酒場のすぐ隣にある大きな樽に尻を置くと、ジルバはエーランドを傍の樽に座らせた。
しばらく対面した後、エーランドの真っ直ぐな視線を受け止めてジルバは改めて溜息を吐く。
「……で、何の用だ?」
「稽古をつけてもらいたいです!」
「稽古……?」
「はい! 俺、すっげぇジルバさんに憧れてて弟子になるのが夢だったんです! だから……!」
「分かった、分かったから落ち着け、な?」
ジルバは呆れ顔でエーランドの気迫を両の手で抑える。この声量では外に出ても注目の的になりかねない。
興奮しっ放しのエーランドは鼻息を荒くしながら、ジルバに詰め寄り、回答を求めた。
「で、良いのか!?」
「……今、妻と旅行で来ていてな。時間の余裕がないんだ。スマンが、他をあたってくれ」
「そんな! 俺はジルバさんに憧れて……!」
「駄目なものは駄目なんだ。頼むから諦めてくれ」
ジルバが必死に説得するも、未だにエーランドは食い下がるつもりはなかった。熱い期待に胸を躍らせ、合理的な説明をしても受け取るつもりは更々ないようだ。
大きく溜息をついたジルバは顔の前で手 を合わせ、目をぎゅっと瞑るエーランドを一瞥した。
熱情に溢れた彼のことを拒むわけではない。出来ることなら力を貸してやりたい。夢を叶えさせてやりたい。でも、自分は仲間という存在を失うことが怖いから彼の命を預かるだけの自信が、余裕がない。
また同じ目に遭うのではないか。そう考えると怖くて仕方がなく足場を失ったような恐怖に襲われるのだ。
「やっぱり、駄目なものは――」
「――良いじゃない」
ジルバが頑固に断ろうとした。丁度その時だった。ジルバの鼓膜に聞きなれた声が届く。
頭を下げていたエーランドがハッと顔を上げ、ジルバが振り返る。そこにはメルラの姿があった。
「私は構わないよ? 面倒見てあげなさいよ」
「メルラ……! でも……」
「ほら、奥さんも了承してくれましたよ! 良いじゃないですかっ?」
エーランドがここぞとばかりに強気で詰め寄る。接近するエーランドの顔をジルバは押し退け、困った顔をメルラに向ける。悪戯っぽい笑みを浮かべるメルラを見てジルバは察した。
この機会を狙って自分に隊を組ませようという試みか。
もう妻との旅行という口実は使えない。しかし、あの惨劇をエーランドに話し説得したところで彼は易々と手を引いてくれるだろうか。恐らく否だろう。
ジルバは自分の掌に頬をめり込ませるエーランドの顔と悪戯っぽくその様子を見つめるメルラの顔を交互に見てから、大きく溜息をついた。
「分かった。弟子に認めてやるから離れろ」
「よっしゃー!」
「良かったわね。エーランド君」
「おう!」
ハイタッチして意気投合する二人を見て、これは全て仕組まれた策略だったのではないかという場違いな考えを浮かべながら、ジルバは本日何度目かの溜息を吐いた。
師弟関係になったからと言って早速狩りに出かける訳にはいかない。
ジルバは先ずエーランドが狩人になった動機を聞いた。
彼は初めにこう言った。空を駆ける竜や大地の中を進む竜などの世の最上に君臨する竜達は非常に恐ろしく、そして格好良く強い、と。しかし、そんな竜に立ち向かう狩人はそれを越える格好良さだと。
つまり、彼は竜という存在に憧れ、その竜を打ちのめす人間により憧れた、と。長年、ハンターを続けてきて幾多のハンターを見てきたが、このような動機をジルバは初めて聞いた。
「俺は竜を狩って格好良くなって、いつか猟団をつくりたい。そして冒険するんだ。まだ世界には俺の知らない沢山の格好良い竜達がいるからっ……」
「ああ……沢山な」
ジルバの頭に過ぎるのは動く山の如し竜、老山龍。あれを見上げて彼は果たして格好良いと言うのだろうか。破滅の象徴たるあの竜を見て、彼は何を思うのだろうか。
ジルバは宙を見ながら、過去を思い耽っていた。だがエーランドの喧しい声がまた彼を現実へと引き戻す。
「俺はいつか会いたいんだ……伝説の古龍種と。なぁ、ジルバさんぐらいに強くなれば古龍種でも倒せるのか?」
「……無理だな。倒すどころか俺は怖くなって無様に逃げだすだろうな」
「そ……そんなにスゲェのか……」
「凄いなんてものじゃない……アイツは……」
「……ジルバ、さん?」
