ツォーネ1984   作:夏眠パラドクサ

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【登場二〇〇字で】アインザッツコマンドー 2【やられろと】

 

「フォン・ユンツトが持ちこんだものを回収に来た。返してもらいましょうか」

 

 慣れた拷問屋の平静さでラヴゾンの回復を待っていた女が言った。

 

「も……持ちこんだもの?」

「そうよ。あれは政府の管理物で、厳重な隔離を必要とする。放棄地区で何人かつないでみようか、なんて粗雑なあつかいをされては困るわ」

「彼女の遺品は、服しかない。金目のものはみんな食料に換えた」

「遺品? フォン・ユンツトはどこ?」

「死んだよ。……一ヵ月前だ」

「死んだ」

 

 なにごとか思案するようすで、女はしばらくラヴゾンを見つめた。血の気がない肌と唇と、それとは対照的にあざやかな赤い瞳が魔物じみていた。

 

「理由は?」

「それは、風邪をこじらせたんだろう。寒いし、食料もなかった」

「実験に失敗したり、怪物に襲われたりはしていないのね?」

「いや、実験なんか、する余裕はなかった。BETAは見ていない」

「そう」

 

 ヴィルヘルミーネ・フォン・ユンツトが政府の機密を持って逃げたらしいことを察し、ラヴゾンはゆっくりと立ちあがった。

 ヴァーゲン内に人間狩りの仲間はいなかったらしいが、近くの路地にはいて、銃声を聞きつけたおそれがある。ラヴゾンは一歩、後ろにさがった。

 女はラヴゾンへの関心を、急に失ったように見えた。当てるつもりがなかった一発を撃ったきり大きな音を立てようともしない。いささか奇妙だが逃げるには好都合だった。

 

「おれはなにも聞いていないし、預かっていない。それらしいものを見てもいない。彼女と初めて会ったのは八月になってからだ。それより前に誰かに渡したか、郵送でもしたんじゃないのか」

「ええ……フォン・ユンツトは七月に、各所へ貴重品を発送している。エアフルトから脱出するさいに囮としてね」

「囮は無駄で、あんたはここを探り当てたってわけか? 誰に吐かせたか知らんが、いや、まったく大したもんだ」

 

 喋りながらラヴゾンは少しづつ後退した。

 

「彼女は確かに、ここへ来ていたんだからな。だが、こんな状況じゃ、仕事が遅かったぜ。あの娘は死んだし、おれになにも伝えなかった。無関係なことに巻きこむのを避けてくれたんだろうよ」

「……」

「お探しの〝物〟は、とっくにBND(西ドイツ・連邦情報局)に渡ってるんじゃないか。それともCIAかな」

 

 突っ立ってラヴゾンを見ていた女がCIAの一語に反応して、なにごとかつぶやいた。

 呪詛じみた声の合間に「あれを西で」……「アメリカの支配」……「宇宙旅行協会」……「ここも囮とは」と聞きとれる言葉が混ざった。

 ラヴゾンは頭を振って笑った。

 

「おいおい、あんたも疑り深いね。ここにいたのは、ただの偶然だ。こんなところに、わざと留まる? はっ。来るかどうかわからん追っ手を待って、自分を囮にそんなことをするやつがいるもんか」

「いえ、囮にされていたのはあなたよ、ラヴゾンさん。我々は六六六の隊員だった人間を追跡することができる。フォン・ユンツトにも」

 

 不気味な言葉でラヴゾンを立ちすくませ、女は深々と溜息をついた。死人の肉を凍らせる寒さの中で、女の息は体温を示さなかった。

 右手にぬくもりを感じて、ラヴゾンは自分の出血に気づいた。山岳用の厚い手袋が外れかけ、甲の皮膚までザックリと切られている。

 

「確認するわ。これがヴィルヘルミーネ・フォン・ユンツト。いい面構えでしょう」女は上着のタッシェから出した写真をラヴゾンに向けた。「この女が、あなたとここで……『一緒にいた人物』で間違いないかしら?」

 

 写真には、工事中の空水槽を背景に、白衣の女が写っている。

 整った顔立ちだが表情は険しく、目つきは最前線の兵士と似て気違いじみていた。

 撮影の偶然で、固定された顔がそう写っているわけではない。ただの紙に複製されたにすぎない一/五ほどの大きさの顔には、内部に重々しく堆積した狂気も、縮小されてはいるが機械の正確さで複製されていた。

 ヴィルヘルミーネは、優しい娘だった。彼女は、あの顔で頬笑みかけたり、みじめに食料をあさるしかできない不甲斐ない自分を慰めてくれていたりしたのだったろうか、とラヴゾンは考え、名状しがたい非現実感に襲われた。

 

「そうだ。この娘がヴィルヘルミーネ・フォン・ユンツトだ。最後まで、ずっと一緒にいると誓った、おれの」

 

