魔王はひとり仰ぎながら、右手のひらをしっとりと顔に貼り付ける。鼻先で生命線をなぞり、先程受け止めた刀の傷跡に意識を向けた。
生命線を遮るように刀傷が入っている。本来ならあり得ない事態だ。地球から受けるバックアップに問題があることは分かりきっていた。故に、カルデアが人理焼却式の元を断つまで引き篭もることが不可能。
選ぶ手札もなく、あるものを総動員して血塗れの道を作ってきた。終末に抗うための真祖の青写真に、仄かな光明が差している。真祖の空想をすり抜けて、魔王の衝動にも届かんとする銀色の日差しだ。
「…魔眼こそ使えぬが、この火山灰が吾に味方する。あと1分間で命運が決まるぞ、我が子たち」
美しい宿敵に灰のカーテンを引いたというのに、地上の日差しを見落としていた。地下の太陽あれば、人類を導く太陽があるのも道理だった。
銀色の日差しに充てられた人間が1人、また1人と前に進む。憎いほど楽しそうな笑みを浮かべながら。
「そう言ってくれるな。いまは1秒でも長く、銀時と肩を並べて戦っていたいんだ」
その最前線に立つアーチャーは、殺意なき眼圧を捩じ伏せんと双剣を振り下ろす。対面に回り込んだ銀時との挟撃はアダムの腕に阻まれた。そこから数回のやり取りを重ねて、特に銀時の木刀に注視していることも分かった。その名前の通り、星砕きは痛手らしい。
「おいおい、正義の味方にあるまじき発言じゃあないの? いつから戦闘大好きエミヤさんになった!」
「私は………」
……私はこの時間が惜しい。肩を並べて戦ったことなんて、一度もなかったんだ。そう言いかけた口を閉じて、一拍置いて「……失言だ」と血走る眼を閉じた。
「他人の都合なんて知ったことか!」
「本心隠せてないけど!?」
欲望垂れ流しの正義が怒号しながら放つ刃を、魔王は好機だと捉えた。手で払わず、浴びるままに刃を受け入れる。そこで交差するのは代償の反撃、右拳撃。
「オオっっ!!」
飛び込んだ勢いそのままにアダムの右腕へと刀を振り上げる。右拳の圧縮した唸りは頭上を通り、空想具現の彼方へと消えた。
だが、ズレた軌道を即座に修正するのが魔王の厄介なところ。身体を削る刃などお構いなしに、右腕を整えてフックの要領でお礼参りに来る。
「こん、の────」
空振った右拳が次は床を叩き、拳撃が地上を跳ねて抉っていく。アーチャーの振り上げた双剣はアダムの攻撃を逸らし、直後に霧散した。返す刀でもう一度と攻撃を試みるが、投影した『人を護る刀』も同様に崩れていく。
投影した宝具は所詮は贋作だ。最大限に設計していようとも、生み出す者に完璧に応えてはくれない。魔王の神秘には数秒形を保つだけでも御の字なんだろう。
「代わります!!!」
無防備のところをマシュのカバーに救われる。いっときの防戦を託し、入れ替わりで加勢する新八と神楽の後ろから周りつつ、アーチャーの入れた明確なダメージに視線を向けた。
あの透き通るような皮膚は、日差しに負けて闇に徐々に侵されている。宙空を舞う火山灰は日差しを遮ってはいるが不完全だ。予告通り、アダムは1分後に身体を焼かれて再起不能となるだろう。
いまアーチャーが加わり、俺とアーチャーが入れ替わり立ち代わり投影魔術を行使することで、5対1の図式でようやくアダムの攻撃力を抑え込めている。
城を踏む脚、侍を襲う凶撃、両拳両肘の猛追を悉く天井床面城の壁に受け流していく。最大の力が振るわれる前に勢いを殺せば、どんな力量差でさえ軌道を逸らせるなんて理想論を次々と実現して。
それでもアダムを倒すには足りない。
擬似太陽は魔眼封じに留まらず、地球からのバックアップを大きく妨害しているが、遮断は出来ていない。少しずつ供給されるエネルギーを俺たちが削って、銀時の星砕きを城に受け流すことでやっとトントンなのだ。
それは、向こうも同じ。決定打が出せない状況下で、どう脱するかに思考を割いている。
「そろそろ余命が尽きそうだけど?
