これは、神影達"ガルム隊"にファルケンとアドラーが加わる事が決まった日の昼の事である。
此処は、エリージュ城内のとある一室。
昼であるにも関わらず、カーテンは閉め切られ、照明すら消されているために真っ暗闇になっている部屋に置かれているキングサイズのベッドに、その少女、天野沙那は横になり、掛け布団に潜り込んでいた。
神影の捜索に失敗したあの日から、彼女は自室に閉じ籠ってしまい、現在、部屋から全く出ていないのだ。
食堂にも行こうとしないため、彼女のみ、彼女専属のメイドが運んできている。
最初こそ食べていたのだが、日が経つにつれて手をつけなくなり、今では食事すら拒否するようになっていた。
現に、彼女は2日前から何も口にしていない状態だ。
ただ一日中布団に潜り込み、居なくなってしまった神影を想って啜り泣く日々を送っている。
そんな彼女をクラスメイトは心配するものの、彼女に掛けてやる言葉が見つからないため、どうにも出来ない状態に居た。
今まで彼女に付き添っていたシロナは、生徒達の士気等もあって、そろそろ訓練に参加してほしいと言われたため、最近は沙那の部屋に訪れていない。
そのため、彼女はこの数日間、暗い部屋で独りぼっちだった。
「……うっ……ぐすっ……」
暗い部屋に、布団に潜った彼女の啜り泣く声が虚しく響く。
神影を見つけられなかった事への落胆や、ラリーに言われた言葉が彼女の心に重くのし掛かっていた。
それが思い出され、彼女の啜り泣く声が大きくなる。
そんな時、部屋のドアがノックされた。
「沙那、居るわよね?私、奏よ」
ドア越しに聞こえたのは、彼女の親友であり、幼馴染みの1人である奏の声だった。
部屋から全く出ない沙那を心配して、様子を見に来たのだ。
「入るわよ」
そうして、奏がドアをゆっくり開けて、中に入ってくる。
左腕には、バスケットらしきものが提げられていた。
「(まあ、こんなに暗くして………)」
外は昼なのに、この部屋だけ時間が夜中で止まっているのではないかと疑う程暗い部屋を見た奏は、そんな事を考える。
ドアを閉めた奏は、窓付近に置かれてある机にバスケットを置くと、未だに布団に潜り込んでいる沙那に目をやる。
此処でカーテンを開け放つと言う考えが浮かんだが、いきなり部屋を明るくしても意味は無い。
そのため、彼女はカーテンは開けず、机の前にある椅子を沙那のベッドの傍らに置き、其所に腰掛けると、その豊満な胸の前に手を出した。
「求むは光。闇夜を照らし、我が歩むべき道を示せ。"
奏が詠唱すると、彼女の手にランタンの火程度の小さな光の玉が現れ、沙那のベッドを照らす。
すると、沙那が潜り込んでいる掛け布団がモゾモゾ動き、やがて、沙那がひょっこり顔を出した。
彼女の頬には、涙の筋があり、光を反射して光っている。
自分が来るまで、ずっと泣いていたのだろうと、奏は予想を立てた。
「おはよう、沙那………と言っても、もうお昼だけどね」
「…………うん」
奏が苦笑混じりに話し掛けると、沙那は小さく頷いた。
「………」
沙那は、何も言わずに奏を見ていた。
「"なんで此処に居るのか"って顔してるわね」
「………ッ!」
奏にそう言われ、沙那は体をビクつかせた。
「別に訓練をサボった訳ではないわ。午前の訓練が終わったから、ちょっと様子を見に来たのよ。因みに、皆は既に食堂に行って、ご飯を食べているわ」
そう言うと、奏は机からバスケットを持ってくると、コッペパンを1個取り出して沙那に差し出した。
「貴女、一昨日から何も食べてないんだから、せめて、コレだけでも食べましょう?」
「…………」
そう言われた沙那は、暫くコッペパンを見つめていたが、やがて、首を横に振った。
「………そんなに、要らない」
「そう………じゃあ、せめて半分食べましょう?それぐらいなら食べられるわよね?」
そう言うと、奏はコッペパンを半分にちぎり、その片方を差し出した。
彼女としては、どうしても、沙那に何かしら食べさせるつもりだったのだ。
幾ら自分達が勇者で、非常に高い能力を持っているとしても、飢えなどには耐えられない。
このまま何も食べずに衰退するのは危険だと判断し、こんな行動に出たのだ。
それを知ってか知らずか、沙那はコクりと頷いて、半分にちぎられたコッペパンを受け取ると、ちびちび食べ始めた。
2日前から何も口にしていない彼女からすれば、実に60時間ぶりの食事だった。
「(それにしても…………こんな長い間、よく飲まず食わずで居られたわね。ある意味ビックリだわ)」
もう片方のコッペパンを食べながら、奏はそんな事を考えた。
「ああ、そうそう」
奏はバスケットから、小さめの水筒を持ってきて沙那に渡した。
「はい、水筒。ちゃんと水分補給もしないとね」
「うん」
沙那はそう答えると、その水筒を受け取り、ふたを開けてちびちび飲んだ。
「はい、よく食べました」
母親のように言って、奏は沙那の頭を優しく撫でた。
そして、沙那から水筒を受け取り、バスケットに戻す。
「………ねえ、奏」
すると、此処で初めて、沙那の方から奏に話し掛けた。
「何?」
「神影君……私達の事が嫌いになったから、出ていったのかな………?」
不安そうな声で、沙那がそう言った。
「………」
奏は暫く沈黙した後、沙那の両手を優しく握った。
「そんな事は無いわ。今は出ていってしまったけど、古代君は決して、私達の事を嫌ってはいないわ」
奏はそう言った。
「……やっぱり、他の男子に追い出されたのかな…………だって神影君、この世界に来る前から、男子にいじめられてたもん」
