モンスターハンター 老年の狼   作:まるまる

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其の参

 夜の密林は丁度良い気温に恵まれ、また清々しい風も吹く。闇に包まれながら潜む敵に怯える必要がなければどれだけ快適なことだろうか。

 夜営を終えた一行は小憩を挟んでから後日の会議を控えている。

 その小憩をアルは弾丸の作製と軽銃の細かい点検に費やしていた。肝心な時に使い物にならないのでは話にもならない。点検は細心に余念なく、欠かすことなど有り得ない。

 古龍観測隊の者達はそれぞれ親密な仲で集まって取るに足らぬ世間話を交わしていた。中には月明かりを利用して書類作りに励む者も少なくない。

 ハザンとミラは近くの河原で腰を落とし、月に照らされ輝く天然の河を穏やかに眺めていた。延々と流れる河に有限はなく、二人だけこの空間に透き通るようなせせらぎを小さく響かせていた。

 

「なぁ、アンタはどれくらいこっちにいるんだ?」

 

 ハザンは代わり映えのしない河の流れを観察しながら平常通りにミラに話しかけた。

 

「分からない。指示書にないから」

「……そうか。今日はどうだった? なんか見つけたのか?」

「いいえ。特に何も」

 

 当たり障りのない会話で柔らかに始めてからハザンはゆっくりと一拍おいてから本題に切り出した。

 

「……両親がいないんだってな。エレナから聞いた」

「……それが何か?」

 

 まるで塵芥でも見るかのような眼。非人情で人間味の欠片もない最低な人に思えるが、彼女にとってはこれが普遍で変わることのない本心なのだから仕方がない。

 彼女の常識 をどうやって非常識に変えることができようか。ハザンはこれを無意味だと知っている。不可能なことだと誰よりも分かっている。

 しかし、惹かれてしまったのだ。その彼女に。だから理性を吹き飛ばして、不可能だと理解していて、挑もう試みようとしてしまう。愛を知らぬ者に愛など語れないのだから。

 

「俺も両親がいないんだ。俺はこことは違う新大陸の生まれらしくて、でも俺は故郷を知らない。物心ついた時には猟団の人達と大陸を巡っていた。楽しかったんだ。猟団の仲間が、エーランドがいたから。俺は恵まれていて幸せだったんだと思う」

 

 この先に待つその時を覚悟してハザンの心臓が激しく打つ。

 

「アンタにはいるのか? そんな人が」

「分からない。でも、多分いない」

 

 息苦しく恥ずかし い。鼓動の音が聞こえてきそうだ。

 ハザンは軽く頬を赤くしながら震える唇を一度結び――開いた。

 

「そう、か。だったら……もしも、だ。俺がアンタの大切な――」

 

 ――言葉が、切られた。激しい羽搏きの風声によって。

 狩人としての常なる警戒心が敵影の訪れを逸早く察知し、その方向を悟る。上空、旋回する影が見える。

 それはやがて流れる河に波紋を描き、木々を揺らがせて降り立った。鳥竜種の大型モンスター、怪鳥イャンクック。

 ハザンは気づかれていないことを悟ると同時にミラに覆い被さって伏せる。視覚への警戒も譲れないが、何よりイャンクックは聴覚が異様に鋭い。息をひっそりと殺し、眦を鋭く怪鳥を睨んだ。

 状況を徐々に受け止めたミラはハザンの素早い対応に感服し、イャンクックに目を凝らす。

 嘴を器用に扱って流れる河の水をその喉に吸い込んでいく。水を飲みに来ただけなら数分もしない内にこの場を飛び去ってくれるだろうとハザンは信じて待った。

 月光に照らされる怪鳥。ハザンはその姿の異変さに勘付き、目を細めた。

 

(妙に……赤いな)

 

 文献によればあの甲殻は桃色と表現される。事実、何度か対峙したことがあるハザンはその異様な赤さに違和感を懐いた。

 彼らに詳しい彼女に聞くのが最善。そう考えたハザンがミラを盗み見た時、表情の変わり様に不審を懐いた。赤色(・・)のイャンクックを舐め回すようにじっくりと見つめ、その眼はまるでそれを探していたかのような、既知していたかのような。

 

「どうかしたのか?」

「……いいえ。別に」

「そうか。すぐに去るだろうから、もう少し我慢してくれ」

 

 掌が嫌な汗を掻く。穏やかな河のせせらぎも今となっては聞こえないに等しい。

 ここで武力撃退を臨めば勝算がないことはない。それは徹底して非戦闘員であるミラを考慮しない結論であり、現実的に得策とは言えない。

 やはりここは潜んで過ごす事が最善と言える。

 そろそろだろう。水を飲み終えたのか、辺りを見回すイャンクックを見てハザンが安堵の息を吐く――その時だった。

 思いがけず茂みがと揺れてがさがさと音を出す。ハザンは一瞬体を震わせて慌てて首だけで振り返った。

 

「ハザン君、そろそ……ろ――っ!?」

 

