瑞鶴を部屋に呼んでおいた。今は、業務も一段落したので自室にて瑞鶴が来るのを待つ。
「し、失礼します! 瑞鶴です!」
部屋の叩かれた音よりも大きな声。元気と言うよりも緊張の声だ。
「鍵は開いている」
「は、はいっ!」
瑞鶴が部屋へと入って来る。
「緊張しているのか?」
「提督さんのお部屋に入るのは初めてですから」
「そうだったな。本当なら他の場所の方がいいが、司令室は使えないのでな。すまない、こんな部屋で」
「そんなことないよ! ……一度、見てみたかったし」
瑞鶴は部屋をキョロキョロと見渡す。特に面白いものもないだろうに。
「提督さんって、アロマとかやるの?」
「あぁ、コレか」
催眠術に使用したアロマキャンドルは今も部屋に置いてある。流石に一か所に集めて置いてはあるが。
「最近の趣味でな。金剛から教えてもらったのだが綺麗だし、良い香りもする。瑞鶴は、興味あるか?」
「ん~、あるような無いような? でも、そっか……」
なにやら考え始めている。これから悩みの相談をしようと言うのに新しいのが増えたようだ。
「瑞鶴、なにか飲むか? お前達程ではないが、私がなにか淹れよう」
「それだったら私がやります。美味しいのを淹れますね」
「……なんだか悪いな。何にするかは瑞鶴が決めてくれ」
「わかりました」
用意してあった物の中から緑茶を選び瑞鶴は淹れる。その様子を用意していた椅子に腰かけ、提督は瑞鶴を見る。
(一見すると問題ないな)
表情に暗さはなく、普段と変わらないように見える。
「どうぞ」
「ありがとう」
瑞鶴は、淹れ終わると提督の向かい側の椅子に座る。二人の間には、丸テーブルに用意された茶菓子の数々があるにも関わらず瑞鶴はそれらを見向きもせずに提督の方を見ている。
「美味い。お茶は、本当に淹れる者によって違うな。私では、ここまで美味くはできない」
「良かった~。翔鶴姉から教わってるけど私も苦手で」
「そんなことはない。これだけ美味く淹れられれば上出来だ。茶菓子もある。少し話してから本題に入ろう」
「……本題って、演習の事?」
瑞鶴の表情が曇る。普段が明るいからこそ分かりやすい。
「そうだ」
提督は、隠しもせずに答える。
「貰い物だが、用意した物はどれも本土でしか手に入らない物ばかりだ。海軍本部に居る者や退役した先輩方からの頂き物でな」
「う、うん……美味しそう」
選びもせずに小分けにされている袋を手に取る。
「瑞鶴が私の下に来たのは前線に居る時だったな」
「よく覚えてる。翔鶴姉と一緒に緊張しながら提督さんの所に来たから」
「私も覚えている。私と会うまでの間、ずっと翔鶴の手をとっていた瑞鶴の姿を。あの時は、緊急の用があり司令室を空けていたが良いものが見られた」
「……そこは、忘れたい」
二人の姉妹が建造後、提督に会いに来た。一人は、緊張からか怯えていた。もう一人も同じような状況だったが、それでも妹を守るように胸を張っていた。
「瑞鶴が忘れても私は忘れない。私にとっては、大事な思い出だからな」
今の瑞鶴にとっては恥ずかしい思い出でなのかもしれないが、あの時に二人は私の部下になった。
「不安か、瑞鶴? 翔鶴の足を引っ張るのが?」
「……当然でしょ。翔鶴姉は、私と違って強い。それこそ赤城さんや加賀さんにだって負けないぐらいになるって思う。でも、私は……翔鶴姉の邪魔ばかりしてる」
今の瑞鶴には、この前の演習での光景が浮かんでいる事だろう。優勢な状況から瞬く間に潰されたのだから。赤城の強襲は、次席である加賀ですら苦戦を強いられる。実力に差がある瑞鶴には辛いものだったはずだ。
「ねぇ、提督さん。なんで、私を選んだの? 他にも居るのに? 私じゃ勝てないよ……私なんかじゃ……」
心の内が見えてきた。
「正直に言おう。私は、今度の演習に勝利を求めてなどはいない。全てはな、瑞鶴……お前達の成長の為なんだ」
「私達の?」
「演習は、勝つことが全てではない。確かに勝てば多くの物が得られる。ある者が言うには、勝てば私が前線に復帰する足掛かりになると。別の者は、私の名誉を守るためと。他にも予算は増えるだろう。発言力も増すだろう。出世にだって繋がるかもしれない。だがな、私から言わせれば全てどうでもいい。本当にどうでもいいんだ。私にとっては、お前達の方が大事だ。お前達が成長し、少しでも生き残ってくれればそれでいい」
