数秒の睨み合いを破ったのは、セイバーの低姿勢の踏み込みだった。ランサーの死角に入り込むように右へと潜り、槍の外側で勢いよく地面を踏みしめる。握り締める木刀は右手、木刀もまたランサーの死角にあるため、いつ振り出すかは、肩の初動でしか判別がつかない。
互いの武器は未だ交わらない。殺意によって濃縮された時間は、ひたすら初手の動きに、注目と想定に割かれていく。
「あの晩の借り、返させてもらうぜ」
目を離すことができない。何をするのか分からない。一挙手のブレまでもが未知の領域、一投足を見逃せばどれほど後悔するだろう。聖杯戦争初日、あのときの戦闘がまるでお遊びだったかのような違和感すらある。何も知らなかった世界、それでもこの場所は呆れるほど、底が見えない。
不安だ、セイバーの勝利を信じることしかできない不甲斐なさに、悔しくてたまらない。だから、一切の感情を表に出すことだけはしない。
セイバーの右肩が僅かに上がり、瞬く間の読み合いにそっと結末を渡す。
直後、真上に駆け上がる一線を目撃する。宙に放り上げんとばかりに飛び出した開幕は、ランサーの姿を砂埃もなく消していた。
思わず見上げそうになる頭を、強く引き止める。夜空には、星空が広がるばかりで、ランサーはそこにはいないと確信したからだ。
物理的な衝撃音が、木刀から出ていない。
目の前の出来事に頭が追いつくより先に、振り上げた木刀を半歩後方へずらして斬り落とした。
地面を抉るのかと感じたときにはすでに、紅い線が木刀と交わり火花を散らす。火の粉が舞い、その頼りない光がランサーの姿を捉える。
「そーゆーセリフ、流行んねーから」
両者の眼光が交じり、刹那の狭間。友好の意思をかなぐり捨て去った白い歯は、戦場の武器の如く意思を示す。お前を殺す、たった一つの生死のいろは。
その表現が合図だった。
木刀を押し返す矛先から力が抜け、地面へと押し込まれる直前。金属が泣く音と共に矛先は半円を描く。構わずに一歩、槍の間合いに逃すことを許さないと踏み込んだ。槍が意味をなさない距離で、刀の一撃が放たれるのなら、勝敗は言うまでもない。
ランサーの死角から突き出される木刀は、奥に立っている葛木が目を見開くほど鋭く、鮮烈なものだった。
「わざと手を抜いていたワケじゃあねーんだ」
雄々しさの欠けた姿勢なのに、緊張が緩くなる雰囲気ではなかった。だが、そうだとしても。こんなこと分かるはずがない…!
「戦闘すんなら初戦は様子見、必ず生還しろ。なんてくだらねぇことに令呪使われてたんだよ」
悠々と独り愚痴をこぼし、決着に思えたセイバーの一撃には重さがなかった。
背後へとその身を置くランサーが、槍を突き出した瞬間に空振りさせたのだと知る。いつ回り込んだのかすら見えなかった。
「こッ!」
振り向くことなく、セイバーは自身を地面へ叩きつけるように前転する。突き出された朱い槍が銀髪に触れて、やがて視線の先を過ぎていく。
右足を軸にして半円を描きながら木刀を振るが、ランサーの姿を捉えることはできなかった。はたから見ている俺でさえ、その姿はセイバーが横腹に回し蹴りをされた瞬間しか分からない。
地面を転がり、天地の判別をつけた瞬間に木刀を地面に突き立てる。刀身の半分が地面の中へと消えた木刀を蹴ることで、無理やり勢いを殺した。顔を起こすその先には矛先が迫り、勢いが止まる直前に狙いを澄ます。
「ッ」
朱槍が空気を裂き、淡く影を伸ばす先は夜空。
