのめり込んだのを覚えている。体鍛える事は嫌いではなかった。男は弱くてはいけない。そう父に教えられていたからだ。何をするのにも、体力が必要だった。日に、六刻(約三時間)は山中を駆け回った。出身は幽州の遼西あたりである。白狼山を始め、駆けまわる山には事欠かなかったからだ。狩りを教えられた後は、山中を駆け回りながら武技の研鑽を積んだと言える。弱くてはいざという時に、後悔する事になる。絶えず、教えられ続けていた。耐える事に慣れる事は、難しい事ではなかった。そうやって剣を振り、弓射を覚えた。特に、弓についてはそれなり以上の物を得る事が出来たと思う。

 同時に学問も学んでいた。書の数は多くはなかったが、繰り返し読み返すことを父には言いつけられた。どれだけの書を読んだかという事より、どれだけ物にできたのかが大事なのだと言われてきた。その事を師に話すと、良い父を持ったと、小さく笑っていたのを思い出す。

 学問は、武術や馬術ほど好きだったわけではないが、そうやって師に褒められた事もあり、父には感謝していたと言える。だが、父は老いていた。師に教えを請い、知勇に磨きをかけていた頃に他界している。感謝の念を自身の言で伝える事は出来なかった。

 母には馬との生き方と、狩りの行い方を学んだ。烏丸は馬と共に生きる民族である。子供の頃から馬を与えられ、兄弟のように育ってきた。それこそ、幼かった頃は、鞍はおろか手綱すらも与えられず、裸馬を乗り回したりしていた。もちろん最初から上手く乗れたわけではない。何度も跳ね飛ばされた。繰り返し失敗するうちに、母には馬と気持ちが通じる事が大事なのだと教えられた。先ず、言葉と熱を持って、馬との交流を覚えた。やがて背に乗っても振り落とされる事は無くなった頃に、腿を使い語り合うことを知った。それは、口で言葉を語るよりもずっと多くの事を馬と語り合うことができる術であった。気持ちが通じ合った馬とは、それこそ阿吽の呼吸で動くことができる。それほど知らない馬でも、こちらの意思を正確に伝える事が出来るので、普通の漢人よりもずっと上手く馬を乗りこなすことはできるだろう。今では口で語るよりも、足で語る方がずっと多くを知ることができる。

 それでも、言葉を語ることも忘れたわけではない。口で語るのも、足で語るのとは違った交流であったからだ。どちらかだけで良いと言う訳でもなかった。人馬の呼吸。その合わせ方は成長とともに知っていった。

 狩りについても、母に教えられたことは多かった。鹿の習性や、礫の打ち方。血の抜き方や、さばき方など多くの事を母に教えられたのである。それでも、母以外にも教えられた技もあった。

 烏丸は母が大事にされていた。自分はどちらかと言えば漢人よりの扱いだった為、他の烏丸の人間とは扱いが少し違っていたが、母と同族の烏丸の人間にが訪ねてきた時、烏丸の技も叔父や親戚にあたる人に教えられたと言える。

 母は、烏丸の邑落(小さな集落)の長の娘だと聞いている。その母と父がどのような関わりがあったのかを深くは聞いた事がないが、二人の子が衛真であったといえる。漢人の技と、烏丸の技。その二つを熟知している。

 だからこそ、衛真はただ馬に乗り原野を駆けるだけで十分だと思うことができた。常人よりも多くを知る機会に恵まれたからこそ、些細な幸せこそが大切なのだと学んでいた。それを守る術も手にしていた。衛真にはそれだけで十分だったと言える。

 彼が住んでいたのが、漢と言う国にとっての辺境だったという事もある。中央のような我欲渦巻く大都市ではなく、広大な原野が存在する北方で育ったからこそ、朴訥とも茫洋とも取れる人柄が形成されていた。

 

「義勇軍とはいえ、二十騎の指揮官か……」

 

 そんな衛真だが、今彼が与えられた責任を思うと少し気が重くなった。弓馬の技を持ち、戦いに於いては思い切った事ができるとは自負しているが、それでも諸手を振って歓迎できるとは思えなかった。指揮官である。

