藍鷹の原野   作:副隊長

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鷹視3

 義勇軍の騎馬が大幅に増えていた。衛真率いる二十騎に関しては増えていないと言えるが、義勇軍全体で見れば三十程の騎馬が新たに編成されている。

 朱儁率いる黄巾討伐軍と、黄巾党の潁川方面攻略部隊のぶつかり合いがあった。討伐軍は大凡二万の兵力であり、対峙する黄巾党は十万を超えていた。二万と十万のぶつかり合いではあったが、黄巾党の騎馬は全軍の規模に対して数が少なく、討伐軍の騎馬と比べても同数程度であった。三千そこそこの騎馬隊が歩兵の一軍と共に対峙していた。先鋒を務める将は、黄巾の頭目の一人程遠志。大将は波才という男である。

 官軍を率いるは天下にも名を知られる名将、朱儁であった。義に厚く、厳格な将軍であると言う噂通り、中枢の部隊の動きは見事の一言と言えるだろう。率いる二万のうち、旗下三千の騎馬隊を自ら指揮し、黄巾の先鋒程遠志を挑発、釣り出すことに成功。数度押し合いを繰り返し、絶妙な力加減で後退しながら勢いに乗る賊軍を釣り出していた。追撃とは、戦の中で最も敵に被害を与えられる瞬間である。だからこそ、引き際と言うのが難しい。功を逸ってしまうからだ。

 相手にしているのは賊軍だった。勢いに乗った追撃を、戦況を見定め留めるような器量はなく、またそう言った発想もなかったのだろう。本隊から十分に引き付け一軍を孤立させたところで、朱儁は反転した。追い散らしていると思っていた軍勢の、唐突な反転。下がりながらもしっかりと隊列を整え、機を伺っていた一撃であった。殆ど損耗の無い騎馬隊の突撃を、勢いに乗って攻めかけていたところに打ち込まれていた。釘が木材に打ち込まれるが如く、鋭い衝撃が黄巾に走った。程遠志が誘い込まれたと気付いた時には、既に軍を断ち割られた後だったのだろう。朱儁が反転して再び黄巾に襲い掛かったところで、討伐軍本隊も釣り出した黄巾軍に攻撃を仕掛けていた。ぶつかったのは黄巾の一軍である。兵力は二万には届かない。それならば、局所的な兵力に於いて、官軍が優勢だと言えた。その上追撃によって伸びきっていた陣を、騎馬隊に見事に突かれ、算を乱していた。兵力が同等ならば、軍の質で勝る官軍に軍配が上がるのも必然の結果だった。

 

「敵の騎馬を奪い、馬の質を揃える。それを戦闘の混乱の中で行う。考えたものですね」

「主力は、朱儁自ら率いる騎馬隊だった。我らの成せる事と言えば、算を乱した敵を追討するところだろう」

「そうですね。普通なら功名心に逸り、追撃に追撃を重ねるところだとほーこうは思います。あの状況ならば、追い討ちに討てました。だからこそ、馬を集めるなんて発想、中々出てきませんよ」

「貴女の意表も突けたようだな。それならば、黄巾どころか官軍でも、そんな事を考えるものは居なかったかもしれない」

「まったくです。ほーこうも軍略には自信がありましたが、現場の判断と言うのは実際に駆けてみなければ解りませんね」

 

 そこで担った衛真率いる騎馬隊の役目は、それほど難しいものではなかった。本隊が混乱させた一軍の追討である。敵にとっては、騎馬、徒、入り乱れての敗走である。背を向け逃げる敵を討ち果たすと言ったものだった。

 そこで衛真が下した判断は、騎馬兵の優先的な排除である。兵力を削るという観点から見れば、武具をかなぐり捨て逃げる歩兵を可能な限り討ち果たせば良いのだが、率いる騎馬隊は少数で馬の質も揃ってはいなかった。故に採ったのが、敵軍の騎馬の確保である。

 郭嘉には矢筒を幾つかと替えの弓を持たせ、戦場を駆けていた。隊列も何もあった物ではない。邪魔な歩兵は部下に討たせつつ、少数の騎射を行える部下を率い、騎馬兵を射落とし続けた。混乱の中である。こちらに向かってくる賊軍は殆どいなかった。部下が突き落とした騎馬も含め、義勇軍だけで三百を超える馬を鹵獲することに成功していた。ある程度の馬が揃うと、追撃を切り上げ、正規軍の追撃を尻目に馬の選定を済ませた。賊軍の馬である。名馬と言えるものはなかったが、駿馬の類は幾らかいた。それを二十騎の部下の馬と交換した。残った馬から三十程を選び出し、本隊に送った。そして、余った馬を正規軍に引き渡したというところだった。