地面から勢いよく引き抜いた木刀の頭が、視認困難な矛先を押し上げた。一直線に来るように隙が生まれたことを逆手にとった。
「んの」
更に、セイバーはその朱槍を大胆にも握りしめた。
ごく僅かに発生した最速の英雄の隙間に、失敗のリスクをも押しつぶす。
どんな体勢だろうが、無理やりでも手数を出さなければ速さに翻弄されて負けるのは必然。五体満足でいられる今、攻めなければならない。
「止まりやがれ!!!」
セイバーの木刀が振り出される。
「そいつは無理だな」
ランサーは朱槍を手放すと、四肢を地面に着けてその一撃をかわし、起き上がる勢いで右足を真上へと繰り出した。懐に潜られて避ける術がなく、セイバーの左脇腹に閃光のような蹴りが入った。
酸素を吐き出しながら、朱槍が手から離れてしまう。
その蹴りは、殺すには決定打と呼ばないもののくせして。
「ガ──────ッ」
体勢を立て直したセイバーの口からは血液が逆流して、地面を赤黒く染めていく。
刀の間合いへと踏み込んでいたはずのランサーは、背後へ。そこでようやく、セイバーの脇腹を貫く朱槍の存在を確認した。
膝が悔しそうに笑っている。不意を突かれて納得がいかないのだと、地面に木刀を突き立てながら歯が抗議の音を立てる。
「セイ…」
すぐにでも飛び出したかった。
だけど。
俺の脳は、然るべき処理を終えていなかった。
「熱……」
眼が熱い。
身体の奥底から熱が伝わってくる。
たった一秒だけ、間違いなく俺の眼は見ていた。
ランサーの一挙手一投足、セイバーの背後に周る場面。
身体に自分の知らない器官が出来たみたいだ。
興奮に呑まれてか、症状は出ない。
普通じゃない。
「なんだよ、これ…」
戦場から一つ離れたところに立っているのに、気づけば両膝が地に着いていた。立ち上がろうとすると、激しい頭痛によって神経が暴れる。
心臓が熱い…。魔術回路になにかが流れてくる。…魔力だ、それ以外になにがあるというのか。だが、これはとてもじゃないが自分のものとは思えない。ありもしないはずなのに、まるで心臓に空いた穴を埋めるように魔力が心臓に覆い被さる。
「う…あぁぁぁッッ!!」
中からの痛みは、耐えられるものじゃない。抵抗する術を探すも、意識を断つこと以外思いつかない。
繰り返す、最速の男に追いつこうと頭の中で映像が流れ続ける。なんの映像かは分かる、戦闘だ。ランサーが目の前にいて、神速の槍がこちらを狙う。そして、悉く捌いてみせるのはきっとセイバーだ。
これはセイバーの視点だろうか、分からない。もっと身長が高い気もするけど、あまりの速さに脳が追いつかずに激痛が走っている!
雑音の中には、こちらに歩み寄る小さな気配もある。
これは、映像の音じゃない。すぐそこに、誰かが立っている。
▼
悶絶する叫び声によって、意識が醒める。
薄く視界が広がり、ゆっくりと首を持ち上げる。周囲には自分を避けるように瓦礫が山を成していた。小さな廃虚とはいえ、コンクリートが崩れ落ちていたらこの身体は動けなかっただろう。切り崩れるコンクリートを砕き、僕を隠すように蹴り飛ばしたセイバーには感謝したい。
かじかむ手に力を込めて身体を起こしながら、声のする方の瓦礫へと這い寄る。
「衛……宮……」
瓦礫の向こうで地面に這いつくばる衛宮の姿を確認した。そして、時間が止まったと錯覚する程、現状の悲惨さに驚いてしまった。
銀時は朱槍で貫かれ、片や項垂れている衛宮へと歩み寄るのは葛木。銀時に至っては、あと一撃で死ぬじゃないか…!