 黄巾賊の奇襲。正規軍に合流したばかりの義勇軍として、仕事に従事していた。仕事と言っても、華々しいものではない。糞尿の処理を行う穴掘りだ。下働き同然の扱いである。義勇軍から不平不満が上がるのも当然だと言えるだろう。そんな仕事ばかりを行っていた頃に、黄巾の襲撃である。見事なまでの一撃。多くの義勇軍が死に、正規軍も少なくない数が討ち取られた。そんな折に郭嘉と言う少女に出会い、彼女の言葉を信じた結果、黄巾賊を撃退するに至った。

 戦いの趨勢を決めたのは、小競り合いの勝敗だった。乱戦に突入した両軍の間隙を縫って、黄巾の指揮官を討ったのが衛真と言う訳である。戦いの規模自体は、全体から見て決して大きなものではなかった。だが、要点を衝いていた。それ故、賊徒は思わぬ横撃を受ける事になり、壊走する運びとなった。

 その功として、義勇軍には黄巾から鹵獲した軍馬と、正規軍の死者より剥がされた武具が与えられた。それが褒賞と言えるのか。義勇軍の兵士たちはそう言いたくなる気持ちを抑えて、その褒賞を受け取った。騎兵である。義勇軍は、殆どが歩兵の集まりであった。たった二十騎とは言え、騎馬を得たのだ。それは大きなことだと言える。衛真にとって唯一問題があるとすれば、自身が指揮官に選ばれたことだろう。功を評価されたのである。個人に軍馬が与えられたので、義勇軍としてはその者を指揮官とするしかなかったのだ。

 自信がない訳でも、嫌な訳でもなかった。ただ、自分で良いのかと言う思いがある。師には、学んだ力を評価されていたと思う。だからと言って、自分で良いのだと頷くこともできなかった。

 

「そうですね。武装も正規軍の物を譲り受けて、一応は騎兵としての体裁を成していると思いますよ」

「見た目だけは、な。馬の質などばらばらだ。これでは騎兵隊とはいえんよ。良いところで、斥候の集まりだろうか」

「それほど違いますか?」

「違うな。騎兵は集団で駆けてこそ、意味を成す。力を寄る事に意義がある。速さも力も集わないのでは、大きな意味はない」

 

 衛真を指揮官に押し上げた少女郭嘉。その少女の言葉に、衛真は苦笑を浮かべながら頷いた。確かに騎兵である。見た目だけは。それでも、武装は他に比べて充実していると言える。義勇軍の中、と限定するのならば騎兵ではあるだろう。その程度の騎馬隊だった。衛真自身。弓馬の技に熟知している。長所も短所も、実感として持っている。その経験からすれば、騎馬隊とは言えないだろう。

 そのあたりの呼吸までは、未だ郭嘉は理解していないのだろう。衛真の言葉にそう言う物なのですかと、感心したように頷いた。

 

「しかし、良かったのか?」

「何がですか、衛真殿?」

「貴女の事だよ、郭嘉殿。その戦術眼が、正規軍の指揮官に大きく評価されていた。その相談役になれる道があったというのに、あえて義勇軍を選んだ。態々困難な道に来ずとも良いだろうに」

「ああ、そういう事ですか」

 

 衛真は、気になっていた事を尋ねる。先の戦いの功績を、郭嘉は認められていた。衛真は敵指揮官を討った功。郭嘉は、全軍を窮地から救った功。何方がより大きいかなど、考えるまでもないだろう。だからこそ、衛真は疑問に思ったのだ。自分よりも遥かに大きな功を挙げたのにも拘らず、何故義勇軍に残ったのかと。

 

「そもそも、ほーこう達が窮地に追い込まれたのは、正規軍の失策が大きいと言えます。夜襲への警戒の怠り、義勇軍の装備の解除など、まともな指揮官のすることとは思えません」

「それだけ、信用されていなかったことだろう」

「それは、そうでしょうね。けど、それならば夜襲には万全を期すべきでした。そして、それを為してすらいません。その程度の軍だったとも言えます」

 

