其の壱
質素な住宅ばかりが並ぶジャンボ村に一つ、似つかない立派な邸があった。
昼。邸の広間に当たる部屋で、簡素な服に身を包んだ白髪の年寄が立っていた。その手には年寄りが振るう物とは思えない戦鎚が握られていた。
甲殻と鱗で出来た赤い戦鎚は片側が平らでその反対側は鋭くとがった形状をしている。その鉄鎚の大きさは大人の顔の数倍はあり、柄は子どもの身丈ほど。決して素人が扱える重さではない。更に、その内部には火炎袋が搭載されており、それが火炎を噴き出す源となっている。
差し込む太陽に照らされ、紅い戦鎚はきらきらと光り輝く。ジルバは伸びてゆく影を見つめ、肩幅に足を開いて、ゆっくりと戦鎚を持ち上げ、そのまま、目を閉じて数余分。
見えない架空の敵を意識し、それは見る間に膨らんで、細かな部分までもを想像する。
閉じた目を開け、穏やかに吐気する。直後、腰を落とし、構えた戦鎚を目にも止まらぬ速さで一閃する。それはぶぉん、と風を巻き込んで空を切った。続いて、踏み込み、突きを放ち、踏み込んだ足を軸にして回って一閃する。
動きは止まらず、突き、払い、振り下ろし、振り上げて、ぴたりと制止させて薙ぎ払う。最後に鋭い突きを繰り出し、息を強く吐く。
「フゥゥ」
使い果たした筋肉の衰えを痛感しながら、ゆっくりと息を整える。しかし、猛特訓の成果は確実に現れてきていた。現役には遠く及ばないが。
それでも、日々の特訓を怠らなければ、更なる向上の可能性も十分にある。握りしめた拳を見つめ、ジルバは微笑んだ。衰弱し切ったと思っていた体に希望や期待など無かった。それが今となっては十分にある、これ以上嬉しいことは無い。
瞬間の静寂、そして。
「すごいです!」
歓声。広間の脇でジルバの特訓の姿を見上げるアルが腹の底から声をあげ、手を叩く。彼はその年齢を思わせない見事な動きに感激しながら、同時に恐ろしさを感じた。彼の悪い癖だ。その強烈な戦鎚が一度でも身体と接触すれば、と肝を冷やしたのだ。
だが、彼がそう感じるのも無理はなかった。ジルバの、特訓とは思えない尋常ならざる殺気が彼の肝を冷やすのだ。彼の得物の圏内に不用意に踏み込めば、頭が吹き飛んでしまうのではないか、それは彼の中で確信にさえなりかけた。
アルの拍手が止む頃、ジルバは戦鎚を壁に立てかけると、不機嫌そうな顔で、感激して熱くなるアルを冷ますような言葉を投げる。
「いや、まだじゃ。こんなもので、満足すれば、ワシはいずれ野垂れ死に。慢心はハンターにとって禁物だ。習ったじゃろう?」
「は……はい」
急激に冷めた激情が思った以上にアルの顔に現れる。少し厳しかったか、とジルバは反省しつつ話を切り替えた。
「それで、ワシがお主を呼んだ件なんじゃが……」
「あ、はい!」
そう、彼がジルバの邸に訪れた理由はジルバの呼びかけによるものだった。
ジルバにはアルに関して一つ気になる点があった。それは密林で出会った時から今までのアルとのやり取りで疑問に感じたこと。これはジルバが使命感に駆られるほどの重大な話なのだ。彼の人生の折り目と成り得るほどの。
彼はそれを知ってか知らずか、邸に呼んだ時から緊張している。彼の性格からして、毎度の事の様に思えるが。
ジルバは場所を移し、客間で腰を下ろす。遅れてアルが腰掛けた。そうして、話は進む。
「単刀直入に言わせてもらうが、お主がハンターになった理由が聞きたい。続ける理由でも構わん」
「えっ……り、理由ですか」
「なんじゃ、愚問か?」
「あ、え……その、違います……」
「そうか。なら答えてもらおうか」
ジルバの明らかな責め立てる態度にアルは動揺を隠し切れない。数秒黙った後、当たり障りのない質問を投げ掛ける。
「あの、理由を訊く理由って……」
緊張しているせいか、うまく話せない。アルはそれにすら気付かず、ジルバの次の言葉を待った。ジルバの口が開く。
「簡単じゃ。今まで、お主の言葉、行動、人格を見てきたが……狩りに対する貪欲さが見られん。むしろ、消極的にすら感じられる。おかしいじゃろう? ハンターというのは命を懸ける職。それに理由がないのは狂人と言えよう。だが、お主からはソレが感じられん。何故、命を懸ける? 何故、ハンターを選んだ? もし中途半端な気持ちで狩り場へと赴くようであれば……ワシはお主を狩人の舞台から引き摺り降ろす気でおる。冷たいようじゃが、人生は一度きりじゃからのう。だから……ここで一つ、お主を見極めたいんじゃ」
彼が緊張している様子を意地悪そうに笑って見るジルバ。
唾をごくり、と飲み込んだ次の瞬間にはアルから迷いが無くなっていた。
