警鐘が頭のなかで転がり落ちる。
志村 新八の生存に関して、その存在が必要ないとばかりに鐘は根元から錆び、朽ちた闇底へと消えていた。
村田 仁鉄。
立香はこの名前に心当たりがない。姓だけで言うなら、村田 鉄矢は銀時から送られた資料のなかに見ている。仁鉄は恐らく血縁者だ。
しかし、志村 新八の身体を乗っ取る理由が分からない。あれがデミ・サーヴァントでないことはマシュも理解している。本体はまるで協力する意志が見られないからだ。
「新八、アイドルのやり過ぎで頭でもイカれた?」
「魂が名乗ったのに肉体の名前を呼ばないでくれ」
「知ってるっつーの。無視されてるのが分からない?
他人の身体に寄生するくらい弱いなら、サーヴァント辞めたら?鉄子の親父さん」
「敢えて無視と…。兄妹共々世話になったのだ、君らには親近感を覚えていたんだが…仕方ない、無視出来ない話からするか。
新八君と私は利害関係の一致のもと協力している」
「利害関係ですって?」
「あぁ。人理焼却の回避、地球存続という大望だ。そのために私たちのもとへ帰ってきてほしい。
正鬼は君たち人類を助けたい一心で活動している」
「正史、こっちのサーヴァント関係なく殺しておいてよく言うわね。
それともなに、地球はサーヴァント一騎も受け入れられないっていうの?」
「江戸のサーヴァントは既に記録済みだ。彼らを維持する必要がないんだ、正鬼は。
更には、魔術王の差し金とも分からん者どもと手を組むことに警戒している。当然だろう、拷問もなしに退去させるのだから優しさすら感じるぞ」
「どこがよ。話し合いをすれば協力出来たわ。事実、テスラなんて魔力を吉原の電力に変換してくれた。スカサハは正気じゃない正鬼に立ち向かってくれた。
アンタの言葉は言い訳にしか聞こえないの。守る気があるんなら独りで突っ走るんじゃないってのよ」
「………耳が痛いな。然しだよ神楽君、君の案は地球に残された時間が1年もあればの話だ。荒廃したこの世界には、元より半月と維持できる余裕はない」
言葉を交わすのが途切れた。
誰が考えたか。いや、見ないふりをしていたのか。
無限の刻はこの世界にも訪れることはない。僕たちの未来が2016年までしかないように、正鬼にも似た現象が起きているんだ。
「仁鉄。お前の言い分では、人理焼却はまだ続いているように聞こえる。正鬼の空想具現化は人理焼却を避けるためのものではないのか」
「んん、そうさ。本調子じゃないから我々は相変わらず今際の路を彷徨っている。正鬼が毎日なんのために出歩いていたと思うんだ。まさかサーヴァントを殺すためとでも?
残された時間を使い、生存者を回収するためだ。
サーヴァントも人間も区別が付かなくなったせいで、結果的に地上は大惨事になってしまったが!」
「っ……。お前はなぜ夜の地上を出歩ける?あの炎はサーヴァントの宝具すら跡形もなく燃やすもの。耐えられるものではない」
「馬鹿め。それこそ喋る義理はないな」
流石に、夜、あの地獄のなかを歩ける理屈は教えてくれないか。手の内を明かさないのは当然としても……知ったところで真似できるとは到底思えない。
ここまでの流れなら答えてくれそうなものなのに。
「結局、探し者は見つからず。時間切れが先に来た。
正鬼は準備に取り掛かる。明日の日の入りと共に、新しい世界に切り替えるためにな。
私は仕事がひと段落したから、最後に吉原を拝んでおこうと思ったわけだ」
「新八、あんた馬鹿だけど江戸を傷つける人間じゃないと思ってた」
仁鉄の言葉を絶対とは言い切れない。立香にはまだ判断が出来なかったが、神楽は俯いてため息を吐くと。
「皆んなの街を壊すなら、責任を果たしなさい」
夜兎族の脚力で地を駆けた。
英霊ではない者が真っ先に飛び出した。飛び込む意味を知らないわけでもないのに……!思わず驚きに怯んだ一瞬、横からマシュも神楽のあとを追った。
背後の動きを察知しながら、神楽は前傾に振り切って大傘を仁鉄の眉間に叩きつける。込めた一撃に新八の身を案じた手加減は一切ない。
「私たちは誰一人として再現出来ない。死ねば終わる……だから精一杯、ギンギラギンに輝けるんでしょうが‼︎」
「はっはっ、迷わず潰しに来るか。だが甘めだ。