大人しくコイツにぶん殴られる覚悟はいいか」
「…命の終わりは吾の望むところだ。終わりこそ人の世の始まり。これ無くして繁栄はない」
淡々と狙う眼差しが機会を見定めた。そう見抜いた瞬間、再び剣の記憶を投影して飛び込んでいく。
「っ! 士郎、待っ──」
後方で観察に徹していた立香の言葉が引っかかりを投げかける。明らかに状況が悪化することを予見した声音。聞きに戻れなかった以上、状況から読み取るしかなくなったぞ…!?
──眼前では、銀時以外の攻撃を背に浴びるアダム。
銀時と向かい合い、構えたお互いの渾身の一撃を放つ場面。察した4人が横に避けた直後、どう見ても勝敗を左右する一撃が衝突し──
「っぐあ!?」
間一髪、銀時の振り上げた木刀が先にアダムのコアに直撃し、大きく後方へと吹き飛ばされた。
見事な連携だ、あの4人を後に回したら足元が揺らぐのは必然。これでコアは壊れる。なにせ星砕きの直撃だ。立香はなにを危惧したんだ。
「違うッ! 距離を取らされた!!」
「────!」
怒号に近い警告を聞いて、壁際にまで吹き飛んだアダムに視線を向ければ、確かな意志をもって両脚で着地を決めていた。苦しげに抑えている胸元のコアは、着地と同時に手元からこぼれ落ち、跡形もなく塵と化している。
「コアが割れたのに…」
「魔王化が解けるはずじゃ!?」
新八の言う通り、そうなると思っていた。
だが結果は違った。見てみろ、アダムの表情を。息苦しさのある表情が消えて、活気が湧いている。
「……外付けのコアだったんだ」
「そういうことか。魘魅のやつも、完璧にはアダムを制御できなかったわけだ」
「魔王化は不本意だったが、成った以上は逆に利用してやろうってか。肝が座ってんなあオイ」
「ちょっ、言ってる場合ですか!?」
焦ったところで遅かった。
アダムは最高の位置取りを済ませてしまった。
「太陽を落とし、貴様らを堕とせば、吾の計画が正しかったと思えるかもしれない。
もう始めてしまったからね。誰であろうと吾を操ることは出来ないと、意地を張らせてもらう」
人類災星計画の責任者に拘り、人類始祖の企てであることを宣言する。あれは殺意。復讐へと向かうだけの、魔術王/魘魅に対する私怨。打ち砕いてみろという挑発だ。
今から間に合うだろうか。
距離にして30メートル、俺たちの後方上空に昇る擬似太陽へと何かを仕掛けるつもりでいる。
……拳撃だ。
聖剣の一振りに匹敵する流星を薙ぎ払える、真祖が見せた本気の拳撃を放つには充分な環境だろう。
擬似太陽の陥落。これを阻止することは、アダムを倒すことを同時に行うことに他ならない。
今もなお、アダムには無限のエネルギーが供給されている。先んじて断つには時間が足りない。恐らくは2秒、擬似太陽の陥落を先延ばしにする必要がある。
そして、アダムを押し切るには星砕きの一撃を、バックアップを断った状態で叩き込む必要がある。
拳撃への対応、バックアップの遮断、星砕きによるトドメ。とくれば、俺たちに残された道筋は1つだけ。
「衛宮士郎。アレは死ぬ気で防いでみせる。
だから貴様も────」
「考えることは同じみたいだ」
アーチャーの言葉に笑ってしまった。あまりにも土壇場でやろうとすることが同じせいだ。
俺たちの道は必ず未来を切り拓ける。
一歩前に出た脚は2人分。
アーチャーとマシュのものだ。
打ち合わせなんてしていないのに、彼女は立香の方を見もせず、アーチャーに「私も必要なはずです」と、この先のことを見通して、委細の打ち合わせを飛ばした。
俺は銀時…いや、万事屋を見回す。
時間がない。これからやることの説明は……眼差しを交差するだけで終わった。銀時は兎も角、会って間もない新八と神楽、2人にも真っ直ぐな瞳で返されたら頷き返すしかないじゃないか。
