泊地は、かつては前線基地の一つとして司令室が設置されていた事がある。その時代には、艦娘達だけではなく人間達も多くこの場所に居た。その時に人間達の鍛錬の場として造られたのが『武道館』だ。広さはそこまで広くはないが、空手、柔道、剣道をはじめ武道を行う為の環境が整えられている。
「ハッ! セイッ!」
陽がまだ上る前から起き出し、武道館に赴いて鍛錬を行っている。着ている道着が汗で重くなってきても身体を動かす事はやめない。
「――今度は、素振りでもするか」
空手の型を終え、今度は用意していた竹刀を手に取る。既に柔道の受け身の稽古も終えているのでなかなか堪える。
「相変わらず自分に厳しいですね、提督」
入り口の方から声を掛けられる。
「そう言う鳳翔はどうなんだ? 鳳翔も弓道場に用があるのだろう?」
武道館と弓道場は隣接している。
「これでも艦娘ですので。見てもよろしいですか?」
「かまわんよ。だが、見ていて面白いものではない」
「それは、私が決めさせていただきます」
鳳翔が中へと入り、邪魔にならないように壁際で正座する。
「物好きだな」
提督は、精神を集中させて素振りに入る。基本となる正面素振りで身体の状態と竹刀の振りを確認。次に左右素振りで様子を見る。腕、手首ともに問題はない。上下素振りで、竹刀の振りを全身で感じる。最後に飛び素振りで、上には飛ばずに床に対して平行に静かに足を運ぶ。足の運びが少し鈍いな。戻りが悪い。
「足の運びが悪いですね」
見ていた鳳翔に指摘される。
「少し身体が硬いようだ。歳を取ると僅かなサボりが影響するものだな」
「提督は、十分お若いですよ」
「だといいがな。気持ちだけでは、身体は動いてくれんよ」
竹刀を置き、調整の為に身体を解す。筋肉痛だけは意地でもしたくない。二日後など以ての外だ。
「お手伝いします」
鳳翔の足音が近づいて来る。
「汗まみれだ」
「かまいません」
鳳翔に手伝ってもらいながら身体を解していく。一人よりも手伝ってもらった方が捗る。
「提督」
「なんだ?」
「今度の演習について少しお聞きしても?」
演習について? 何か問題でもあったか?
「言ってみろ」
「彼女達が相手に居るのは知っていますよね?」
「それがどうかしたか? まさか、臆したわけではないよな?」
「いえ、違います。ですが、強敵です」
「知っているさ、それぐらい。私はコレでも古いからな。指導役の香取も鹿島も知っている。他の二人も。わざわざ私の為に海軍本部が用意してくれたのだからな」
「提督に恥をかかせるのがあちらの狙いですよ?」
「知っている。だが、別に悪意などはない」
鳳翔の手伝いを断り、最後に簡単にだが身体を動かす。
「私の知人は性格が悪いのが多いからな。勝手に前線を離れたのが気に食わないのだろう。たまに要請とは別に手紙が来るぐらいだ。嫌味をたっぷりと綴ったものがな」
「仲が良いのか分かりませんね」
「嫌味が言えるぐらいには仲が良いさ。演習を私的に使うのはどうかと思うが。なに、勝てばいいだけの事。その時は、私から手紙でも送るさ」
「では、絶対に勝たなければいけませんね。私としては、殿方達のお遊びには興味がありませんから。あるのは、提督に恥をかかせない事だけです」
「期待している。翔鶴、瑞鶴を支えてやれ。あの二人は、赤城と加賀に任せる」
そろそろ海軍本部との演習が行われる。別に忘れていたわけではないが気にはしないようにしていた。
♢♢♢♢♢♢
「ねー、なんでダメなの?」
朝の鍛錬を終え、今日の秘書艦である神通と大淀と共に司令室で業務を行っていると来訪者が来る。川内型の末っ子で、神通の妹である那珂だ。那珂の手には、今度のレクリエーションの企画書があった。
