「――ッフ、ハァッ」
口から漏れる息が休みなく激しく。酸素を求めて肺が暴れ、心臓は騒ぎ立てる。
刹那、放たれる斬撃、否、打撃。血で塗り固められた太刀は切れ味という概念を失い、敵を打ち砕くだけの棒と成り下がった。
倒れまい、と踏ん張ったランポス。食らいつこうと首を振るうも虚しく宙を噛む。直後、ハザンの肘打ちがもろに受けて沈む。
続けて奥から跳びかかって来たランポスを千鳥足で避け、蹴りの反動で体を転がらせる。
立ち上がれ。そう喝を入れないと体は動いてくれない。隙あらば、諦めても良いかと説得してくるのだ。
「くそがッ……後少しだろう……!」
足を乱暴に叩き、ハザンは辛くも立ち上がった。
刹那、眼前に血塗れの口内。直後に顔を持って行かれると悟るが早いか、ハザンは掴み取った剥ぎ取り用ナイフを突き出していた。
口内に突っ込まれたナイフが後頭部を貫通し、腕が飲まれる。そして、徐に口が閉じた。
「なっ……!?」
牙に挟まれた腕は必然的に抜けなくなった。
目の前のランポスは間違いなく絶命、少なからず戦闘不能にした。しかし敵は死をも恐れぬ誇り高き狩人であり、獲物を捕らえるためならば何でもやってみせる。今更ながらに常識を引っ張り出した自分が失敗だったとハザンは悟る。
ランポスはハザンの腕を捕らえたまま絶命し、ただの錘となった。このただの錘が転機となる。
「畜生がッ」
死んだはずのランポスが尚も奮闘する。体が動かない。右腕だけでは太刀すらも振れない。
迫る三頭のランポス。
終わった、と悟った、その時。
「ッ、ッぁああ!」
横合いからアルの剣が捻じ込まれ、そのままの勢いで三頭のランポスが流されていく。
アルはランポスの胴に剣を突き刺したまま駆け寄ってきてハザンの腕を捕らえたまま硬直したランポスの口を嫌な音ともにこじ開けた。
危なかった。だが、何とかなった。
――そう思っていたからこそ、好機を逃がすまいと必死に跳びかかって来るランポスに気づくのが遅かった。
「ッ、アル!」
「う、づッ!?」
全力で跳びかかって来たランポスの体重を乗せた体当たり。無意識下から直撃を受けてアルは訳も分からず衝撃に呻いた。
地面に倒れ伏すアル。立ち上がる気配がないが、ランポス達は続々と追撃に走る。ハザンも一心不乱に駆け出した。
立ち塞がるランポス。ハザンが脅威のなくなった太刀を振り回すもランポスは死の覚悟。打たれようが食らいつき、決して引き下がらない。
物言わぬアルに数頭のランポスが群がっていく。
「止めロッ……止めデぐレェッ!」
切望、嗄れ声――虚しく。ランポスの口が待ちに待ったと開かれる。
右腕に食らいつかれたことも忘れて、涙が血に滲み流れていることも知らず、嘆き喚き訴えた――アルがランポスの群れで見えなくなるその瞬間まで。
「ぁア、ぁぁあアアあアああッッ!」
真っ赤な血が弾け、宙を舞う。
放心して動かないハザンの頬に血が飛び散る。
遅れて青い鱗と、木霊する数頭の悲鳴。アルを囲っていたランポスが吹き飛ばされたのだと理解するのに数秒。その後もハザンは状況を理解することができなかった。
が、事態は進む。吹き飛ばされたランポスは体勢を立て直し、倒れたアルの前に立ちはだかる一人の狩人へと次々と跳びかかる。
動く――刹那のことだ。当然のように盾がランポスを阻み、槍が胴を貫いた。自重で振り下ろされた槍が空中のランポスを地に叩きつけ、殲滅。びくびくと痙攣するだけのランポスが地に転がった。
「何、だ……?」
放心したままのハザンを置き去りに右腕に食らいついていたランポスが引き剥がされ、瞬く間に周囲のランポス達が流れるような太刀筋に斬り伏せられていった。
絶望すら感じる数のランポスが僅か数十秒にして全滅。
時ならぬ時に現れた狩人と思しき二人はランスと太刀を操っている。それは馴染み深い二人の容姿ではない。
「誰、なんだ?」
頭の中を真っ白に染めたハザンは兜の内にある顔を
思い出すと同時、感極まる。
「大丈夫かい? ハザン君」
開かれた掌。長身から差し伸べられるそれにハザンは見上げた。
兜の中から零れるそれはアルとよく似た声だった。
「エリックさん……?」
「うん。立てる?」