 追撃中である。窘める者はいなかった。よしんば居たとしても、こちらは正規軍ではない。義勇軍である。足りない装備は敵から奪った物でも、何ら不思議ではなかった。物資はなんでも不足しているからだ。義勇軍の全体的にみすぼらしい装備を見れば、正規軍も強いことは言えない。何にせよ、今回の戦で功を挙げると同時に、軍馬の質の向上が行われたという事だった。

 

「はふぅ……。やはり、武将では無いと解らない、戦場の呼吸と言うべきものがありますね」

「行き成りどうしたのだろうか?」

「いえ。ほーこうは素直に感心しているんです。退却戦の時に実感しましたが、騎馬隊の動きが目に見えて変わりました」

 

 追撃を切り上げた衛真は、馬質が向上した騎馬隊を短期間ではあるが動かし続けた。そのまま、黄巾の本隊と正規軍がぶつかり合い、押し合いになった。正規軍の騎馬隊が縦横無尽に駆けまわり、機先を制された賊軍が今度こそ攻めの形を作り進む。そのぎりぎりを見極め、一撃だけ加えるという事を繰り返した。二十の騎馬隊では数が少なすぎた。そう言った攻めしかできなかったからだ。それ自体は郭嘉の進言であるのだが、衛真は郭嘉の想定の幾らか上を行く攻勢を見せた。正規軍がぶつかり圧力を与える方向を予想しながら、持ち直しかけていた部隊を鋭く突く。一撃を加え、速やかに離脱。言葉にすると簡単に思えるそれを、たった二十騎の手勢で十万を相手に成し続けた。戦況全体で見れば黄巾が攻撃に移る呼吸を、一つ二つ遅らせただけに過ぎない。だが、その回数が増えれば増えるだけ、敵は攻撃に移るのが遅れたという事である。数に於いて明らかに劣る討伐軍にとって、敵軍の攻撃の機先が制されるのは、ほんの一瞬だったとしても大きなことであると言えた。はっきりと目に見える戦果ではないが、その働きは数千の兵士に匹敵するのではないかと郭嘉は思考する。たった二十の騎馬である。それで此処まで戦えるのは、郭嘉が戦いの方向性を決めているという点もあるが、指揮官となる者がある程度以上の実力を持っているという証明でもあった。

 

「貴女も実際に戦場を駆けている。馬術などまだまだ取るに足りなかったが、その経験は俺が思っているよりもずっと大きなことだったのかもしれないな」

「はい。騎馬隊と共に駆ける。それは、ほーこうにとって大きな、そして貴重な経験となります。その上、騎馬隊の指揮官も並みの方よりも遥かに優れていると来ています」

「……貴女は、俺を随分と買ってくれるのだな」

「動きを自分の目で見ていますからね。しかも、義勇軍でこれなのです。正規軍を自ら鍛え上げ、精鋭を率いたらどんな動きをするのか。興味は尽きません」

 

 郭嘉にとって、それだけ衛真と共に駆けた事は大きな事だったと言える。郭嘉は、運動能力が高くない。最近までは自分が馬を乗りこなせるなどと考えてもいなかった。それを、全力にはとても追い付けないとはいえ、騎馬隊の行軍に食らいつける程度には、動けるようになっていた。実際のところ、傍らにいる衛真や部下の騎兵たちも郭嘉に気を付けながら駆けていた為、本来の動きとは言えないのだが、それでも戦場を牽制する騎馬の動きを実感できたことは、彼女にとっては大きな僥倖と言える。どのように機を見据え、どのような呼吸で敵に向かうのか。全てを理解できたとは言わないが、実感として得る事は出来ていた。それは、膨大な書を読むよりも有益と思える経験と言えるだろう。

 

「何よりも、指揮官らしき者を一人討ちました」

「そうだな。官軍に向かってきた者が居た。だから斬った」

 

 

 

 

 

