「みんなで仲良くしましょう。」
先生は言う。
「他人を思いやれる人になれ。」
祖父母が言う。
「幸せになってほしい。」
両親も言う。
幸福、希望、歓喜、絶頂、最高。
不幸、絶望、悲哀、どん底、最悪。
どれも感じたことなどない。
他人はそれを自然と感じているのに。
自分は何もない。それすら何も思わない。
感じない。
感情がないわけではない。
嬉しいのは嬉しい。悲しいのは悲しい。痛いのは痛い。
でも、その最たるものが致命的に不足している。
致命的に、絶望的に。
そう、それはきっと大変な事なんだろう。
でも、それが問題にはならない。
なぜなら、感情なんてものは、
今、吹いた風のように、
どうせ、一瞬のものなのだから。
/感情疾走
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昔から、余り笑わない子供でした。近所の子と遊んでいても。一人で居ても、誰かと話していても。
昔から、余り泣かない子供でした。大泣きしたのなんて、まだ赤ん坊のときに、オムツが排泄物で気持ち悪かった時ぐらい。
「お前は手のかからない子だね。」
他の兄弟の世話をする母は言いました。
「でも、甘えたい時は甘えていいんだぞ。」
仕事帰りで見るからに疲れている父は言いました。
「人を思いやることは大切なことだ。お前はそれができるような男になった。」
厳格な性格の祖父が言いました。
「あなたは人の気持ちを考える事ができるいい子だけど、それが原因であなたが損をするような事にはならないでね。」
穏和な性格の祖母が言いました。
「君は、優秀な生徒だ。成績優秀、品行方正、運動神経抜群ときている。君のような生徒を受け持つ事ができて先生は嬉しいよ。どうか君が中心となって、クラスのみんなが君のように優秀な生徒になれるような雰囲気を作ってほしい。」
満足気な顔をした先生も言いました。
みんなみんな、僕の事を褒めてくれます。でも、誰も僕の事を分かっていません。唯一近いのは祖母でしょうか。それでもまだ違います。なぜなら、僕は気持ちが分かるんじゃありません。そもそも、人の気持ちどころか、自分の気持ちすら、もう分かりません。僕が気持ちを考える事ができるのではなく、他人が気持ちや感情を出し過ぎ、溢れさせ過ぎなんです。オーバー過ぎる感情を表現しているからこの人は今こんな気持ちなんだなと分かるだけです。分かってしまうだけです。
なのに、みんな僕に期待をします。
成績優秀なんだから。
違います。優秀なんじゃありません。ただやる事をやらない人がサボる分の時間、僕はやっているだけです。サボるほどの理由も感情もないだけです。
真面目だな。
違います。真面目じゃありません。非行に走るような環境で育ったわけじゃないからです。もし、環境が悪かったところでわざわざ無駄なことをする気もおそらく起きません。
お前めっちゃ運動できるのな。
違います。運動ができるわけじゃありません。みんなが体に余計な力、感情を入れているだけです。無心でいれば誰でもできます。
期待されることは嬉しい事です。確かに期待の重さというものはありますが、生憎、そんなものが深く心にのしかかることはありません。期待されないより、ずっといいのでしょう。
しかし、その期待も、感情が限界を底上げしてくれる他の人とは違い、セーブされてしまう僕の身では応えることができなくなりました。
なので、僕はここで終わる事にしました。
確か、保険に入っていたので、そこそこのお金も入るはずなので、家族に迷惑をかけることもないでしょう。将来稼ぐはずだったお金より、保険金を今受け取るほうが、家計的にもいいはずです。余裕もない状況でしょうから、葬式もあげなくていいです。
今この場に立っている事に対する恐怖も、現世に対する未練もありません。死ぬ時になれば長く欠けていた感情が戻るかもしれないとも思いましたが、そんなことはありませんでした。これから終わる事に少し残念な事があるとすれば、僕は一体なんなのか、最期まで分からなかった事でしょうか。だから、僕の仮説を記します。きっと僕は他の人より感情が少し稀薄なんでしょう。それは風が吹けば飛んで行ってしまうくらいに薄いものだったのです。あるいは、小さい頃にあらゆる感情が僕の中を巡り、ぶつかり、消えてしまったのかもしれません。そのぶつかる速度はさながら、世界を疾走する風。所詮、仮説なので、本当のところは分かりません。
でも、なんだかんだと言って、一番あり得るのは、今の僕のように、
世界から逃げてしまった事でしょうか。
/感情疾走 (感情失踪)・了
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