ただならぬ安心感が心の中を一気に埋め尽くす。ハザンは思わずエリックの手を取って引っ張られた。
真っ白だったハザンの頭の中に目まぐるしく記憶が飛び交う。ポッケ村。アルの兄弟。雪獅子、盲目の竜。故郷と錯覚するような居心地、風景。
束の間の安堵。ハザンは弾かれたように振り返った。
「アルは……!?」
振り返ったその視線の先で苦しそうに微笑んで手を振りながらカルラに介抱してもらっているアルの姿があった。
ホッと胸を撫で下ろすと体の力が一気に抜けてまた座り込んでしまった。
――助かった。命辛々だが、生き延びたのだ。
生き延びた実感に浸るハザンは改めて自分の格好を見直した。血塗れの体。欠損したり外れたりした防具。鋭さを失った太刀。要の体も疲労で動けそうにない。そうハザンが思った矢先。
「酷なことを言うかもしれないけど早くここを出た方が良い。血の臭いもそうだけど、もうすぐ夜が来る」
「っ……だよな」
「ほら、しっかりしなさい。アル兄」
「はは……体が言うことを聞かなくて……」
斯くして四人は洞窟を離れ、キャラバンが向かったであろうギルド管轄のベースキャンプへとゆっくりとだが、歩を進めた。
夕陽は沈み、夜の暗幕が下りていた。不気味なほどに真っ暗なのは巨大な木が月の光を遮ってしまうからだ。
風もなく静かだ。本来はそれが不気味なのだが、この辺りに生物が居ない理由を把握しているため、気もいくらか楽だった。
道中、お互いは事の顛末を話し合った。エリックとカルラはクエストを受けて偶然、ベースキャンプを利用していた。そこにキャラバンが到着し、事情を聴いて応戦に駆けつけたのだ。
「偶然にしてもおかしくないか?」
ハザンの疑問は尤もであった。ポッケ村に滞在している二人が労力をかけてこの辺りに来る必要がない。フラヒヤ山脈で活動すれば良い話なのだ。
「そうだね。でも、僕達が今、ジャンボ村に腰を落ち着かせてもらっているとしたら……偶然とは思えないだろう?」
「えっ、どうして?」
「ジルバって人から助けを借りたいって内容の手紙が来たのよ。そしたら、父さんが目の色変えて、今すぐ行ってこいなんて言うものだから色々と大変だったのよ。……まあ、アンタ達が困ってる訳だし? 仕方なく来てやったのよ」
「本当に助かった。改めて礼を言わないとな……ありがとう」
「べ、別に礼なんかいらないわよ。勝手に死んでもらっても後味悪いだけだし。それにしてもアル兄はまだまだね。ランポス如きにやられそうになって、ちょっと良くなったと思ったらすぐこれなんだから」
「あはは……言い返せないや」
「さあ、もうすぐだ。皆頑張ろう」
疲れ果てていながらアルとハザン、そしてエリックとカルラは何か月ぶりかのこの時間を懐かしく思った。
◆ ◆ ◆
ベースキャンプで待機していたキャラバンと無事に合流し、夜明けと共に発った。
キャラバンにはこんな時の為にと医療に長けた者が同行していてアルとハザンの治療には困らなかった。ジルバも医学は心得ているのだが護衛に手が離せなかった。
とは言ったものの、何の弊害もなく目的地の人里に着いた。元よりここが目的地だった一千の幸とはここで別れることになる。
人里の協力を得て医療施設を貸してもらい、アルとハザンはしばらく入院せざるを得なくなった。一千の幸は里の者達との商談と商売に明け暮れ、狩人達も生活費を稼ぐ為に人里を出入りしていた。
長く険しい旅路であったが、休んでいい理由にはならない。親しくなった商人達と狩人達の間でも自然と交流はなくなっていた。
人里に着いてから五日後。狩り場から帰って来たジルバはとある場所に向かっていた。
発展途上で整備されたばかりの道を踏み、向かった先は変哲のない家屋――狩人達の借家である。ジルバは躊躇いなく扉を開けて、玄関を抜け、すぐ右手に見える応接間へ、そこには――
「ご無沙汰しております。ジルバさん」
「こちらから声をかけたのに遅れて申し訳ない」
ソファに相変わらず気品に溢れたエルシュナの姿があった。
「いえいえ。お気になさらず。エレナさんと楽しくお茶を出来ましたので……」
「それは良かった」
ジルバは家屋の中の気配を探ったが、エルシュナの言葉とは裏腹に気配は感じられなかった。それもその筈である。あらかじめジルバが出て行くように、と勧めたのだ。