瑞鶴の目をジッと見る。未だに不安の色は濃い。
「瑞鶴。辛いだろう、苦しいだろう。だが、それは生きているからこそ感じる事が出来る。死ねば何もない。死んで、英雄になどなるな。お前にも大切な者は居るだろう? 翔鶴のように思える者が。今瑞鶴は誰しもが通る場所に居る。前に進むか、別の道に行くかを決める場所に。目の前にある道は、より辛く苦しいものになる。だが、そこにしかない物も確かにある。選べ、瑞鶴。自らの意思で決めろ。己の為に」
戦いに絶対的な勝利などない。負ける時は負ける。死ぬ時は死ぬ。此処は、そう言う場所だ。
「提督さんは、怖くないの? 私は、怖いよ。だって、簡単に終わるんだよ? 本当に簡単に。私が出来なかったらみんなが死ぬんだよ? 私は、自分が死ぬのは……怖いけど受け入れる。でも、翔鶴姉やみんなが死ぬのは嫌だよ」
瑞鶴は不安と共に涙を流す。感情が涙と共に表に溢れ出してきた。
「不安は消えない。絶対にな。だから上手く付き合って行くしかない。ただな、瑞鶴。不安なのはお前だけではない。私も、翔鶴も、他の者にも不安はある」
椅子から立ち上がり、瑞鶴の下に足を運ぶ。
「瑞鶴の傍には、私が居る。翔鶴達もだ」
泣いている瑞鶴を優しく抱きしめる。
「瑞鶴は一人ではない。不安なら傍に居る誰かに頼れ。不安よりも私達の方が瑞鶴の傍に居るのだから」
無力だ。言葉しか無い自分が。今は、こうして瑞鶴の傍で共に居るしかできない。不安を流せ。少しでも心を軽くするために。
「……落ち着いたか?」
瑞鶴に言葉を掛ける。
「……うん」
「そうか」
ゆっくりと瑞鶴から離れる。
「随分と不安が溜まっていたようだな」
手布を取り出し、瑞鶴の顔を拭いて行く。
「今は、本当に辛い時期になる。だが、瑞鶴も誰かの支えになっている。それは、言わなくても分かるな?」
瑞鶴は頷く。
「翔鶴が強いのは、瑞鶴を守る時だ。翔鶴のパートナーは他には居ない。瑞鶴、不安があれば私の所に来るといい。私は、上官だ。いくらでも受け止めてやる」
「……ありがとう」
「泣いて疲れたろ? それに失った物は補う必要がある。ゆっくりしていくといい」
提督は、冷めたお茶の代わりを淹れる。
「瑞鶴、飲んでみろ」
「……苦い」
「だろう? 同じ物を同じようにしてコレだ。私と瑞鶴は違う。だから焦る必要はない。時間を掛けてでも私が必ず一人前に育ててやる。厳しいが付いて来られるな?」
「本当に厳しくしてね。私が翔鶴姉を守れるぐらい」
瑞鶴と話をする。くだらない話。それで十分。気が少しでも晴れるのなら時間はいくらでも使えばいい。
♢♢♢♢♢♢
瑞鶴を見送り、次の来客が来るのを待つ。
「失礼します、提督」
来客は、翔鶴。先ほどまで瑞鶴が座っていた席に座る。
「忙しい中、よく来てくれた」
「いえ、私もお礼を言いたかったですから。瑞鶴の表情が少し良くなっていました、目元は腫れていましたけど」
「アレは、入渠すれば治るのか?」
「分かりません。試したことはありませんので」
翔鶴が来るまでに何度か試した緑茶を淹れる。
「翔鶴は、瑞鶴にお茶の淹れ方を教えていると聞いた。どうやったら美味くなると思う?」
一口飲んでから翔鶴は答える。
「これが、提督の味なのではないでしょうか? 私は、好きですよ」
「そうか。これが私の味か」
苦いお茶を飲む。
「翔鶴は何かあるか? 鳳翔とは話をしたのだろう?」
「はい、いろいろと。でも、何を話せばいいのかがわかりません」
「それは困ったな。仕方がない、茶菓子でも食べて行け」
「そうさせてもらいます」
残りの茶菓子を二人で食べる。苦いお茶とは相性が良いぐらい甘い。
「提督」
「なんだ?」
「一つだけお願いをしてもいいですか?」
「聞けるものであればな」
「それでは、一つだけ。もし演習で勝てたら……瑞鶴を誘って三人でお酒を頂けないでしょうか?」
「勝利の美酒か? かまわんよ、それぐらい」
「ありがとうございます、提督」
どうやら翔鶴からは何もないようだ。不安も悩みもないはずはないのに。ただ、翔鶴は必要となれば言うだろう。前に見た時よりも表情が柔らかくなっているのだから。