 イャンクックを確認するべく首を戻す。

 黄色い目玉の真ん中にある黒曜 石のような瞳孔がそれを確かに捉えていた。月明かりに煌く一対の瞳が土足で踏み込んだ無知な侵入者を睨みつけた。

 完全に悟られた。迷っている暇はない。戦闘準備だ。

 

「アル! 古龍観測隊の人達をなるべく遠くへ逃がせ!」

「分かった! 西に向かわせるよ! ……気を付けて!」

「ああ、勿論だッ!」

 

 アルが茂みに駆け込み、ハザンは太刀を抜く。

 突如、腹の内に響く咆哮に物怖じせず立ち塞がる。首の動きだけでミラを自分の後ろへと回らせ、再びイャンクックを正視する。

 激しく踊るようにイャンクックは足踏みして河の飛沫をあげた。月光を浴びるその姿をお世辞にも愛嬌があるとは言えない。

 ハザンは視線を落とし、腰回りにつけられた道具を確認する。

 

(だよな……音爆弾は一個しか持って来てない。閃光玉も……一つか)

 

 どうにか簡単に撃退し得る術はないか。

 ハザンは弾かれたように振り返った。ミラの方へと。

 

「何か策はないか?」

「イャンクックは極めて臆病。縄張り意識が強く、私たちのような小型の侵入者に対しては攻撃を仕掛ける。後退しながら敵対心がないことを示すのが鉄則」

「……だろうな」

 

 ハザンは太刀を下段に構えながら刺激しないように緩慢に後ずさりした。イャンクックは何を仕出かすか分からないといった眼でこちらを窺うばかり。

 心臓が早鐘を打つ。後もう少しで安全な場所まで離脱できる。

 大きく息を吐き出そうとした時だった。突然、思い出したようにイャンクックが喚きながら突進してきた。

 

「クソっ! 」

 

 悪態をつきながらミラの華奢の手首を引っ張り、そのまま抱き込むようにして身を投げ出す。

 背中を地面に強かに打ちつけ、前方を通過するイャンクックの速度に驚愕する。かなり距離は稼いだはずだ、と先までの事を思い出しながら不思議な思いに駆られる。

 兎にも角にもイャンクックは積極的に交戦をお望みのようだ。こうなってしまった以上、ミラを庇いながら対抗する他ない。

 

(ジルバさんなら奇策を思い付くんだろうが……生憎、俺はそんなに器用じゃない。力尽くで撃退する)

 

 駆け出し、跳躍する。着地と同時にしゃがみ込んで啄みを避け、河原の石が弾き飛んだ。

 力強く一閃。足払いをかけたつもりだったが、底知れぬ筋肉に阻まれた。手首を返して横一線に薙ぎながら、ドドブランゴ戦のエリックの動作を思い出しながら実行する。飛び退きざまに斬る。

 距離は十分にある。ぐるん、赤い巨体が目の前で回って次には尻尾が恐ろしい勢いで迫ってきた。これを後ろに跳んで回避し、再び距離を詰める。

 狙うは足。乱暴に薙ぎ払われた太刀は電光を発しながらイャンクックの膝辺りを通過した。転倒には持っていけず、再び一寸違わぬ動作で落ち着いて飛び退きながら斬る。

 ハザンは自分の冷静さに驚きつつ次なるイャンクックの攻撃を啄みと見て取った。

 嘴の軌道を読み、それに逆らわず同調するように太刀で打ち払う。反発はせず、徹底して敵に合わせる。

 力の抜けた先が狂ったイャンクックは体勢を崩し、無様に顔面から転倒。巻き込ま れまいと前転したハザンは敵の背後を陣取った。

 緩急は一遍に激しく。大男の山賊が放つような蛮骨な一閃がイャンクックへ上から放たれた。狙いは容赦なく又しても足。

 ハザンは柔と剛を激しく入れ替え、制したのだ。敵の攻撃を柔によっていなし、剛によって敵を制する。剛ばかりに頼ってきたハザンには考えられぬ芸当。

 それもこれもポッケ村で出会ったエリックから学んだことだった。

 

「まだ動けるか……っ」

 

 苦渋の声だった。筋肉が激しく弛緩と緊張を繰り返すことで常時より体力の消耗が凄まじい。短期決戦を臨むハザンは少々の無茶をしてでも敵の運動の要である足を狙うしかなかった。

 ゆえに平然と立ち上がるイャンクックを見てハザンは顔を顰めた。

 災難は続く。ハザンは敵に専心し過ぎた。その為にある大切な要素を放棄してしまっていた。

ハザンはそれをこの場にいる者の立ち位置とイャンクックが振り返ったことにより気づく。ミラとハザンがイャンクックを挟み、イャンクックが振り返る先は言うまでもなくミラ。

 この位置関係では援護に間に合わない。ハザンは己の失態に唇を噛み、慌てて思考を巡らせた。

 思うが早いか、腰にぶら下がった音爆弾に手を伸ばし投擲。悲鳴を散らすイャンクックの真横を疾駆。素早くミラの傍につき安心するように息を吐いた。

 貴重な一つだけの音爆弾を使ってしまった。出来ることなら反撃の一手に使いたかったが、悔やんでも詮方ない。

 

