誤字多くて申し訳ないです。
狩人と野獣が錯綜する洞窟には雄健な空気が詰まっていた。
四方と頭上を厚い岩が覆い、それは一種の闘技場を想起させる。だが、この広大な闘技場に日の光は差さない。だからと言って、闇が充満している訳でもない。ここには、
その感動すらも与える自然の賜物を踏み潰し、その尾籠を知りもせず、向こう見ずに敵を斃す粗暴な闘士たち。その纏う空気に一切の緩みなし。
エレナは赤い剣を振り抜き、続けざまに緑の剣を一閃。ひっくり返った猪には目を向けず、弾丸のような突進を避け、追走して制止の瞬間を連続で斬り付ける。時に軽業のような身のこなしで鮮やかな軌跡を閃かせていた。
一方で、ジルバは一打で敵を制し、蛮勇の一振りによって肉を越えて骨をも砕く。時として多彩な動きで猛攻を掻い潜り、得意の屈強な殴打を繰り出す。
多撃必倒と一撃必殺と相反する二人の間には共通点があった。それは巧みな技術によって生み出された踊る炎。互いの得物から噴き出す炎は猪たちの毛を焼き、肉を焦がし、冷気を再び蘇らす。
幾度目だろうか。鉄鎚を握るジルバの両腕に骨を砕く感触が伝わるのは。王を取り巻く兵が遂に全滅した。
潮時。ジルバは角笛を取り出し、大きく息を吸い、肺に溜まった空気全てを絞り出す。
重く太い音。洞窟内を支配した音に敏感する者二つ。一つは荷車に向けて、一つは吹いた主を目掛けて、同時に走り出す。
突き進む巨体は風を纏い、長大な牙は荒くれの憤怒を具現化して迫る。ジルバは久しい心の激昂に全身の筋肉が目覚め、瞬間的に身を低くしたかと思えば、土埃を残して駆け抜ける。
「おおおぉぉっ!」
腹の底から突き上げる雄叫び。
ジルバは大きく踏み込み、老体を捻る。刹那、真横を牙が掠めた。構えた鉄鎚が自分を囲むようにして弧を描き、大猪の横腹と激突する。
凄まじい反動を逃がし、転がって体勢を立て直すが、視界が大いに傾ぐ。折れた膝を伸ばすことは叶わず、無念と後悔の視線を飛ばす。視線の先、ドスファンゴが岩壁に激突し、洞窟を震動させた。
(ぐぅ……っ、身体が重い!)
新たな地を踏みしめる開拓者のように緩慢に起き上がった大猪がゆっくりとこちらを向く。太い前足が地面を削った。
手に取るような殺気が全身の毛を総立ちさせる。瞳に渦巻く憎悪に躊躇いは微塵もない。ジルバはドスファンゴの背後に死の幻想を垣間見て、本能的な畏怖が脳裏に揺らめいた。
溜め込んだ力を解放したドスファンゴが押し寄せてくる。
不活性な体を叩き起こし、ジルバは走り出す。軌道は弧を描き、走り抜けるドスファンゴの傍を擦れ違う。後ろでドスファンゴが急停止し、方向を変えて再び駆け始めるのを見ずに理解し、ジルバは足音の拍子をあげる。
目的の物まで距離をほんの僅かだけ残し、進路を強引に捻じ曲げ、右に直角に逸れる。一切後ろは振り返らず、そのまま走った。
もう直ぐか。そう思った瞬間、爆音の直後に凄まじい熱風に体が軽々と吹き飛ばされた。
「うぐっ……」
少しの時間が経過した後、意識がはっきりとし始めた。ジルバは這いつくばっていた。エレナの心配する声にジルバは這いつくばったまま体を捻って、振り向いた。
焼き焦がれた獣の目は明らかに生気を失っていた。焦げ臭さが鼻腔を侵すとほぼ同時に勝利を確信する。
極度の脱力感――転じて、無上な達成感。久方振りの達成感は苛酷な死闘を終えた者にとって十分すぎるほどの報酬となっていた。
しかし、そこで驚愕が頭の中を駆け巡った。
「何じゃ!?」
「うわっ!」
発端は凄まじい衝撃と轟音だった。強烈な地鳴りが足下から頭頂部まで揺すり上げ、遂には体を跳ね上げる。さらに稲妻のような驚愕は続く。
次に岩壁が崩落し、外界から暴風雨が殺到しはじめた。衝撃波のような暴風に思わず腕を上げ、ジルバとエレナは歯を食いしばった。腕の奥を覗くと、あっという間に洞窟が崩れていくのが分かる。
転がり落ちた大タル爆弾が岩石と衝突し、強大な爆撃を起こす。これにより、洞窟の床に亀裂が駆け巡った。
洞窟が悲鳴を上げるのも束の間、崩壊音は激しさを増し、やがて、崩落はジルバ達をも飲み込みにかかる。
雨と風と岩が無秩序に禍乱して飛び違い、視界は恐ろしく目まぐるしい。甚だしく転がる景色の中で、脳を掻き回す警鐘と音を振り払い、頭脳をありったけ回転させる。
永遠のような刹那、首尾良く足が下を向き、行く先に視線を向けられた。しかし、そこから道はない。
「……っ」
ジルバは冗談だろうと失望しながらも、無意識に体は跳ぼうと身構える。上半身を起こし、あるかも分からない足場へと思い切り飛び上がった。
凄まじい速度で景色が流れ、体が崖を飛び出し、切り開かれた険しい裂け目を眼下に広げた。ぞっとするような浮遊感の後、ぴたりと空中で体が静止し、直後、猛烈な勢いで地面が襲いかかってきた。
内臓と骨を震動させる衝撃の後、体が乱暴に踊らされ、何度も障害物に追突しながら、体は何かに堰き止められた。
全身を抉るような痛みが止まらない。
程なくして意識が分解され、目蓋が重く静かに閉ざされていった。
