『…って。……い、止まって!』
空を見上げた。
輝く星を視界に入れると、その一粒一粒が語りかけてくる。まだ行かないで、立ち止まってと。生き急ぐ訳ではないけれど、悠長にしている時間はない。折角のお誘いを断ろうと思ったとき、これまでの旅路を思い出した足は勝手に立ち止まっていた。
「止まらないと見えないものもあるよね」
「おぉ、ほんとに止まった。良い人だ!」
声の出所を探ると、視線は下方向へ。
額に小さくて仰々しい角を生やした、朗らかな笑顔に心を許してしまう小柄な子供が目の前にいた。性別の判別がつかない顔立ちは正鬼そっくりで、人ならざる者だとあっさりと受け入れられる。
───状況を整理しよう。
いま、僕は江戸城の城門を潜ったところだ。
士郎やエミヤ、佐々木小次郎の助力、伍丸弐號を失いながらも、富田勢巌の死守する最難関を突破した。これから死徒仁鉄から新八を奪還して、正鬼の復讐を止めに行こうと勇んだところで………。
……あれ、正鬼の復讐は、さっき止めたような。
「やあ、人類最後の人間。わたしのことは知ってるよね。『思い出してきた?』見てたもんね!」
そう、そして、今に至る訳だ。
───いや、違ったね。
これ、過去のやり取りだ。
『そう、記憶の封印を解いたの。
城門を潜る時にきみの精神に接触して、真祖の魔眼を避けてお話してるんだよ。思い出してきたよね』
脳裏で声が響く。優しい声音だ。
声の主人は、城門に棲まう鬼。
「…………羅生門の霧?」
「うん!」
にぱっと笑顔、暗がりでなければ抱き上げていただろう。過去のやり取りとはいえ、自分の視点は当事者のままだ。思いのままに抱きかかえてみようとするも、身体はぴくりとも動かない。融通は利かせてくれないようだ。
「どうして…いや、今までどこに居たの?」
「門だよ。わたし、門になって待ってた。
あっ暗くならないで、話が進まない。光々に託されたこと失敗したからさ、一矢報いるために手伝って」
「し、失敗って……」
『正鬼くんを止めることも、神楽と新八を逃がすことも出来なかった。
魘魅に地球を支配されて、記憶を弄られた正鬼くんはわたしを城門に作り替えたんだ』
「……そう、だったのか」
「皆んなには迷惑をかけちゃった。わたしの宝具は城門を物理的にも、概念的にも難題に押し上げたの。だから嬉しかったよ、君たちがわたしを破ってくれて」
『わたしね、賭けたんだ。光々にも賭け事はダメって言いつけられたのに、それでも皆んなに賭けたの。
光々が守ろうとした人たちだから、きっとわたしを破ってくれるって』
独り苦渋を舐めながら、然し虎視眈々と反撃を待っていた精神に気後れしてしまう。
自分の失敗を認めて、簡単に気持ちを切り替えられるだろうか。再び負けることを願って、この瞬間のためだけに生涯を賭けることを躊躇わないとでも?
「………寂しくなかった?」
「ぜんぜん! 皆んなの無事を願うだけでも、時間が足りないくらいだったよ」
即答が全てを物語っていた。
徳川光々の人望は、時を越えて人を繋ぐほどのもので、その期待は人理修復の旅そのものに他ならない。
「真相を伝えたいから此処を空間を作るのに忙しかった。秘匿性抜群!」
「真相?」
何のことか尋ねると、嬉しそうに近づいてきて、雪のように白くて、子鹿のように小さく逞しい人差し指で此方の胸をトントンと触れてみせる。水槽のなかの魚に問いかけるように優しいノックだ。
「まずは手帳を読んで。
ほら、ここに入れてあるもの。
そこに色々とと書いてるっぽい」
「…手帳か!」
合点がいった直後、人生初の経験に包まれる。
僕の胸の奥から、次から次にページが吹き上がる。隠れんぼで見つかった子供が飛び出す勢いと変わらず、然し僕から奪うものは何もない可笑しなお出迎え。
飛び立った項目が過去を引き連れて、僕が過去を覗く準備を整えてくれた。
目の前に立っていたのは、伍丸弐號。
記憶の中で、更なる記憶へ飛び込んだ。
▼
真上に吹き抜ける黄色い風。
はらりと舞う紙吹雪が連れてきたのは、赤い白衣を着こなす金髪の技術者だった。
恐ろしく整った凛然とする顔立ちには、出会った時よりも柔らかいものがある。間違いなく、困難を乗り越えて目的地が視認できたことを喜んでいた。
