この盾は、あの熱量からもわたしを護った盾だ。
わたしはゲーティアに向かって盾を掲ける。
「後は貴様を殺し、残った英霊どもを退去させるだけだ。すでに貴様の
ゲーティアの身体からは赤い光が怒りを表すかのように立ち上っている。宝具を使うつもりだ。
「助けを請え、嬌声を上げろ。苦悶の海で溺れる時だ。それが貴様らにとって唯一の救いだ」
周囲の空気が震える。びりびりと振動しながらゲーティアのほうへ気流が流れていく。──来る。わたしは前を睨みながら、盾の持ち手を握り直した。大丈夫だ。この盾なら絶対に大丈夫だ。盾を握る手が震えているが、恐怖はなかった。
「我が偉業。我が理想。我が誕生の真意を知れ。この星は転生する! あらゆる生命は過去になる!」
光が一点に集約する。そして弾けた。視界が白い光で覆われ、そして凄まじいエネルギーが襲い掛かる。
「うああああああー!!」
わたしは全力で盾を掲げた。盾を経由して激しい振動が身体をかき回す。一瞬でも油断すれば吹き飛ばされてしまいそうになる。歯を食いしばって足を踏ん張る。負けられない。この盾に対する信頼は揺るがない。もうあいつに先刻までの力はない。この盾ならば必ず耐えられる。
「あああー!」
ずりずりと地面を擦って後退する足にさらに力を入れる。暴れ回る風の音で耳が潰れそうだった。全身が痛い。体力をすべてもぎ取られそうだ。怖い。少しだけ怖い。少しでも心に迷いが生まれたらそれだけで負けてしまう。それが怖い。
───マシュ……。
この怖さは、マシュがずっと感じていたものなのだ。この怖さはマシュが乗り越え続けてきたものなのだ。マシュの強さを感じた。マシュの想いを知った。わたしは今になってマシュの本当の強さをこの身で知ったのだ。
「ぐうぅぅ…」
宝具の圧力に、盾ごと身体が後ろに下がっていく。押し負けている。嫌だ。負けられない。絶対に、負けたくない──! マシュ。マシュはどうやってあんなに強くあれたのだろう。本当は普通の女の子だった彼女の、どこから強さが生まれてきたのだろう。
『先輩。もう一度、手を握ってくださいますか?』
儚くも強い眼差しでわたしを見たマシュの顔が思い浮かんだ。ああ、そうか……。マシュは、マシュは──。
目の端に涙が浮かんだ。身体は少しずつ後退させられている。今わたしは一人だ。それでも、それでも……。
「負けられないんだーーー!!」
頭を下げて、足を前後に大きく開いて踏ん張りながらわたしは叫んだ。しかし抵抗もむなしく足が宙に浮く感覚がした。
──ああ、ダメなのか。このまま吹き飛ばされてしまうのか。
そう思った時だった。浮きかけた身体が支えられ、足の裏でもう一度強く地面を踏む感触がした。盾を持つわたしの手に、黒い皮手袋をした大きな手が重ねられる。背中が暖かさで包み込まれる。
「…………!!」
微かに煙の香りを感じた。その瞬間に思わず泣き出してしまいそうになる。
「なにを呆けている! 歯を食いしばれ。顔を上げろ! それでも俺の
「わかってる! やってるよ!」
こんな時なのに、彼の叱咤に笑みが込み上げてきた。応えた声に喜びが混じる。触れた場所から直接伝わってくる温かさがわたしの中に浸透して、その温かさがわたしの身体の奥底から指先までを奮い立たせていく。ドクターやカルデアの人たち。駆けつけてくれたみんな。みんなの顔が思い浮かんだ。そしてマシュ。頭に浮かぶマシュの姿が、そのマシュの背中を、わたしはとても美しいと思った。
「うぉああぁぁーー!!」
全力で盾を掲げる。やがてその圧力は無くなり、ゲーティアの宝具を防ぎきったことを知った。
「見事な盾だ。あの攻撃を受けてもなお、おまえに傷一つつかせぬとは」
「……来て、くれたんだ……」