「んだよ、これ」
思い出すのは、ライダーが首を締め上げられて苦悶の声を漏らす恐怖。
キャスターの手のひらが迫り、次第に全神経が動かなくなっていく。遅延の毒のように、ライダーが脱落したあの日が無自覚のトラウマとして、慎二の身体にまとわりつく。
「あ、あぁ、あ…」
誇りが崩れ落ちる。
見えていた。こっちがなにかを仕掛けようとしたところで、葛木によって首をへし折られる光景だ。
「魔道書……どこだ」
恐怖を追い払おうと、辺りを見渡す。それは、すぐに見つかった。
英雄王の魔道書は瓦礫の山に埋もれかけており、一部分だけが確認できる。ここから手は届かない。取るまでに、確実に葛木に見つかってしまう。
「クソッ…!不意打ちも無理」
どうして、葛木に話しかけられたとき。僕は魔道書を背中から抜いたんだ。なんであのとき、ランサーは廃墟を壊しやがった…。
不運だ。偶然が悪い方向に重なって、千載一遇のチャンスを流そうとしている。魔道書さえあれば、気色悪い肉柱が葛木を八つ裂きにしてくれるのに。ライダーの雪辱を晴らせるんだぞ…。
「抵抗もせずに終わってたまるか…」
ここで立ち上がればどうなる。少しはあいつの気を引けるだろうか。それとも、構わずに衛宮を殺しにいくか。やらないよりかは、注意を引くことに賭けた方がマシに思える。
「ならばその道化をもって立ち上がるべきでは?」
「………ハ、僕の隣ってまともな奴が来ないよな」
こういうとき、僕の隣には決まってロクでもないヤツがいるんだった。
▼
熱に体調が犯されても聞き流すことのできない声で、近いてきた人物のことを知る。
砂埃も気にせず、慎二はおぼつかない足取りで瓦礫の山を後にする。
「待てよ、葛木」
場の空気が一斉に音を連れ去る。
あまりにも無謀。かえって警戒が強まる葛木を横目に、精一杯のメッセージを視線で送る。逃げろ、と。
慎二は策なんかありはしないのだ。あいつ、柄にもなく怒っている。あぁくそ、理由はあるにしたって、時と場所を考えろよバカ野郎…!
「……」
「ハッ…グ…ッやめ、ろ慎二……」
葛木の足先が地面をこする。
俺は、全身の熱から未だ解放されない。
「ハッハハ、お前みたいな殺人鬼が教師なんて可笑しいよ。だってそうだろ、ライダーを殺せるんだぞ。あり得ない、どうせキャスターの力を借りたに違いない!!」
慎二は感情をむき出しにして葛木を罵る。
そんなことをしたって、この状況は変わらない。
「魔道書さえあれば、お前なんか敵じゃないんだよ」
精神の奥底に流れては沈殿していくものを感じる。慎二へと向かう脅威とは無関係にしては、似たような殺意が全身を駆け巡る。まるで、ほんの数分前まで全速力で走ったかのように、身体が動いていた経験があるような気がする。
なんで、こんなときに身体は動いてくれない。どうして負荷がかかっている。邪魔くさい、この気だるさを取っ払うことはできないのか。
待て。そうだ、方法はあるじゃないか。
創るんだ、理想を。この状況を打破する、最強の…。
「おい!」
「慎二…?」
直立不動の姿勢で、俺の思考を邪魔するように慎二は叫ぶ。
「僕はさ、あのイリヤスフィールを倒し損ねた男だぜ?」
言葉の終わりと同時、葛木は地を蹴った。自然が響かせる風よりも小さく、針先のような鋭い進撃。油断はしなかったが、心の底では疑問に思っていなかったと聞かれると嘘になる。穂村原学園で顔を合わせていた葛木先生が、サーヴァントを倒しただなんて。
甘すぎた。重く受け止めていたけど、想定の遥か上を行くその初速を見て背筋が凍る。
「なんだよその顔、心配すんなって衛宮」
それなのに表情は一転し、慎二は笑ってみせた。
その言葉には言い表せない説得力がある。決して納得できないのに、俺はただ黙ってことの終わりを見届ければいいと思えてしまった。
…本当に、いいのか。魔道書なんて両手にすら持っていないのに、どうしてそう思える。
▷ダメだ、今すぐに投影をするんだ!