……初動は深呼吸1つ。
瞬き1つで心を整え、アーチャーとマシュが床を蹴り、最後の攻防の幕を開ける。
「星の触覚が見せられる、最初のキミへの贖罪だ」
地球が揺るぎない意志を張り上げる。
終末の針を薙ぎ払った、あの拳撃を放つための構えを取った。
最初から使っていれば、俺たちは一溜まりも無かったはずのソレは思うに、強大すぎるあまりに使用出来なかったんだ。星の触覚が地球規模の終末に抗うその代償は本来、地上の生命が抵抗する反動で滅びかねない威力となる。
そうならない為の寝室であり、擬似心臓の江戸城だったが、数々の弱体化で銀の大地に移行してからは暴走するばかりだ。
自分の意思で奮えた時はなかっただろう。
あれは人類始祖アダムが送る、魘魅の干渉を受けない正真正銘の想い。
「魔王といえど大幅に弱体化している。2人なら大丈夫だ。私たちが信じるのは後のこと。この攻防が未来に繋がることは、君の旅路が示してきただろう?」
「皆さんを信じているから前線に立てます。先輩を信じているから、この城は顕現してくれる」
想いには想いを。
拳撃が放たれる直前にマシュが大盾を構え終え、天高くまで白亜の城が聳え建つ。
「────
果たして何秒保つだろうか。恐らくは1秒未満。
これまでの旅路を無に返すほどの自然災害によって、高潔な城壁は散り散りとなる。回避するには、たった1つだけ手段がある。魔王の暴力に迫り、1秒まで城を保たせる輝きが。
「令呪を!! 未来はこの先にあると、人類は負けないってアダムに見せつけてやれ────!!」
立香が右手を掲げて、手の甲に宿る輝きに勝利を求めた。
伍丸弐號から託された、新八のメガネとの契約を成すための一画。主人の守護を終えて退去した功績者の痕跡を、この一瞬に注ぎ込む。
増築された白亜の城を見据え、このままでは擬似太陽を壊すには至らない可能性を見たアダムは、一瞬で拳撃に修正を入れた。銀時ら諸共を吹き飛ばす広範囲の出力だったものを、擬似太陽を収める程度にまで範囲縮小、貫通力を伸ばす。
「偽物の光はこの国には要らない。
されど空想の国を絶やしてなるものか──‼︎」
斯くして、第一陣による擬似太陽防衛ラインは敷かれた。
先ず、拳撃による代償が江戸城へと伝播する。アダムの床から背後に地上まで、英霊の宝具ですら傷付かない江戸城が、拳撃の反動によって踏み潰されていく。
そんな威力を擁するものが間断なく白亜の城に到達した。芯は上方にあり、破れようとも死ぬことのない筈のマシュは、両腕に降りかかる衝撃に呼吸を忘れた。
「ぇ────」
激痛だ。それは貫通力が有りながら、手のひらで押すが如き打撃であった。非常識極まれり。これは魔力を纏わない、完全なまでに物理だけを用いた、地上を割らんとする地上最強の右拳撃。
白亜の城は無様な敗北を喫し、人理の盾は魔王によって否定される。人類始祖には敵わないと…。
「マシュ‼︎」
それでも、ありったけの信頼が背中を支えてくれた。
「ぁ────っはあ‼︎」
辛うじて取り戻した意識をかき集めて、大盾を真上に蹴り上げる。少しでも届けと、未来への想いを乗せて。
「っ!?」
そうしてたった1秒の接触は終わり、白亜の城は崩壊した。だが、自然災害を起こしたアダムは驚愕する。僅かにでも軌道を上空へと逸らした、有り得ざる奇跡に。
拳撃の勢いは多少落ちた。それでも擬似太陽を落とすには威力、軌道も十分に範囲内。人理の盾を突破した以上、これを越える守りなど彼らは持ち得ない。
そう、守りならば。
「
地上から飛び上がる黄金の煌めき。
最強のマスターからの魔力をありったけ注ぎ込んだ、原典に迫る宝具が使用者…アーチャーの手元から真価を解き放つ。