「僕の家は先代からずっとハンターを家業としていて、父が強引に僕をハンターにしたんです。でも、こんな性格ですから妹が僕を上回って、兄ともどんどん差が離れてしまって……とうとう、父に一人前になるまで帰ってくるなと家を追い出され、ここに来たんです」
ジルバは真剣に話すアルを静かに見つめる。そして、何かを思い出したかのように微笑んだのだ。そんなジルバを他所にアルは淡々と話をつなげていく。
「でも、今思えば来てよかったです。僕にも理由が出来たんです。弱い自分を変えたい、これが僕の理由です。兄や妹と比べられるだけの生活では思い付きませんでしたから」
相変わらず、真面目で純粋な顔をする。ジルバは予想通り、いやそれ以上の返答に満足げな顔をして返事する。
「よろしい! お主を
「ありがとうございます……て、えぇ? 今なんて言いました?」
「あぁ、スマンな。知っておったんじゃ、全部。お主の境遇も理由も、な。なんせお主をワシに預けたのは他でもない、ライガルじゃからのう」
「は、はぁ……って騙したんですかぁ!?」
「ん? 騙してはおらんぞ? ワシは見極めただけじゃ、お主の覚悟を、な」
「あっ……あー」
確かに、と納得しかけたが、してやられたようでどうも腑に落ちなかった。ならば、あの家を追放されたのは父の作戦通り、そして、自分がここですべてを打ち明けるのも父の思惑通り、という訳だ。つまり、自分は掌の上で踊っていたという事。面白い訳がなかった。しかし、アルはその満面に笑みを浮かべるのだった。
「何だ……良かった。父さんは僕を捨てたわけじゃなかったんだ……」
そして、涙が頬を伝う。安堵の笑みを浮かべる顔には確かに涙が伝っていた。
それを見、背徳感に苛まれたジルバは顔を背け、聞こえぬ声で呟くのだ。
「ったく、ライガルの奴……」
と、口では呟きつつも嬉しそうに鼻で笑い「相変わらず不器用な奴だ」と付け足した。
ライガルとは現役の時に何度か隊を組んだことがある。まだドンドルマで固定の隊を組まずにいた頃、何度か彼の隊に入れてもらった事がある。石像のようにごつごつとした体格に野太い声、酒豪で性格も一度掲げた信念を意地でも曲げない頑固者ときた。彼が唯一、信念を曲げるのは妻に対してだけである。
そんな熱血で溢れた漢の息子がアルだとは実に信じ難い。相談を持ち掛けられた時は冗談にすら聞こえた。
だが、彼自身の声を聞いて、思いを知って、目を見て、一瞬ライガルの面影が揺らめいた気がした。思い込みだろう、と知っていながらも内心で言い表しようのない笑みが生まれた。
懐かしいものだ。彼との暑苦しい付き合いは悪くなかった。
そろそろか、浮かび上がった思い出の数々をまた胸の奥に押し戻し、まだ目の赤いアルに話を持ちかける。
「アル。ワシから提案じゃ。今日か、明日に猟団が来るらしい。ワシも何度かお世話になっていてのう。そこには狙撃の名手もおる。猟団はクシャルダオラの跡地を見学しに来るから、滞在期間は長い。ワシが頼んでやるから、教えてもらったらどうじゃ?」
「はい、是非!」
涙を拭い終えた彼は嬉しそうに笑った。笑った顔も奴と似ている。そんなことを思いながら、喜ぶアルを差し置いて、また彼との熱い思い出を引っ張り出そうとする。
しかし、それは扉を叩く音によって止められた。
「噂をすれば……じゃな」
アルは心の底から喜んでいたが、いざ全くの他人に教えてもらうとなるとやはり、緊張する。性格がそれを助長しているアルはなおさらだ。
アルは表情を強張らせながら玄関を覗いた。しかし、そこにいたのは慌てた様子のエレナ。そして、愕然とし、希望の色を蒸発させてゆくジルバの横顔であった。
それは、悲報。南東から猟団が送る危険信号。
場所は移り、ジャンボ村の酒場。村長から詳細な情報を入手するため、ジルバ達はそれぞれ席に着いた。
待っていた村長の深刻な面持ちで事態の危険度を理解した。
「エレナ君から聞いたと思うけど、猟団から救援要請が出た。被害はかなり深刻らしい。察しは付いていると思うけど……相手はナルガクルガ、強敵だよ」
「……迂闊だった。ワシが警告しておけば……」
頭を抱え、悲しげに言葉を漏らす。猟団を強襲したナルガクルガはジルバ達が一戦を交えた個体と恐らく同じ。奴があの辺りに生息している情報は既にあった。
「いや、僕がちゃんと情報を流しておいたよ。君のせいじゃない。それよりも、今は……」
「分かっておる。直ぐに準備する。恐らく、場所は近い」
「……気を付けて」
狩人達は席を立ち、無言で酒場を後にした。