 幾らか助け舟を出す衛真の言葉に頷きつつも、郭嘉は一刀のもとに官軍の有様を糾弾する。底が浅いうえに、度量もない。そんな言葉が浮かびそうなほど、はっきりと言い切っていた。郭嘉は、元々義勇軍の相談役として従軍していた。そして正規軍との交渉の末、義勇軍の武装は管理される事となった。理を持って説得するのが義勇軍の軍師と言える位置に立っていた郭嘉の仕事であった。正規軍と行われたソレが、話し合いで合ったのならば、理を説き不備を訴える事も出来たが、そう言う類ではなかった。最初から話し合う気がなかったのだ。

 義勇軍は、正規軍にとって都合のいい道具であり、不安要素は徹底的に排除する。そう言わんばかりの態度であった。一方的に通達され、従わざる得なかった。それが、武装解除の真相である。

 要するに、郭嘉は今行動を共にしている正規軍が嫌いだった。それが大きな理由である。

 

「成らば、義勇軍の本体に戻ればよかろうに」

 

 郭嘉の話を聞き、正規軍の指揮官が嫌いなのだろうと思い当たった衛真は、ならば元の鞘に納まればいいと言った。尤もである。幾らか数は減ったが、義勇軍全体は衛真の部隊の数倍は人数が揃っている。彼女にとっては元の鞘とも言えよう。その疑問が浮かぶのも当然だった。

 

「かの功績は、誰にでも挙げられる物ではありません」

「と、言うと?」

「乱戦とは言え、単騎で敵指揮官に肉薄。そのまま護衛を突き抜け、指揮官を討ち果たす。そのまま勢いを殺すことなく掃討、本隊を横撃。壊走に追い込む。貴方はほーこうの策を聞き、そこまでの戦果を挙げました」

「改めてそう聞くと、凄い事を成したように思えるな」

 

 良いですか、っと指を立てながら先の戦について語る郭嘉に、衛真は茫洋とした態度で頷いた。確かにそれは事実であるが、為した本人からすれば幾らか大げさに言っているように思えた。

 

「思える、ではなく成したんです! ほーこうの進言は前提として、捕捉されていない精鋭が存在する。という事があります。貴方が居たからこそ、先の奇策は功を奏したという事なんですよ」

「大げさだろう。幾らか武技に長けたものが居れば、同じことが成せたはずだ」

「無理だと断言させていただきます。少なくとも、他の義勇兵であったのならば、ほーこうはあんな進言はしていません」

 

 大げさだろうと笑う衛真に、郭嘉は身振り手振りを加え懸命に伝える。戦場では思わず動きを止める鋭さを見せた少女であるが、終わった戦を語る時の身振り手振りは、見た目の通りの少女のものであると言える。その様子がどうにもおかしくて、衛真は面白そうに話を促す。

 

「にも拘らず、貴方の褒賞は指揮官を討ち果たしたと言う事だけでした。それに対して、ほーこうは全軍を窮地から救ったと評価されています。それに納得できません」

「良く思われているのなら、その分には良いだろうに」

 

 郭嘉の言葉を律儀なものだと感心する。評価されているのに納得できない。そう言っているのだ。並みの者ならば、ただ喜ぶだけだろう。それだけでも、郭嘉の才が並ではないように思える。

 

「小さすぎるのです、貴方の功が。あの策は貴方であったからこそ、あの状況で実行できた。あの時、あの状況で、貴方が私の前にいたから成せたのです。そのどれか一つでもかけていれば、もしかしたら正規軍も壊走させられていたかもしれません」

「流石にそれは無いだろう」

「そう言い切れません。数に於いても、勢いに於いても賊軍が優勢でした。貴方が成したように、逆にこちらの指揮官が討たれる。そう言う局面もあり得たと思います」

「そうだな。だが、現実として我らは勝利した。もしを言い始めたらきりがあるまい。このような乱が起こらなかったら。そう言うところまで話が戻ってしまう」

「……、衛真殿こそ良いのですか? 自分の力を過少に見られているのですよ」

 

 熱弁する郭嘉を穏やかに諫める衛真に、彼女は不思議そうに尋ねた。

 

「構わんよ。元々立身や褒賞を求めている訳では無いのでね」

「なら、何故戦場へ出られたのですか?」

「師が、対黄巾の総帥に任じられた。流浪の身であったから、連絡を取る事もできなかったが、それでも義勇兵としてならば師の力になる事ができる。その為に立ったのだよ」

 

