モンスターハンター 老年の狼   作:まるまる

3 / 56
其の参

 雨が止み、空は吸い込まれそうな蒼に染まり、いつもなら心地良い朝だというのに、エレナには青空を見上げる余裕もなかった。それもその筈、昨日の昼から今までずっと寝る間もなく、命の危険に晒されてきたのだから。

 夜を越えたせいか、完全に帰路を見失った。ジャンボ村への被害を危惧して、先程まで東を目指していたのだが、もう山脈の手前まで来ている。ジャンボ村は北西か、南西か。辺りを見回しても見たことの無い地形ばかりだ。

 仮にまだ近くを徘徊する脅威から逃れ切れたとしても、遂に帰還できないという最悪の局面まで来てしまったようだ。現在地を把握できないのはやはり、不安であり、またジャンボ村に戻れないという現実を突き出されてしまえば、目の前が真っ暗になってしまいそうだった。

 でも、諦念は微塵もない。意志が揺らいだことは何度かあったが、目星を見失うまい、と必死に目を開いて夜を過ごした。

 長かった夜を思い出せば、行く末が見えぬ道のりを考えて、活力を失ってしまいそうだ。そうなる前に気分を切り替える為にと、水筒に入った雨水を一口だけ流し込む。

 先程までの雨のお蔭で水筒の中には溢れるように水分が溜まっていた。水を欲し求める生存本能が衛生面を考慮する思考を塗り潰し、遂には考える事を放棄していた。観念と表現した方が適正かもしれない。

 どちらにせよ、水分の枯渇は先ず有り得ない。それによる派生の問題は否めないが。しかし、それより困窮している問題があった。積み重なった疲労と栄養不足だ。持参の携帯食料は底を尽きた。正しくは、失くした。真夜中に皮袋が破けたのだ。無論、携帯食料に限らず、砥石や回復薬、その他諸々、依頼されたあの物資たちも、だ。

 破けた皮袋をお荷物だと投げ捨て、自分の身体が何とか隠れられている木の幹からイャンクックの様子を窺った。

 

(距離は……離れてるね)

 

 険悪な視線を巡らせ、大きな耳を張って、時折、鬱憤を表に出すように尻尾を振り回す。ずっとあの調子である。諦めるという選択肢は奴にはないように思える。この状況は何度か、夜にもあったのだが、執拗に探し回られ、見つかるという実例がほとんどだ。

 恐らく、今回も定石だろうと観念しているのだが、この寸暇で磨り減った神経を少しだけ取り戻している。

 怪鳥の威圧感は消えないが、遠くなりつつある。怪鳥の放つ生気や殺意を粗末ながらも感じ取れる。この過酷な環境の中で体得したのかもしれないし、一時的な変化かもしれない。どちらかは分からないが、距離は確実に伸びていた。

 これぐらいの距離なら逃げ遂せるかもしれない。そう、ふと思った時だった。

 自然の苛酷さが儚い少女の希望を打ち砕く。

 

「ランポス……っ」

 

 憎悪が噴水のように湧き上がる。次の瞬間には鬱憤が頭の中を占め、溢れ返る。

 欠けた二本の剣を構えて、音を立てずに立ち上がる。まるで、餓えた狼のように五頭のランポスが草木から現れた。口からは生唾が溢れ出てきている。

 一番左の一頭が高らかに喚声を上げ、輪唱するように残りの四頭が吼える。その瞬間、背筋を冷たい何かが通ったのを感じ、これが第六感による警告だと理解する。脅威が音を聞きつけ、切迫している。

 位置取りは悪く、完全に挟まれた状況だ。退路は断たれたが、乱暴に走り出せば、逃げ出せるのではないか。

 

「ギャァ!」

「うっ……!」

 

 どうやら、餓えた狼は今すぐにでも獲物を胃袋に収めたいらしい。果敢に飛びかかってくるランポスを避けるか、防ぐかで手一杯だ。一方で空腹を満たす久々の餌を易々と逃すまいと、ランポス達の攻撃の激しさは増す。

 生の執念が紛糾する最中、突然、静かな間に違和感。戦略ではない、これは。

 

「――来るっ!」

 

 第六感に事を任せ、身を投げる。

 強い震動が激しくなり、木が倒れ込んで、怪鳥が現る。

 風と一頭のランポスを巻き込んで、巨体が突っ切る。踏み止まる際に尻尾がもう一頭を薙ぎ払った。これが無意識によるものだから、また恐ろしい。

 葉と土を巻き上げて、制止した怪鳥はこの場にいる者達に価値を付けるかのように視線を巡らし、一点に絞る。まるで、その一点以外には蹴散らす価値がないとでも言いたげに。

 エレナは自分の有様に兜の中で薄ら嘲笑を浮かべる。最早、見慣れた怪鳥には最初から今まで傷一つ見られない。反して、握っている剣と自分は見ての通り、壊滅的だ。恐らく、剣の方はもう使い物にならない。