 黄巾の先鋒を務めていた将。程遠志。一軍を率い暴れていたところを朱儁率いる騎馬隊に見事に立ち割られ、壊走に追い込まれた頭目だった。武に長け、戦場を生きる男だったのだろう。総力戦の際は再び軍を率い、前衛として現れていた。執拗に、官軍の騎馬隊に狙いを定めていた。残っていた騎馬の動きこそ官軍に劣るが、波才率いる本隊もいた。夥しいほどに存在している歩兵が、じわじわと戦線を押し上げ、少しずつ騎馬隊の動きを制限する様に広がっていった。騎馬隊を完全に壊滅させてからの、総力戦。兵の動きを騎馬の高さから見据えると、それが良く分かった。数の上では黄巾は圧倒的だった。その戦い方は妥当だと言える。相対する朱儁もまた、黄巾の狙いが読めていたのだろう。一所に留まる事はせず、駆けまわっていた。それでも、兵力の差は出る。一度、程遠志に絡みつかれた。正面からぶつかる。程遠志は押しに押した。朱儁率いる騎馬隊の方が優勢ではあったが、それで勢いが大きく削がれた。そこに波才率いる本隊が近付いてきた時、朱儁は無理やり程遠志軍から離脱し、距離を取った。完全に動きの止まった騎馬隊は、歩兵にとって絶好の的である。少し無理はしたが、際どいところを凌いだというところであった。反転した朱儁の騎馬隊に、程遠志は追いすがった。好機。衛真の呟きと、郭嘉の思考は同じ結論を導きだしていた。

 衛真率いる騎馬隊。度重なる牽制の末、幾らか朱儁の騎馬隊の近くに辿り着いていた。其処に、釣りではない後退が目に入った。程遠志。先の失態を濯ごうと、躍起になり追っていた。奇しくも、程遠志が壊滅した時と極めて近い状況に陥っていた。違うのは、今回の朱儁の後退は偽装では無いという事だけである。

 郭嘉を、軽い手傷を負った部下二人に任せた。少数での一撃離脱。いくら賊軍が相手でも、僅かな損耗はあった。兵馬の欠損こそないが、浅手を受けるものは多くいたのだ。騎馬隊である。農民上がりの兵では、中々正面から戦うのは難しかった為、死者だけは出ていないという状態だった。

 程遠志。距離を取ろうとする、朱儁を睨め付けていた。駆ける。掃討しようと大きく横に広がった敵軍。縦の敵は、衛真の騎馬隊の倍程度だった。線が見えた。疾駆。郭嘉が居たのでは行えなかったそれを、躊躇なく行った。追討に気を取られた軍、後背を衝くのはそれほど難しくなかった。標的を壊滅させると言うのは不可能だったが、一部分だけを攪乱、強襲するのは難しくなかった。強弓。二人張りの弓。地上ならばもう少し強い物も使いこなせるが、馬上で狙いを定めるという点を考慮すると、その位の強さが最適だった。余力を持って狙う。それでありながら、十分すぎる威力を発揮する。衛真自身の機動と攻撃を、最も理想的な形で行えるのがそれだった。

 背後からの騎射。三本の矢を取り、弓を水平に番えた。放つ。矢は賊を数人を射ち落とす。一呼吸の間に、五度繰り返した。一気に頭目までの圧力が弱まった。味方が射落とされたことに気づいたのだろう。迫る衛真を迎え撃つ様に、程遠志は反転した。憤怒。敗北の屈辱を注ぐ絶好の機会に水を差されていた。怒りに顔を赤黒く染め、悪鬼のような形相で向かってくる。騎剣。音もなく抜き放っていた。

 

『この程遠志の戦を邪魔するとは、良い度胸だ! 漢の犬よ、死ぬがよい!!』

 

 程遠志。戦を邪魔された怒りと、姦計ばかりの官軍にも、自ら向かってくる様な少しは骨のある敵が居たという事実に狂喜を浮かべた。全軍を圧倒するような音声(おんじょう)を発し、馬を棹立ちにすることで勢いをつけ、疾駆する。手にした矛。騎馬の圧力を最大限に利用し、振り被る。雄叫び。

 

『死ねい!!』

 