 衛真は少しだけ懐かしそうに目を細め、語る。師が居た。その下で出来た後進もいる。懐かしかったのだ。衛真にとっては、師はもう一つの家族と言える。それが、民の為に立った。助けない道理がない。

 

「総帥と言うと、盧植様に師事されていたのですか?」

「その盧植先生さ。かつて幽州にて弟子にして貰えたのは、俺にとっては僥倖だと言えるだろう。だから戦っている。多くの褒賞など欲しい訳ではない。だが、あえて言うなら鎮圧軍の将軍に面会がしたいな」

「面会、ですか?」

「ああ。どうせならば、一軍の将にあって貰えるほどの戦果を挙げて、師の手助けに向かいたい。将に増援として送って貰う。そちらの方が格好も付くのでな」

 

 衛真は手を握りしめ、言った。無理に師に知られる必要はない。だが、どうせならば大きく助力もしたい。そんな二つの心が同居している。師の為に戦いたい。そう語る衛真は、郭嘉にとって随分と魅力的に思えた。黄巾討伐軍。己が利益を貪る事ばかりだった官吏達が、漸く上げた腰である。その動機も、自らの利権を脅かしかねない者たちを討つという、酷く醜いものだと言う。それに比べれば、師の為に戦いたいのだと語る衛真は、遥かに気高いと言えるだろう。郭嘉の見たところ、武技は一流であり、思い切りも良い。そして、普通の人物よりは高潔と来ている。己が才を、単騎で証明してくれたという事もあり、郭嘉が正規軍よりも衛真と共に戦おうと思ってもそれは仕方がない事だった。

 

「そうですか。……うん。決まりましたね」

「決まった?」

「はい。ほーこうの次の目的ですよ。貴方をこの辺りの軍を掌握している将、朱儁殿に会わせる。その為に、ほーこうは、暫く貴方と共に居たいと思います」

 

 何故、衛真が戦うのか。その理由を聞いた郭嘉は、幾らか考えるように視線を動かし、直ぐに衛真の顔を見つめ零した。

 彼ら義勇軍が合流した正規軍は、総帥の盧植を筆頭に、三人いる将軍の一人である朱儁将軍の擁する軍の一隊であった。勿論、全ての隊が同じような物だと言う気はないが、少なくとも今彼らが従っている隊は、お世辞にも精鋭とは言えないだろう。戦と言うものを、何処か頭だけで考えているような節がある。現場の状態を考慮したうえで、考え尽くすと言う事をしていないように思えるのだ。どちらかと言えば、戦場で直接武器を振るう事のない郭嘉ですらそう思える隊だった。だから、直接その指揮下で戦うよりも、足りない物だらけではあるが、少なくとも郭嘉を引き付ける程度の将器を示した衛真の元で力を振るう方が魅力的に思える。

 何よりも、少なくとも戦場で出会ったときの衛真は、いくつかの言葉を交わしただけで、郭嘉の思考に追いついて見せた。一歩間違えればただ死ぬだけの可能性もあった策を、その有用さを見極め、躊躇なく執る事が出来た。それは、彼女の才を認めてくれたという事に他ならない。同時に、自身の軍略を存分に生かしてくれる軍人を見つけたとも感じられたのだ。

 郭嘉はそれほど多くの軍人を知らない。知っているのは義勇軍の将であったり、正規軍の士官であったり、賊徒の頭目等だ。その中の誰と比べても、劣る要素は見つからなかった。

 

「何故、と聞いても?」

「ほーこうは貴方に助けられました。賊徒に捕まり、あのままであったのならば、穢され嬲られたと思います。これでもほーこうは、恩を感じているのですよ?」

 

 そして、郭嘉は助けられもしていた。賊徒に捕らえられた。恐らくあのままであったのならば、侵され殺されたであろうと郭嘉は思う。単純に、恩義を感じてもいる。

 

「だから、貴女が私に功を与えると言うのか?」

「いえ、そのような事は言えません。ですが、ほーこうは貴方の目にはなれます」

「目?」

「はい。恐らくですが、貴方は軍を率い戦場を縦横無尽に駆ける才があります」

 