 怪鳥の攻撃を避ける為に、足を軽く曲げて力を入れていたが、三つの青い狩人が怪鳥とエレナの間を塞いだ。誇りか、無知か、仲間が為の反撃か。無謀への挑戦。語弊はあるが、それは自分と似ている。

 果敢に飛びかかった青い狩人は強靭な尻尾に打ち据えられ、回転する巨体を制止する瞬間の隙を突いて、突貫した奴も嘴に捻じ伏せられた。最後は恐怖で怯んだところを容赦なく圧砕。息をつく暇もなかった。

 

「くぅ……」

 

 ゆっくりと反転したイャンクックの目は既に次の標的を見ていた。再び向けられた威圧感にずぶ濡れの身体から汗が噴き出す。

 怪鳥は、今まで通り動こうとせず回避に専念しようとするエレナを睨み、苛烈に飛びかかった。自身の顔を覆うほどの大きい嘴を振り下ろした。だが、これを慣れた様子でエレナは避ける。

 続けてイャンクックは突撃してくる。再びこれを慣れた様子で回避する。余った勢いを殺すべく巨体を地面に投げ出す。硬い甲殻を持っているからこそ為せる業であり、巻き込まれれば恐ろしい攻撃だが、避けることさえ出来れば問題はない。エレナに残された生存する術はこの激しい攻防で根気負けしないことだけだ。

 何度か、激しい突進を避けていた時だった。奇妙な間を置いた怪鳥が大きく翼を広げた。自らを死の手前へ追いつめたあの攻撃だと予期し、後ずさる。

 そして、次の瞬間には飲み込まんとする巨大な嘴が目の前にあった。

 

「ツっ……!」

 

 咄嗟に出した壊れかけの双剣と強靭な嘴の間に火が飛び散る。傾けられた貧弱な身体は直撃を避けたが、体勢は崩され、その場に転倒する。

 怪鳥の脚に秘められた鎧のような筋肉が出せる全力の突進だ。大きな間合いを一瞬にして詰める巨体を稟性の洞察力と判断力で紙一重に避けてきたのだ。この必殺の突進の直後には必ず隙が生まれる。走り抜けた先で怪鳥は必ず身を地面へと投げ出す。

 

「え、早っ!?」

 

 倒れ込んだ身体を起き上がらせ、まだ起き上がる最中であろう怪鳥を視界に収めようとしたその瞬間、怪鳥は巨躯を捻り、尻尾を振るおうとしていた。

 転瞬、腹から頭頂部までを凄まじい衝撃が走り抜け、体が浮いた。肺の空気が吐き戻され、身体を滅茶苦茶に振り回された挙句には泥に仰臥していた。

 何が起こったのか理解が追いつかない。憎たらしいほどに澄み切った青い空が見える。

 恐らく、尻尾で腹を薙ぎ払われ、吹き飛ばされたのだ。運良く防具が身体を守ってくれたが、激痛がまだ残っている。泥に両手を付いて体を起こそうとして、突然視界ががくんと傾ぐ。

 

「あれ……体が……」

 

 意識の焦点がはっきりしない。

 思えば、違和感はあった。怪鳥が繰り出す全力の突進の後は必ず寸暇が生まれる。しかし、今回は無かった。いや、する必要がなかったのだ。怪鳥が速いのではなく、疲労と栄養不足でそう見えただけのエレナの勘違い。事実、エレナの体は限界を予て超えていた。

 視界を回復させようとして目の開閉を繰り返す。その時、ゾクリと背筋を悪寒が駆け抜けた。

 暗転しかける視界の中で、炎が煌めいた。驚愕したのは、果たして怪鳥だった。

 

 

 

 背の高い無数の緑樹の壁の向こうから、断続的な戦闘音が響いてくる。

 ――見つけた。思うが早いか、地面を蹴り、不規則に生える緑樹の合間を駆け抜け、黒い外套が翻る。猛烈な勢いで迫ってくる戦闘音を確かに感じながら、背負った得物に手を伸ばした。

 流れる景色の中で倒木を見、宙へ躍り出た。手を付きながら、着地。顔を上げ、眼前に広がる戦況を一瞬で、分析、そして判断。

 ――火炎液を放つ動作だ。――防備は手薄。――好機だ。

 

「ふっ、ぬんっ!」

 

 左足で泥土を踏みしめ、身をよじる。閉じられた怪鳥の嘴から炎が漏れ出し、反らした身体を大きく振ろうとする。その最中の嘴に鉄鎚が直撃する。板状の鋼鉄をも打ち抜く鉄槌は炎を噴き上げ、強烈無比な威力を以て巨躯を覆す。

