少し時間が経ち、戻って来た大淀に休暇を与え、本日の秘書艦である榛名と共に業務を行う。
「提督、こちらの確認をお願いします」
「うむ」
榛名に渡された書類を確認する。
「問題ないな。榛名の頑張りのおかげでもうほとんど終わったようなものだな」
「榛名、頑張りましたから」
大淀の代わりを務めるように提督の目から見ても普段よりも頑張っていたのは分かる。
「こちらとしてはありがたいが、疲れてはいないか? 後は、私だけでもできる。榛名も休むといい」
「いえ、榛名は提督の秘書艦として最後まで御傍に居ます」
「榛名……」
上官としてこれほど嬉しい言葉もない。しかし、そんな榛名を私は己の欲望を満たすために――
「失礼します。第六駆逐隊、輸送任務より帰還しました」
部屋の扉が叩かれ、輸送任務に出ていた第六駆逐隊の四人が司令室へと入って来る。
「うむ、ご苦労。何か早急に報告する事はあるか? 旗艦である暁から、響、雷、電の順に申してみなさい。別に任務以外の事でもかまわん」
報告書で詳しい内容はあがってくるが、現場を知る事ができない身としては些細な事でも聞いておきたい。それにこういう機会でしかなかなか話もできない。今や多くの艦娘が所属する此処では僅かな関わりも大事なのだ。
「暁からは何も……ただ、もし時間があるならまた司令官と遊びたい……です」
「私とか?」
「最近、司令官が一緒に遊んでくれるようになったから嬉しくって。だからみんなで遊べたらなって」
暁の言葉に他の三人も頷いている。
「本来であるのなら私は此処を監督する立場にある。だからこそ監督役として一歩引いていたが……よし、今度時間を見つけるとしよう。そちらの方でなにをするか決めておいてくれ」
「本当に!? やったー!」
「暁、気持ちは分かるけど落ち着こう」
「これは、早急に考える必要があるわね!」
「これから緊急会議なのです!」
ぴょんぴょん跳ねるように喜んでいる。第六駆逐隊の四人は小学生ぐらいにも見えるので微笑ましい光景だ。
「ねぇ、司令官」
「なんだ、暁」
「まだ催眠術にハマっていたりするの?」
暁の言葉に場の空気が止まるのを感じる。
「あぁ……まだハマっているのかな? 暁達にも付き合ってもらったからな」
「暁は、催眠術は掛からないけど司令官と一緒なら楽しいからそれでもいいよ?」
そう、暁はこの泊地の中でも数少ない催眠術が効かない艦娘なのだ。五円玉を使った物では目を回して気持ち悪くなるし、蝋燭を使った物だと催眠術とか関係なしに眠くなるらしい。
「そうか。私の趣味に付き合ってくれてありがとう。だが、今度は別でかまわんよ」
今はまだ暁の攻略は無理だろう。なに、他の者達で実力を付けていけばいいだけのこと。
「私は、いつでもいい。司令官の好きな時に付き合うよ」
「私にも言ってよね! いつでも待ってるから!」
「電も大丈夫なのです!」
他の三人は問題がなく掛かる。この差は何なのだろうか?
「嬉しいな。他にはなにかあるのかな?」
確認の為に訊くが、特にそれ以外は無いようで四人は部屋から出て行く。
「なぁ、榛名。私は、少し距離を取り過ぎていたのだろうか?」
催眠術の本を手に入れてからは、それを試したくて関わりを持つようになった。
「そうですね。提督は、行事や催しには参加しておりましたが常に一歩引く形で居ました。提督の立場は、みんなも分かってはいますけど少し寂しい思いをしている子も居たと思います」
「皮肉なものだなぁ……」
真面目にやってきた結果が部下との距離を生んでいた。それを欲望で埋めるなどとは。だが、一度芽生えたものはそう簡単に消える事はない。
「さて――」
第六駆逐隊が本日最後の訪問者だ。これ以上は、此処を訪れる予定の者は居ない。つまり、仕掛けるのなら今だ。
「榛名、実は分からない所があるのだが見てもらってもいいか?」
「はい、どこでしょうか?」
榛名を傍に招き、紙に書かれている文字を見せ、言葉を言う。
「『我が虜となれ』、榛名」
「……はい、榛名は提督の虜です」
紙に書かれた文字と言葉で、榛名は催眠術に掛かり人形のように棒立ちになる。
「今思えば、初めて催眠術を試したのは榛名だったな」
本を拾った次の日の秘書艦だった榛名に本で読んだので催眠術をやらせてほしいと言ったのが始まりだった。正直、呆れられるか不安だったが榛名は受け入れてくれた。それからは、本に書かれている通りに五円玉を紐で吊るしたりして催眠術を掛ける事に成功した。あの時は、久しぶりに興奮したものだ。