冷や汗をかき、顔を苦渋にしかめるジルバは明らかに異常だった。エーランドは恐ろしい何かを感じて思わず覗き込んで驚愕する。
それは正しく死の絶望を目の当たりにした様な表情だった。病気を疑ったエーランドが激しく動転する。
「……スマンな。話はここまでだ」
「お、おう」
さきほどまでの熱情が氷水で冷やされたようにエーランドは呆気ない声を漏らした。
杞憂だったのか。エーランドは困惑したまま元に戻ったジルバの表情に目を凝らす。
「明日は武器の振り方について教えてやる。そうだな、陽が見え始めるぐらいに始めるぞ」
「は、早……くないですか?」
「なんだ、不満か?」
当然だ、とでもいうようにジルバがエーランドを見下ろす。
驚愕と困惑に表情を固めたエーランドだったが頭を振った後、強引に口角を引きつるように吊り上げてみせた。
「全然、問題ないです」
後日、ココット村では暁の頃から昼前まで鉄の大きな塊を素振りしていた少年とそれを傍で凝視する男の姿が見られたという。
◆ ◆ ◆
歳月は流れ、世界の景色は移りゆき、ジルバ達にもまた大きな変化があった。
もう九歳になる男の子を授かり、家族三人で幸せな家庭を築きあげていた。
エーランドは逞しく育ち、今では立派に猟団を構成して立派に団長を務めている。数年前から新大陸の方に出向いているらしく、毎年送られてくる手紙には新大陸での新鮮な出来事ばかりが綴られていた。
ジルバは今年の分の手紙を読み終えて、手紙を折り畳むと机の引き出しにしまいこんだ。
ふと、窓の外を見ると空は澄み切ったような黒色に染まっていた。
ジルバは後ろから扉の開く音がして顔を向ける。そこには一枚の紙を持ったメルラの姿があった。
「ラルフは?」
「ぐっすり眠ってるわ。ねえジルバ、突然なんだけど相談があるの」
「相談?」
「ええ。実はマスターから依頼を頼まれちゃって。下位のリオレウス討伐なんだけど……」
ジルバは自分の耳が鋭く反応して震えたのが分かった。
「俺じゃなくても良いだろう? ドンドルマなら強いハンターはたくさんいる。何も俺に頼まなくても……」
「それがね、依頼主が王家なの」
「……それは面倒だな。でもなおさら、俺に頼むべきじゃないだろう。リオレウス狩り専門のやつらに頼めばいいじゃないか」
ジルバの疑問は尤もだった。彼にリオレウスを狩れる自信がない訳ではない。
世界中に生息する自然の脅威たちに立ち向かえる最有力の組織、ハンターズギルドは実質的に絶大な権力を持っていると言っても過言ではない。しかし、社会制度を覆す事は叶わず、またギルドが貴族の資金を活用していることも事実。
ギルドとしてはそういった社会制度の上位にいる方達とは良好な関係を望んでいるのだ。誰とも知れぬハンターが彼らからの依頼を失敗して、貴族や王族の気を損ねることなどあってはならない。
「そうだよね……でもね、もう決まっちゃったの」
「……は? 決まったって……」
「受諾しちゃったんだ」
「……何やってんだよ……」
ジルバは前髪を掻き上げて頭を抱え、現実逃避するように頭を振った。
「私は反対したんだよ? でも、ギルドマスターが……。あと……言い難いんだけど……」
もじもじしながらメルラがおもむろに告白する。
「その……三人同行することになってるの」
途端にジルバから穏和な表情が消える。ジルバは火のような怒りの色を顔に漲らせて宙を睨んでいた。
「分かってるよ。ジルバの言いたいことは……私が酷なお願いをしている事も分かってる。でも、お願い……っ」
メルラがぎゅっと眼を閉じて、大きな音を立てて手を合わせる。しかし、ジルバは一瞥も与えず、暗い空を睨むばかり。
暫く険悪な空気が部屋内を支配し、すっと静まり返った部屋に大きな溜息が響く。おもむろに顔から怒りの色が引き、だんだんと表情から感情が抜け落ちていった。
「……で、本当のとこはどうなんだ?」
「うん? 私が推薦した」
悪びれる様子もなく呆気らかんとメルラは答えた。さきほどまで懇願していたのはまるで無かったかのように。
悪戯っぽく微笑むメルラをちらと見てジルバは溜息を吐く。また前髪をかきあげて悩ましそうに頭を振る。
「だって、こうでもしないとジルバは隊を組んでくれないでしょう? そろそろ、歳も歳だし本当に危ないんだから……」
