「そんなことが……」
「時間がもうない。僕はもうここには居られないから、あとは新八が仁鉄から出られればいいんだけど」
粗方の説明を終えて言い淀む。
理由は単純、新八を引き摺り出す手段がないから。
殆ど勢いで来てしまったというか、パスを引っ張って意識を連れて行かれるとは思わないし。言い訳がましいが、予想が的中して、元々の難題に戻ってきたのは想定外だった。
「行って」
間髪入れずの返答。
気遣いのない、自信に満ちた声音だ。
「でも、ここからは分からないよ」
「大丈夫。なんとなく頭のなかでやるべき事が分かるから。きっと父上のおかげだ」
そう言って周囲に目を向ける。
釣られて見回すと、そこには暗がりの廃れた道場はない。
朝日が差し込む道場の壁際には、練習生のための竹刀が数十本。床は摺り足で磨かれた痕が散見し、奥には神棚も見受けられる。きっとここは、新八の見慣れた世界の一端で、日常への第一歩なんだ。
「あっちで待ってるから」
前に進み始めたことを知った立香は、道場の戸を開けた。最後に手を振って戦場へと戻っていく。
「───────っ……………」
朝日の向こうに見送った新八は、大きく息を吐いた。うっかり同行しかけた胃酸を押さえ込みながら。
目覚めによる反動か?
死徒の力に充てられたから?
違う。
やろうとしていることが頭の中にある。
それは酷い結末だ。あんまりな仕打ちだ。
この戦いで報われるのは自分だけだと思ってしまった。だから、その都合の良さに嫌悪したのだ。
だが、しのごの言っていられない。
ここで俯けば、それこそ取り返しがつかないのを知っている。侍としての生き様を失う。
「………父上に見てもらうんだ」
鎖に手を伸ばし、強くなった己を鼓舞する。
震える手で死徒への抵抗を開始した。
▼
そうして、藤丸立香は戻ってきた。
現実で1秒程度の時間を過ぎて、視界が元に戻る。
「なにをっ…!? 何をした、カルデアの‼︎‼︎」
まだ
魂の接着面を剥がされて、表情に焦りが浮かんだ。
「貴方のやり方が嫌なんだってさ。一方的に決めるからこうなるんだよ」
「立香、どういうことよ」
「志村 新八のメガネこそが模造刀のマスターで、サーヴァントなんだ。メガネは新八をずっと守ってくれてたんだよ。
内側まで手の届かない仁鉄は逆手にとって、鍛った英霊と契約を代行させてたんだ。
新八は、うん────」
戻ることは出来た。そう言いかけた口を閉じる。
代わりにアイコンタクトを1つ、剣に向けた。それで十を理解した剣は、一歩前に出る。
「仁鉄。この病に罹れば人生何も成さぬにはちょうど良いが、事を成すには余りに短い。
どれだけ生きた事になろうと、魂ってのは独りじゃ鍛えられねぇ。
そんな仕事じゃ、新人類ってやつの末路は今より酷くならぁ」
「……この、錆び
「お前が鍛つ刀なら、鈍刀だって宝刀だ。
その錆び、欠けた刃。ガキん時に鍛った刀だろ。村田 仁鉄が魂に収めた、たった1つの想いの筈だ。それを鍛ってた頃が一番楽しかった、違うか」
剣の言葉に、歩き出しの音で応える。
「楽しかったに決まってる。剣聖という在り方を見定めたのも───」
「だから、あの頃を消したくなくて手を貸したんだろう」
「どうだったかな」
両者は前へと踏み出した。
殺意を己が刃に乗せて────。
仁鉄に降り掛かる妨害は2つ。
1つ、英霊、新八のメガネが鉄患いを否定していること。ご主人の父親を砥石のように扱う態度に激怒し、仁鉄の