「那珂。お前の役割は大いに重要な物だ。娯楽の少ない此処で、那珂が行ってくれるレクリエーションは本当に助かっている」
那珂は、此処でのレクリエーション担当となっている。通常の任務とは別に一年を通しての催し物などの企画を考えている。
「でしょー! だからね、これを通してほしいんだよー! 頑張って考えたんだから!」
「だがな、予算はこの際置いておくが内容はどうにかならんのか? 全員参加もそうだが、練習でも全員参加とか無理にもほどがある」
「だって、今度やる『那珂ちゃん音頭』は全員でやった方が絶対に楽しいもん。ねぇ、お願い。もしお願いを聞いてくれたら……那珂ちゃん提督とデートしてあげちゃうよ! 提督も那珂ちゃんとデートできたら嬉しいでしょ?」
身体をくねらせ、ウインクを一つ。残念ながら那珂に色気はない。可愛いけど。
「レクリエーションの為に他からの要請を断り、むしろこちらから要請しろと? それにだ、那珂……上官を買収する気か?」
「那珂ちゃん。提督を困らせてはダメですよ?」
神通からも言葉が出る。
「神通ちゃん……お顔怖いよ? 私、妹だよ? そんな怖い顔しないでよ、お願いだから」
横目で見るが神通の表情は笑顔だ。ただ、鳳翔達もそうだが女性の笑顔を無性に怖いと思う時がある。と言うか、上官である私よりも神通の方が怖いのか。
「提督。私の顔になにか付いていますか?」
「いや、なにもないよ」
いい笑顔だ。触れずにいよう。
「とにかくだ、企画を見直せ。大淀、当分の日程を那珂に教えてやれ」
「了解しました。那珂さん、後で資料をお渡ししますのでよろしくお願いします」
「むぅー、絶対那珂ちゃん諦めないもんね! 今は神通ちゃんが怖いから逃げるけど絶対に提督にいいよって言わせるんだから!」
そう言うと、逃げるように部屋から出て行く。
「すみません、提督」
「別に神通が謝る事ではない。毎度の事だ」
那珂が持ってきた企画書にもう一度目を通す。
「任務で忙しい中、こうして考えてくれるのは嬉しいのだがな」
企画書には、那珂が書いたと思われる絵なども描かれている。デッサンに近い物だが、どれにも笑顔が描かれている。これには、泊地に居る者達を笑顔にしたい那珂の気持ちが詰まっている。
「ダメですよ、提督。甘やかしても良い事はありません。そもそも内容が不可能ですから」
大淀が釘を刺してくれる。大淀も自ら悪役を演じてくれる。
「分かっている。既に要請などを含めて参加者の調整は行っている。手伝いなども私がなにかしなくても各々が自主的に手伝うだろう。予算に関しては、打ち上げの菓子代を既に徴収されている」
「それで十分だと思います。那珂ちゃんも無理なのは分かっていると思いますから」
「普通に考えて、本当の企画書も製作していないと間に合いませんからね。毎度ながら二つも用意するのは大変ではないでしょうか?」
「言ってやるな。皆で楽しみたいと言う那珂の本音だ。これは、私が預かっておく」
那珂から提出された企画書を引き出しの中に仕舞う。
「神通。今日は、確か演習の見学があったな」
「はい。今度行われる海軍本部との演習の為に提督にも是非見てもらいたいと要請がありました」
「それぞれの艦種に合わせて担当を付けているが要請があれば仕方がない。大淀、愛宕と霧島を応援に呼んである。二人が来たら休憩に入れ。演習が長引くかもしれないからいつもより長めに取っておけ」
「了解しました。引き継ぎ次第休ませて頂きます」
「では、神通。演習場へと向かうぞ」
神通を連れ、演習場へと向かう事にする。艦装を身に着ける事が出来ない私でも助力できる事があるのなら協力はしたい。