 異常な感情に強いられて、ラヴゾンはそう言った。

 無事に動く左手で、彼は写真をつかんだ。人のものではない爪で切り裂くことを避けてか、女は指に挟んだ写真をラヴゾンがとるにまかせた。

 アインザッツコマンドーと称する黒衣の女から逃げるつもりだった彼の意思に反して、脚は相手に殴りかかった位置にまで戻っていた。

 

「お……教えてくれ。――こ、こいつは……こいつは、いったい誰だ?」

 

 震える手でつかみとった写真をクシャクシャにしたラヴゾンを冷然と眺めて、女は答えた。

 

「それが、本物のフォン・ユンツトよ。あなたも一度は直接に会っているはず。頭をいじられたときにね」

「おれは洗脳なんか、されてない。発信機も埋めこまれちゃいない。でたらめだ。なぜそんな嘘をつく?」

 

 忌まわしい写真を投げ捨て、視界の隅にヴィルヘルミーネの肉片が映り、ふたたびこみあげた吐気でラヴゾンは雪に膝を突いた。

 故障したトラバントを道端に止めて途方に暮れていたヴィルヘルミーネの、近づいて話しかけたラヴゾンに向けた礼儀正しく困惑した微笑と、「TSFの整備を?」という少し驚いた声を憶えている。

 嗤笑に歪むヴィルヘルミーネの唇は、瑞々しい桜色だった。「モートアの故障なら調べてみましょうか?」と声をかけたラヴゾンに、ヴィルヘルミーネは笑顔で応じたのだ。

 

「ここにいたか。六六六の生き残りだな」

 

 革命英雄として共和国に知らぬ者がなくなった六六六中隊の身分証をラヴゾンが見せると、ヴィルヘルミーネは頼もしげに手助けを願った。

 あのときのラヴゾンは重い自動車用の工具など持っていなかったが、故障は修理できて、二人はトラバントをバルト海岸へ走らせることができたのだ。

 

「恥知らずな、屑の嘘つきめ……。こんなところまで来て、おまえら無能は嘘しか言わない」憤怒に駆られて、ラヴゾンは呪いの言葉を吐いた。「おまえら小役人は、権力の奴隷だ。ケツに火がついても、頭からっぽのアホ面で尻尾を振っているしか能がない。クソっ垂れな飼い主どもがアフリカやアメリカの別荘へ連れて行ってくれるとでも思っているのか? 死ね! おまえらも、おれたちとなんら変わりなく、このクソ溜めで野垂れ死ぬんだ。死ね! 屑が!」

「あなたの誤解を解くために説明すると、わたしはもう権力に仕えていない」

 

 悪罵になんの不快も示さず、女は言った。

 

「わたしは今では、もっと偉大な、もっと深淵の、もっと恵み深い存在に仕えている。過去のあやまちを償い、人類を救済するためにね……。フォン・ユンツトは忌まわしき我々の罪過の元凶で、人間をある種の超能力で操る〝発明品〟を奪って逃げている」

「超能力?」

「ESPと称されている。聞いたことはあるでしょう」

「クレムリン詐欺か……? なんでいきなり、そんな話になるんだ」

「モスカウでおきたと似たようなことが、ベルリンでもおきていた。同じESP発現機の力でね」

 

 一〇年前、大敗北にうろたえたソビエト指導部は国際的詐欺にひっかかった。

 実践主義超心理学会なる集団がラスプーチンめいた超能力者を奉ってクレムリンにあらわれ、この危機的状況を救ってやろう、と小便をちびっていたノーメンクラツーラに告げたのだそうだ。

 彼らはルビャンカ監獄で拷問される替わりに国連の秘密会議に赴き、いくつもの支援をとりつけた。これで勝てると思いこんだソビエト指導部はミンスクへの大攻勢を企て、西側をまきこんで実行し、ふたたび大敗北して回復不能な損害を被った。

 人間に対してはすばらしい効果を発揮した彼らのESP、あるいは超心理学的技巧は、BETAに対してはなんの効果もなかったのだ。

 実践主義超心理学会は、その正体や背後にいる傀儡師が誰かはわからぬままどこかへ蒸発し、ソビエトはヴォルガ以西の勢力を完全に失った。

 無知な民衆の心にはまだ残っていたソビエトの権威を地に落とすべく、諸国の政府は放送、出版業者を通じて、これらの事情を一九七八年の末頃から暴露している。共和国でも出版、あるいは輸入販売された何十冊もの書籍は、超能力など欺瞞や妄想であり実在しない、と結んでいたものだ。

 しかし、異形の爪を生やした魔物じみた女を前に「バカを言うな」とつづけることは、ラヴゾンにはできなかった。

 

「それが人間をどのように操るかは、旧政権の迷妄狂態を知る者には説明するまでもないでしょう。わたしの任務は、それらを地獄に返品することよ」

 

 

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