2つ、新八が仁鉄の束縛に抵抗している。2つの魂が1つの肉体で共存するためには、才能や素質、後付けのパーツが必須だ。全てを欠けば内側で混ざるか、一方が食われて消化されるだろう。新八は前者、メガネが後付けとなっており、3つ目の魂である仁鉄は新八から剥がされかけていた。
「あ、ああッッッあ……!!!」
結果、同時に踏み込み、同じ力で刃を振りかぶり、同じ速度で居合い斬りを放った筈の仁鉄だけがコンマ秒の遅れを取った。
右肩から左脚へと袈裟斬り。相変わらず火花が散るが、その発火量は赤いカーテンのせいで半減だ。
「仁鉄が出血してる!!!」
「でも火花も混じってる! 気をつけて!!」
志村新八に乗り移って以降、初の出血。
身体能力、維持。上昇するには傷が浅い。
肉体損傷、軽傷。
大袈裟な血飛沫は表皮の血管を上手く斬ったせいで、中まで刃を通したからではなかった。
では、何のために。
「────見たな、中の様子を」
「死したあとの灯火。同じ轍は踏まねぇよ。
傷付いたのはオメーの魂だけらしいな?」
剣は刃越しに仁鉄の内側を探ったのだ。
一瞬の交わりで傷が何方に入るのか、新八はどうしているのか、果てには仁鉄の状態確認までもを。
仁鉄の脚が震えた。
精神を覗き見るなどという、人智を越えた剣技は仁鉄の知るものではない。
新しい発見だ、最強の後出しだ、侍の技が一段上に行く転換点が目の前にある。そんな喜びが胸中で噴き出していた。鍛治師が抱くものではない、だが仁鉄はこれで良かった。刀を握る者への拘りから生まれる理想像に、高潔な技の会得は外せない。
「は────剣聖に、近いた」
「喜ぶのは早すぎるぜ」
理想へと昇り続ける侍が、手の届かない場所から刀を構えた。見惚れているとしても、死徒の動体視力と反射神経があれば問題なく捌ける。
「ぐぅぅアアアーーーッ!?」
はずだと言うのに、迎え打った刀は悉く空振り、仁鉄の身体から泥のような血飛沫と火花が散らばった。
(読み違えたッ。新八君の悪さか? いや、違う…メガネの影響でもなし。これは……っ!)
それは仁鉄に降り掛かる3つ目の妨害。
志村 剣の殺気だ。
新八が覚醒し、仁鉄から離れつつある今、志村剣の殺気を和らげる緩衝材が無くなっていた。死徒の殺気でさえ、剣のソレには意味を為さない。
「筋肉の収縮に悪戯しているのか…」
「戦わずして勝つ、その極意は戦いに活かせる業だからこそだ。
俺と稽古しねェから初歩に引っかかんだバァカ」
意図して操れるわけではない。
剣聖、富田勢巌は浴び続けながらも精神は揺らがなかった。大英雄ヘラクレスには効果など現れなかった。
どれだけ戦闘経験を詰み、技術を吸収し、古今東西の武の心を識ろうとも、仁鉄は到達しない。死徒となった後では、人類の心技体は死徒のものと規模が違う。2つの噛み合わない歯車が合わさっていたのは、仁鉄が魔改造を施していたから。
「ア″ア″ア″ア″ア″ア″ッッ…」
だから剣が殺気を差し込める。
人類の技の至上を以って、死徒の肉体に掛け違いを起こしていた。
だからまた引っかかる。
「オオオ……────!!」
都度八度目、圧巻の剣撃をモロに受けながら注視に心血を注いだ。そして九度目の殺気による妨害を押さえ込んだのは他でもない、剣へと抱く怒りだった。
刀に愛され、侍を愛して、然し剣聖から愛されなかった。それだけの無念を、仁鉄の魂は蓄えている。
「気勢には気勢。単純だが、良いものだな」
刀を鍛ち、侍の心を読み、異世界人の技術を学んでも、まだ新しい境地が漏れ出てくる。それが他ならぬ友からだ、血肉沸き心踊る体験だと気づくのに時間はかからなかった。刀匠として侍に理解を示し、剣の道も知っている…つもりでいた自分の古い殻が剥けていく。