「時間を稼ぐ。走れるか?」

「ええ」

「そろそろ古龍観測隊(向こう)の方は移動し始めた頃だろう。確か西だったな」

 

 ハザンは閃光玉を握りしめ、並外れた様子で足踏みするイャンクックへ狙いを定めた。放物線を描いた閃光玉は的確にイャンクックの目の前で白い閃耀を破裂させた。

 イャンクックが目を瞑って頭を振り回す。その様子を振り返りながらハザンはミラと並行して駆け出した。

 逃げられる。そう確信し、茂みがすぐそこまで迫ってきた時、前例に感じたことのないでたらめな殺伐とした気配を受けてハザンは本能的に振り返った。素人のミラでも十分に感じ取れたのだろう、信じられない嘘を現実で見たように目を見開いていた。

 視覚はないはずだ。しかし、イャンクックはこちらの位置を正確に把握して走り出した。

 

「音で分かるのか……!?」

 

 完全に虚を衝かれた。しかし、ハザンは自分でも驚くほど冷静だった。

 

「走れえッ!」

 

 怒声に似たハザンの差配をミラは思いがけず心臓をきゅっと縮ませてから気迫に押されるように再び走り出した。

 駆けて離れていくミラの後ろ姿を尻目に見てハザンは前を向き直った。イャンクックとの距離は恐るべき勢いで詰められていた。自分を突破されれば十秒足らずで彼女の華奢な体が巨躯に飲み込まれるであろう。避ける訳にはいかない。

 太刀を構え、直撃は何が何でも回避する。突進の軌道を、あわよくば転倒まで持ち込めればそれでいい。その後の対処は追って考えればいい。

 衝突する直前の期、身体を逃がし力技で突進のベクトルを折り曲げた。突進力を損ねたイャンクックは地面へと投げ出され、ハザンは最小限に和らげたはずのけた外れの衝撃を受けて地面を転がった。

 

「――ッ」

 

 全身を打ちつけ、立ち上がる事は叶わない。地面に身を投げ出した筈のイャンクックは無傷で何事もなかったかのように起き上がった。

 自ら安全に倒れ込むことで危険性を掻き消したのだ。してやられたが、こちらの本望は果たせた。ハザンは薄笑いを浮かべて震える腕と足に力を入れた。

 

「っ、駄目か……。これからだってのに呆気ないな」

 

 体はまるで別人のものように動かない。痛みばかりを訴えておいて、肝心の脳からの命令には返事を寄越さない。

 折角、復讐心から解放されて華やかな生きる道を見つけられたというのにあまりに量の少ない人生だった。ハザンは自分の年齢を脳裏に書き浮かべて心の中で嘲笑した。

 しかし――課せられた任務は果たせた。生きてきて初めて好きだと思えた人を救えたのなら、それは幸せだろうと言い聞かせて――いたのに。

 

「――何で……」

 

 途端にハザンの表情は色を失って、しかし、確かに表情の陰に幸せに似た喜びを感じていた。

 瞠目したがやはり、彼女は目の前に立っていた。駆けて離れていったはずの華奢な背中が、勇ましく凛として見える。

 驚き入り固まったハザンの表情が次には憤然としたものに変わる。

 

「くそっ、何で来たんだッ!」

「……分からない。でも、貴方に死んでほしくない。死んだらダメ。そう思ったから」

「……ッ! 俺はアンタに生きて欲しくて――クソッ」

 

 沸々と怒りが湧き上がるのに、それを和らげる幸福が同じように膨れ上がる。素直に加速する心臓の収縮に言葉が遮られる

 潔く死ねなくなった。まだ生きなければならない理由ができてしまった。

 立ち上がる糧はそれだけで十分だった。

 ミラの前に立ち塞がり、イャンクックの真正面から太刀を構えた。

 

「グギュアアアアアアアッ!」

「刺し違えてでも止めてやる……ッ!」

 

 並の者なら怖気づいて腰を抜かすほどの咆哮を一寸の揺るぎもなくハザンは受け止めた。

 両者睨み合い、本来あるべき夜の静けさと河のせせらぎが蘇る。場に奇妙な静寂が流れ、もはや不可思議さえ感じる月下の一時。

 湿潤に冴えた空気を貫く月光を包み込むように受け止める透明な河。その傍で相見える狩人と怪鳥は寸時の隙も見せず来たるべく転機を俟つ、一枚の画。

 太刀が揺らいだ。ハザンが一足踏み込んで腰を落とした刹那――桃色(・・)のイャンクックが敵意を消して翻った。

 

「はっ……え?」

「……?」

 

 まるで落胆したように陰る背中は遠ざかる度に心なしか寂しさが篭る。やがて、翼をゆっくりと動かして夜空へと舞い上がった。それからはあっという間で呆然としていると怪鳥の姿が完全に見えなくなっていた。

 ハザンはゆっくりと現実を噛みしめながら状況を理解していって引き締めていた全身を緩めた。途端、全身が脱力したかと思えば激痛が蘇ってきて体の中の何かが抜けたような感覚を最後にハザンの意識が飛んだ。

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