振り向いたわたしは絶句した。現界を保ってはいるが、身体の末端からは黄金の粒子がちらほらと浮かび上がっていた。消えかけている。ぎりぎりの状態でここにいることを一瞬で理解した。盾から手を放したアヴェンジャーが、崩れるように片膝をつく。力のない身体とはうらはらに、彼の顔には不敵な笑みが浮かんでいた。
「フン。おまえの知り合いは、余計な気を回すヤツが多すぎるな。──だが、まあ、奴の吠え面を見るのも復讐の醍醐味だ」
「ふふっ……」
その言い草に、泣き笑いが浮かんだ。彼に身を寄せたい。それでも今は、やらなければならないことがある。
わたしは盾の脇に立って、ゲーティアと改めて対峙した。ゲーティアはわたしの後ろのアヴェンジャーに目を向ける。
「貴様は……。ふん。裏切り者がよくも顔を出せたものだ。だが貴様が来たところでもう遅い。消えかけのオマエでは何も出来ぬ」
「フッ、相も変わらずつまらぬ奴だ。俺も怨念なき者に用はない。自らの矛盾にいつ気付くかと思っていたが……、どうやら貴様ではそこに到達できぬようだ」
「矛盾……? 私に矛盾だと? なんのことだ?」
「さあな! ここで俺に倒される貴様には! たどり着けぬ答えだ!」
「戯れ言を!」
ゲーティアが構える。ゲーティアの両手が妖しげに光りはじめる。
「マスター!!」
「ええ!」
わたしは右手を前に掲げる。手の甲に刻まれた紋章に魔力を集約させる。
「立て! 巌窟王! 未来を取り戻す!」
「ああ! 存分に俺を使うがいい! お前のために! 奴を葬りさってやろう!」
令呪が1画消えたと同時に、アヴェンジャーはゲーティアに躍りかかった。同時にゲーティアの腕から無数の光弾が飛散する。アヴェンジャーは身を捻りながらゲーティアへと近づく。躱しきれない光弾がいくつもアヴァンジャーの身体を打ち付けていく。傷つきながらゲーティアに近づいたアヴァンジャーは両手に纏わせた炎をゲーティアに叩き付ける。
「ぐぬぅっっ!」
ゲーティアは一度後方に飛び退いて、両手に集約させたエネルギーを一直線にアヴェンジャーに向けて放った。アヴェンジャーは肩口を僅かに焼きながら、ぎりぎりのところでそれを躱すと、ゲーティアに飛びかかる。速すぎる動きは軌跡だけを残して、何度もゲーティアにダメージを与える。ゲーティアが光弾を至近距離で放つと、アヴェンジャーはいくつかを受けながらも横に飛び全弾直撃を避けた。
「効かぬ。効かぬなァ! 恩讐なき力なぞ俺には届かんぞ!」
「何故だ。何故私の邪魔をする! 貴様は私と同じくこの世を憎んでいたはずだ! 同じくこの世に怒りを持っていたはずだ!」
「ああ、憎んでいるとも! 悪辣な世界を! 人の世の悪逆を! だがそれは世界そのものではない!」
「何が違うというのだ!」
ゲーティアはエネルギーを帯状にしてアヴェンジャーに放った。アヴェンジャーも自身を構成する怨念をエネルギーの固まりに変えてゲーティアに向けて打つ。二つの力が中央でぶつかり拮抗する。
「自らに問えばどうだ! 何故俺に碑を作らせた! 何故俺を選んだ!!」
力の行き場を失った二つの力が中央で爆発し、はじけ飛んだ。視界が眩しい光に包まれる。その光の中でアヴェンジャーはゲーティアに向かって跳び、その拳で殴りつけた。
「貴様は! 我が姿に何を見る!」
「小癪小癪小癪ぅぅ…!」
ゲーティアの身体から赤い光が立ち上る。あれは何度も見た。宝具を使わせるわけにはいかない。わたしは右手を掲げ2画目の令呪を使用する。
「令呪を持って命じる! 巌窟王、宝具を!」
「承知した!」
ゲーティアが宝具を起動する。同時にアヴェンジャーも宝具を展開する。
「うぉぉおおおお!!」
二つの宝具が間近でぶつかる。わたしは衝撃に耐えるため盾を掲げる。盾の向こうで光が炸裂する。暴風が吹き荒れ、轟音が鳴り響いた。凄まじい衝撃波が襲ってきて、地響きの中でわたしはただそれに耐えるしかできなかった。