 少なくとも、弓馬の才は持っている。賊徒相手に見せた手腕は、果敢であり、迅速であった。指揮と言うのは軍略や武術以外の物も大きく影響してくる。思い切りなど、その最たるものだろう。幾つかの点で、統率者たる片鱗を見せていた。

 

「随分と買ってくれるのだな」

「はい。その武技を持って戦場を駆ければ、大きな功があげられると思います。率いる軍が目的を定め続けられれば、と言う条件は付きますが」

「成程。俺が先頭に立ち、貴方が全体の目的を定める。そういう事か?」

「ご明察です」

 

 衛真の言葉に、郭嘉は満足げに頷く。戦場を郭嘉が見据え、思い描く動きを衛真がこなす。一度共闘しただけではあるが、そうあれるのならば大きな功を立てることもできる。そう、郭嘉は直感していた。それだけの技を、衛真から感じたのだ。

 

「随分と高く買っているのだな」

「はい。貴方の事も、ほーこう自身の事も。自信を持って言えます」

 

 先ほどと同じ言葉を衛真は零す。それに、郭嘉は子供のような笑顔で応えた。

 

 

 

 

 

 

 

 集結していた。幾つかの隊に別れていた、朱儁率いる正規軍。その全てに召集命令が届いたのだ。

 衛真が義勇軍の騎馬隊を率いるようになって、既に二十日余りが過ぎ去っている。馬の質はばらばらであった。義勇兵の方は、馬の数だけ義勇軍の中から選んだ。此処の馬術や武術に、練度が大きく違うと言う事は無いだろう。とても精鋭と言えるものではなかった。弓馬の技は一朝一夕に成らず。義勇軍の中では誰よりもその事に通じていた。その為、衛真は今日に至る二十日余りあった日を、全て人馬が慣れる事に努めた。騎兵となる為の、十分な調練を施す時間はなかった。その為、集団での馬の扱いのみに焦点を絞って、鍛え上げた。馬の世話は全て自身で行い、馬の事を終わらせてから己の事に移る。そう徹底させた。武術の腕を上げる。それは並大抵のことではない。ならば、限られた時間では人馬の連携を深めるべきだと考えたからだ。それで、不足しているものを大きく補うちからとなるのだ。

 

「黄巾が集結しているようですね」

「ああ。だからこそ、軍を終結したと言う訳だろう」

「はい。幾つかに散っていた全軍を終結なされた。大きな戦いが起こるという事ですね」

「敵を見てきた。気が充実していた。決戦を挑む気なのであろうな」

 

 郭嘉が言った。白馬に跨り、衛真に言葉を向ける。先の戦いの時に、衛真が戦場で得た馬である。自らの手で調教を行い、郭嘉に与えていた。気性の荒い馬ではなかった。とても馬に乗れそうにはない郭嘉でも、疾駆させなければ何とか背に乗る事は出来た。

 郭嘉は運動能力に難がある。それは馬術でも同じであった。だが、義勇軍の騎馬隊にいる事を望んだ。その為にとったのが、この白馬である。衛真が、調教しながら語り続けた。お前の主となる者が居る。そう伝えながら、幾つか必要な事を教え込んだ。同時に、郭嘉にも最低限の馬術を教え、馬の世話も行わせた。初日など、4刻(2時間)程駆けた後、地に降りた時には脾肉が張り、立てなくなっていた。恥ずかしそうに助けを乞う少女を、衛真は面白そうに笑っていた。

 数日で郭嘉は心が折れそうになっていた。だが、衛真はただ同じ事をやらせた。騎馬隊と共にある事は、郭嘉が自分で求めた事である。何とか食らいついた。そして、何とかといった具合ではあるが、騎乗する事ができるようになったという事である。

 

「いつの間に?」

「貴女が馬術の稽古をしている間に、ぶらりとな」

「おひとりで、ですか。あまり無茶をしないで欲しいです」

「そうでもないさ」

 

 単騎でぶらりと出かけた。何でもない風に告げる衛真に、郭嘉はいくらか呆れを含ませる。単騎である。その反応も仕方がないだろう。衛真からすれば、むしろ単騎の方が捕捉されないのだが、軍人と言うよりも文官よりな郭嘉には、そういう呼吸はいまいち解り辛いようだ。

 