見た目に惑わされると苦労するぞ、小娘」
仁鉄は軽快に頬を弛めながら、物見遊山の姿勢を崩さない。空から降る大傘に本来の役目を与えるように、手元から一滴の雨が落ちていた。
「なっ、なあっ!?」
2つのことに驚きの声を上げてしまう。
1つは神楽の怪力。サーヴァントが地を砕く姿は何度と見てきたが、生の人間が踏み込んだ足で軽々と地を割るとは思わず。
「お前、どうしてビームサーベ流を!?」
「知っておるのか?どうだ、あんざりな彩りだろ」
2つ目、それは仁鉄の持つ柄から流れる流星。
眩い熱量を放ち、地上では…いや、現実にはあり得ない光景。宇宙の夢を掲げて吉原に降り注ぐ熱量。
混乱が疑問を拾い上げていく。
あの流星は仁鉄の剣ではない。担い方を知っているだけだ。そうでないと、神楽のあの悔しい表情は説明できない。
問題は、どうやって他人の剣を手に出来たか…。
「この剣は出力を上げられる。見てみたくないか?」
「お前ッ!!」
出力を上げる。この意味、ビームサーベルを片手にして言われては理解するしかない。
ビームサーベルの光度が一段階上昇する。それが出力を上げた合図だと分かるのに時間は必要なかった。
「させません!」
次に起こる惨劇を、割り込んだ大盾が仁鉄を突き飛ばして回避する。
マシュのリカバリーを絶賛したいのは山々だが、その余裕も僕が割り込める隙間もない。
仁鉄はぬっくと身を起こし、ビームサーベルを構え終えた。
「マシュ、来るぞ!!」
「はい!神楽さん、私の後ろから離れないで」
「えぇ、頼んだわ」
距離は約20メートル。全員が解っている。先ほどの紅桜と同じように、彼女たちがビームサーベルの射程距離にあることを。
予想ど真ん中、ビームサーベルを突き出した瞬間、針先のようにいりいりとした流星を放出する。
威力にして経験則からBランクの宝具に匹敵する。魔力放出としては高威力だが、
「今のうちだ」
ビームサーベルとマシュの盾が拮抗したのを見計らい、伍丸が回り込んで仁鉄の真横に飛び出した。
彼なら仕留める…まではいかなくとも、一度の衝突で仁鉄の解析はしてくれる。新八の身体になにが起きたのか分かれば、仁鉄と引き剥がすことも出来るはず。
僕は今のうちにマシュに近づいて、援護を───。
「バカな!?」
走り始めどきに届いた驚愕の声。
伍丸のほうに視線を戻して驚愕の意味を理解する。
縦に引き裂かれた機械の身体。
裂目に蔓延る白い火傷、宙に霞んだ流星。
仁鉄が隠していたビームサーベルで斬られたんだ。
「マシュくん、仁鉄が行ったぞ!!」
「えっ」
だが、理解を打ち砕く伍丸の警告に混乱する。
マシュを襲う流星はいまだ健在。然し、源流を見れば仁鉄の姿がどこにも無い。持ち手がいないのになぜ流星は落ちも暴れもしないんだ。ビームサーベルが自立してマシュを狙っているとでも言いたいのか。
「言っただろう。見た目に惑わされると苦労する、と」
悪い予想は見事に的中した。
大盾の端を掴み、戸を開くようにして仁鉄が無機質な音を押し付ける。大盾を退かすのでもなく、覗いて観察することを目的にしたようにのんびりと仁鉄は歩いてきた。
「この怪力はッ!?」
ビームサーベルを受けながらとはいえ、歯を食いしばって大盾を回そうとするマシュの両腕は震えるばかり。たった5本の指で抑えられているだけなのに、ここまでの差があっていいというのか。
新八の身体のはずなのに……人間の力じゃないだろ!?
「退けっ、この馬鹿野郎!!」
マシュの背後から神楽が大盾に負けず劣らずの傘を振り下ろす。しかし、仁鉄が腰から引き抜いた木刀が迎え撃つ神楽を呆気なく弾き飛ばした。
(どうする!?)
いま出来る選択肢は3つ。
令呪、ガンド、強化の魔術。
いや…ガンドはダメだ。間違っている気がする。
マシュの盾を受けて、傷ひとつないんだ。ただ頑丈なだけじゃ説明できない。
強化の魔術は論外。あの力差は礼装の強化でひっくり返せるものじゃないぞ。
なら、令呪しかない。
(いや、待て。そもそも────)
マシュを退がらせて、ビームサーベルはどうなる。
令呪による宝具の開帳は間に合わない…。
くそっ…一か八かでガンドを打ち込むか…!