▶︎どうして、セイバーと被って見えるんだろうな。
………ほんのちょっとだけ、セイバーと出会った夜に今の状況を重ねている自分がいる。
危なっかしいヤツなのに、今まで見てきた慎二とは違って見えた。
「ヒヒッ。だから、可笑しいって言ったんだ。なんせお前からはさ」
慎二の態度が小さく、大きく誇張する。その威風堂々とした姿に疑問を抱いた。迫る葛木を前にして、突如落ち着きを取り戻す。いや、元から恐怖なんて微塵も感じておらず、今までが演技だったとばかりの飢えた視線。
慎二の背後に、身の丈以上の何かが現れる。
それが金棒だと分かったのは、ほぼ同時だ。
「ドロッドロの血の臭いがする。どうやればそんな両手になる」
「!?」
豪打が縦に炸裂していた。
葛木の身体の芯を捉えて地面へと叩きつける。砂煙が舞い上がる中、一瞬で飛び散った血の勢いがことの呆気なさを巧く再現していた。
身体の熱が冷めんばかりの衝撃。
これも魔道書のおかげか?
いいや違う。魔道書だっていうにしては力技すぎる。あれはもっと別次元のもの。そもそも、本当に慎二なのか?
「てめぇはァァァァァ!!!」
怒号と共に、砂煙の中に矛先が穿たれる。
刹那、無数の火花と共に響き渡る金属音。空気が揺れ、数回の地響きのあとに砂煙が四散した。
俺の疑問は、振り回される金棒と共に漏れ出ていた。疑問に疑問が重なっていることに気づくが、ランサーを相手に一歩も引かないその存在に目が離せない。
「あれは、一体誰だ…!?」
黒い着物が驚くほど似合う顔立ちは、死と隣り合わせの戦場とは無縁すぎる。少女だ、小柄な印象は現実と乖離しすぎていた。身の丈以上の金棒を片手に振り、ランサーの距離をものともしない。
槍の持ち手を絶えず変えることで距離感を翻弄し、槍の長さを均等に待ち左右から揺さぶる。小刻みに足取りをずらし、一度と同じ軌道を描かない槍捌き。
セイバーが追いつかなかった無限の攻撃に、気づけば全神経を注いでまで注目していた。なぜなら、その槍捌き全てを金棒を携えた少女は顔色一つ変えず、汗一滴もなく振り落としていく。
ランサーもそれは同じだが、さっきまでと状況が違う。
足を使っていない。背後に回ることもなく、少女の周辺から離れる素振りを見せない。
あれは、ランサーが少女に前に出てこられるのを嫌がっているのか…?
「あいつは外道丸。有り体に言や、鬼ってやつだ…」
口と脇腹から血を垂らしながら、息の荒いセイバーが隣にきた。その話は興味があるが、それよりもやることがある。
「セイバーッ、おい無茶するな!」
「そりゃオメーも同じだろうが。原因はバーサーカーの宝具だろ、イリヤに診てもらわなきゃ俺じゃどうしようもねーんだよ」
身体を支えると膝が笑い始めたじゃないか。強がっているのがバレバレだ。
俺の身体も熱が残っているけど、動けないほどじゃない。
「それより、退く準備だ。ありゃ俺たちのとっておき。やる気にムラはあるが易々とやられはしねぇよ。むしろ、主人を差し置いてランサーを倒しちまうかもな」
セイバーが予想した口調には冗談がない。
一際大きな金属音を鳴らしたかと思えば、次は無人街かと錯覚するような静寂が訪れた。繁華街のごとき賑わいは、外道丸とランサーの殺意によって床下へと逃げてしまう。