 豪撃。振り抜かれた。騎馬が頽れた。程遠志。首をなくした胴から、血が降り注いだ。武器を振り抜いた腕ごと、首を持っていかれていた。朱儁を追っていた騎馬隊の動きが、大きく乱れた。義勇軍の兵。敵将討ち取ったり。程遠志の首を槍に突き刺し、声高に叫んだ。そのまま駆ける。衛真。残っていた矢を全て使い果たすまで、敵に矢を射かけた。頭目を討たれた軍は、算を乱した。我先にと、逃げ始める。もう一振りの剣を抜く。首を突き立てた義勇兵。官軍に解るように叫んでいた。首と胴体。槍に突き立て全軍に示すように声を上げている。背を向け逃げる敵。反転した朱儁と一度だけ叩くに叩いた。

 

 

 

 

 

「今回は先のように小隊の指揮官ではありません。頭目の一人です。将に準ずる者を討ちました。その功は大きいと思います」

「そうだな。朱儁殿だけを狙っていたところに、強襲した。俺の事など、ぶつかり合う直前まで気付かれていなかった。運が回ってきていた。そういう事なのだろう」

「だからこそ、朱儁殿が後退し始めたところに私たちが居た。朱儁殿しか見えていない程遠志の背後を付ける位置に、居る事が出来た。そういう事になりますね」

 

 戦場で大きな功を立てるのには、研鑽された鋭い武や鍛え上げられた部隊が必要だと言える。だが、それ以外にも必要なものがある。連携であったり、情報であったりするが、その中に運と言う要素もある。それを持っていた。だから指揮官を討つ僥倖があった。

 

「であればこそ、先の功は挙げられたという事です」

「ああ、そうだな」

 

 念を押すように郭嘉が言った。まぁ、そうだなっと衛真は気のない返事を返す。戦場では果敢に攻め入るが、一度膠着すると、どこか茫洋としていた。常に気を張っていればいいと言う物ではないが、随分と力が抜けている。

 戦局は、一旦膠着していた。朱儁率いる官軍は後退し、追撃してきた程遠志率いる部隊を撃ち破っている。黄巾党に一撃を加える事こそできたが、兵力の損耗はそれほどでもなかった。執拗な攻撃は、本隊とそのままぶつかる事につながる為、慎重に避けたという具合だった。

 

「だからと言って、運だけと言う訳ではありません。もう少し、ご自分の功を主張しても良かったと思います」

「運が大きく作用していた。確かに運だけとは言わんが、実力を示したとも言えんよ。奇策みたいなものだ」

「少なすぎる手勢で、奇策を気付かれずに成功させた。それは立派な軍功です」

 

 衛真は一度朱儁の軍営に呼ばれていた。程遠志を斬ったのである。その功は明らかだと言える。

 一騎でも、騎射の技により十数人は射倒している。真正面からのぶつかり合いでは無かったとはいえ、その技により士気の向上にも一役買っていた。軍馬と残された武器を中心に、黄巾軍から物資の鹵獲も行っている。手勢が少数すぎる為、大勢に影響を与える事は少なかったが、要点で大きな事を成している。討伐軍を指揮する朱儁の目にも、衛真の大小幾つかの働きが目に留まったという事だった。

 義勇軍からは、郭嘉のみを伴ってきていた。騎馬隊の者は、弓馬に長けたものを選んでいた為、他に適任が居なかったとも言える。それに、成り行きとは言え、騎馬隊の頭脳としての役割も担っていた。義勇軍の騎馬隊と言う小さな枠組みにとっては、彼女は軍師と言っても良い立ち位置だったからだ。

 そして、朱儁に面会したところで衛真はそれほど多くの事は語らなかった。騎馬隊を率いるに至った経緯と、郭嘉の進言により、為した成果を伝えただけである。それが、郭嘉には少しだけ不満だった。共に戦場を駆けた。郭嘉は文字通り駆けただけだが、実際に戦うところを見ている。何度も、死ぬかもしれない、そう思うような場面があった。それを幾度もすり抜けている。衛真の挙げる戦果を出すのにどれだけの綱渡りがあったかを身に染みて知っていた。だから、事実だけを告げる衛真に、少しだけ物足りなさを感じたのだ。衛真の説明では、酷く簡単に事を為したように思えるからだ。その戦果を挙げるのにどれだけの苦労があったか。それを言い募りたい感情がなかったわけではないが、率いた将が言わないのだ。参軍(参謀)の様な立ち位置にいるとは言え、総指揮官にそのようなことができる訳もなかった。その為、郭嘉はどことなく悶々としながら二人の会話を聞いている事となった。