「お疲れさま、立香君」
相変わらず一文字の声音。一日しか共に過ごす時間は無かったが、万事に理解を巡らせる思慮深い彼だと気づいた頬には笑みが溢れていた。
助けてくれたことへのお礼、正鬼を説得できたことの報告、他にも江戸の皆んなのことを話したくて口元を動かしたけど、伍丸の合理的すぎる仕掛けに拒まれてしまう。
伍丸弐號の用意した手帳には、藤丸立香が筆を取るための空白が用意されていなかった。
「城門の突破、十界の撃破、新八君の救出と人類始祖アダムの説得。そして、坂田銀時の帰還。
どれも過去類のない戦いだっただろう。
私の計算する限り、最高の成果を叩き出せている。ここに最大の感謝を、そして最高の敬意を表す」
恭しい一礼。
この特異点で最も奔走したに違いない伍丸が受けるべき賞賛を、伍丸から受け取ってしまった。
本当なら僕が言うべきことなんだ。その機会を、やり取りを省いてしまうところをカラクリ仕様にしなくてもいいじゃないか。
───伍丸。
届かない言葉で抗議する。
「この手帳は記録する程度のもので、音声を届けるするくらいの機能しか付けていない。
だが、カラクリの身であっても、立香君の言葉は聴こえている。娘から受けるような敬意を感じる。
……君に託してよかった。直感も悪くないな」
伍丸はこっちの抗議を受け取って、その意を汲み取った言葉を返す。思考が筒抜けなのだろうか、それとも脳波で読み取ったのか。言葉で届けたい、その一心には向き合わないところがきっと博士の印なのだ。
「失敬、私語はここまでにしよう。
最後の項は、私の言葉で伝えさせてほしい。
結論から話す。神楽の魂には魘魅…ナノマシンウィルスが寄生している」
それは最悪の結論。
予め聞いていたとはいえ、そんな予感をしてしまった身としては、的中したことを呪ってしまう。
「単純な疑問を見落としていた。
江戸城で空想具現化の展開に巻き込まれた彼女は、どうやって正鬼から逃れたのか。避難してきたとき、『新八と子鬼に助けてもらった』と述べていたが、改めて考えればおかしい。
江戸の街を焦土にしてまで魘魅を探している魔王が、毛嫌いしている天人を見逃すだろうか。あの業火のなかを逃げ回ることが生身の人間に出来るとでも?
太陽も無い地上で、鳳仙自身が大幅に弱体化すると言った。初代が天人を英霊登録した影響だと思っていたが、空想具現化による弱体化の適用効果が天人にあることを否定する材料がない。
定春という大切な家族を探すこともせず、聞き回ることもなく、心配する素振りも見せない。強がっているから? 彼女はそんな無礼者ではない」
数千ある幹のなかから選りすぐった可能性。
これは考察の一部分だ。全ての敵味方に対して、散らばったピースを当て嵌まる理由を探し、自らの疑惑を晴らすために奔走してきたのだろう。やがて神楽だけが疑いを確信へと変えてしまった。
「とある確証を得るため、吉原に来てからの全員の就寝中の記録を見返すように初代に依頼した。
……神楽は眠っていなかった。
夜兎は眠らない種族かと鳳仙に聞いたが、答えは言うまでもないだろう」
───サーヴァントに睡眠は必要ない。
───魘魅が必要とするかも疑問だ。
「瞼は閉じ、身体を休めながら、脳波も眠りの周波を叩き出しつつ、眼球が働いていた。
英霊となった身だ、眠る必要はない。だが寄生先は生身、寝なければならない。魔眼で催眠をかけて休ませて、同時に、夜兎族の血を学習して蠱毒を準備していると私は予想する」
それが仇となったわけか。
…ということは、白詛は。
「宿っているだろうな。計測出来ないということは、魔眼が隠蔽しているに違いない。
神楽を殺せば、或いは魘魅を暴けば内側から飛び出してくる。私では彼女から魘魅を切り離すことが叶わない。拘束しようとも、向こうがどういう手段に出るかが分からない以上、野放しにするしかなかった」
恐ろしい結末を想像した。
道端で途端に気づいた時、強制的に終末が始まるかもしれなかったんだ。この戦いは、正鬼の眼を欺き、魘魅の裏へと潜み続けなければならない綱渡り。天才たちの頭脳がなければ、あっさりとこの世界は陥落したに違いない。