長い時間に感じた。暴風が止み、静けさがあたりを支配する。わたしは盾から飛び出して様子を窺った。傷だらけになって膝をつくゲーティアがいた。血まみれになって地に両手を付けるアヴェンジャーがいた。わたしの両の目から涙が溢れてくる。アヴェンジャーがわたしを見る。彼の目が決意を持ってわたしに意志を伝えてくる。わたしは頷き、もう一度右手を掲げた。
「重ねて命じる……」
涙が止まらない。次から次へと溢れ出てくる。それでもわたしは言葉を続けた。
「巌窟王。もう一発、ぶちかませ……!」
「クハハ! そうだ、それでいい!」
アヴェンジャーの身体から魔力が立ち上る。ふらつきながらも彼は立ち上がり、──そして跳躍した。
「我が征くは恩讐の彼方───」
彼は駈ける。人の世の悪を人類ごと消し去ろうとしたゲーティアに、その恩讐をもって立ち向かう。時間と空間を超えて、人間たちが積み重ねた怨念を幾度もゲーティアにぶつける。わたしは祈った。この怨念がゲーティアに届けとなぜかそう願った。そして彼はある限りの力を、ゲーティアに打ち付けた──。
* * * *
「……もう終わりだ」
わたしはゲーティアに告げた。一目で終わりとわかるほど、ゲーティアは傷ついていた。ぼろぼろになったゲーティアは、敗北が認められずに自問自答していた。
「何故だ……、何故だ……」
ゲーティアはわたしを睨み付けると、最後の力で立ち上がりわたしに近づいてくる。後ろでフォウフォウと警告を発する声がする。わたしはマシュが遺した盾を持ち、ゲーティアに向き合った。
ゲーティアは腕をあげ、わたしに向かって振り下ろす。わたしはそれを盾で受け止める。何故、何故と問いかけながらゲーティアは何度もわたしに向かって腕を振る。わたしはその全てを受ける。
「くっ、まだまだぁっ」
ゲーティアの攻撃に怒りはなかった。怒りではない激情をわたしは感じていた。その激情を盾で受け止める。なぜ戦えるのかとゲーティアはわたしに問うた。そんなの考えるまでもない。
「決まっている……! 生きる為だ──!」
そしてわたしは、盾を振り上げ、思い切りゲーティアへと打ち付けた。
「生きる為……、生きる為だと──。はははは。はははははははははは!」
わたしの答えを聞いて、ゲーティアは満足げに笑い──、そして消滅した。
「終わった……?」
ゲーティアの消えた空間を見つめながら、わたしは盾を地面に突き刺す。そして慌ててあたりを見回した。玉座へと続く階段の下にアヴェンジャーはいた。地面に座り込んで身体中から黄金の粒子を立ち上らせていた。
「アヴェンジャー!」
わたしは叫びながら彼の元へと駆け寄り、アヴェンジャーの前で膝をついて彼の顔を見る。アヴェンジャーはわたしに向かって、いつもより優しげに不敵な笑みを浮かべた。
「よくやった」
「うん……、うん……」
わたしは何を言えばいいのか解らず、ただ頷いていた。
轟音とともに地鳴りがして、それから地面が揺れた。ゲーティアを倒したことで領域が崩れ初めている。空間を切り裂くようにダ・ヴィンチちゃんの緊迫した声が聞こえてきた。
『よし、通信が繋がった! 玉座の崩壊を確認した。喜びを味わいたいが時間がない! 空間の崩壊が始まっている! 今すぐカルデアに帰還するんだ!』
張り詰めたダ・ヴィンチちゃんの声が一刻の猶予も許さないことを示していた。わたしはアヴェンジャーを見る。行かなければならない。……でも。
『急いで! ……って、ん? その彼は廃棄孔の時の───あっ!』
アヴェンジャーの手がわたしの後頭部にまわって、そしてそのままぐいと引き寄せられた。
「─────っ……」
わたしは目を見開く。頬にアヴェンジャーの髪が微かに触れた。近くで煙草の香りがした。少しだけ血の味がする。遠くでダ・ヴィンチちゃんたちの甲高い悲鳴のような声が聞こえた。
アヴェンジャーはゆっくりとわたしから顔を離す。