「先ほどは、時間が無くハグだけだったが今回は榛名の頑張りで時間がある。ここは、慎重に行こう」
一番上の引き出しを開け、中の物を出して底板を外す。そこには、私の人生を変えた本が隠されている。
「金剛型……榛名……」
本を開き、金剛型の榛名のページを開く。
「しかし、流石は神か悪魔が創りし本だ。わざわざ艦娘の情報まで載っているのだからな」
この本には、催眠術の掛け方だけではなくより上手く催眠術を掛けられるように艦娘ごとに情報が書かれているのだ。例えば、榛名の場合はこんな感じだ。
《金剛型 榛名》
榛名は、どんな事でも大丈夫。あなたの欲望ならどんな事でも受け止めるでしょう。ただ、より催眠術の効果を高める為に愛を囁くなどを行うと効果的。耳元で何度も囁いてあげよう。
「ふむ。愛を囁く……どのような状況がいいだろう?」
更に読み込んでいくと幾つかのシチュエーションなども書かれている。今まで勉学と部活に励み、軍に入ってからも仕事を中心とした生活をしていた身としてはあまり女性の事は分からない。だから本当にこの本には助けられている。
「……抱きしめるようにしてロマンチックな曲に合わせて踊る。確か、チークダンスだったか?」
互いの頬をすり合わせ、身体を密着させて行う踊り。これは、気分が高揚してくる。
「曲に関しては、前に明石が店の在庫としてくれた物があったな。それを流すとしよう」
部屋の隅に置いてある蓄音機型の音楽機器を使う。外に音が漏れないように小さめに。
「これでいいな。それでは……榛名、私と踊るのだ」
「……はい。榛名は、提督と踊ります」
席から立ち、榛名の手を引き部屋の真ん中へと移動する。
「それでは、やるとしよう」
榛名と向かい合う。
灰色がかった黒髪は、いつ見ても不思議な綺麗さを持っている。思わず手に取りたくなるが、いや、問題はない。今は、榛名の全ては私の物なのだから。榛名の橙色の瞳を見ながら頬に触れ、そのまま首の後ろへと指で撫でる。すると、榛名は頬を紅潮させ、小さな音を零す。しかし、それを気にはせずそのまま髪にまで手を伸ばす。手の甲で感じる榛名の髪は、優しく私の手を撫で返してくれる。
「榛名は、チークダンスを知っているか?」
「……はい。榛名は、知っています」
「なら問題はないな。榛名、これから私とチークダンスを踊れ」
榛名を抱きしめる。いい香りと温もりが同時にやって来る。思わずくらっとしてしまった。
「……榛名も香水を変えたのか? 普段は、金剛と同じ物を使っているのに」
「……いつもの方がよろしいですか?」
「いや、これも悪くないな。むしろ、落ち着きのある榛名にはこちらの方が合う気がする」
「……では、明日からはコレにします」
会話はそこで終わり。後は、曲に身を委ねるように互いに身体を密着させ踊る。背の関係で互いの頬に触れる事はないが、これだけ近いと鼓動や息遣いが聞こえてくる。もしかしたら自分の物かもしれないが既に正常な判断ができない。
「緊張するな、これは……」
榛名はなにも言わないが、視線を下に移すと榛名の表情が窺える。こちらも顔が赤いが今の私といい勝負だろう。時間がある分どうしても思考を働かせてしまう、意識してしまう。
「こうして女性と、それも榛名のような可愛らしい子とこうして居られる私は幸せだなぁ……」
これも全てはあの本を手に入れたおかげだ。此処は、憲兵も居ない孤島。今や世界は我が手中にある。
しかし、これからどうすればいいのだろう? このまま過ごすのは全然かまわないが夜勤者への引き継ぎまで時間は大分ある。司令室の隣は提督の私室になるわけだが……司令室と私室は内側から繋がっているわけだが……
「いかんな。部屋に連れ込むのはいかんな」
いずれ、いずれはそう言うのもありだろう。しかし、まだ催眠術が完璧だとは限らない。急がば回れ。機会はまだある。
「……榛名は、大丈夫ですよ?」
「ん? 何か言ったか?」
気のせいか、榛名の声が聞こえた気がした。
「……そんな訳はないか。催眠術を掛けている間は、こちらの言葉にしか反応はないはず。仮にあったとしても私の独り言に反応しただけだろう」
一瞬ヒヤッとしてしまった。やはり、ここは慎重に行くべきだろう。ふふふっ、今度は誰を欲望の対象にしてやるかな?