地上から放たなかったのは、剣先の振りだけでは拳撃を逸らすのに威力が足りないから。その煌めくひと振りを解放するのは、拳撃の真下も真下、聖剣が直接当たる位置でなければならなかった。
「───
ここに、最強の剣が渾身の一撃を以って振り抜かれた。斬り上げる時間は一瞬、普段との違いは接触時間を拳撃全てに充てたこと。
世界図をめくるように入れた斬撃は、
「直撃を、半分以下に抑えた、だと……」
世界を救わんとする功績を太陽に刻み込んだ。
擬似太陽は未だ健在。
上側を楕円状に抉られてはいるが、その顕現時間を大幅に削られる程度に被害を抑えることに成功した。
代わりに落ちていくのは紅い外套の影と、砕け散った聖剣の破片。満足そうな顔をして、ぼろぼろの両腕の痛みなんて忘れて笑っていた。
「未来は繋いだ。そして、注意も逸らした。
衛宮士郎。俺たちの世界を見せつけてやれ」
一か八かの賭けを、絶対に成功すると言わんばかりの眼差しで託されてはやるしかない。
拳撃が逸らされた衝撃から立ち直ったアダムが、やっとこさ視線を向けた。詠唱を聞きつけて、その意味を理解して、擬似太陽と俺、どっちを狙うのか一瞬迷った。コンマ数秒の時間で、世界は一変する。
「この身体は、万事の絆と繋がっていた」
「なっ──────に──」
銀の大地、その中心である寝室においては禁句に等しい詠唱。源外庵という例外、城門前での条件の整った一瞬の展開を除いて、この国では連れ込むことすら死に至る曇天の荒野が世界を満たした。
固有結界、無限の剣製。
この場にいる全員と、擬似太陽を取り込んでの展開に成功する。同時に、術者へと襲いかかる魔の手。地球の管理者を連れ戻そうと、地球の修正力が一身に降り注ぐ。
「ギッ……ヅ………!」
擬似太陽、そして初代の宝具による空想具現への影響力の緩和によって、ここ寝室は源外庵の周辺と似たような状態にある。
二重にも三重にも緩和されても、空想具現化からの拒絶はこの身に牙を突き立てている。指一本動かそうとしても、魔眼に見据えられたみたいに神経が働かない。徐々に内側から崩壊していき、やがて修正されるのだろう。
「なっ……ぜ……ぇ…!
固有結界に…吾が! 閉じ込められる!?」
だが、動けないのはアダムも同じだ。
無限のエネルギー供給は遮断といかずとも、隔離することで供給量は大幅に削減した。太陽をも落とせる両腕は、苦しみに縮む胸を抑えてろくに動かせないでいる。
アダムを押し切るための条件は整った。
「いっ…けえええええええええ‼︎」
背後から飛び出した3人に向かって、最後の激を飛ばす。あそこに並び立てないことに胸の奥が……。考えるのはやめよう。あの3人じゃなきゃダメなんだから。
「さか……田、ぎんときィ…………!」
「アダム────!」
正義の味方を越えて走って、紅い外套の弓兵に見送られながら、人理の盾に感謝を込めて、志村新八、神楽、坂田銀時は各々の武器を堅く握りしめて。
「こいつが俺たちの答えだアアアアアア‼︎‼︎‼︎」
人類の未来を。
人間として生きる意思を。
人間が何者にも負けないことを。
声高らかに叫び、魂に納めた真っ直ぐな想いを人類始祖へと叩きつける。
魔王を打倒するためではなく、人類はこんなものじゃ終わらないと強さを示すために。
3人の渾身の一撃を浴びて、アダムはその想いを受け止めきれずに吹き飛んでいく。
宙を舞いながら、「あぁ」と、やけに納得の溜め息を吐いていた。この眼では視えなかった未来…視ようとしなかった人類の未来を、目の前の子どもは絶対に取り戻すと、続けると信じて未来を見続けている。
「たった1人の……ロクでなしのために立ち上がって、ここまで来ちゃうか。
光々、君の理想がここにも───」
人類始祖と人類の差は、たったこれだけ。
それなのに、こんなにも大きくて頼もしいとは思いもよらず、アダムは久方振りに口元を綻ばせた。