「邪魔だ、わっぱ」
逡巡よりも長い自己問答の終わりがけ、ここまで動くことのなかった静かな夜が暴風を起こす。
マシュに振り下ろす一撃ごと、子供がおもちゃを放り投げるように鳳仙はその大傘で仁鉄を打ち放った。
続けざま、流星の脇を駆け抜け、発生源への一振りで微塵に化す。
「や、やはりすごい戦闘能力です。
ありがとうございます、鳳仙さん!」
「その調子が通るのは地下だけだ。地上でヤツらと戦えば一分と保たん」
轟々と黒い瞳でマシュを叱する。
正鬼と対峙して生き残ってきた重みに触れて、味方だと錯覚する身体が震え始めた。
「………慣れろ。この夜王を守れる程度にな」
「っ!はい、ご期待に添えるよう頑張ります!」
それも一瞬のこと。
マシュの満ち溢れる返事を聞いて、震えは自分の勘違いだと喝を入れ直す。
「私をまるで修行相手のように言ってくれるな。
こちらは我が作品にどこまで耐えられるか試そう」
「大人しく死んでおけ。
この夜王、見知った身体だからと手加減などせんぞ」
終わるはずの異常は僕の錯覚に過ぎなかった。
「死んでも死にきれん人種がいる。私がそうだ。
鉄に魅入られ、魂を込めて、鍛人は死後に完成する」
起き上がった仁鉄が次に取り出した剣。
吉原のなかでも光り艶ていた。その感想を胸に抱いた時点で異常だ。無機物が、有機物よりも肉体的な魅力があると謳ったようなもの。マシュはアレを前にして戦うというのか…。
「ふふぅ、未完成品だが美しいだろう?」
侵入早々こちらに乱暴な挨拶をしてきた紅桜は伸びるだけに飽き足らず、その面積を2倍以上に広げていた。
「デカすぎんだろ…!」
がらんと肩に担ぐ大剣。
いま、無機物にあってはならないものを見た気がする。生命に与えられる脈動、生暖かい鉄の吐息を。
「不出来なものを世に送る気はない。お前たちで試し斬りといこう。
かつて世に晒した紅桜と同じ過ちを繰り返さぬために」
仁鉄の言葉を意識の隅っこで聞きながら、初めて見る唸りに目を細める。
伸びる現象は聖槍で目撃した。
デタラメな軌道を描く技は何度も見た。
宝具そのものが変体する場面も見慣れたはずだ。
なのに、アレは脳が受け付けない。
人間を否定された気がしてしまう。この旅を侮辱している錯覚に襲われるから。
「鉄矢の紅桜が失敗作みたいに言うわね」
「そうとも言うぞ、寧ろ全肯定するさ。
紅桜の生みの親として…
いまの紅桜を直視するだけで寒気が身体中を走るのに、あれで幼体などと吐かす事実に生唾を飲んだ。
冗談はよしてほしい。わざわざ無機物のものを幼い……と愛でるのだ。これから先、成長を待ち遠しく想っていると暴露するようなもの。あそこから何を育てるのか想像できる思考回路はない。
「知らん。死ぬか
悪化する雰囲気を薙ぎ倒し、鳳仙が遠慮なく一撃を振り下ろす。
「死ねたならこうはなっとらんぜ?」
後ろから見ているだけで意識が飛びそうな死を、青年は嗤いながら歪な大剣で迎え撃った。
吉原の舗装路に亀裂が走る。2つの超常現象が衝突し、道を譲らなかった代償を建物の壁面が崩壊して肩代わりした。
両者はその怪力のみを使用している。仁鉄は大剣に備えているであろう能力を使わず、新八の身体で鳳仙に対抗出来ているなんて、誰の目に見てもおかしい。
「……なん、で」
死の一撃の次に唸る破壊の拳。その反射速度は大英雄ヘラクレスに匹敵する。
「速い、強い、そして生きている。老いが負けるほどの種族とは、宇宙は広いな」
仁鉄は感心しながら、軽々と大剣を振り回して目に捉えきれない迫力ごと破壊を押し退けてみせる。
鳳仙の拳を破壊と表現した程だ、無傷で済むはずがない。躱した仁鉄の頬は削れ、血肉が吉原の宙に舞う。普通ならこれで終わる。意識は落ちて、精神は鳳仙の暴力に屈し、目を覚ますや恐怖で気絶する。
だが、暴風のなか仁鉄は。
「新八君の身体を人質にするつもりはないが…。神楽君も止めはしないのを見るに、本当に傭兵部族だな」
臆するどころか動きが冴えてすらいる。
骨が砕けるはずの破壊力に傷ついた頬は…。
「な、治ってる?!」
肉が抉れ、血が垂れているはずの場所は綺麗なままだった。鳳仙も異常事態に目を細める。
それは仁鉄が狙い澄ましていた一瞬の隙でもあった。
大剣が大傘の真横を通り抜けて、鳳仙の喉元をひと刺し。それで…きっと大剣は本領を発揮するのだと理解して目を見開く。
「はぁ────っ!」
理解は僕の早とちりだった。
実際の目撃は大盾が円弧を描いて大剣から鳳仙を守ってみせた、マシュが奮闘する姿だ。
自分に戦闘の数多先を読む技術はない。
いま見えていた想像は想像じゃなくて…。
「あの人、まさかノーガード!?」
自分を守れるように、とは言ってたけど。
細工無しでやるのは度肝がありすぎるっ。
「これは驚いた!誤れば少女は自責に駆られ、心に枷を付けることになる。あの夜王とそこまでの信頼関係を築けたと?