「少しは保つだろう。“必ずカルデアに戻る”……だろう?」
「うん……」
わたしはただ頷いた。指先で自分の唇に触れてみると、少しだけそこは濡れていた。
「おまえを抱えて跳ぶほどの力はないが、送り届けるくらいはしてやろう」
アヴェンジャーは立ち上がると、わたしの腕を掴んでわたしを立たせる。
『問い詰めたいことはたくさんあるけども! ともかく急いで! 込み入った話は、その後で!』
「フォウフォーウ」
「行くぞ」
わたしは一度、マシュの盾を見た。盾はまるで神聖な墓標のように鎮座していた。その姿に迷いがなくなって、わたしはカルデアを目指して駆け出した。
走る。走る。出口に向けてとにかく走った。横を走るアヴェンジャーにちらりと目を向けると彼もこちらに視線を寄越した。少しでもいいから何かを話したい。だけど、これが最後の会話になるのかもしれないと思うと、何を話せばいいのかわからない。わたしの心境を察知したのか、アヴァンジャーのほうから話しかけてきた。
「らしくない顔をしているな。奴を打ち負かすほどの女がどうした」
揶揄するような口調で彼はいう。初めの頃はわからなかった彼の気づかいが胸に染みる。わたしもそれに応えるために彼に笑ってみせた。
「そんなことないよ! ……ねぇ、ゲーティアって人間のこと好きだったよね?」
「ほう……。なぜそう思う」
「心底憎んでたものに碑なんて作るかな? 無くなったものをずっと忘れないようにするためのものでしょう?」
「フ……」
アヴェンジャーは答えずにただ口角を上げた。ゲーティアは“自らを新しい天体とし、この惑星を創り直す”と言っていた。わたしはその時、ティアマトのことを思い出していたのだ。
「歴史とは残した痕跡から後の世の人間が語るものだ。奴が何を思っていたのかなど、カルデアに戻ったら生きているもの達で好きに受け取るがいい」
アヴェンジャーの言は、その中に自身を含んではいない。わたしはそれに触れないように、ただ前を見て走ることに集中した。
『あと500メートル! 頑張れ! く──っ!! 前方に霊基反応っ』
ダ・ヴィンチちゃんの言葉と同時に、わたしも前方にいる彼を視認した。姿はさっきとは変わっているが、こちらを見るその眼で一目でゲーティアだとわかった。ゲーティアは片腕を失い、身体のそこかしこを闇に奪われた状態で立っている。わたしたちは立ち止まってゲーティアと対峙する。
「……そう簡単には逃がさない、よね」
ゲーティアは眼を細めて、静かに笑みを浮かべた。
「───その通りだ。ようやく共通の見解を持てたな。おまえを生かしては帰さない。ここで、私と共に消えるがいい」
ゲーティアはわたしに語りかける。不思議なほど彼は穏やかに語る。アヴェンジャーはわたしの少し後方でわたしたちのやりとりを黙って見ていた。
ゲーティアの言葉に憎しみを感じない。ゲーティアの声に絶望を感じない。ただそこにあるのは意地だった。わたしとゲーティア。お互いに目指すものが違う二人がそこにいて、それぞれの意地をどちらが貫き通すのか。それだけだ。
「───我が怨敵。我が憎悪。我が運命よ」
ゲーティアの声が愛おしげに紡がれたように、そんな風に聞こえた。
「ク───。くはは、ははははははははははは!!!」
後ろにいたアヴェンジャーが酷く嬉しそうに笑い声を上げた。そしてゲーティアの視界からわたしを遮るように、わたしの前へ出る。
「この極限において、ようやく憎しみのなんたるかを理解したか。だが残念だがこいつはカルデアへ帰す。ここで消えるのはオマエと俺だ」
「……巌窟王。思えばあの一度きりのきまぐれ。それには私自身すら把握しきれぬ意味があったのかもしれぬ」
「クハハ。オマエの恩讐に興味が出て来た。さあ、その恩讐をこの俺に見せてみろ! いかほどのものか、俺自ら採点してやろう!」