「原野を覆うような大軍だったな。十万を超えているかもしれない」

「それほどですか。集結するのも頷けますね」

「数が居れば良いと言う訳ではあるまいよ」

「尤もです。が、数は力になると言う一面もあります」

「道理だな。力が同じならば、多い方が勝つ」

「はい。同じならば……、ですが」

 

 勝つためには相手よりも多くの兵力を集める。それは戦の常道だともいえる。勿論数が居れば良いと言う訳ではないが、敵が最低限の条件は満たしていると言えるだろう。対峙する敵軍は十万。迎え撃つ自軍は、二万程である。朱儁と同じく黄巾討伐の将である皇甫嵩も援軍に向かってきてはいるが、もう暫く参戦は期待できない。数だけで言うならば、対峙する敵は五倍だ。苦戦は免れない。

 

「ですが、武器が違い、兵が違い、将が違います」

 

 だが、対峙する黄巾賊は兵士ではなかった。軍と言う形こそとってはいるが、調練された兵士ではない。武器もまた、奪った物や農具が中心であり整備状況もいいとは言えない。何よりも、指揮官が戦を知らないことが多い。戦いになれば押しまくる。そう言った事しかできないのだ。そこに付け入る隙はある。

 

「数と勢いに恃む攻め。時にはそれが脅威となる」

「尤もです。ですから、そうならないようにするのが、軍師の手腕という事になります。朱儁殿にどれ程の人間がついているか。それが大きいと言えますね」

 

 勝敗は、大将の指揮にかかっていると言えた。全軍をどれだけ巧みに動かし、数の差をどれだけ埋められるのか。それによって全てが決まると言っても過言ではない。

 義勇兵はいくらか増え続けた。先の夜襲で少なくはない人数が討たれたのだが、勝利していた。強襲からの逆撃。散々に討ち果たしている。そのおかげで官軍の武名が響き渡り、付近の村の荒くれたちが駆けつけてきたと言うところであった。数は三百に達するかと言うところである。その中の二十騎を衛真は動かすことができる。全軍から見れば米粒のような小ささだ。だが、一度戦いが始まれば、思うが儘に駆ける事ができる。

 大局は将軍が動かす。その中で、どのように駆けまわるか。郭嘉がそれを見極め、衛真が貫く。二人の中で、そんな役割分担が成されていた。

 

「ほーこうは少し怖いです」

「敵陣を駆けるのは初めてか?」

「はい」

 

 郭嘉は素直に頷いた。義勇軍の元にいた、だが、自ら敵陣に突っ込むと言う経験は未だに無かった。軍略と言う意味でならば自信はあるが、武略と言うのならばまるで自信がないのだ。

 

「まぁ、剣を振るう必要はない。俺の傍らに侍りつつ、戦場の機を見極めるだけで良い。場を示してくれさえすれば、その都度判断する」

「ほーこうに槍働きは期待できませんからね」

「案ずるな。もとよりその心算だ。そこまでできるとあらば、我が存在意義に関わってくる」

 

 敵が来ても戦力になり得ませんと、申し訳なく告げた郭嘉を軽く笑う。彼女は騎馬隊にとっての目なのだ。目に武器を取る事など求めはしない。適材適所。そんなところだと衛真は思った。郭嘉に剣など持たせたら、勝てる戦も負けてしまいそうなのだ。

 衛真は二振りの剣を佩いていた。菫色の紐が誂えられた長剣と、琥珀の紐が誂えられた剛剣である。盧植門下の後進二人から送られたものだった。剣に名は無い。便宜上、長剣を騎剣。剛剣を歩剣と呼んでいた。正規軍に与えられた具足を纏い、腰には矢筒を携える。弓。二人張りの物を手にしていた。衛真は騎射が巧みである。故に、槍は手にしない。配下もそれに倣った。全体で見れば騎射ができるものは数名になるが、何れは騎射も教えるつもりだ。馬に今よりも遥かに馴れなくてはならないが、そう言う心算ではある。郭嘉とも、軽くそんな話はしていたりする。

戦の気配は直ぐそこまで迫っていた。馬。与えられた馬の中では、自身と最も合う一頭を選んだ。その馬にのり、戦場を駆ける事になるのだ。世は乱れている。戦わなくてはいけない。だが、戦場ではなく、原野。衛真は、ただ二人で駆けたいと思った。

