ラブコメの定番、記憶喪失の回となります。
私の名前は高海千歌。
浦の星女学院に務める高校二年生。
私には、ずっと昔から想いを寄せている人がいる。
この想いを、いつか伝えよう伝えようと思いながらも早数年。
遠回しに気持ちを伝えようとはしているけど、意中のその人は決して気持ちに気付かない。
そして私も、そこでもう一歩踏み出せない。
気付けば、彼の周りには私より魅力的な女の子がたくさんいるようになっていた。
私が大好きな人。
だから、他の人が好きになったって疑問はない。
でも、やっぱりそれを黙って見てるのは苦しい。
もう、見てるだけじゃ嫌。
想いを。
私が数年に渡って持ち続けてきたこの想いを。
彼に、伝えよう。
鈍感なんて言葉では片付けられないほど人の気持ちに疎い彼だけど。
真剣な告白を誤魔化すような人じゃない。
心に決めてやってきたこの淡島神社。
彼…ハルくんを呼んだ時間まで、あと10分。
心臓が高鳴って、呼吸も落ち着かない。
初めてのライブより緊張してる気がする。
それでも、伝える。
もう逃げない。
スマホを見る。
時間まで、あと5分。
深呼吸をしたその時だった。
『ブーン、ブーン』
「うわあ!」
思わずスマホを落としそうになった。
着信が入ったのである。
電話相手は…志満姉。
「もう…なにさー、このタイミングで」
そう言いながら受信ボタンを押す。
「千歌ちゃん!?」
直後に志満姉のそんな言葉が入ってきた。
珍しく慌てている様子。
「はーい、私今忙しいんだけど…」
「あのね、落ち着いて聞いてほしいんだけど」
「何?どうかしたの?」
「ハルくんがね…」
「…ハルくん?」
思いも寄らない名前が出てきた。
だって、ハルくんはこれから私と会うんだよ?
今ここで、ハルくんの話題なんて…
少しだけ嫌な予感がし始める。
無言になった私に対して、志満姉はこう続けた。
「ハルくんが、交通事故に巻き込まれたって…」
「……………え?」
神様は。
いや、神様までもが。
私の想いを伝える事を邪魔したがるらしい。
※
「…………………」
視界に広がっているのは、白い天井。
俺がいるのは、多分どこかのベッド。
そう。
どこか。
ここがどこだか、俺には分からない。
場所だけじゃない。
状況も、時間も。
自分自身でさえも。
何一つとして分からない。
ひとまずは上体を起こし、周りを見る。
ここは…病院なんだろうか。
よく見ると俺の腕には点滴が刺さっている。
何も思い出せないが、とりあえず自分の身に何かあったのかと予想する。
もちろんその答えは出ないけど。
「…ナースコール、すればいいかな」
枕元にあったボタンを押し、看護婦さんを呼ぶ。
お医者さんと看護婦さんがやってきたのはその一分後くらい。
そして、診断を言い渡されたのは、それからさらに検査を経て数時間後だった。
「…記憶喪失…ですか?」
幾つかの検査の後、その結果をお医者さんから言い渡された。
この話を横で一緒に聞いているのは、高海志満さん。
どうやら普段僕がお世話になっている人のようで、今日も保護者代わりとして来てくれているらしい。
「はい。それも、どうやら局所的なもののようです」
「局所的…?」
「そうです。ハルさん、このボールペンの芯を出してもらえますか」
「え?あ、はい」
渡されたボールペン。
ノック式のペンで、当たり前だけど芯を出すことができる。
「はい。じゃあ次に、信号で止まれを示す色は何色ですか?」
「赤…ですよね」
「そうです。というように、日常生活に関する知識に関してはほぼ問題ありません。ただ、『人物』に関する記憶が抜け落ちてしまっているようです」
「それが、局所的な記憶喪失ってことですか?」
「そういうことです」
そういうことらしい。
確かに、さっき目が覚めた時もナースコールのことは普通に知っていたし、生活自体はできそうだ。
ただ、自分のことを含めて人の名前とか顔が全然思い出せなくなっている。