この時間がどこまでも続くと信じて。
仁鉄は槌で鍛つように溜ノ間を振り、錆びが剥がれ落ちていき、仁鉄の魂が
「あぁ、良いな…。自分の心で振るう刀は」
そうして刀を一振り。
今度は、今度こそは死徒のものではなく。人智が導き出した上段の構えから繰り出す、基礎にして根幹、侍の一太刀を繰り出した。その所作が余りにも堂に入っていて、剣は新しい生命の誕生に魅入ってしまった。
「っ…!?」
危うし剣。一歩、踵で退がる。
内側からの妨害を抱えた状態で初めて…否、侍の道へとやっと踏み入れて初めて、剣の頬に傷を入れた。
「届く────!」
「まだ甘い」
死徒の歓喜に老い
身体は繋がっている。内側は修復が1秒遅れた、腸の負傷で行動が鈍る。人理焼却の真っ只中を歩くよりも苦しく、槌を一晩振り続けた腕よりも重い枷を引きずってでも反撃を行使した。
「なら、これはァ…!」
「ンな動きで新人類名乗れるかよ」
「くそがっ…!?」
あれこれと試し、隙あらばダメ出し。賑やかなやり取りは稽古のように見えて。然し、稽古には絶対にあってはならない光景が展開されていく。
剣の全身、身を割き骨を砕く攻撃を受けるたび、痛みを覚えるために火花が散る。負傷を学び、致命傷を知り、生命が散る。
「斬って斬られて……止まらない!?」
身体を切り刻む刃を他人事と言わんばかりに無視して、両者は絶命後に止まることなく刀を振り続ける。
剣の刃が仁鉄の首を落とし────、
仁鉄の刃が剣の胸を刻んで────。
仁鉄の身体からは血が。
剣の身体からは火花が宙空に散る。
落ちる筈の首が繋がっている。
溢れる筈の臓物が機能を止めない。
どれだけ斬られようと、その寿命許す限り、痛みに抗い続ける絶対無病の病、“鉄患い”。
次第に傷が増えるたびに、仁鉄の鉄患いは見る影が窄んでいく。
鉄患いが完治した剣は、徐々に増えていく傷痕に口元を吊り上げる。
「鍛人の誇りに賭けて戴くぞ…!」
「倅の身体で語ってんじゃねぇ!」
人間の人智を越えた最凶と最強。
英霊の域を越えた強さを誇る剣には1つ、告白しなければならないことがあった。
「……すまねぇ。本当は負けてんだ。俺ぁお前と殺し合うのは2度目だ」
「…………!」
「勢巌鍛ったお前なら知ってるだろ、仁鉄。並行世界ってやつを。
俺ぁそこで負けた。カルデアが来る前にお前と戦って、おめおめ負け越したのさ。
たま殿に拾ってもらわなきゃ、ここまで強くはなれなかった。
俺の霊気は引き継がれたもんだ。
「……分からん。だが、納得した」
仁鉄の言葉…否、理解していると言い放ったその声音は、刀を仕上げた時の充足感を伴っていて、剣は目を見開いた。
侍の
「鉄患いを極めたお前が勝ち得たんだ。それはきっと、人間の頃の私が欲しかったものだ。
ならば、剣聖に………いや、志村 剣に勝って、新人類の礎にしてみせよう」
「……であれかし」
その願いには、人であった頃を懐かしむ心…死徒としての悔恨が隠れていた。
殺し殺されて、侍として頂きに上り詰めていく今の仁鉄ならば、説得すれば新八を解放してくれる。それどころか、人理焼却に抗う仲間として────
「これが私の鉄患い。剣の
剣に生まれた一瞬の迷いを、これまで通用しなかった死徒の怪力を以って嘲笑う。
溜ノ間が剛速で奔り、捉えることが出来なかった剣の芯…腹部を、剣の刀越しに叩き飛ばした。
「剣!?!」
立香の叫びは砂埃の向こうへ消えた。
