降雪なき雪山。
ベースキャンプを含め、全区域にホットドリンクの使用を推奨している点から過酷な環境であることは明白である。
常に雪に囲まれた狩り場は麓の部分と岩肌が多く露出した山腹とに分かれる。山腹からはポッケ村も窺え、雪獅子たちと差し迫る状況にある、と狩人たちは犇々と危機感を覚える。
今回の対象はフルフルではない。大型の牙獣種、ドドブランゴである。これが昨夜、告げられた不測の事態の中身であった。当時は驚いたが、縄張りを追い出されるモンスターが村に近づくことは別段のことではない。当然のことであり、考慮すべき点なのだが、敵が敵なだけに驚かざるを得なかった。
「はぁ……はぁ」
短く小さく息を吐く。息は真っ白い。
口には出さぬものの、ハザンは彼らより遥かに寒さを痛感していた。地元民の慣れだろうか、彼らが寒さについて触れないものだから、無暗に口に出して気遣いを受ける訳にはいかなかった。
ハザンは低い空を見上げると同時に目的地である山腹との距離を見取る。
(あそこか……本当にいるのか?)
雪獅子がこの辺りに姿を見せたのは最近の事で、故に情報が少ない。彼らの縄張りの範囲から規模までは正確に把握し切れていない。
そんな情報が乏しい最中であっても、一番に山腹を目指すには理由があったからである。いや、事情と言うべきか。
◆ ◆ ◆
最初に彼女を見た時は静を感じた。
長い黒髪は流れ落ちるように艶やかで端正な顔立ちと佇まいにも、貴族のようなお淑やかで上品なものが見て取れた。
しかし、その全身を見てみれば、彼女が王立古生物書士隊の一員であることは間違いなかった。ハザンはその制服姿を何度か街で見かけたことがある。
一度、交流したこともあったが、それを切欠に書士隊には良い思いはしていない。自分の頭脳を誇りに思っているまでは良いが、それが過度で自信を持ち過ぎている。故に持論は間違っていないと言い張り、他の意見を押し退けて威張るのだ。
ハンターにとって己への過信はあってはならない。適度な自信でなければ、己の実力を見誤って死に至る。それが当たり前で変わり様のない真実だったハザンにとって彼らの言葉の数々は愚かでしかなかった。
が、彼女は違う。彼らのような傲慢さも空っぽの自信もない。欲がなく、むしろ、彼らとは逆の立ち位置にいる。
そんな彼女をハザンは一目置きながら話は切り出された。
「先に言ったドドブランゴの件、彼女の知識に委ねようと思う。初対面の人に命を預けるのは気が引けるかもしれないけど、それは僕とカルラも、また同じだと思って勘弁してほしい」
彼、エリックの言葉には少々引っ掛かるものがあるが、ハザンは素直に受け入れた。先ずは彼女の知識とやらを聞いてからだ。
「紹介するよ。王立古生物書士隊のミラ・レスカラーさんだ」
「どうも」
落ち着き払った散文的な言葉には若干の棘がある。随分と取っ付きにくいが、例の彼らよりは幾分とマシだろう、とハザンは文句を飲み込む。それに人は様々なので外見や雰囲気だけで先入観を持ってはいけない、と先ほど痛感したばかりである。
エリックが順にカルラ、アル、ハザンの名を教えたが、教えられた本人は無機質に頷くばかりで興味を全く示さなかった。本当に聞いているのか疑わしいくらいだ。
「ん。じゃあ、説明を始めるよ」
「お、お願いします」
エリックの説明が区切りを迎えたところでミラは事務的に話し始めた。固い空気にアルが思わず、裏声を零す。しかし、これをまるで聞いていなかったようにミラは地図を広げ、話を進めた。
「ここが一番のポイント」
ミラが指差す位置は狩り場の山腹部。片側はほぼ崖、片側からは岩壁に挟まれ、その間は広い。崖に追い込まれれば、困難だが、壁際に誘い込めば、小さな洞穴に逃げ込める。戦法によっては戦いやすい地形だ。
しかし、問題はそこではない。根本の雪獅子がいるかどうかが問題だ。
ハザンはミラの指先よりもその表情を凝視した。ずっと無機質で代わり映えがしない。最早、彼女の知識に関する自信を見極めるのは難しい。
「何か? ハザンさん」
「いや……なんでもない」
ハザンは視線を落とし、彼女の示すポイントを一瞥し、再び彼女の様子を窺った。どうやら、名前はちゃんと聞いていたらしい。
次にミラが二番目、三番目のポイントを示すが、ハザンの頭にその情報が入ることは無かった。
「一番のポイントが昼過ぎだから、先ずはこっちから。二番目は……」
「ちょっと待ってくれ。居る時間帯も分かるのか?」
「うん」
「根拠は?」
「私の任務は貴方たちに情報を提供すること。根拠は……必要?」
予想外の返事に物言う気さえ失せてしまったハザンは首を横に振ってから、頭を抱えてしまった。そんな様子のハザンを知ってか知らずかミラは淡々と雪獅子の情報をさらけ出す。
ハザンは聴覚を遮断し、面々を見回した。アルは馬鹿真面目に耳を傾けている。カルラは他人事のように明後日の方向を見ている。エリックはミラの異様さを感じつつも反論はしない様子であった。
(本当に大丈夫か……?)
