声が遠くなってゆく。徐々に小さくなっていく影から視線を外し、アルは進行方向へと振り向いた。
大きく口を開けた洞窟が待ち伏せしている。アルがそれを確認すると同時にキャラバンの速度が落ち始めた。どうやら、洞窟で一度留まることを決めたようだ。
明るかった筈が途端、薄暗くなる。西にある大きな横穴から入る太陽の光がここの明度をある程度明るく保っているらしい。対して東の壁は酷く暗かった。
「ハザン君、指示は?」
「このまま南へ向かう。ギルド管轄の狩り場があるはずだ。そこのベースキャンプを貸してもらう」
「そうだね。なら、早く向かおう」
「ああ。でも、ゴーシュ団長の意見も聞いておく。俺達の独断では動けないからな」
そう言ってハザンが最前のキャラバンへと向かおうとした時だった。
先ほど入って来た洞窟の入り口で耳を劈く爆発音がした。あっという間に皆は視線を奪われたように入り口を向く。
見ると入り口が崩壊した岩によって塞がれていた。恐怖と騒然が巻き起こる中、狩人の二人だけが事態を冷静に察した。
「ラージャンのブレス……か。凄い破壊力だ」
「のんびりしていられないな」
ハザンの零した言葉はある意味で適切であった。
狩人に油断は許されない。自然は常に命を脅かしている。
初めに聞こえたのは小石が転がって落ちる奇妙な音。次に感じたのはおぞましく夥しい視線。
それは又とない絶好の機会であっただろう。自ら巣窟へと飛び込んできた愚かな獲物達。暴れ回る金獅子によって棲み処を奪われた彼らにとってこれは神の恵みに等しかった。
五十は優に超えるランポスの巣窟。気づかぬ内に囲まれていた。閉塞感を覚えるほどの視線の集中に緊張で息が詰まりそうになる。
「ギャアッ! ギァァッ!」
「っ、くそったれ。皆さん、絶対にキャラバンの中から出ないで下さい!」
ハザンの怒鳴り声に似た警告が飛ぶ。
ランポスは徐に全方位から距離を詰め、獲物の詰まった宝箱を舐め回すように睨む。
「僕に考えがある! ハザン君、男の人を四人、最後尾のキャラバンまで呼んで!」
「……分かった。信じるぞ」
「保証はないけどね。やるしかない」
ランポスは警戒しているのか、それとも抱え切れないほどの食料に慎重になっているのか。一気に距離を詰めてくる気配はなかった。
それが唯一の救いだ。アルは全方位に感覚を研ぎ澄ませ、いつでも撃てる体勢と準備を整えた。
一触即発。いつ、ランポス達が痺れを切らすか分かったものではない。
「アル、集めたぞ!」
「積み荷に壺に入った油がある筈なんだ。それを最前のキャラバンまで運んでほしい。……マズイ、来たッ!」
「クソッ。こっちは任せます!」
悪態をつきながらハザンが飛び出す。発砲音が連続で反響する。接近してくるランポスだけを的確に撃ち抜くも数が多く、対処し切れない。
ランポスが人間の匂いを嗅ぎつけて迷わず商人達が乗るキャラバンへと飛びついた。が、しかし、寸前で太刀が振り抜かれ、ランポスが血潮を吐いて地に伏せる。
しかし、それでもランポスの侵攻を抑えることは叶わず、キャラバンを牽くアプトノスが狙われた。
突如、洞窟内を閃光が走った。それが閃光玉だと分かるのにそう時間はかからなかった。だが、二人ともが既に手一杯の状況の中、一体誰が、という疑問符が二人の間に浮かぶ。
「オイラだって、道具の使い方ぐれぇ分かるんだよ!」
「俺達の商隊だ! 俺達が何もしねぇでどうするよ!」
そんな叫び声を頼もしく感じながらアルはキャラバンから飛び降り、片手剣でランポスに接近戦を申し込む。
キャラバンの中から聞こえる不安げな声が二人の闘志を燃え上がらせた。
負ける訳にはいかない。想像してみろ――泣き叫ぶ罪なき人々が食われる光景を。目も当てられぬ阿鼻叫喚を。
「アルの兄ちゃん。どうすれば良い!?」
「前方に向かって油を投げてください! 火の道を作ります!」
「よし、きたッ」