 中途で殴打された怪鳥は敵わず、土を抉り飛ばして、地面に伏す。

 振り抜いた鉄鎚が地面にめり込んで制止する。黒い外套に身を包んだ鉄鎚の持ち主は辺りを見回し、胸をなでおろすと同時に一瞬にして纏う雰囲気を冷厳にした。

 急襲に相当取り乱したのか、無茶苦茶に暴れ回るイャンクックを睨みながら、怪我人を意に介する。

 

「エレナ、だったか。立てるか? 立てるなら、少しでも遠くへ……」

「……あ、はい……何とか」

 

 身の安全を確かめ、兜の中で隠れながら顔をしかめて立ち上がる。痛む全身を気遣いながら平静を装って、弱々しく手を振る。

 それを確認した彼はイャンクックに向き直り、鉄鎚を構える。のっそりと起き上がったイャンクックの眼には確かな怒りが芽生えていた。

 しん、と静まり返る。

 焦燥と恐怖を経験と自信で打ち消す。

 鉄鎚を今一度、構え大きく息を吸い、吐く。

 瞬間、火花を打見。怪鳥の首と体が反らされた。

 

(――今ッ!)

 

 カッと目を見開いた。太腿の外側に装着された革袋から、導火線の垂れた竜骨を取り出す。これを下投げで放り、次に腰を落とす。しかと距離を見取り、前傾姿勢へと入る。

 回転しながら放られた竜骨はまるで、指示されたように振り出された嘴の間際を目指す。口の端から炎を漏らしながら、口内に含んだ火炎液を吐き出そうと口を開いた。

 その瞬間、怪鳥の視界の端に映った異物が彼の時を止めた。

 ――これは? ――まさか、奴の。――不覚。

 着火、瞬きの後、音と光と衝撃波が張り裂ける。最後に小さな骨片が爆散する。

爆発を放った物体。筒状の竜骨に爆薬を贅沢に詰め込み、ネンチャク草で蓋を引っ付ける。これに短い導火線を垂らし、後は熱を与えてやれば当然、引火して爆発という仕組みだ。

 本来、ハンター達が扱う武器や道具は世間に広まった出来合いが多い。だが、型に収まらない類の者達も少なからず、疎らに存在しており、この狩人が扱う道具や得物も数多にある独創の一部に過ぎない。そして彼の握る「鉄鎚」もまたその一部だ。

 その「鉄鎚」を握りしめ、巻き起こる煙の中へと疾駆する。熱風の渦を切り抜け、煙の中で紛糾する怪鳥の顎目掛けて雄叫びを上げながら、得物を振り上げた。

 ガツン、という鈍い音の次に炎が閃く。持ち上がった怪鳥の嘴は弧を描き、頂点で突如、奇抜な制止をする。それを見た瞬間、狩人に悪寒が走った。

 

(やはり、甘いか……!)

 

 怪鳥の負けまいとする闘志が見せる底力だった。急停止した嘴は重力に引っ張られるようにして振り下ろされた。

 ここにいてはいけない、と脳が叫び、筋肉を酷使して横に転がる。刹那に自分が直前までいた位置を怪鳥の嘴が叩き潰した。その圧倒的な膂力を一瞥することなく、また臆することなく、腹の下に潜り込んで足払いをかける。

 巨体に潰されまい、と身体を逃がし、立ち上がり様に後退する。追撃は強行せず、冷静にすべきことを頭の中で模索する。

 

「頑丈じゃな……」

 

 鋭い視線の先で怪鳥は立ち上がり、ぐるりと向き直った。

 馳せ合う両者の間を一陣の風が過ぎる。闘気で溢れ、空気が張り詰め、呼吸すら苦しい。

 偉躯と小躯。その体格差がありながら、引けを取らず、鋭い双眸は揺るがない。今にもはち切れそうな空気の最中、緑色の木に留まっていた蜻蛉ももう空へと飛び去ってしまっていた。

 揺るがぬ視線が複雑に絡み合い、交錯していく、その時、動じていなかった鉄鎚が微動した。

 

「……む、んっ?」

 

 怪鳥が奇妙にも反転し、おもむろに翼を広げ、空中へと浮き始めた。暫し留まった後、澄み切った青い空に舞い上がり飛び去っていった。その光景を茫然と見上げ、黒い点が消えて見えなくなるその時まで一帯の時は止まっていた。

 腑に落ちない閉幕に呆気無さを感じながら、体は徐々に脱力していった。引き締まった筋肉が緩み、矢継ぎ早に打っていた鼓動も落ち着きを取り戻し始めた。

 残されたのは、巨体が暴れ回った密林の惨状だけだった。

 一先ずの安泰に安堵の息を漏らす。激昂が収まりつつある中、怪鳥が消えた先、澄み渡る青空の一点を睨んで、独言する。

 

「……妙じゃな、あの怪鳥」

 

 小さな声は一頻り吹く風に攫われて、消えた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。