「マスターに成りすまして敵の不意を突く、そんな浅はかな考えはないんでござんしょ。だから随分と」
互いの武器が睨み合い、嵐のような災害が過ぎ去った直後。
「配慮のカケラもない動きだ。我が主人を追い詰めた速さが聞いて呆れる」
「馬鹿力がっ!」
金棒を両手持ちに変えた外道丸の一振りは、赤子の手を捻るかのようにランサーを押し飛ばす。
疑う余地はどこにもない。あの怪力がなによりの証拠。互いの一撃は相手を沈めるのに十分すぎる威力がある。外道丸という少女は、ランサーとの相性が良いみたいだ。なら、本当にここで決着するかもしれない。
両者の距離およそ六メートル。
「いいぜ。元より加減抜きだ、テメェにも借りがある。鬼だか川澄だか知らんが─────」
ランサーは矛先を下に構える。
濃ゆく、場を埋め尽くしていく殺意。二度見た光景に慣れることはなく、やはり心臓が麻痺してしまいそうな緊張感が内側から溢れた。
あれは、セイバーが阻止した真名解放。間違いなく絶命に至る朱槍は、魔力を纏いながら残酷に狙いを澄ます。
金棒を片手に持ち、矛先に
「あいつ、このままランサーの宝具を受ける気か!?おい、バカな考えはよせ!」
このまま黙って見ていられない。我慢にも限度がある。
だけど、踏み出した足は嗚咽の音で引き戻されてしまった。振り向くと、セイバーがうずくまり口から血を吐き出していた。
「グ、ぁ…ゴゥッ…」
「セイバー!?」
呪いの炉心は激しく滾り、割り込む隙間はどこにもなかった。
カラン、虚しい音が足元に転がる。四肢を地面につき、セイバーは木刀を手離して痛みに苦しんでいる。
「─────その心臓を穿ち、屍をもって返済させてもらう」
ランサーの放つ言葉に先ずセイバーが顔を上げて、釣られて勢い良く外道丸へと視線を向ける。
外道丸は笑いもせず、無垢な表情を貫く。
一度目のときの真名解放とは違い、容赦なく時が流れてしまう。
当然だ、元より彼女は真名解放を止める手段がないのだから。
「
もう間に合わない。ここから飛び出したとしても、無慈悲に流れる時間を思い知らされるだけだ。
あそこに割り込んで盾になることも出来ないのか。一か八か、行ってやろうと立ち上がったとき。右手を力強く握られた。
「外道丸にも、令呪は通る…‼︎」
勢い良く引き寄せてセイバーが呟いた言葉は、あの日の夜を思い出させてくれた。
『▷叫ぶんだ、避けろ!』
おぞましい魔力を朱槍に纏うランサーを前にして、セイバーを信じて呑み込んだ言葉。
なら疑うはずもない。ここが令呪の使いどころ、外道丸に命じるんだ。
「避け───」
外道丸の目を見た。簡潔な言葉、まして声をかけることすら許されないと感じてしまう。
いつこちらに視線を向けたのか分からない。ランサーと対面しているのに、真名を解放されているというのに、それよりも優先するべき抹消者を見つけたかのような殺意を向けている。
「ッ…ェッ!?」
咄嗟に口を閉じたとき、
「
朱槍を止める術はなくなった。
突き出された矛先は歪に捻じ曲がりながら、外道丸へ向けて迫る。朱く拡散する魔力のただ一点が唸り、死へのカウントダウンを刻む。
だが、違和感が多すぎる。速くはないのだ、想像していた以上に遅い。あれなら、さっきまでの槍捌きが圧倒的に相手を殺せる。
これは一体…?