ゲーティアとアヴェンジャーが睨み合う。二人から魔力が立ち上る。どちらも地に足をつけているのが不思議なほど限界の状態だ。わたしは令呪のない右手を握りしめて固唾を飲んだ。
「来るがいい!」
アヴェンジャーがゲーティアめがけて跳ぶ。ゲーティアが手を上げるとアヴェンジャーの前に三重になった光輪が現れ、その中央に触れたものを飲み込むかのような黒い光が現れた。それをアヴェンジャーはすんでの所で避けるが、彼の進行を阻むように次から次へとそれは現れる。
「ちぃっ」
それらを避けながらアヴェンジャーは高く跳んだ。両手に恩讐の炎を纏わせ中距離から連続してゲーティアに投げつける。ゲーティアは苦しげな顔でそれを受けた。だが即座に自らの前に光の輪を出現させ、着地したアヴェンジャーを狙って光弾を連射する。避けきれずにアヴェンジャーはそれをまともにくらう。
ゲーティアの身体に纏わり付いていた闇が拡がっていた。アヴェンジャーの身体からも黄金の光が立ち上り始めている。わたしは礼装を起動しようとするが、すでに礼装に蓄えられた力は無くなっていた。わたし自身の魔力も底をついている。
アヴェンジャーが再度ゲーティアに飛びかかる。拳を振り上げ、その手の中の黒炎をゲーティアに叩き付けようとした瞬間、ゲーティアの光輪がアヴェンジャーを捕らえた。力が集約し、黒い光がアヴェンジャーを飲み込む。
「ぐうううっ!」
暴れるアヴェンジャーをあざ笑うように光は爆発した。
「アヴェンジャー!!」
アヴェンジャーの身体が放り出されたように宙を舞った。そのままわたしの後方に飛ばされ鈍い音を響かせて地面に叩き付けられる。わたしはアヴェンジャーに駆け寄ろうとしたが、ゲーティアがこちらに近づいてくるのに気付いて身構えた。闇はさらにゲーティアを浸食していた。肉体のほとんど失いかけ、それでもこちらに歩いてくる。ゲーティアがわたしに向かって手をまっすぐに伸ばした。
「────────」
ゲーティアの手のひらに光が集まり、そしてそれは一筋の光線となってわたしの胸を貫いた。
アヴェンジャーがわたしの名前を呼んだような気がした。だけどわたしはもう何も考えられなくて……。
「カルデアのマスター。お前の価値を、私の手で焼却する」
暗い。目をこらしても何も見えない。だけど暗闇の中でもう這い上がれない地獄の底に、共に引きずり込まれるような優しい声が聞こえた。私はゆっくりと瞼を閉じる。
「行かせるかよっ!」
身体が堕ちていく。底のない深淵へと意識が沈んでいく。その闇の中で一条の光が射した。暖かい光だ。沈み込むわたしの意識を急速に浮上させていく。身体が、心が満たされていく。目を閉じているのに光が優しい雨のように降ってくるのがわかる。胸の奥が熱い。身体の底から躍動するような情熱が湧き出てくる。この思いを何というのだろう。この胸の中にあふれる、この胸を震わせる輝きを何と呼ぶのだろうか。
確かな何かに支えられ、わたしは目を開けた。わたしの前に目を見開いたゲーティアがいた。ゲーティアは力なく膝をついている。あと一撃。あと一撃が必要だ。わたしは腕を上げて、人差し指をゲーティアにつきつけた。礼装の補助はない。だけど、わたしの中には溢れるような力が満ちていて、今ならできると確信があった。
「ゲーティアぁぁぁあぁ!!!!」
わたしは腹の底から、ある限りの力で叫んだ。彼がわたしを見る。二つの瞳でわたしを見つめる。わたしは指先から、身体中から振り絞った魔力を彼に向けて放った。放たれた魔弾はまっすぐにゲーティアに向かう。そして、少し嬉しそうな顔で笑った彼の両目の真ん中を貫いた。
「見事だ。実に素晴らしい、命だった」
静かにそう私に言い残して、そしてゲーティアは消えた。わたしは肩で息をしながら立ちすくんでいた。
「やった……。わたし、やった……?」