 救いがあるとすれば、朱儁が全体の戦況を正しく把握していたことにある。騎馬隊で戦場を駆け巡っていた。その時に、おやっと思う動きをしている軍を見つけていたからだ。それが、衛真の率いる騎馬隊だ。程遠志に追われているとき、どう離脱した物かと手を拱いているときに、不意に圧力が緩んだ。とっさに反転した時、騎馬隊が程遠志を討ち取ったという事だった。全ての動きを見ていたわけではないが、黄巾軍を果敢に牽制していたのも確認している。質はあまり良くなかったが、軍馬と武具も幾らか鹵獲してきている。大きな動きも小さな動きもできる。そんな風に朱儁は捕らえていた。

 未だ対陣は続き、これからが本番と言うところであったが、朱儁は褒美を取らせると言った。その言葉に、衛真は師に連絡を付けてほしいと答えていた。当然、何の為にと朱儁は疑問に思う。師の為に義勇兵として立った。そんな衛真の言葉を聞き、朱儁は小さく笑った。盧植の弟子と言うのを信じたかは解らないが、一軍の指揮官として光るものを示していた。

 ならば、それほど少数の指揮官ではいけない。この地の戦が終われば増援として、盧植殿に派遣させてもらおう。それまでは客将として、騎馬一千を指揮せよと告げられた。朱儁がそう考える程度の戦果は挙げているという事だった。官軍、一千騎である。勿論黄巾の乱の際だけではあるが、一軍を与えられていた。義勇兵の身から始まったと考えれば、大きすぎる飛躍だった。

 

「一千騎をも貸し与えられた。盧植先生の弟子とは言え、一介の義勇兵に過ぎなかった俺がだ」

「十分すぎる飛躍と言えます。ですが、それとは別にほーこうは衛真殿にもう少し誇って欲しいです」

「誇る?」

「はい。衛真殿は、死力を尽くして戦っております。それに見合う褒賞を貰うべきです。戦功を盾に威張り散らせと言う訳ではありませんが、あまり無頓着ではふとした時に疲れてしまいますよ」

 

 ただ、郭嘉としては衛真が少しだけ惜しく感じた。欲が無さすぎる。それは美点ではあるが、自分の才を証明してくれた人物である。郭嘉から見ても光ると感じる用兵の才をもう少し誇ってほしかった。頑張りは報われるべきだと、郭嘉は述べているのだ。

 

「どうにも俺は心配されているようだ」

「二十騎で十万に向かえば、誰だって心配すると思います。その上帰ってきても平然としてる。凄いですけど、不安にもなります」

「とは言え、貴女自身が一番、勝算があると解っていただろうに」

「それはそうですが、理性と感情は違うんです。頭では決して無理ではないと解る事でも、見て感じる事は全然違います。ふらりと出かけて、そのまま帰ってこないような気がしてしまうんです」

 

 郭嘉の言葉に衛真の口元には苦笑が浮かぶ。ふらりと出かけて帰ってこない。盧植の元にいた時にも、似たような事を言われていたからだ。衣装を白一色にまとめた、後進。公孫讃。彼女には、『ふらりと遠乗りに出かけたと思ったら、数日帰ってこない。何考えてるのよ!』などと、叱責される事もあった。玄徳もその時ばかりは苦笑いを浮かべるだけで、日和見を決め込んでいた。衛真にとって懐かしい記憶である。

 郭嘉といると、師の元にいた時の事を思い出す。それは、嫌な事ではなくむしろ好ましい事だと衛真は思えた。

 

「とは言え、次からは一千騎だ。二十騎の時ほど無茶をしなくても戦えるさ」

「それはそうですが……。ほーこう的には、さらに無茶を行いそうな気もします」

「状況によるだろう。敵将を討つ機があれば、無茶をすることになるかもしれない。戦であれば、それも仕方がない事だな」

 

 それはそうですが、っと渋る郭嘉を見ると、少し改めようかと思う気持ちはないでもない。ただ、衛真自身も、何をどうすればいいのかと言うのが分からないため、結局そういう気分になるだけで終わってしまうのだが。

 