疑問もよそに、外道丸は朱槍の魔力が放たれたのを確認して、軌道を掻い潜る。一瞬で両者の距離は縮まり、握りしめた金棒が振り上げられる。
振り下ろせば葛木同様の結末となる。勝負はついたも同然なのに、まだ朱槍の真価を俺は見てすらいない。だからこのまま終わってほしいと願ったとき、外道丸の後ろを過ぎる矛先が輝きだした。
朱い矛先は更に歪さを増す。元より突きの軌道ではなかったそれは、突如としてランサーの手元から再び放たれた。
「あ、あぁぁ…!!」
ゲイ・ボルグ。
呪いの槍、或いは投擲方法に能う名。異質な槍は多岐にわたる能力を持ち、突きに注目すれば歪に捻じ曲がり相手に突き刺さる。無数に枝分かれする、そして。刺された者は必ず死ぬ。
「こいつァ、避けられねーよ」
槍の内側は安全圏などではなかった。外道丸の目の前が眩く輝き、全力の一突きは無防備な胸へと再現される。
逸話が宝具として再現されるならば、己の全てを開示することの意味は言うまでもない。現在、未来にまで語り継がれてきたクー・フーリンの槍、ゲイ・ボルグの一撃。
それは、必中するための存在。
「バ───────!?」
朱い輝きは夜空に溶け込んでいく。
突き出す朱槍と、力なく地面へと向けられる金棒。
驚愕の声を漏らしたのは、目を見開いたランサー。
「贄を食らってすらないあっしの心臓を潰すなぞ、そこの銀髪が銀シャリに小豆をぶちまけるくらいに無意味でござんす」
魔力がガラス片のように散り散りとなる光景をよそに、外道丸は再度、ランサーの懐へと踏み込む。
「あっしの心臓を呪いで潰したいのなら、あっしを封印した術をまず上回ってからにしてほしいもんでござんす」
「ふざけやがっ──────」
それは意趣返しだろうか。
ランサーの突きを思わせるかのように、金棒の先端が空気を捻じ曲げながら繰り出された。台風のごとき唸りを上げる金棒は、ランサーの不意を突く形で胸部を叩き、遥か後方へと吹き飛ばしてしまう。
あっという間の撃退に、緊張の糸が切れてしまう。
絶対の一撃が通らなかった。
どうして、と言うことは許されない。
この鬼は、神秘に対する暴挙を繰り出す存在。
「それで、隠れて隙を突いてどうするおつもりで?キャスター」
「…」
外道丸の声に釣られて、数十メートルと離れた先に現れたのはキャスター。
目的も告げず、マントを翻したときにはもうどこにもいなかった。
「葛木とかいうマスターに化けていた、それだけの話でござんす」
本当だ、葛木が殺された場所には血溜まりもない。
「さて取り敢えず、一旦帰りますか。そこのワカメもついでに連れて行かねーと、主人に怒られちまいやすし、よろしいですね?」
「ハハハハ、好きにしろよ。もう疲れたわ。僕を間近で見るのって気持ち悪いなほんとに、もう勘弁したいね」
項垂れるセイバーを担ぐ外道丸。
崩れた廃墟からは慎二が顔を出す。
「本物…だよな。ていうか、まさか金棒を担げる?」
「あぁ?なに言ってるんだ、担げるぞ」
冗談、そう後付けする慎二と共にその場を立ち去った。
▼
「挨拶が遅れやした、あっしは外道丸。とある経緯で、この男と契約した式神でござんす。
とは言っても紙一枚を人質に取られ、ピンポン一つで呼び出される都合のいい女ポジション。どうぞあっしなんかに遠慮せず、各々好きに寛いでいてください」
「いや思いっきり寛いでるじゃん。お前さぁ、悲壮感マシマシなこと言っておきながら、人ん家で食卓の料理を蹂躙してんじゃねーよ!」
気づけば夜の十時を過ぎて家に帰った。
玄関ではイリヤとセラの冷たい歓迎から始まり、さらに桜が出てきたときは驚いた。外道丸は前々から桜の護衛をしてくれていたそうで、助けに来るためにここに預けたそうだ。
セイバーの姿を見ると火急に介護をしてくれ、その手際はプロ顔負けと言っても過言じゃない。