◆ ◆ ◆
ぱらぱらと何かが地面を叩く音が聞こえて、目が薄らと開く。ぼんやりと霞む視界に映ったのは真っ青な空だった。
口の中に気持ち悪い何かが残っていて、苦り切った表情を浮かべる。小鳥のさえずりが聞こえる。ここが外であるのは間違いないようだ。
まるで、沼から這い出るようにゆっくりと意識が戻り始める。ぼんやりと浮かんでくる記憶を辿り、元凶を脳裏に浮かべて、薄らと現状を理解する。
轟音と衝撃と共に洞窟が崩れ、それからあまり記憶がはっきりとしない。それからの記憶は完璧に途絶えている。
寝たまま首を回し、景色を目に入れ込んでみる。まだはっきりとしない景色には緑と薄茶と黒が入り混じっていた。エレナはできるだけ穏やかに体を起こしたが、激痛に顔をしかめて再び倒れ込んでしまった。
「うう……」
これを何度か繰り返し、ようやく一本の折れた柱にもたれ掛かるまでに至った。
体を持ち上げて、改めて首を巡らせる。雨は止んだようだ。
辺りは蔦が無造作に伸び切った遺跡。時代にそぐわない見たこともないような建物は興味をそそるが、探検にする気にはなれない。
意識が回復し、どうして自分が生きているのか不思議だと思い立った頃、突然、その言葉は込み上がってきた。
「ジルバさんは……?」
何度か見回したが、その姿は見当たらない。それどころか、生命の気配すら感じない。もしや、と浮かんだ思考を押し退け、二本の足だけでしっかり立とうとするが、どうしても膝が折れてしまう。
幸運にも骨折や致命傷は避けられたみたいで、四肢も繋がっている。だが、全身の激痛と時々訪れる視界の揺らめきには逆らえない。
思い立って、皮袋を覗くが、回復薬の瓶は全部割れていた。薬草も持ってきていない。得物はあるが、道具類はほとんどが潰れているか、失くしたかだ。新品だったはずの防具も傷や凹みが激しい。
エレナは少しの期待を胸に改めてジルバの姿はないか、と全体を見渡して、感嘆の声をあげた。
「わあぁ……」
巨大な塔だ。しかし、根元が岩石や土に破壊され、根元から倒れて来ている。地面と岩壁に支えられ、何とか保っている状態だ。つまり、今すぐにでもこの塔が崩れてきてもおかしくはない。
穿たれた天井からは塔の悲惨な内部が見られた。自分が倒れていた位置を見、改めて、この倒れ込んだ塔を見れば、この塔の中を転がってきたという想像は容易い。
「……本当に何で生きてるのかな……」
疲労困憊の様相で一歩一歩踏みしめるようによろよろと歩き出す。痛む全身を庇いながら、落ち着けるところで柱にもたれ掛かった。
「……うぅ、痛いよ……」
泣き言を呟きながら、宙に視線を向ける。次に機能しなくなった足を見て、一つ長い溜息を吐いた。
休むか否か。動くか否か。頭の中で意見が葛藤したが、結局のところ答えは出ず、暗雲のような不安だけが残された。指示がなければ、自分はこれほどに無力なのかと唇を噛みしめる。
体の傷は癒えない。暫く移動するのは控えようという決断に至ったが、やはり、気がかりだ。精神が落ち着かないまま、柱に身を寄せて、暫しの休息とするのだが。
自然は冷然たる表情で彼女を貶める。
「――っ、何でこんな時に……」
密林の闇の中に紛れた青い影。ぎょろり、と黄ばんだ双眸を覗かせ、その数はどんどんと増えていって、エレナを圧迫感で絞めつける。
数と餓えの殺気による圧迫感は堪え難いものであり、エレナはどん底に落とされた気分だった。消えかけた緊張感を引っ張り出し、柱に預けた体を立たせるが、対処の術は持ち合わせていない。
上辺だけで双剣を引き抜き、身構える。ゆっくりと陽射しに出てきたランポスらは獲物を舐め回すような視線で、エレナを中心に円を描き、ゆっくりと包囲する。
獲物に成り下がるか、激痛を厭わず抗うか。語るべくもなくエレナは闘志を燃やす。これが狩人の宿命だと言い聞かせ、怯弱な心を捨て去った。
歯を食いしばって痛みに耐え、恐怖心を押し殺して、満身創痍な狩人が多勢の青き狩人に尖鋭な刃を向ける。
全身の筋肉を動かし、跳躍の寸前を見極めて、瞬間――エレナの横を弾丸が掠め、ランポスの顔が傾ぐ。
「えっ……?」
狙撃だ。恐らく、同職の者によるものだ。しかし、思い当たる節がない。既知の人物はハンマー使い、銃を使う姿は想像し難い。故に、別人。
振り返れば、遠方の高台で当然のように狙撃手が銃を構えていた。銃口から煙が上がっており、発射の直後であると証明している。
動揺するエレナとランポスらを他所に再び、銃が再び火を噴く。不可解な奇襲はランポスらに混乱の波紋を広げた。無理もない、彼らには理解し得ない人類の怜悧を注ぎ込んだ代物だ。理解されては困る。
続く発砲音、折に見せる間の空きは恐らく、装填の時。奇抜な猛攻はランポスらを襲い続け、耐えかねたランポスらは密林の闇へと消えた。
エレナの強張っていた筋肉が緩み、体は力なく座り込む。
ゆっくりと顔を上げた。
遠方の高台。得体の知れぬ狙撃手は不適にもこちらに向けて大きく手を振っていた。