ジルバの命を心配する潤ったメルラの瞳を正面から見つめて、ジルバの心が揺らぐ。
「それに……報酬も大きいのよ?」
「もしかして……それが狙いか?」
「ほ、ほんの少しね」
人差し指と親指の腹で小ささを表しながら、少し舌を出して可愛く微笑む。
愛嬌を振りまくメルラをジルバは憎み切れず、今日で最も大きく長い溜息をついた。しかし、すぐに幸せそうに微笑んだ。
深刻な話でもこうして最後には柔らかく締めくくろうとするメルラの優しさをジルバは噛み締めながら、遠い星を見るような目で宙を見つめる。
あの日から長い歳月が過ぎた。未だに惨劇の映像は鮮明に脳裏を流れる。
でも、苦しみは薄れた。幸せな時間の中でゆっくりと心の奥に溶け込んでゆく感覚だ。
大丈夫――自分の心に呟いて、ジルバは眠りについた。
◆ ◆ ◆
ベースキャンプの設営に忙しく働いていたジルバは一区切り終えたところで辺りを見回した。
狩りの拠点となるベースキャンプはある程度の条件が必須となる。モンスターが近づきにくい立地であったり、単純に動きやすい平坦であったりと。この一帯はその条件を易々とクリアしていた。
まるで、切り取られたように浅い洞穴があってそれが屋根の代わりになっている。帰路の道と狩り場へ続く小道が二つあるだけで面積はそう広くない。だから飛竜が落ち着けるほどのスペースもないのだ。
晴れやかな空の下に広がる無数の緑。ここは森丘と呼ばれる狩り場である。
腰をグイッと回して、軽く屈伸してからまたジルバは作業に取りかかる。すると、クックシリーズで身を固めた 青年、リンドがタイミングを見計らってひょいっとやってきて――
「実は訊きたいことがあるんですけど……」
と、囁いて隣に座り、道具の整理をしている男女を盗み見てからまた小声で話し始めた。ジルバは作業している手を止めて耳を傾ける。
「実は俺……アウロラのことが好きなんです。それで、今回の狩りが終わったら告白しようと思うんですけど……」
「実はって……知っていたぞ? それにアウロラも……いや、何でもない」
危うく口が滑りそうになりジルバは口を噤む。彼のアウロラに対する好意は数度の面識で手に取るように分かっていた。そして、アウロラもまた彼に対して好意を抱いている事も。
「し、知っていました……っ!?」
驚いたリンドが大 声をあげ、焦って口を塞ぐが手遅れだ。声を聞きつけたアウロラとその隣のピットが慌てて視線を投げてくる。
リンドが大仰に手を振って誤魔化すと二人はまた作業に戻った。安堵の息を吐き、リンドが胸を撫で下ろす。
その様子を呆れ顔で傍観していたジルバがやる気なさそうに質問で話を促す。
「で、訊きたいことって?」
「あぁ、えっと……昨夜からずっとどうやって告白しようか考えてて……ジルバ《先生》はたしか奥さんがいるんですよね? 先生はどんな感じだったか参考にしたくて……」
恋は盲目と聞いたことがあるがこんなにも当てはまる人をジルバは初めて見た。否、自分も当てはまっていたのかもしれない。
先ず、彼女からのあからさまな好意を 彼は気付いていないらしい。告白の結果は言うまでもないだろう。
それにおかしいのは質問のタイミングだ。何度か面識はあったはずだ。その後でこっそりと訊いてくればいいだろう。何故今になって――ここでジルバは考えるのをやめた。正確には今ここで彼の失態を追及したところで何も得るものはないという結論に至った。
「まぁ、なんだ。告白ってのは自分自身が言うものであって、他人のことを参考にするようなものじゃない。自分で悩んで考えて決めるんだな」
と、尤もらしい返答で済ませておいた。
実のところ、ジルバは彼の質問に答えることが出来ない。何故なら、プロポーズも愛の告白をしたのも他でもないメルラだからだ。自分が奥手過ぎるあまりメルラに全ての任を負わせてしまった過去を思い出し、ジルバは自嘲染みた表情を浮かべる。
リンドは納得したのか、嬉しそうに頷くとまた作業に取り掛かった。
軽快なステップを踏むリンドの背中を見つめ、ジルバの表情が緩む。
「……フッ、おかしな奴だな」
何年ぶりだろうか、狩り場で仲間と共に会話するのは。
ジルバは澄み切った青空を見上げ、悪くない、と心の中で呟いて微笑んだ。