「いいんですよ兄さん、まだたくさんお料理はあります。こんなに気持ちよく食べてくれて、料理した甲斐があるってもんです。それよりもこの肉じゃが、私が作ったんですよ。お口に合うか分かりませんけど、食べてみてください」
「あ、おう……。ちょっと待て桜、僕は不自由なんてないぞ。箸だって持てるよ、それにゴロッとしたジャガイモは苦手でさ。食べたいようにするから、箸で掴んだジャガイモを口に入れないでモゴッ」
「ダーメ、本当は病院で安静にしてなきゃなんですから。家に電話が来たときは驚いちゃいました。心配したんですからね、あとでお話、聞かせてもらいますよ」
セイバーの使っている部屋で寝かせると、外道丸は皆んなを部屋から追い出してしまった。
荒療治になるから、そう言って三十分。一先ずは治療できたとのこと。
「セラ。はい、アーン」
「熱ッッッッッッ!!!リーゼリット、熱々のゆで卵を口に放り込むのをやめなさい!っていうかこれは、肉じゃがに入れる具材じゃないでしょうに!!??一体どこから持ってきたのですか!!」
「おでん、食べたかったから」
「先輩のお部屋にある家庭料理本を見たリーゼリットさんに提案を受けたので、頑張ってみました」
「貴女はメイドでしょう、仮にもよそ様のお家の所有物を盗み見るとは何事ですか!」
「イリヤと桜に説得されて、一緒に晩御飯を食べてる人のセリフじゃない」
いつ帰るかも分からない俺たちを、料理を作って待ってくれていたと言う。
迷惑を掛け過ぎた。
セイバーの過去を知って、願いを聞いた。
セイバーが背負っているものは、俺の知らない世界。そして大切な人たち。
一度逃げた俺には、セイバーの過去をこれ以上知る権利はないだろう。不思議な夢の中を漂って、気づけば夜になっていた。そんなの、言い訳でしかない。
慎二と話して、その苦悩を深く知った。
あれこれ考えるだけじゃダメだな。
少しでも役に立てるようにしておかなくちゃいけない。
「シロウ、シロウ。はい、アーン」
「いや俺は……あぁ、俺がする方ね。しょうがないな、ほれアーン」
イリヤの満面の笑みに釣られて、少しだけ心のコリがほぐれていく。
それでも今は、簡単な言葉を紡ぐことで精一杯だ。セイバーはまだ目を覚ましてくれない。目を覚ましてくれセイバー、あんたと一緒に食卓を囲みたいよ。
「…ごめん、ちょっとトイレに」
膝の上に乗ろうとするイリヤを退けて、静かに居間を後にする。
行き先はトイレじゃない。
早歩きでセイバーの部屋の前に着く。
「セイバー、起きてるか?」
返事はない。
当然とも思えるけど、不安は消えない。
真名解放はされていなくとも、ゲイ・ボルグに刺されたんだ。ゆっくりと休んでもらう方がいい。
ただ、顔だけでも見ていこう…。
ゆっくりと襖を開けた。
中では、セイバーが布団の上で寝ている。しかし、セイバーの周辺を覆うように結界のようなものが張っている。長方形のその隅には、まるでお祓いをするかのように札が貼ってある。
「心配せずとも、明日には目が覚めますよ」
「なぁ外道丸、これが治療なのか?なんか、セイバーを隔離しているようにも見えるぞ」
「勘がいいんでしょうね。これを見れば分かりますかね。我が
背後から現れた外道丸は、部屋の中に入るなり結界越しにセイバーの腹部を露わにする。
「なッッ!!!!なんだよこれ、セイバーの腹部を覆う黒い帯みたいなのは…」
ランサーに刺された腹部には、ドス黒く蠢くなにかが滲み出ようとしていた。
「セイバーから聞いたはずですが。これを知るなら、ついでにこれまでの聖杯戦争を振り返って話をした方が手っ取り早い。
この男の中身は、例えるなら
見ているだけで立ちくらみがしそうだ。セイバーが中に潜めているソレは、きっと人が触れてこなかった闇。まさしく、絶望…。
「ランサーが宝具を放つ直前を覚えていますか?距離を一瞬で詰める、あの不可解な動きを」