「とりあえず、戦局は膠着している。ぶつかり合うにはもう少し猶予があるだろう」

「そうですね。一度退き、退けました。頭目を一人討たれ、敵の方が痛手を被ったと言えます。賊徒です。再編がすぐに済むとも思えませんし、しばらくは様子見と言う選択肢はあり得ますね」

 

 郭嘉の言葉に衛真は頷く。一軍の指揮官を討っていた。賊徒にそれほど将が多いとも思えない。程遠志が率いていた兵士をどうするのか。すぐさま軍の再編が行われる事は無いと衛真も予想する。一千騎の騎馬隊。動かすための猶予ができていた。

 

「では、俺は騎馬隊の調練を行おうかと思う」

「そうですね。一千騎です。出来得る限り、動きに慣れておくべきです」

 

 膠着の際、できる事は限られていた。敵が攻めてこないと言うのならば、後方での調練。そんなところであった。

 

「ほう……。それは面白い事を聞いた。折角だから、私も見物させてもらおうかな」

「え……?」

 

 不意に涼やかな音が届いた。溶け込む様に滑り込み、気付けばそこに存在している。銀髪。郭嘉の目に最初に映ったのはそれだった。緋色の瞳が、郭嘉の姿を捉えた。とくん、っと小さく郭嘉の胸が鳴った。日の光に照らされ、淡く輝く銀色。赤と白で誂えられた軍袍。黒と金の意匠を凝らした剣。自身の存在を知らしめるように仕立てられた緋色の羽織。

 一目で解るほどの異質。身に纏う空気が、それまで会った将とは一線を画している事を告げていた。戦慄する。郭嘉は、目の前に現れた麗人に、恐れとも憧れとも取れない何かを感じ取った。

 

「貴女が郭嘉殿か?」

「え、あ、はい。ほーこうは郭嘉と申します。字は奉孝」

 

 不意に目が合う。銀髪の麗人は、柔らかな笑みを浮かべ問うた。郭嘉は呆けたように頷き、そのまま慌てて名乗った。何故自分はここまで慌てているのか。その理由が解らない。解らないが、嫌な理由で慌てているという事ではなかった。

 

「そうか。義勇軍の参軍を勤め上げ、官軍の窮地を救いもしていると聞いている。先ほど朱儁殿に教えて戴いたばかりではあるが、会える時を楽しみにしていた。それがこれ程早くお目にかかれるとはな、まずは重畳と言ったところか」

 

 慌てて名乗った郭嘉の様子を、麗人は楽しそうに見つめ呟いた。自分に会えたのが良かった。そんな素直とも言える呟きを聞いただけで、郭嘉の心は揺さぶられた。どうして、っと思うと同時に目の前の麗人にどうしようもなく、自分が惹かれているのを感じた。

 その様子に、衛真は少し珍しいものを見たように目を細めた。彼の知る中で、郭嘉がこれ程慌てている姿は見たことが無い。不思議に思うのも仕方がない。賊徒に組み伏されていた時ですら、これほど慌ててはいなかったのではないだろうか。

 

「あの、お名前を聞かせて戴いてもよろしいでしょうか?」

「おっと、すまない。名乗るのを忘れていた。私は曹操。字を孟徳と言う。郭嘉殿。覚えて戴けると嬉しい」

「曹操、殿……」

 

 ようやく絞り出した郭嘉の問いに、曹操と名乗った麗人はにっこりと笑みを深める。名乗り、愛想笑いを浮かべただけだ。そう頭では理解できるのだが、それだけで惹かれる。その何かを曹操は確かに持っていた。

 

「ふむ、来客の様だ。席を外させてもらおうか」

「衛真殿!?」

 

 自身でも御しきれぬ葛藤。それに苛まれている最中、まさかの発言に郭嘉は小さな悲鳴を上げる。思わず詰め寄る。今、一人にしないでください。そう言わんばかりの反応に、流石の衛真も少しばかり目を丸めた。そんな衛真の反応も、今の郭嘉にとっては大した問題ではない。

 

「おや、つれないな。衛真殿。私は貴殿とも話したいと思っているのだが」

 

 その場を去ろうとして郭嘉に止められたところで、曹操は衛真に視線を移した。先ほど郭嘉を見つめた時と同じように、柔らかな笑みを浮かべる。それを衛真の傍で見た郭嘉は、また、激しく揺さぶられたような気持ちに襲われる。惹かれていた。間違いなく惹かれているのだ。言葉や容姿にではない。あえて言うなら、曹孟徳と言う存在に、何処かが惹かれてしまっている。