直ちに薙ぎ払われて現れた剣は、背中を丸めて刀で体幹を維持する、重症の傷を負っている。
頭部から、背中から腕、足に至るまで流れる血液。
吸血鬼を蟲惑する装飾だ。死徒の熱気は上昇し続けていき、留まるところを知らない。
仁鉄は剣に与えた傷から成長を遂げている。血を取り込んだのではない。仁鉄の超抜能力が鉄患いを加速させている。
幾多の侍の歴史や思想を知って、培われた経験則を実行して、侍道を見倣っていただけの刀匠が、侍としての成長の過程を味わってしまった。どうして止まる理由があるだろう。
「この手で何千、幾万と刀を鍛ったと思ってる。その数だけ侍を見て、動きは頭に入ってんだ。
頭ん中のを身に染みるまで千年掛かっちまったが。剣聖を見て駆け上がれたぞ…!」
かつての目標を斬る理由が、排除から通過点へと変わった。仁鉄の業物はこの戦いが終わり次第、次の段階へ行くことが確約された。
仁鉄の願い、それは剣聖を知ること。
では、剣聖とは誰のことを指すのか。
最初の剣聖、
剣聖史上最強と謳われる富田 勢巌?
勢巌の源流となった佐々木某?
いいや、違う。志村剣、ただ1人。
彼が剣聖になることを夢見ながら夢破れた。だが仁鉄は諦めなかった。剣のような魂を持つ侍に、剣への想いを込めて鍛った刀を握らせれば、夢再び…と本気で信じたのだ。想いを込めて鍛ち続けたその果てに、自分の魂が紅桜へと宿っただけの話で。
死徒となり、正鬼に復元されて、新八に入り込んだことで、今度は新八を鍛えて志村剣を鍛とうとした。だから身内で、鉄患いがあると信じ込んだ新八が必要だったのだ。
欲望に忠実な眼差しが獲物を見据えている。
散り散りと傷口から漏れ出る火花は涎のよう。人間としての誇りを思い出し、鍛人としての拘りに歪みは無く、剣聖を鍛える
「親の務め、全ての剣に誓い果たそう」
全ての想いを受け止めて、剣の願いが刃に宿る。
これが最後の衝突。
次、退いた者が敗者となる人外試合。
火花が散る。
雑音が消える。
刀を洗う焔の仕業だ。
「先輩……剣さんが…!」
「……うん、分かってる」
死徒は瀕死となる代わりに、火花が散っていく。
もう剣聖には、血を流すことしかできないというのに。
言わずとも、その命が長くは保たないと分かる。万物に流転があり、寿命がある。志村 剣は次の死で得られるものはなく、そして死から逃れることもできない。
鉄患いの終着を意味する、剣の流血。
生涯のそのさきで辿り着いた地点。
一線、地面に横薙ぎに描かれる血痕。
あと一秒で致命傷に至る。…その前に、刀が保たなかった。
「────」
言葉にならない悲鳴はマシュのもの。
飛び出そうとする彼女を止めたのは、立香と神楽。2人の邪魔をすることは無粋だと、魂が泣き叫んでいる。
それを分かっているマシュは、両の拳を握ることしかできない。
「終わりだ、剣聖。次に会う時は、死徒だ」
根本から折れて、折れた刀身は砕け散っている。
剣に追いついた仁鉄を相手に、素手で対峙することは不可能だ。
「大切な思い出は
刀が折れようとも。
侍の魂ある限り、剣は折れない。
「!?」
1つ、思い出さなければならないことがある。
鉄患いの発症は歳を老い、傷が治り、そして研鑽すること。
ならば剣は、最後の鉄患いの発症で、何かに対して研鑽を積んでいる。それは、何か?
「────真名解放、相伝」
その構えは、いわゆる正眼の構え。
剣の全てを極めし者が至る帰結にして結論。
是に勝る構え無し、と。
魂の刃、鞘より抜きて。
折れた刀身、ここに再錬される。
「天堂無心流奥義────」