閃光によって視力を奪われたランポス達に大量の油が投下された。それを横目で確認したアルが腰に着けた小タル爆弾を外して火をつけ、ランポスの群れへと身体を投げ込む。
腕を噛まれ、足蹴にされるも構わずアルは丁寧に小タル爆弾を設置するとランポスらを振り払って走り出した。
刹那、背後から爆風が吹きつけてアルは前のめりになりながらもしっかりと受け身を取って転がった。
休む暇はない。火の道の完成を確認するまでもなく軽銃を構えて三度、発砲。貫通弾がキャラバンへと接近するランポスを貫いて絶命させた。
疾駆。真っ赤に照らされたキャラバン。アルとハザンは火に炙られながらもキャラバンと並走した。
「抜けた……!」
振り返る。必死に追随してくるランポス達。
出口との距離、ランポス達との距離を確認したアルが苦渋の表情を浮かべた。ハザンも似たような表情だ。
追い付かれるのは目に見えている。ランポス達は格好の獲物を逃がすまい、と必死だ。諦めてもらうには無理があるだろう。
刹那、二人は見合わせる。考えることは同じのようである。
「覚悟はできてるか?」
「うん。これしかない」
「よし……ゴーシュさん! このまま南へ向かって下さい。そこにギルド管轄のベースキャンプがあります。そこなら安全です!」
「お前さんらは……!?」
「一狩り用事出来ました」
「はっ、それでこそハンターだ。気いつけろよ」
キャラバンと並走していた狩人二人が足を止める。
迎え撃つはランポスの青い大群。足を止めた二人に警戒してか、統率された連携力で大群は一斉に停止した。
総力を持って即時に狩人二人を仕留め、抵抗力のないキャラバンを追跡してゆっくり食事するつもりなのだろう。
全く以て面白いほどに――
「――狙い通りだ」
キャラバンが洞窟を抜け出したとほぼ同時、振り返ったアルが出口へと向けて三発、発砲した。
突如、弾丸の内部から紅蓮の炎が火を噴いて爆散。地鳴りを伴う轟音と共に、濛々たる土煙が出口を隠蔽。土煙の幕に覆われたその先は言うまでもない。
事態を察したランポス達の、一斉の怒声。折角の獲物は遠くへと逃げ、住み慣れていた巣を破壊されてしまった。
凄まじい数の殺気が二人を飲み込み、圧倒する。閉ざされた洞窟の空気は圧倒的にランポスに独占されていた。
ここは敵の本拠地。背水の陣である。
しかし、負けて良い理由になどなりはしない。死んで良い理由にはならない。
「アル……生きるぞ」
「必ず」
――息を吸い込め。――飲まれるな。――否定しろ。
喉を燃やし――さあ、空気をひっくり返せ。
「「っ、あああああああ゛あ゛あああッ!」」
狩人の雄叫びが空気を支配する。
◆ ◆ ◆
ジルバとエレナは地面に伏せながらラージャンが放ったブレスの向かった先に驚愕の視線を飛ばしていた。
「す、凄い……」
「古龍に匹敵する、か。あながち間違いないかもしれんな」
これほどの威力だ。ラージャンにも負荷がかかるだろう、と予想されたが、その兆しが見えることはない。雄叫びを散らしながら、突進の予備動作に移る。
跳躍。数瞬の後にはラージャンは凄まじい轍を残して後方へと通り過ぎていた。二人は当たり前かのように避けると素早く体の向きを入れ替える。
ラージャンは大人しく、しかし、その獰猛な本質は隠されることがない。四つん這いで構えるその姿は一見、嵐の前の静けさのように感じられた。
そして、二人は予期する。嵐が来る、と。
狙われたのはエレナ。ラージャンが迫った途端、胸を絞るような圧迫感は限界を達し、全身の筋肉が硬直したのを感じた。
蘇るのは勇猛に戦った父と隠れて涙を流す母の記憶――ではなく、狩人として培った日々。今、最大限に活かさねばならない記憶の数々。
瞬間、緊張が解ける。エレナは全身のバネを使って回避。怯むことなく身体ごと切り返し、肉薄。横薙ぎに振るわれた腕、見事な速断力と身体能力、だが、上回る。