ハザンはもう一度、怪訝な視線でミラを鋭く射抜いた。
やはり、感情は読み取れない。
◆ ◆ ◆
落石に要注意しなければならない危険な地域を足早に越え、一行は例の場所へと辿り着いた。
「着いたよ」
地図と照合しながら、エリックが皆に聞こえる程度の小声で呟く。
その声にハッとしてハザンは景色を見回した。ミラが言っていた一番のポイントだ。
全員がエリックの指示に従って身を屈めながら、移動し、指定の岩陰に身を潜めた。荷車は岩壁の端の方に据え置いてある。
移動の道中でハザンは幾度か足跡を発見し、それがブランゴの痕跡だと理解して、思わず驚嘆していた。
ミラの言う通り、この辺りを奴らが徘徊しているのは間違いないようだ。しかし、彼女は居る時刻までを言い当てた。それが正しいかどうかはまだ疑わしい。
岩陰から顔を覗かせ、辺りを見てから空を見上げる。太陽は薄く低い雲に遮られながらも、その光はしっかりと窺える。もうすぐ真昼になる頃合い。
「本当に来るのかなぁ……」
アルも真面目に聞いてはいたが、やはり、怪しい面があるそうだ。ハザンは怪しいと思う立ち位置に偏りながらも、どちらともない返事をした。
「どうだろうな」
「もしも、だよ? ドドブランゴが時間通りに現れたらあのミラって人、凄いよね。はい、携帯食料」
「だな。ありがとう」
携帯食料を受け取り、その無味に顔を歪ませながら、ハザンは欠かさずに注視した。
二人の間を隔てていた壁は既に無くなったが、アルは内心では少し緊張していた。両手で携帯食料をもって食べる表情からは一連の会話に満足して緩んでいるのが分かる。
時間が過ぎ、太陽の光が真上へと到達した。薄い灰色の雲を割き、姿を現した太陽が雪山を見下ろす。
二本目のホットドリンクを飲み干し、既に寒さを忘れかけていた頃――それは静かに現れた。
それを確認すると、同時、ハザンは再び感嘆する。
雪獅子はまるで、ミラと約束していたかのように時間通りに姿を現した。更にミラの予測通りに四頭のブランゴを率いている。
「……ふっ」
「っ、凄いですね」
全てが予測通り過ぎてハザンは鼻を鳴らし、アルは驚嘆の声を漏らす。
二人は表情を引き締め、腹を括る。既に第一次の作戦は始まっている。残るエリックとカルラの二人との合図もしない。合図はアルの発砲から、と定まっている。
アルは雪獅子との距離を慎重に計りながら、その時を待った。
射程距離へと入る、一歩手前の瞬間。唾を飲み込んで、アルが岩陰から飛び出す。
十字線の交差部分を、ブランゴに合わせ、躊躇うことなく引き金を絞った。
作戦が決行された。
煙をまとって薬莢が雪の中へと沈み込む。
弾はブランゴの頭部に命中し、不発かと思われた直後、爆発物がばら撒かれ、爆撃が飛び散った。
「よしっ」
頭部に着弾したブランゴが絶命する。突然、仲間が死んだことでブランゴ達が動転するも、人間の仕業と分かり、怒りを燃え上がらせた。
残る三頭の内の二頭が接近するのを確かめて、アルは散弾を素早く装填する。
切迫するブランゴ達の威圧感に負けず、アルはスコープを覗かずに散弾を連射する。弾倉が尽きる、だが、ブランゴの勢いは止まらず、加速していく。
――ふん、飛び道具は尽きたか、好機だ。
ブランゴが牙を剥き出し、跳躍しようとするその瞬間。
――左、横目。――金属の刃。――激痛、そして、絶叫。
(もうッ、一頭!)
身を翻し、もう一閃。ハザンがブランゴの背中を斬り付け、転ばせる。再び身を翻し、左眼を斬られたブランゴに鉄刀【神楽】を振り下ろし、息絶えさせた。
もう一人が息を潜めていたことを知らず、想定外の新手に混乱するブランゴをハザンは容赦なく、仕留めた。
あっという間に二頭を片付けた。これも、戦う地形を前から把握し、その数を想定していたことで成し得た芸当。全てはあのミラという冷淡な書士隊のおかげである。
「ありがとう、ハザン君」
「ああ。向こうも……うまくやったみたいだな」
こちらに完全に気を取られていたブランゴを背後からもう二人が仕留め、今はドドブランゴと距離を置いた状態。
長が率いる部下は開始早々に全滅した。更にその長を二人二組で挟み込んだこの戦況。
激戦の幕開けは圧倒的に狩人たちの手中にあった。
――しかし――。
――ヴォオオオオオオォォォッ!!
雪獅子はこれを義憤の咆哮により、一掃。瞬く間に狩人たちを威勢が飲み込んだ。
雪山を咆哮が駆け巡り、各地に散らばったブランゴ達が顔を上げる。
「っ……」
思わず腕で顔を覆い、ハザンとアルは数歩、後退した。
圧倒的な威圧感。膂力に全てを言わせる脅威。
しかし――。
――狩人らもまた、この鯨波を冷静に薙ぎ払った。
「ふぅー。問題ない。アルは?」
「僕も大丈夫」
「カルラ、行ける?」
「余裕よ。こんな奴」
降雪なき雪山。