太陽でもあるまいに…その目、既に焼かれたか」
鳳仙は己の身を守らず。会って半日の盾の少女に生死を委ね、自らは攻めに没頭する。
「あの小娘が太陽など百年早い…そう言うとでも?陽はそこかしこに上がる。ヤツの手下なら覚えているはずだ」
もう片や巨漢の暴威に屈せず。鳳仙が見せる隙に飛び込んでは大盾に阻まれ、空かさず飛んでくる破壊に即座に対応する。
分かる…きっとマシュも理解している。
鳳仙は独りでも仁鉄と戦い、無傷で七日七晩を過ごすことが出来ると。
仁鉄は謎の治癒力で新八の身体を酷使し、破壊の真髄を七日七晩味わい喰らえると。
暴力と破壊が暴れ倒す破砕機の最中、
(────マシュ)
大盾で自分の身を遮り、こちらに視線を送ってきた。彼女は少しも守りに徹する気はない。鳳仙と同じく、前に出ることで大切なものを守ろうとしている。
無言の言葉に、僕がやることを見定めて行動を開始する。
「知らぬということは…貴様、器に枷を嵌められずにいるな。それに、魂の侵食もまだだ」
「言っただろう、協力していると!」
吹き荒れる暴力に向かう僕に、伍丸が耳打ちをする。
「鳳仙の右斜め後ろに走るんだ」
「了解っ」
迷いはない。伍丸の言葉を信じて走り出した。
「協力関係にあるとほざくなら」
「っ────!」
人間の限界を無視した超絶軌道で斬り返す大剣を。
「その木刀を使ってみせろっての」
勢いに乗る寸前、横から割り込んだ神楽の傘が阻止する。
神楽の全力でも保って一瞬の静止だ。無論、鳳仙を前にしては致命的な差となる。
鳳仙の大傘が躊躇なく仁鉄の頭上から落とされた。アレは死ぬ。どう足掻いても、Aランクサーヴァントでも致命傷になりうる一撃だ。
「とっておきを易々と使うものか!」
鳳仙の特大の一撃を左腕で受け止めながら、仁鉄はそう答える。
骨が折れる重低音が聞こえた。その程度の被害で済んだ事実に、驚いても動きを止めることはない。
「アンタ頑丈すぎでしょ!?」
神楽の声を拒むように。
「ここまでか」
鳳仙の見定めを否定するように。
仁鉄は両腕にのし掛かる重圧を弾き飛ばし、右腕の大剣を握りしめた。
「はい、ここまでです」
「なんだと…」
鳳仙の背後から飛び出した盾の少女に気付いたのは、こちらの準備が全て完了した時だ。
走ってマシュに近づき強化の魔術を施して、2人が作ってくれた一瞬の隙にマシュが駆け込む。やったのはそれだけ。あとはカウンターの容量で狙い澄まし、マシュは右拳を握る。
「振り抜きなさい、マシュ!」
「やあ───────っ!!」
鳳仙の背後から昇る大盾を見上げる仁鉄。
人外の身体でも、物理法則に抗う工程に入れなければ避けも受けも出来ない。
「まるで太陽のような盾だ…!」
がらりちん、と。物理的に鉄を打ち砕く、6つの特異点のどれでも聞かなかった音が身体を芯から震わせる。
仁鉄の心臓を捉えた一撃は、後方に逸れていた身体を反抗する暇も与えずに殴り抜いた。そのまま正門のほうへ転がり跳ねて、人間らしからぬ跳躍音を撒き散らした。
「はぁ、は、あ……」
優しい彼女が後悔も、新八の身体を気遣う素振りも見せず。
荒れた息も整えずに顔を上げる。この時の反応を見て、手応えの意味を理解してしまった。
「逃げた……いや、視察を終えたか」
砂埃が消えた正門。
斬り掘られた壁面を見て、伍丸は告げる。
仁鉄は再び地上を通って立ち去ってしまった。
なぜ焼却される地上を移動出来るのか。
新八の身体を乗っ取った、サーヴァントではないなにか。
余りにも無責任な暴力は強大な力を見せつけて、村田 仁鉄という謎は未解明のまま立ち去ってしまった。
【ヒント】
仁鉄が神楽の名前を知っているのは新八経由ではありません。