極端に前屈みになって振るわれた腕を掻い潜る。一閃、続けてもう一閃。
ラージャンの腹の下を滑り込んで通り抜け、再び全身をバネのように飛ばす。加えて駒のように回転し、ラージャンの横腹に切傷を刻む。
予感、飛び退く。眼前を腕が通過し、冷やりと寒気が背筋を走る。
「見事じゃな」
すれ違い様、かけられたジルバの声にやや小躍り、兜の内で頬を赤らめた。
見間違えるような速さで入れ替わった狩人に対して踊らされつつもラージャンは持ち前の身体能力で遅れを取り返す。
ジルバの視界からラージャンが消えた、否、直上に飛んだ。決してジルバは劣っておらず鋭い目つきでその行く先を追っていた。
降り注ぐエネルギーの塊。当たれば次はない。
しかし、ジルバは既に回避していた。否、的確に言うならば次の攻撃に備えてラージャンの着地点で待ち構えていた。
着地。地鳴りに負けず戦鎚を振るう。横腹を殴られ、ラージャンがくの字に曲がる。短い呻き声に手応えを感じながら、ジルバは離脱しようとして――暴虐な気配に襲われた。
「ッ!」
積み重ねてきた経験が警告していた。ここを逸早く離れなければならない、と。さもなければ次の瞬間に死ぬ、と。
身体を後ろへと投げ出す。戦鎚を持っていては間に合わない。それよりも腕は交差して頭を守った方が幾らか価値がある。
刹那、暴風が吹き荒れたかと思えば、先ほどまでジルバがいた地面がごっそりと消えていた。交差した腕の間から見えたそれは生物というより破壊の衝動に駆られた何かに近かった。
横腹の痛々しい凹み。痛覚が無いのか、と一瞬ジルバは疑ってしまった。
着地と共にジルバはナイフを瞬時に構えながらもう三度、飛び退いた。
「……化け物じゃな。狂っておる」
端からあの一撃を狙っていた。あの一撃は反射によって苦し紛れに放ったのではなく、綿密な計画性があった。それでなければ、あの起こり――心臓を押し潰すような気配は出せない。
破壊する為なら痛みは厭わない。混沌を手に入れた火竜よりも、生にしがみ付いた迅竜よりも、知能を獲得した竜達よりも恐ろしくぞっとする。
ジルバは錯覚と分かっていながら、金獅子の背後に赤くどす黒い靄に包まれた怪物を見た。
本来の危険度とは桁が違い過ぎる。ギルドが異名を名付けなければならなくなるのも納得である。
今一度、見直さねばならない、が、そんな悠長な時間を与えてやるほど金獅子は甘くはないようだ。
予備動作からの雷球の射出。ジルバは雷球の斜線から逃げつつ金獅子を中心に弧を描くように走り出した。
金獅子がぐっと力を込めて屈む。同時にジルバは足を速めてその進路を予測。金獅子が地を離れるとほぼ同時に急旋回。置き去りにした閃光玉が炸裂する。
閃光玉は見事に金獅子の視界に白い幕を下ろした。この隙にジルバは一直線にエレナへと向かう。暴れ回る金獅子に無謀な追撃はしない。
「ワシが時間を稼ぐ。エレナにはこれを点々と置いてきてほしい」
「分かりました。ジルバさん……無茶だけはしないでください」
「勿論じゃ」
ジルバに渡されたものを手に取ったエレナは振り返ることなく巨大な木の向こうへと走っていった。
その姿を確認するまでもなく、ジルバは腰を落として迎え撃つ姿勢を整えた。戦鎚は使わず、鋭利で丈夫な狩猟用ナイフ一本を得物とする。
目的を違えてはならない。全精力を以てして何事もなくやり過ごす。
徐々に視界を取り戻した金獅子は一人になった老狩人を見つけた。嗅覚が訴えるにもう一人の小さな狩人はどこかへ逃げ込んだらしい。
しかし、そんな思考は綺麗に奪われた。命を脅かさんとする猛烈な気配。金獅子は得体の知れない生物を探して、まさかと思ってそこに唯一人いる老いた狩人に視線を留める。
猛烈な気配はそこにいた。輝く鋼のナイフを片手に、音もなく、静かに。
それは確かに先ほどまで破壊対象であった。
だというのに、今目の前にいるそれは隙あらば食らいつかんとする、己を狩らんとする狼であった。