 

 

 

 

 

 

 潁川にて、朱儁が黄巾賊とぶつかったという報告を盧植は受けていた。結論だけ言えば敗走だった。二万で十万を超える軍勢とぶつかり合い、退いたという形である。敵軍は堅陣を敷いていた。それを騎馬隊で牽制することで挑発し、一軍を釣り出し散々に撃ち破った。黄巾の死者だけで、万を超えていたという報告を受けている。

 一軍を破ったまでは良かった。そこで膠着が崩れ、両軍ぶつかり合った。五倍の兵力差である。官軍にも大きな犠牲が出た。しかし、黄巾賊の被害はその比ではない。朱儁は敗走したというが、壊走した訳では無かった。負けを装いながら仕切りなおした。報告を聞いているうちに、そんな思惑が感じられた。皇甫嵩率いる二万が援軍として向かっている。その軍が来るまでに多くを打倒しつつ、機を見て引いたといった感じであろう。引き際に、少数の騎馬隊が、攻勢に移ろうとして緩んだ賊軍を鋭く突き、機先を制する事で離脱の隙を作ったという話だ。その引き際は一歩間違えれば大損害を被る事になった可能性もあり、だからこそ見事だと言える。

 しかし、報告に来たものは敗戦と扱っていた。戦場での駆け引きである。戦いだけではなく、周りの軍の動きなども考慮しなくてはいけない。朱儁は、軍監に賄賂を贈らなかったのだろう。盧植はそんな事を思う。

 

「さて、玄徳、伯珪。この結果をどう見る」

「……。敗走という形にはなってるいますが、一軍を撃破し、次に起きるはずの総力戦を避けたと言う感じだと思います」

「朱儁将軍の要請により、皇甫嵩将軍が連携の構えを見せ進軍していますね。黄巾を大きく叩き、後退した。一度力をそらした黄巾軍を、朱儁殿が要撃、皇甫嵩殿が挟撃をかけると言ったところでしょうか。」

「ふむ。大まかには私の見立てと変わらんな」

 

 二人の弟子の見立てに、盧植は頷く。総帥であった。漢と言う国は、以前より乱れに乱れている。私塾を開き、人に学問を教えていた。その中で、有望な者には軍学も教授していた。盧植自身、軍学を修めているが、軍というのは独りで動かせるものではない。数が増えてくると、どうしても動きが緩慢になってしまうのだ。その為、指揮官となる者を幽州で私塾を開く形で集めていたと言う訳である。

 盧植は、漢と言う国が好きであった。生まれ育った国である。愛着が強いのだ。その国が乱れていた。宦官や外戚を始めとした、国の中枢を司る者たちが大いに腐っていた。民を蔑ろにし、私腹を肥やすのだ。我欲の為ならば、民など平気で殺されていった。黄巾賊のような者たちが乱を起こすのは、ある意味必然だったのだ。

 動乱が起きれば、鎮圧の力が必要となる。その時こそが、(とき)なのだと盧植は思い定めていた。動乱に乗じて権勢に劣らぬ力を手にし、漢を立て直す。倒れ掛かった漢がもう一度立てる道が、盧植にはそれしか見えなかった。

 だから、指揮官となる者を集めた。北方である。絶えず異民族の侵攻に晒されてきたと言っていい。戦いが絶えない場所だった。その地に成らば、これはと言う者が現れるかもしれないと思ったからだ。幽州は盧植の出身でもある。私塾を開くのに、何かを勘繰られることもなかった。

 

「朱儁、皇甫嵩には勝算があるのだろう。更に、増援として曹操が一軍を率いて洛陽を出たと聞いている」

「曹孟徳。一時噂になった人ね。苛烈な性格だと聞いているわ」

 

 師の言葉を聞き、公孫讃はぽつりと零した。嘗て、洛陽の北部尉(北門警備隊長)に就任した時、その職務への苛烈さが大きな噂になったのだ。それは、公孫讃の耳にも入っていた。

 

「これで更に、兵力差は縮まるわけですね。倍する兵力を擁していて尚、敗れたりなんかしたら士気も大いに下がりそうだし」

「潰走を始めたら、立ち直れないでしょうね。賊だし」

 

