其の壱
鳥の歌声。人々の喧騒。吹き抜ける風の音。
しかし、そんな平穏な村の極一部ではまるで、まったく別の雰囲気を作り出した部屋があった。部屋の中央には互いに木製の得物を構えたエレナとジルバが相対し、すでに長い時が流れていた。
張り詰めた空気の最中、鳥の鳴き声が止んだ刹那――エレナが突然駆け出して五メートルほどの距離を一気に縮めた。
始まる瞬間を事前に決めていた訳ではない。しかし、ジルバはエレナが本気で振るった剣を平然と柄で防ぎ、押し返した。
後ろに倒れそうになったエレナは危ういところで踏ん張り、再び走り出した。今度は勇ましい気合の篭った声を出しながら飛びかかる。
ジルバは当然のように躱した。それどころか床に擦らせるように足を飛び出させてエレナの足を流れるように払った。
「わっ……!?」
派手に転んだエレナは確りと手をついて体勢を整える。
「まだまだじゃな。それではワシに一撃も当てられんぞ」
「っ……」
屈んだ状態から起き上がるように走り出し、真っ正面から飛びかかる。エレナの渾身で振り下ろした斬撃は木の軽い音と共に結果を得ず。
縮まった身体をバネのように持ち上げて木槌を弾き上げた。しかし、後ろに下がりながら巧みに防御するジルバ自身を攻めあぐねる。折角、作り出した隙も水の泡だ。
しかし、エレナは力の差を感じさせないほどの気迫を放ち、躍り出る。真っ直ぐに放たれた気迫を敏感に感じ取ったジルバは猛攻を予期し、身構える。
右。高速で閃いた軌跡は木槌に阻まれる。構わず振り抜いた左の剣は木槌の頭に弾かれた。兎のように跳びはねてジルバの側方から連撃を繰り出す。
削り飛ぶ極小の木片。風を切り裂く音と木がぶつかり合う軽い音が間を空けず鳴り続ける。全てを完膚なきまでに防ぎ、避けるジルバは密かに笑みを浮かべた。
驚くほどに成長したエレナが繰り出す連続の斬撃はどれも的確で申し分がない。身体の使い方、回転を加えることで剣の威力も上がっている。三日前と比べれば感嘆し得るくらいだ。
しかし、工夫が足りない。これでは無駄に体力を消耗するばかりである。
(ふっ、成る程な。体力勝負か)
休まず、また休む暇を与えずに繰り出される剣戟は体力を奪うため。疲れ果てて隙を作り出す算段だろう。
悪くないが、体力の少ない熟練者が体力の消費に念を置かない訳がない。最小限の動きであしらっている。体力の減り具合は一目瞭然だろう。
しかし、念の為だ。ジルバは体力の消費を防ぐべく最も重たい部分である木槌の頭を床に置き――
「――ッ!」
左から振るわれた木の剣が凄まじい回転とともに二人の上空を舞う――否、手放した。
目に留まらぬ速さで剣を構え、エレナが全精力を振り絞る。柄を傾けて防ごうとするが、何かが固定されたように動かない。
見ると、エレナの足が木槌の頭を確りと踏んで捉えていた。
危険を感じたときには既に遅く、剣が迅速に迫ってきて。
かくん、と軌道を逸らした剣はジルバの掌によって足元に落とされた。
エレナがまだ動く。ジルバも同時に動く。
消えたかに思われたエレナは電撃の速度でジルバの背後に回り込み、腕を伸ばして上空を舞い上がって戻ってきた剣を握ろうと――刹那、剣があらぬ方向へと飛んでいった。
「惜しかったのう」
見上げるとそこには満面の笑みで見下ろすジルバの顔があった。
途端にエレナは脱力し、鋭かった眦が緩む。その場に大の字に倒れ込んで天井を見上げたまま駄々をこねる子供のように両手足を振り回した。
「もう少しだったのにーっ!」
体力を削ることで木槌の頭を床に預ける動作を誘った。それは予めこの三日間のうちにタイミングと癖を見抜いていることが前提だ。
片一方の剣を敢えて上空に舞い上げて自分が残り一本の剣を握っていることだけを悟らせる。木槌の頭を踏んで行動を制限し、残りの剣で仕留めにかかる。これが弾かれれば体の小ささを活かした身のこなしで回り込み、上空から落ちてきた剣を掴んでラストチャンスを狙う。
癖を見抜く洞察眼。幾重にも練られた深い奇策。回転しながら落ちてくる剣の柄を見極められる動体視力。何より全てを完璧にしてみせる実行力。
エレナが練り上げた作戦を順に頭に並べてジルバは驚愕を張り付けたまま床で暴れ回るエレナを見つめていた。
(どうやら、思っていた以上に成長しているみたいじゃな。全く……これから楽しみじゃのう)
エレナは未だにぶつぶつと何かを呟いて勝ち損ねたことを悔やんでいる。ジルバはそんな後ろ姿が微笑ましく、慰めつつ提案を持ちかける。
「そう落ち込むな。ワシも負けるかと思ったんじゃぞ?」
「で、でもぉ……」
「そんな事に時間を費やすより集会所で乾杯するのはどうじゃ? 勿論、ワシの奢りでじゃ」
「本当ですかっ。行きます、行きます!」
「ふっ、切り替えが早いのう。まぁ良い。行くぞ」
「おーっ!」
拳を突き上げてエレナが元気よく声を張り上げた。先ほどまで落ち込んでいたのが嘘みたいで奢られるのを待っていたのではないか、と考えてジルバは心の中で苦笑した。