伍丸の判断はきっと士郎たちから得たものから出力している。なんで分かるかって、ここに居ると背景が色々と見えてきちゃうせいかな。僕たちと居た伍丸は、魘魅の魔眼対策用に作られたもので、裏事情を何も知らずにいた、とかね。これにも抗議したい…いや、深掘りしたいところ。
「どうあれ、神楽に寄生する蠱毒を最後に倒すように仕組む必要があった。衛宮士郎が来れば摘出は可能だが、刃が届く前に終末が吹き荒れる。
気が遠くなる難題をクリアしていき、こうして機は整った。無限製造される蠱毒を破壊した時点で、我々の勝利条件は満たされたのだ」
実に回りくどいものだった、と呟く伍丸は、人工知能マシン同士の熾烈極まる知能戦を制した達成感を噛み締めている。抑揚がないのに分かるのかって? 男が握り拳を作るんだ、ここでは他の意味なんて無い。
「藤丸立香。最後に君の力が必要だ。
彼方に戻ったら神楽の動きを封じてくれ。女神にも通じる呪いだろうと、彼女なら一晩寝れば回復する」
「…任せて。でも、神楽はどうなるの」
「娘の…芙蓉の友達だ。芙蓉を悲しませることはしない。後のことは衛宮士郎と、そして────」
最後の一歩に必要な名前を挙げて、激動の戦いの結末を教えてくれた。誤りが許されない代わりに、有り得ざる邂逅が果たされる奇跡頼りの論文。魂の専門家が見せた願いを叶えるために、この手帳は僕を選んだのだと断言する。
結論を聞き届けた瞬間、伍丸弐號が遠ざかっていく。呼び止める時間はくれないだろう。最後まで合理的に、家族想いの姿を見せようとしない恥ずかしがり不器用な博士へと、大きく手を振って別れを告げた。
▼
「空想具現化の展開直後、神楽と新八、そしてわたしは真っ先に捕まった。魔王化していた正鬼くんは、魔眼で全ての人類を視た瞬間に外へと飛び出して源外を手にかけた。この時には地球が掌握されて、星の触覚は魘魅の手中に落ちてたんだ。
あとは、あっという間だったよ。先ずわたしが城門に変えられて、蘇らせた仁鉄が新八に取り憑いた。神楽にコアが寄生したのは同時だったかも。
銀時の計画を知ったアイツは、神楽を逃して
意識が引き戻されると、羅生門の霧のもとに帰ってきていた。雨の降り始めに手を広げる挙動に近い感慨だ、幾らかは薄くなっている。悔恨を告白して、最後の仕事…魘魅の動向を詳らかに伝えてくれた。
「じゃあ、銀時の身体に入っていたのは…」
「魔神柱が寄生したんだよ。けど、主導権は魘魅にあったみたい、直ぐに魘魅が処分してた。取り返されることや、触媒になることを恐れてたっぽいね」
実は、薄々とそんな気がしていた。
思い返すのは、江戸城で銀時が正鬼を貫いたあとのこと。甲高くて気に触るあの笑い方は、命を掃き捨てる人外…フラウロスそのものだった。よそ様の世界に来てまで、最悪な役割に就かなければ気が済まないのか。…この溜飲は下げるしかない。彼の役目はあっという間に終わったというのだから。
「ひと通りのことは伝えたよ。ここを抜けたら江戸城の攻略が始まる。準備は出来た?」
「………いつも、覚悟する時間はなかった。そんな余裕、世界にも無かったんだ。
ありがとう、羅生門の霧。おかげで正鬼にも向き合えそう!」
「うん、どういたしまして。まあ此処のやり取り、神楽に寄生した魘魅を倒すためにやってるから、魔眼対策で封印しちゃうんだけどね」
ずっこける僕を揶揄っている、もしかしなくても悪い鬼かもしれない。そうに違いない。
「十界や仁鉄、正鬼くんは手強いけど、なぁんにも心配しないで。この国は強い、君たちは諦めていない。
記憶が忘れていても、魂はもう折れない。江戸はそういう国だからね」
あぁ、思い当たる人物ばかりだ。日輪や伍丸、剣は魂に宿るものを信じて今日まで生きている。その生命活動にはこっちだって充てられた。新米マスターが折れるわけにはいかない。
『……お願い、正鬼くんを。
………どうか、神楽を助けてあげて』
ありがとう。
過去の自分に重ねて、自分も感謝を告げる。
多くの想いによって紡がれた半年間に、必ず報いることをここに宣言して、其々の戦いへと駆け出した。