 二人の言葉を盧植は黙って聞いていた。彼の元で指揮官として及第点に達したのは、この二人である。一人は、白馬を駆り、北方の備えとなる為に軍学を学んだ少女。公孫讃、字を伯珪である。そしてもう一人が、民の為に立ちたいと、盧植の門下となった劉備、字を玄徳と言った。

 二人とも、最初から明確な目的を持っていたように思う。だから、盧植の元で大きく実力が開花した。

 

「衛真はどうしているだろうか」

 

 不意に、盧植は弟子の名を零した。伴っている二人の弟子の兄弟子にあたる男である。弓馬の技に秀で、軍学にも通じていた。弓の腕など、確かな天稟を感じたものだ。学問よりは、体を動かす方が性に合っている男と言える。とある一族の末裔であり、その知識に関しては代々、語り継がれてきたものらしい。烏丸の血も引いている。馬を駆り、ただ原野を駆ける生活をしたいと語っていたのを思い出す。武技には卓越したものがあった。だからこそ、ただ原野を駆けるという穏やかな生活を営みたいのだろう。戦場に立てば、大きな功を挙げるに足る。そして、多くを殺す。そう思っていた。

 二人の弟子は非凡な才を持っていた。公孫讃は用兵の術であったり、故郷を守る強靭な意思であったりする。戦場を駆る時には、自らも白き具足を纏い前線に立ち果敢に攻めかかるのである。

 劉備は、人を引き付けるものを持った娘であった。彼女本人は大才とは言えないが、才を持つ者が集まってくるのだ。義姉妹に関羽と張飛という娘がいる。多くの人を見てきた盧植をして、真の豪傑と思わせる強さの持ち主であった。

 自身の下に、衛真が居れば。対黄巾軍の総帥となった時、何度かそんな事を考えた。盧植は総大将である。戦を優勢に進めたとしても、自身は大きく攻める事は出来なかった。嘗て幽州で募り鍛えた旗下が五百程いるが、その力を生かせずにいる。烏丸の者も混じった、精強な騎馬隊であった。一様に、藍色の具足に身を固め、藍色の套衣(外套)を纏っている。旗も藍地に白で盧の文字が書かれていた。味方には、藍騎兵と呼ばれていた。だが、総帥の旗下である。戦いに出る事など、数える程しかない。それが、酷く勿体なく感じる。

 衛真が居れば、旗下の半数を与えてもいいと思う。漢人であり、烏丸でもあった。その二つの弓馬の技を知り、天稟も持っていた。騎馬隊の指揮という観点から見れば、おそらく盧植の上を行くだろう。若くもあり、決めたら果敢でもあるからだ。

 その衛真も、今は彼の元にはいなかった。盧植の元で学ぶことがなくなった頃、見聞の旅に出させていた。才があると見込んだ。その才をできる限り伸ばしたいと思ったからだ。時折、連絡は受けていた。だが、黄巾の乱討伐を行うにあたって、実質的な総帥に任命されたあたりから、連絡は途絶えていた。

 衛真の事である。師を煩わせまいと、連絡を一時的に辞めたのだろうと思い至った。

 指揮官として使いたいと思う気持ちはあるが、無い袖は振れはしないものだ。世は揺れている。何時かは、師を慮り、参戦してくるかもしれない。そういう時の為に名馬の用意もしているが、今のところ乗り手は居ないままである。

 

「衛真殿か……。懐かしいな」

「そうね。あの頃からお互い成長したわ。今なら見返してやれると思うわ」

 

 二人の弟子も、兄弟子とは上手くやっていたと盧植は思う。懐かしそうに目を細める二人を見ると、過ぎ去った日々を幾らか思い出す。劉備とは穏やかに語り合い、公孫讃とは言い合いをしつつも、共に居た。大きく異なる交わり方ではあったが、各々に思うことはあるのだろう。

 

「豫洲の方は大丈夫であろう」

 

 盧植はそう結論付けた。倒れかけているとは言え、漢はまだ力を有している。自分が居る限りは、まだ倒れさせはしない。そんな決意を胸に、二人の弟子を伴い、黄巾賊と対峙する。今日もまた、大きな戦いが始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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