俺が何者で、普段一緒にいるような人まで思い出すことができないのだ。
後は地名や思い出。
人物つながりのためか、家や生活圏、また旅行で言ったような場所まで思い出せなくなってしまっている。
これはなんというか…
不思議な感じである。
「えっと…これは元に戻るんでしょうか…?」
「はい。あくまで一時的なものでしょうからね。事故の際に脳が強く揺すられて、言ってみればど忘れしている状態です。数日もすれば思い出すことができると思いますよ」
「そうですか。それはよかった」
横で志満さんがとても安心した表情を見せてくれる。
こんなに心配してもらえるとは。
「これに関しては、きっかけがあればより思い出しやすくなります。ですので、今日からは家の方で生活をすることにしましょう。幸い、体には異常もありませんでしたし」
そんなわけで、志満さんの車で俺の家に送ってもらうことになった。
送ってもらう途中、自分の身に何があったかをざっくり教えてもらい、おおよその状況を理解することはできた。
自分はどこかに行くために外を歩いていた。
その際交通事故に巻き込まれ、丸一日気を失っていたらしい。
とはいえ目立った外傷はなく、気絶してた理由は脳震盪が原因だそうだ。
記憶喪失もその延長で、お医者さんの言っていた通り生活していれば自然に思い出すことができそうとのこと。
「はい、着いたよ。ここがハルくんのお家兼お店だよ」
「これが…」
古びた…いや、歴史を感じさせるその建物。
お店の入り口に掲げてある、『淡布屋』の看板。
中に入ると、並べてある布や裁縫道具、その他雑用品の数々。
そして、奥に見える少し大きな木製の机と椅子。
「そこに、いつもハルくんがいたんだよ」
「ここに…ですか」
「うん」
何かに導かれるように椅子に座る。
記憶を思い出すことは、さすがにない。
でも、とても落ち着く。
頭が覚えていなくても、ここが僕の居場所ということを体が覚えているようだ。
「ハルくん、普段はそこで人と話してたり読書したり、外の女子高生を眺めたりしてたんだよ」
「………え」
いやいや、ちょっと待ってくださいよ。
「………ここ、仕事場…ですよね?」
「そうだねー。でも、仕事のためにそこに座ってるって感じではなかったかなあ」
「………女子高生を…見てた?」
「うん。それはそれは楽しそうにね」
「……俺、なんのためにここにいたんですか?」
記憶を取り戻すことに若干の抵抗が湧いてきた。
いや、普段はバリバリ仕事をして、ほんの時々癒しを求めていたんだろう。
そういうことにしとこうじゃないか。
…それでも女子高生眺めるのはどうなんだろう…。
そんな疑問が頭をよぎった時だ。
唐突に店の扉が開かれた。
『バッタアアアン!ガランガラン!』
扉の所にあるベルが、これでもかというくらい鳴り響く。
…お、この景色はなんだか見覚えがある気がする。
扉を開けたのは、橙色の髪をした女の子。
髪を片側だけ三つ編みで留めていて、なんとなく志満さんと近い雰囲気を感じさせる。
肩で息をしながらやってきたその子。
どうやら走ってきたらしく、汗もかいているようだ。
「志満姉!ハルくんが帰って来たって本当!?…って」
声をあげていたその女の子と目が合う。
どうやら僕の知り合いらしい。
「ハル…くん?」
「えっと…ただいま…でいいのかな?」
「ハ…ハルくうううううん!」
「ぐええ!」
思い切りこちらに突っ込んできた。
なんでだろう。
こんな光景もデジャヴを感じる。
…記憶を失う前の僕、どんな生活をしてたんだろうか…
何はともあれ、まずはこの子に事情を説明するとしよう。
心配してくれてたみたいだし、きっとそれなりに仲のよかった子のはずだ。
「ええええ!?記憶喪失ううう!?」
目の前の少女、高海千歌ちゃんが叫ぶ。
本人の要望で、彼女のことは千歌ちゃんと呼ぶ事になった。
あと敬語も禁止された。
「じゃ、じゃあ、私のことも覚えてないの…?」