状況に頭が追いつかない。同意を得たくてわたしは後ろを振り返った。
「アヴェンジャー。わたしやれた?」
そこには誰もいなかった。ただ僅かに黄金に輝く光が見えて、それもすぐに儚く消えてしまった。
「あ……、あ、あ……」
思わず数歩後ずさった。あの時感じた温かさの正体に、わたしは気付いてしまった。息をしようと思うのに、喉がひきつってうまくできない。目からぼろぼろと涙が溢れてくる。
「あぁ……、あぁあ──」
足から力が抜けて座りこんでしまいそうだった。だけどそれはできない。一度でも座ったら、もう二度と立てなくなってしまう。
「ああああああーーーーーーーーー!!」
天を仰いで、声を上げた。張り裂けそうな思いが胸を締め付ける。見上げた空に1年間ずっと睨み続けてきた光の輪があった。滲んだ視界でもわかる。光輪の縁がくずれ、光が解けている。集められた力が少しずつ元の所へ戻ろうとしている。呆けたように光輪を見上げるわたしの耳に、ダ・ヴィンチちゃんの声が聞こえてきた。
『頼む! 走るんだ! 走ってくれ!!』
悲痛な声だった。その声に突き動かされるように、わたしは両腕で自分の動こうとしない両足を叩き付けた。涙は留まることなく溢れてくるが、自分を奮い立たせる。ようやく言うことを聞き出した足を動かして、わたしは走る。
『レイシフト地点まで走るんだ! こちらもぎりぎりまで待機する!』
「はい、任せて!!」
何が任せてだ。任せられないようなひどい涙声じゃないか。
それでもわたしは走った。だってまだ終われない。わたしに課された
「────うそ」
わたしは呆然として立ち止まった。レイシフト地点まではあと少し。そこへと続く細道が崩れて、足場がなくなっていた。
「は、はは……」
思わず苦笑する。不思議と気持ちは落ち着いていた。全力で走りきったと今は胸をはって言えるからかもしれない。わたしはわたしにできる全力を尽くした。ただ、カルデアに残るみんなの顔を曇らせてしまうことだけが心残りだった。
「───ちぇっ、あと少し、だったんだけどな……」
ため息まじりで一人ごちる。その時だった、聞こえるはずのない声がわたしの耳に届いた。
「せんぱい、まだです! 諦めないでください!」
「マシュ!」
わたしは声の方向へ目をこらす。道の向こうに、マシュがいた。そして精一杯わたしに向けて手を伸ばしている。
「まだです、手を伸ばして───! 先輩、手を───!」
今は何かを考えている時じゃない。胸にわき上がる思いのまま動くだけだ。わたしは下がって助走を付けると、崩れた足場の端を蹴って、空中に身を踊らせた。
「マシューーー!!」
少しでも遠くへ。少しでも未来に届けばと必死で手を伸ばす。指先にマシュの指先が触れた。幻ではない、確かなマシュの感触。でも、手を掴み合うには少しだけ距離が足りなくて……。
その時、背中を誰かに押された。次の瞬間にマシュがわたしの手を強く掴む。わたしもその手を握りかえした。掴んだ手をお互いに引っ張り合うように引き、わたしはマシュに引き寄せられる。そしてわたしはマシュを抱きしめるようにしがみつき、マシュもわたしを強く抱きしめていた。
まるで悲鳴のような甲高い空気の破裂音が耳元で聞こえる。空間が引き裂かれるように歪んでいく。マシュの暖かい身体を、その存在を全身で感じながら、わたしの背中には、わたしを押し出した強い意志を込めたあの手の感触が残っていた。
わたしを引く手があった。わたしを押し出す手があった。わたしは、わたしは、───ああ。
* * * *
「はっくしゅん」
マシュがかわいいクシャミをする。青空の下でマシュと手を繋いで空を見ていたが、少し身体が冷えてしまったようだ。
「大丈夫?」
「はい。カルデアの外って寒いんですね……。初めてのことばかりで驚いています」
「そうだね。来るときも大変だったんだ。吹雪の中を小さい飛行機でさー」