ジルバが向かいのソファに座る。エルシュナはそれを徐に見届けて一拍の間を置く。それから一口、紅茶を口に含んで余裕に溢れた声音で口を開いた。
「それでお話というのは?」
「探り合うつもりはない。お主も薄々、勘付いておるのじゃろう?」
「……何のことでしょう?」
どこまで気づいているのか、気づいていないのか。疑っている範疇なのか、確信に至っているのか。エルシュナは下手に手を打つことが出来なかった。
が、淡い望みはジルバの言葉によって砕け散った。
「竜操術の使い手で間違いないな?」
「……ずっと、分かっていたのですか?」
「警官隊に信頼できる者がいてのう。あらゆる情報を横流ししてもらっていた。その情報に物見の者達が全員、寝ていたとの情報があった。その直前にお主の姿があったこともな」
「しかし、それだけでは私が竜操術者と見抜けないのでは?」
「そうじゃな。だが、お主が協力者であることは分かった。そして、マードックが持っていた関係者を記した書類にお主は載っていなかった」
「そうですか。マードック様は約束通り、私の事を隠して下さったのですね。……でも、なぜ今になって?」
「お主に敵意があるかどうか見極める必要があったからのう」
ジルバの探るような目に翠色の瞳を覗かれ、ハッとしたエルシュナが顔色を変える。
「わ、私では……」
「分かっておる。あの洞窟に集まっていたランポス達はお主の仕業ではない。時間的に無理な話じゃ」
エルシュナは纏う雰囲気を変えて上品に座りながらも刺々しい警戒心を放っていた。今にもジルバの喉笛に噛みついてしまうような殺伐さ。
平然とするジルバが不気味で恐ろしいのか、エルシュナは恐る恐る声を震わせて言う。
「私をどうするおつもりですか……?」
「気を張らずともよい。罪を償わせたい訳じゃなく、ただ確認したかっただけじゃ。それより、これからどうするつもりなんじゃ?」
「里の掟により、竜操術を私的に使うという禁忌を犯した私は永久追放、里に帰ることは許されません」
「人質か何かで脅されて仕方なく使ったのじゃろう?」
「はい。ですが、掟は掟。決して例外があってはいけない物なのです」
「そういうものか……」
ジルバは納得できず渋った表情を見せたが、頑なにしてまで守り抜くべき物があるのだろう、と無理矢理に結論付けた。
事実、竜操術にどれほどの力があるかは分からない。ラルフが漁り出してきたお伽噺も笑い飛ばせるものではないようだ。
「しかし……ゴーシュ様がこの行き場を失くした私を引き取る、と言って下さったのです」
「ゴーシュは事情を?」
「はい。マードック様から直々に伝えられた、と聞いております」
マードックはしっかりと彼女の生きる道も準備していた訳だ。
そして、ゴーシュはジルバに要らぬ気を遣わせないように端から素知らぬ顔を貫き通していたということだ。
「そうか。過ぎた心配だったようじゃな」
「いえ……非道を重ねたこんな私でも気遣って下さる余地があるだけで……私は幸福です」
「本当に要らぬ心配だったようじゃな。さて、時間を取らせてスマンかったな」
「こちらこそ、私などの為に……」
ジルバが徐に立ち上がり、少し遅れてエルシュナが深々と頭を下げる。
本当に礼儀が正しい、とジルバは感心した。これが里での生活によって身についたものならば、どうやら掟の厳しさは本物らしい。そして、その厳しさが竜操術の可能性を嫌でも物語る。
ジルバが思考を巡らせながらエルシュナを玄関まで送り届けようと廊下に差し掛かった時、エルシュナが足を止めて態度を改めた。
「ジルバ様……書士隊のメージという人物をご存知ですか?」
「ああ、ジャンボ村で面識があるが……」
「これは私の推測に過ぎませんが……恐らく、彼は何かを仕掛けてきます」
「……だろうな。奴だけが未だに消息不明じゃからな。ワシも気がかりでならん」
「彼は未開の地である里に必然のように現れ、私に脅しをかけた人物でもあります。当時、私は彼から指示を受けていたので彼の事を良く知っています。彼はいつも狂った様に完全を目指し、酷い憎悪を抱えていました。そんな彼が何もせず消息を絶つとは思えないのです」
「ふむ。十分に注意しておこう」