 

「おや。私などの事までご存知でしたか」

「ああ、朱儁殿が大いに語ってくれたのでな。黄巾十万に僅か二十で挑み、牽制だけとは言え果敢に攻めかけた。一度や二度ではなく、十を遥かに超えるほどにぶつかり合ったと聞く。徒労とも言えるぶつかり合い制し続け、そのうえで、後退する朱儁殿を追う賊徒の頭目を討ち果たした。その人馬の呼吸、是非とも目にしてみたいな」

 

 曹孟徳。衛真も朱儁からその名を聞いていた。官軍の増援であり、衛真にとっては上司という扱いが妥当である為、少しばかり言葉遣いを改める。流石に郭嘉と二人で話すような気軽さで接するべきではないと判断したからだ。

 そんな衛真の様子を特段不思議に思う様子も見せず、曹操は言葉を紡ぐ。にこにこと何が楽しいのか、満面の笑みを浮かべる様に、幾らか衛真も毒気を抜かれた。

 

「別に大したものではありませんよ。私は幽州の生まれにて、漢の技以外にも技を持っていた。それが、賊徒には極めて有効だったというだけでしょう」

「ほう……、幽州か。漢以外の技。匈奴か、鮮卑か、はたまた烏丸か。どちらにせよ、卓越した馬術を修めているのだろうな」

「覚える機会があった。それだけです」

 

 決して誇ろうとしない衛真に、曹操は小さく頷く。北方である。騎馬民族が盛んな地であった。弓馬の技で戦功を挙げたとしても、不思議ではない。

 

「幽州と言えば、以前に総帥の盧植殿が私塾を開いていたと聞いたな。弟子の中には駿才も少なくないと聞く」

 

 何気なく続けた曹操の言葉に、一瞬、衛真の視線が鋭くなる。こいつ、っと僅かに警戒心を抱いた。衛真は無名だった。確かに衛真は盧植門下ではある、だが、出身が幽州と言うだけで盧植と結びつけるだろうか。流石に、衛真の事を調べ上げてはいないだろう。調べられる理由もなければ意味もない。ただ、油断できないものがある。初めて見た時から異質なものは感じたが、それは確信に変わった。

 

「実は、私も先生には師事をしておりました」

「ほう……。ならば噂は本当だったという事か」

「確かに才ある者はおりました。ですが、それは私ではありません。今は、朱儁殿に客将として一軍を預けてもらう僥倖に恵まれておりますが、元々は一介の義勇兵にすぎません。精々、いくらか人より弓馬に優れているだけの男です」

 

 とは言え、隠す必要があるわけでもない。特に勿体ぶりもせず、明かしていた。既に曹操は朱儁に挨拶を済ませている。その時に話にでも出たのだろう。それが一番妥当なところだろう。どちらにせよ、油断ができる相手ではない。衛真にとって、曹操はそう言う部類に属したというだけの話だった。

 

「弓馬と言うと、騎射ができると言う事だろうか?」

「まぁ、人並みには」

「人並みだったのならば、三本同時に矢を放つとかできないとほーこうは思います」

「おおう。どうやら、北の民は私の思いもよらない事ができる様だ」

 

 人並みだと呟く衛真の言葉を撤回するように、郭嘉は続けた。衛真がその技を用いた時、郭嘉は既に置き去りにされた後だったが、確かに三本の矢を同時に射て、命中させていた。それも一呼吸のうちに数度も。何矢を放ったのかまでは解らなかったが、少なくともそんな芸当ができる人間を、郭嘉は人並みと言わない。

 そんな言葉で言い募ると、曹操は面白そうに笑みを深めた。

 

「ますます、騎馬での動きを見て見たくなったな」

「仕方ありません。参りましょうか」

 

 曹操が合流した事により、決戦までさらに時間の余裕ができただろう。騎馬隊の調練。それでも調練に十分な時間がないため、義勇軍に施したものと同じものを行うことにする。馬の扱いのみを徹底的に鍛えると言うものだ。衛真としては、調練など人に見せるものではないと思うが、見たいと言うのならば好きにすれば良い。そう思い、与えられた一軍の野営地に足を運んだ。




曹操は3仕様になります。
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