「えっと…その、申し訳ないけど…」
「あー…そっかあ…そっかあ…」
明らかにテンションが下がっていく千歌ちゃん。
忘れられたことにだいぶショックを受けてしまっているようだ。
いくら記憶を失っているからって、女の子を悲しませるなんて男のやることじゃない。
ここは何でもいいから声をかけなくては。
「千歌ちゃん!」
「ふぇ!?」
千歌ちゃんの手をとり、彼女の目を見て言葉を繋ぐ。
「今は君の記憶はないけど、必ず取り戻すよ。だからそれまで待ってくれるかい」
できる限り真面目な顔で彼女に言う。
言って目をじっと見続けていたら、顔を赤くし始めてそっぽを向いてしまった。
「…そ、その、とりあえず手、放してもらっていい?」
「あ、ごめんよ」
「…女誑しっぷりが普段より上がってる気がするよ…」
なんの事かはあんまり分からないけど、さっきよりは元気が出たようでなによりである。
「あ、せっかくハルくん戻ってきたんだし、みんなにも教えてあげなきゃ!」
「みんな?」
「うん!Aqoursのみんな!」
「アクア…?」
「そうだよ!えっと…細かい説明は後でするけど、ハルくんが仲良い人たちだよ!」
「なるほど。確かに記憶を取り戻すきっかけになるかもね」
「うん!ここだと狭いから…部室に行こう!」
そんな会話の末、Aqoursというグループの部室に向かう事となった。
その際、志満さんは美渡さんという方にも連絡をすると言ってお家の方へ帰って行ったようだ。
部室で待つ事数分。
その間に、Aqoursというグループについてお話を聞いた。
Aqoursというのは、千歌ちゃんの所属するスクールアイドルグループであること。
そのメンバーたちと俺は交流があるらしく、仲も良好であるという事。
「…まあ、良好って程度にしか考えてないのはハルくんだけなんだけどね」
「?」
その一言はどういう意味かは分からなかった。
そんな時だった。
「千歌ちゃん!ハルくんが戻ってきたって本当!?…って」
「えっと…こんにちは」
一番最初にやってきた女の子。
肩ぐらいの長さの髪を揺らしてその子はやってきた。
この髪の色は…ミルクティーグレージュって言うんだったかな。
いや、ミルキーゴールド?
「ハ、ハルくん…?」
「そうですね。すいませんが、まずは自己紹介から…」
そこまで言った時だ。
前触れもなくその女の子がこちらに飛び込んできた。
「ハルくううーん!」
だが、今回は千歌ちゃんの時とは違う。
念のためを思って身構えていたのだ。
今の俺なら、女の子の一人や二人、受け止めてみせるさ。
「よかったああああああああ!」
「ぐえええ」
やっぱ無理でした。
想定を遥かに上回る力で飛び込んできた。
その後、続々とAqoursのメンバーたちがやってくる。
そしてその度に彼女たちのありがたい突撃をこの身で受け止めるのであった。
「「「「「「「「記憶喪失ー!?」」」」」」」」
本日何度目かの反応。
まあ珍しい例だよね。
「…でもいつもと様子が変わりませんわ」
「本当に記憶ないの?」
「残念ながらね」
「記憶がないっていう演技…はハルには無理ね」
「そんな大きな嘘、ハルにはつけないよねー」
「信用があるみたいで何よりだよ」
「いや、そういう意味じゃないわよ」
普段の俺は嘘を付かないらしい。
いい事じゃないか。
全員の名前を覚えるため、自己紹介をしてもらった。
思い出せたという事はないが、それぞれの名前がすんなり入ってくる。
俺にとって思い入れが深い名前なんだと感じた。
ちなみにこの子たちにも敬語は禁止された。
しかし揃いも揃って美人揃い。
またとんでもない交友関係だと自分に感心してしまう。
「申し訳ないんだけどね、記憶を取り戻すのに協力してくれると助かるよ」
そう言って頭を下げる。
それを見て、彼女たちはなんだか複雑そうな顔をしている。
「それはもちろん協力するけど…」
「記憶喪失になった人って、普通こんな感じなの?」