「あぁ、勿論だ。ランサーとの初戦で見たし、バーサーカー相手なら、ずっと撹乱してた。一体どうやれば出来るのか不思議だったよ
「あれは、この男が本来持つべきものじゃない。生前、似たようなことをやってはいましたが、宝具に昇華されず、スキルとしても段階が下がっているはずでやした」
速いとか、その次元の話じゃ到底理解できそうにない。
反則級なのは間違いない。
…だけど、今日はあの動きはやっていない。思ってみれば、どうして使わないのかが不思議なくらいだ。
「あれが、世界を滅びに向かわせている毒の末端だからでござんす」
「っ、なんだよそれ。意味、分からない」
「世界を救わんと足掻き続けた結果、世界を滅ぼした生命力と破壊力がスキルとして昇華された。死を望むはずが、死を拒絶してしまう。故に、絶対の一撃や圧倒的戦力差を前に、本人の意思に関係なく毒は身体中を巡る」
理解できない、そう思っていた謎に明確な解答が浮かび上がる。
「あれは一種の拒絶反応。セイバーは、己が時代に戻るためだけに、生前憎んだ毒を利用して聖杯戦争に参加してここまで生き残ってきたんでありやす」
確かに、宝具が関係している。
まさか、あれがセイバーの言う毒と関係しているとは思いもしなかった。
「これまでも、とくに英雄王を相手にして毒はセイバーの身体を酷使しやした。今やセイバーには、本来通るはずのない魔術だって容易く効いちまいます。
知っていますか、セイバーはステータスに振れる魔力の半分を毒に対抗するために充てていることを」
「聞いたこともない…。外道丸の言いたいことも分からないぞ、セイバーはあとどれくらいもつんだ」
「断言できる数字はあっしにも分かりやせん。ただ、魔力云々の話をしたところでもう遅い。毒は、もう外に溢れつつあるんです」
「セイバーは、それでも諦めていない!」
「さて、そこはあっしの知るところではないでござんす。ただ、セイバーが絶望を背負っているなら、マスターはあっしらの希望にござんす。この男の気を変えるのは中々大変な仕業でありやすよ」
その意味を、と小さく呟いて外道丸は続ける。
「あとは本人の口から聞いてやってください。あっしが語りすぎると、主人は退屈でまたいじけそうだ」
そして、最後に残した言葉には、まだ希望を捨ててはいけないという意味に聞こえた。
お久しぶりです、ひとりのリクです。
長らくお待たせしました。急ぎ足できたので、所々の描写が弱い部分があると思います。いつか、別の形で補足するつもりです。今はご容赦くださいませ…。
外道丸の実力が垣間見えたかと思われます。
銀魂でもさることながら、fateでの″鬼″という立場は総じて異彩を放っていますね。そして、鬼を討ち、或いは関わりを持つ人物も豪傑ばかり。
だから私もそれらに触発されて、外道丸を起用すると決めたときから、ただの雑用として終わらせるつもりはありませんでした。そしてようやく、今回に至ったわけであります。
独自解釈を含めた内容となります。この作品での外道丸は、よそでは通じないものと思っていただけると幸いです。
次話投稿は、早くて11/11(日)となります。
外道丸の設定を一部分、30話に続いて下記に公開します。
外道丸の対魔力は規格外(EX)となっている。
結野衆によって調伏されたことにより、式神としての規格に抑えつけている術式を上回らなければ、外道丸には一切の魔術・呪い、そのほか多岐に渡る神秘の干渉は学習されてしまう。
対魔力(結野衆)である。これは結野家当主の術式によって、拘束を緩めることが可能。緩めることで、神秘に対して幅広い抵抗を備える。本作でも、その描写があったりする。
また、結野衆の術式を上回った次には、外道丸本体の抵抗が発生する。そのときは本来あるべき性能に近づいていくが、魔力消費量も増加する。