天真爛漫、元気溌剌な彼女が先ほどまで闘士のような気迫を放っていたとは考え難い。嬉しそうにスキップしながら集会所へと向かうエレナを見るとその疑いは強くなる。
――分かっている。彼女は日に日に強くなっている。
ゆえに怖いのだ。何時か訪れるだろう悪魔的な強敵の前に彼女を立たせるのが。大切な人を失うのが。
エレナが振り向き、笑顔を向ける。ジルバは内心を押し縮めて笑顔を作った。
(話す時が来たのかもしれんな)
それは彼女が生き残るため。
自分を踏み台に階段を上がってもらうため。
密林へ向かった古龍観測隊と狩人の一行は不測の災難に多大な損害を被ってやむを得ず棄権、帰還を選んだ。
死傷者こそ出なかったものの負傷者が数名。護衛を任されたハザンとアルの心は酷く痛まれた。
そんな心の傷を癒す暇もなく、心を許せる筈のジャンボ村に着いても顔を上げて歩くことはできなかった。交わす言葉もなく、心を曇らせて様々な手続きをすべく集会所へと入ろうとした時だった。
「よぉ、エレナ――……?」
エレナが集会所を足早に出てきて、すれ違った瞬間エレナの頬が僅かに濡れていたことにハザンとアルは驚き振り返った。
声をかけようにもどんどんと離れていくエレナの背中を見ると言葉も出てこず、二人は暫し遠くなっていくエレナを見つめていた。
訳も分からず二人は見合わせ、しかし、何か彼女に良くない事が起こったのは間違いないと確信した。そしてすぐに原因は判明する。
机に肘を置き、頭を抱えるジルバの姿がそこにあった。
「ジルバさん、どうかしたんですか?」
「ああ、帰ってきていたんじゃな。……丁度いい。後処理があるのじゃろう? 終わったら来てくれ。そこで全部話そう」
「分かりました」
古龍観測隊の者と共にギルドへ失敗の旨を報告し、粗方の書類を片付けた後、言われたとおりにアルとハザンはジルバの反対側の席についた。
ジルバは己の壮絶な約六十年の人生をたったの十数分に纏め上げた。その内容は時の概念を忘れさせるような濃さでとても二十歳の者達が聞くような、夢見るような生易しい物語ではなかった。
珍しく自嘲的な調子でジルバは己の全ての一部を明かしたのだった。そして、すべてを語り終えた後で彼はこう言った。
「だから、どうか……ワシを切り捨ててでも生きてほしいんじゃ。ワシはその覚悟が……誓いが聞きたい。ずっと疎かにしてきたが、ここではっきりさせねばなるまい……そう思ったんじゃ」
「……それでエレナは? なんて言ったんですか?」
「分かりません、と言われた」
「……でしょうね」
事の深刻さにアルは口を開けず、ハザンは静かに視線を落とした。同じくジルバは頭を抱えたまま悩みに暮れていた。
するとジルバは弾かれたように頭をあげ、徐に口を開けた。
「お主達はどうなんじゃ?」
今一番、聞きたくない質問が聞こえてきて二人は息を飲んだ。
「同じです。エレナと……」
「僕も……です」
「……そうか。スマンな。ゆっくり休みたかっただろう。貴重な時間をとってしまったの」
「いえ……それでは」
「体にはお気をつけて」
二人は席を立ち、ジルバに軽く一礼してから歩き始めた。
ジルバは重く沈んだ悩みを抱えたまま集会所を出ていく二人を静かに見続けた。
◆ ◆ ◆
村の外れにある目立たぬ小屋。まるで闇の背景に紛れ込もうとするように立っている。
しかし、ほんの僅かに漏れる灯りが人の在住を明らかにしていた。それと同時に零れる怒りの篭った人語がさらに決定づける。
部屋の中では暗い緑の羽織を着た二人が相対し、言葉を交わしていた。
始めは実に事務的だった。片方の問いに対して片方が声色を変えず答えるだけの繰り返しだった。しかし途端、回答者が意見を述べ始めたとき場の空気が険悪になり始める。そしてそれは糸目の男が声を荒げたと同時に露わになった。
「聞き間違いかもしれん。もう一度、言ってくれるかな? ミラ二等書記官」
「はい。何故、あの方々を監視しなければならないのですか?」
「ほう……何故、ですか」
糸目の男はソファから立ち上がるとミラの周りをゆっくりと踏みしめるように歩き始めた。
「私はあなたがこの任務に最適だと評価し、昇格を約束して任に就かせました。一切の私情を持ち込まず、ただ淡々と完璧に任務をこなすだろう、そう私は思っていました」
「恐縮です」
「ですが……今のあなたはどうでしょう? 発言権がないにもかかわらず意見を発し、ましてや任務に無関係なことまで知ろうとする……一体、どういうおつもりかな?」
「私は彼らを監視する意味が――」
「――もういいッ! ご苦労だった、ミラ二等書記官。戻りたまえ」
突然、室内を支配した怒声に空気がぴりぴりと震える。しかし、表情の色を変えず何事もなかったようにミラは立ち上がった。
「……分かりました」
静かに閉まる扉の音。怒り狂ったように表情を変貌させた糸目の男はそれを手で覆い隠すようにしてから前髪を力任せに掻き上げる。
その後も表情は怒り狂ったまま。首元を何度も強く掻きながらブツブツと独り言を漏らしていた。
「全く……使えない女だ」
その声色は一瞬、常に隠していた氷塊のように冷たく恐ろしい怒りを露わにしていた。