「もっと性格が変わるイメージだったずら」
「そうなのかい?というか、俺の性格は変わってないんだね。自分では分からないよ」
「うん。まんま普通のハル」
「へえ。性格が体に染み付いてるんだね」
「…鈍感まで染み付いてなきゃいいんだけど」
「急に敏感になられてもこまるけどねー」
「なんの話かな?」
「気にしなくていいですわ」
「それよりこれからどうするか考えましょう」
「普段はこっちが甘えちゃうし、今回は私たちに頼ってね!」
「ありがとう。助かるよ」
彼女たちを見渡し、もう一度頭を下げる。
見渡して表情を確認すると、全員から優しい雰囲気を感じる。
記憶を失う前の自分は、この子たちとどんな友好関係を築いていたんだろうか。
ふと、そんなことを思ったのだった。
『ザザーン ザザーン』
防波堤に座り、水平線に沈んでいく太陽を眺める。
Aqoursの子達との話が終わり、その帰り道にこうして海にきたのである。
明日から一日ずつ、彼女たちとお出かけすることになった。
各学年の3人組と一緒に街を見て周ることで、記憶を取り戻すきっかけにしようとのこと。
右も左も分からない自分にとって、これはとてもありがたい。
でも、先ほどから感じていた疑問がますます強くなってきた。
彼女たちと俺は、どんな関係なのか。
ただの友人として、あんなに好意的にしてくれるものなのか。
それとも…
「やあやあ、ハルくん」
考えている途中、後ろからそんな声がかかった。
振り向くと、そこには一人の女性がいた。
女の子ではなく、女性。
その見た目は、志満さんよりはっきりと千歌ちゃんに似ている事を思わせる。
「えっと…こんにちは」
「記憶喪失なんだって?あ、私は高海美渡だよ。千歌のお姉ちゃんね」
「あ、やっぱりそうなんですね」
ニカっとした笑み。
しかし、なぜだかこの人には勝てないと、記憶のどこからか聞こえてくる。
「調子はどう?」
「体調自体は良好です。精神的にも不調は特にないですね」
「そっかそっか。それはよかったよ。記憶は戻りそう?」
「それはなんとも言えないですが…まあ戻したいとは思います」
「そうだねー。千歌たちも、やっぱ思い出して欲しいだろうしねえ」
「ああ、その事なんですけど、一つ聞きたい事があって」
「聞きたい事?」
「そうです。…俺とAqoursの子達って言うのは、どういう関係なんですか?」
「ほうほう。というのは?」
「うーん…なんというか、優しすぎるというか…自分の自意識過剰出なければ、あの子達の好意は友情以上の物を感じます。あの中の誰かと、自分は何か特別な関係なのかな…と」
それを聞いた美渡さんは、一瞬ポカンとしているようだった。
しかし、すぐにその表情は笑いに変わっていき…
「とく…べつ…く、くくく、あはははははははは」
爆笑し始めた。
「えっと…何かおかしなこと言いました?というか、やっぱり間違ってました?」
「いやいや、むしろ逆。ハルくん、記憶ない方が敏感なんだねえ。く、くくく」
「敏感?」
そういえばAqoursのみんなも似たような事を言ってたな。
「まあそれはいいや。そうだね、実はハルくんはAqoursの子達と特別な間柄なんだよ」
「特別…ですか?」
「そうそう。いやー実はね、ハルくんは…」
「はい」
「Aqoursの子達全員と、恋人としてお付き合いしてるんだよ」
「………………………………え」
え。
は。
いや。
うそ。
…………………………………………………
「えええええええええええええええええええ!!??」
記憶喪失よりも遥かに驚くのであった。
ご視聴ありがとうございました。
まずは今回のお話はkyoheiさんからアイディアをいただきました。
この場を借りてお礼申し上げます。
おおまかなプロットは考えてますが、何話で終わるかはまだ未定のお話です。
が、シリアスはほぼないので気軽にお付き合いください。
それではなにかありましたらお願いします。