わたしは話しながらマシュの手をひいてカルデアへの帰還を促した。カルデアに戻ると、食堂でキャスター・クーフーリンとばったりと合う。
「あれ? クーフーリンも残ってたんだ? 意外だな」
「つれねぇマスターだな。オレは嬢ちゃんたち二人の師匠だぜ? おまえらが一人前になるのを見届けてやる義務があるだろうが」
「えー? クーフーリンってそういうタイプだっけ? もっとあっさりしてるかと思ってたよ」
「わたしも同感です。いえ、もちろん残っていただけるのは嬉しいのですが」
「へぇへぇ。まったく男心のわからん嬢ちゃんたちだぜ」
クーフーリンはそっぽを向いて、ぽりぽりと頬をかく。そこに低いところから重低音の声が聞こえてきた。
「ほっといてやれ。そいつはな、ラスボスを前に力尽きて、最後までマスターと戦えなかったことが相当腹に据えかねるらしいぞ」
声の主はアンデルセンだ。クーフーリンは心底嫌そうな顔をして、アンデルセンを無視してマシュに声をかけた。
「なぁ嬢ちゃん! 久しぶりに特訓つけてやるよ! 真名開放した嬢ちゃんの宝具がどれほどのものか見てみたいしな! 訓練場にいかねぇか?」
「はい! わたしもクーフーリンさんに、わたしの成長を見ていただきたいです」
そしてクーフーリンはマシュを連れてこの場から逃げるように去っていった。クーフーリンがそんなことを気にしていたという事実が、なんだかおかしい。
「アンデルセンも残ってたんだ」
「当然だ! 書きかけのものがまだ完結していない。それを残して消えられるか! さらに言うと次回作の予定もある」
「次回作ですか。どんなものか気になるますなぁ」
シェイクスピアが会話に入ってくる。
「ちなみにわたしは、数多の奇蹟の力を借りて世界を救う旅という新作を書くつもりですぞ」
「オレとネタが被ってるぞ、劇作家」
「よいではありませんか。大事なのはどう書くかでしょうとも。それにわたしは少々脚色を加えまして、主人公を少年にして、少年と少女のボーイミーツガールと苦悩と青春をテーマにするつもりなのです」
「ほう……、なかなか気になるな」
すっかりわたしを忘れて話を初めてしまった二人に、わたしは軽く手を降ってからそこを離れた。食堂のカウンターで珈琲を受け取り、席につく為に振り向く。少し前までいつも満席だったのに、どこに座ればいいかわからなくなるほど今はガランとしている。だけどぽつぽつと残ってくれた英霊たちが座っていて、こちらに手を上げて挨拶をしてくれた。
わたしは近くの柱にもたれ掛かって、食堂を眺める。ここに彼はいない。あの監獄塔の時と同じように、わたしを送り出して、そして一人でさっさと消えてしまった。
わたしはそっと、自分の唇を指でなぞった。
……ずるい人だ。だけど彼は言った。“再会を望むのなら──”と。そしてそれは確かに1度は実現したのだ。
ならばわたしは、もう一度信じてみようと思う。彼との再会を望むなら、するべき事はただ一つだけ。何度でも心に刻もう。何度でも胸の中で唱えよう。彼が教えてくれたその言葉を。何度でも。何度でも。
待て、しかして希望せよ──と。
fine
マテリアルIIIで明かされた宝具の説明
↓↓↓↓↓
「待て、しかして希望せよ」アトンドリ・エスペリエ
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:1~50 最大補足:1人
悪逆と絶望と後悔に満ちた暗黒の中に在ってまばゆく輝く、一条の希望。
人間の知恵はすべてこの二つの言葉に凝集される。すなわち。
まて、しかして希望せよ───
まさかの回復宝具。自陣のうち一名を、瀕死(戦闘不能状態)からでも完全回復させる上に、全パラメータを一時的にランクアップさせる。(『FateGO』では基本的に使用されない)