「…………」
その呟きには奏も、何とも言えなかった。
「男子達、皆して酷いよ………神影君が勇者じゃなくて、ステータスも私達より弱いからって、仲間外れにして………神影君が、富永君達にいじめられてた時も、誰も助けようともしなくて………神影君が出ていった時も、止めようともしなかったんだもん………私と桜花ちゃんが、神影君の事が好きだって、知ってるくせに…………宰相さんも、神影君が勇者じゃないからって理由で、酷い扱いしてたし……」
「………ええ、そうね」
奏はそう言いながら、右手を沙那の背中に回して優しく擦った。
「(宰相が何を考えているのかは分からないけど、男子の場合は丸分かりなのよね………古代君が居なくなれば、自分達にもチャンスが巡ってくる、なんて考えてるんだし……)」
沙那の背中を擦りながら、奏はそんな事を考えた。
「………ねえ、奏」
「何?」
すると、再び沙那が口を開いた。
奏は、背中を擦る手を止めて聞き返した。
「私と神影君って、釣り合わないと思う?私が神影君を好きで居たら駄目だって、思う?」
その問いに、奏は考える間も無く首を横に振った。
「誰を好きになろうと、それは沙那の自由なのよ?それに口出しする権利なんて、誰にも無いわ。私にも、桜花にも、他の男子達にもね」
奏がそう言うと、沙那の表情に笑みが戻った。
「うん……ありがとう、奏」
そう言って、沙那は奏に体を預けた。
「………私ね、初めてなんだ………好きな人が、出来たの……」
「ええ、そう言っていたわね」
ポツリポツリと話す沙那に、奏が相槌を打った。
「そう言えば、沙那と古代君が出会ったのって、沙那が誤って、テニスのラケットを彼に投げつけてしまったのがきっかけだったわよね?」
「う、うん………顔に怪我させちゃったし……眼鏡も、壊しちゃって……」
恥ずかしそうに言う沙那が思い浮かべたのは、彼女等が未だ1年だった頃の6月のある日の事だ。
「ご、ごめんなさい!大丈夫ですか!?」
その日、彼女は1人でテニスの朝練習をしていたのだが、入学直後から様々な男子生徒に言い寄られ、精神的に参っていたのだ。
そのため、毎日朝練習に赴いては、フォームや力加減などを全く考えずに、ボールを打ち続けて憂さ晴らしをしていたのだ。
要は、朝練習と言う名目の八つ当たりである。
だが、その日は不運な事に、体育の教科連絡のためにテニスコート前を通りかかっていた神影が、コート外に出ていたボールを拾って、持ってきたのだ。
その際、沙那の手からテニスラケットの柄が抜けて、神影目掛けて飛んでいき、彼の顔面を直撃。眼鏡を破損させた上に、頬に切り傷を作ってしまったのだ。
必死に謝る沙那を、神影は軽く笑いながら許し、そのまま保健室の方へと歩いていったのだ。
「あの時、沙那から電話が来た時は驚いたわよ?『知らない人に怪我させた上に眼鏡壊しちゃった!どうしよう!?』って、半泣きになってたわよね?」
「う、うん……」
当時の事を言われ、沙那は顔を真っ赤に染め上げた。
「それで彼のクラスを聞いて、その日の放課後、彼に謝りに行ったのよね?お詫びに購買で買ったお菓子持って」
そう言われた沙那は、顔を真っ赤にしたまま頷いた。
「それで謝りに行って、貴女がお菓子を渡したら逆に謝られて、それからは互いに謝りループ…………あれは、カメラで撮影したくなるような光景だったわ」
「も、もう!恥ずかしいから止めてよぉ!」
神影が見つからなかった事に酷く落胆し、奏が来るまで泣いていたとは思えない程に、沙那は元気を取り戻していた。
「でも、それからよね?貴女が古代君の話をするようになったのは」
「うん。神影君って、体育の教科連絡がある日は毎回通ってたから、教室に戻ろうとするのを呼び止めて、話したりしてたよ」
「そうだったわね………それで、前期の仕事を終えたら彼が彼処を通らなくなるから、『古代君がもう通らなくなっちゃう!もっとお話したいのに!』って相談してきて………」
「か・な・で!」
「フフッ…………はいはい」
ニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべながら、奏は話を切り上げた。
「さて、もう午後の訓練が始まってるでしょうね………そう言えば、初めて訓練サボったわ」
そう言うと、奏は立ち上がって、机に置いてあるバスケットを左腕に提げる。
「それじゃあ、沙那。私はもう行くわ」
「うん、今日はありがとう」
その言葉を受けて、ドアに向かって歩き出す奏。
そして、ドアノブに手を伸ばそうとした時………
「ねぇ、奏!」
再び、沙那が呼び止める。
「何?」
手を引っ込めて、奏が振り向いた。
彼女の視線の先には、ベッドから出た沙那が、カーテンを開け放って立っていた。
「私ね、決めた事があるの」
「"決めた事"?」
そう聞き返すと、沙那は頷いた。
「何時かね、絶対に神影君を探し出すの。他の男子や、ラリーさんに言われた事なんて関係無い。だって、好きなんだもん。我慢出来ないもん。もし文句を言うなら、私が捩じ伏せる。それでね、桜花ちゃんと一緒に、神影君に告白するの!」
「…………」
マシンガンの如く自らの決意を言い放った沙那に、暫く呆気に取られた表情を浮かべていた奏だが、やがて、フッと笑みを浮かべた。
「そう………なら、早く元気にならないとね。古代君を見つけ出すんだから」
「うん!」
昼の陽射しに照らされた彼女の笑顔には、今までの雰囲気を吹き飛ばすような"明るさ"があった。