上官として慕われていたと知った提督は仕事を機嫌良く行っていく。
「機嫌が良いな。こっちは大変だって言うのに」
本日の秘書艦である摩耶は既に飽きた事務作業に四苦八苦している。
「なに、少しあってな。それよりもどうだ、そっちの方は?」
「ん~、やっぱりあたしには合わないな。こう、身体を動かしてないから疲れてきた。というか飽きた」
身体を解すように背を伸ばしたりしている。まだ業務が始まって一時間ぐらいしか経っていない。
「飽きたか。なら少ししたら休憩でもするか?」
「いいのか?」
「無理をしても効率は下がる一方だ。用があって空けている大淀が戻ってきたら気分転換にでも行こう」
「やったぜ! それで何処に行くんだ?」
「そうだな。流石にサボる訳にもいかない……よし、それでは武道館にでも行くとしよう。私が久しぶりに鍛えてやる」
「え~、提督とやるのか? 武蔵の姐さんが来るから少しやっておこうかとは思ったけど……」
「これでも私が武蔵に空手や柔道などを教えたんだ。暇つぶしと言っていたが、その実誰よりも本気で行っていた。艦娘にとってはさほど重要ではないのにな」
弓道は空母にとって必要な部分がある。運動場で行われるランニングなどの鍛錬は基礎となる。しかし、接近戦がまず無いと言える艦娘にとっては不要とすら言えるものだ。
「そんな事ないって。弾が無くなったり、攻撃を受けて故障した時とか意外と役に立つし」
「……撤退しなさい、そういう時は」
摩耶もそうだが一部の艦娘は好戦的で困る。非常時は確かに仕方がない時もある。それこそ摩耶が言うように攻撃の手段が他に無い時に敵に囲まれる。又は、仲間の危機を救う時などだろう。ただ、接近戦は極めて危険なのだ。見た目だけでは相手の力量が分からない。艦娘で言えば、見た目が同じ同艦であっても練度に差がある場合がある。遠距離からならどうとでもなるが接近してだと命に関わる。
「せっかくだから他にも誘ってみるか」
「あたしは別に……二人だけでもいいぜ?」
摩耶の顔が赤い……なるほどそう言う事か。
「気にする事はない。私に勝てなくても恥ではないからな」
「いや、そう言う訳じゃないんだけど……まぁ、いいか。じゃあ、泊地内に放送掛けるかな」
普段は、大淀が担当している通信設備のある場所に摩耶は向かうとマイクのスイッチを入れる。
「あーあーマイクのテスト中。よし、大丈夫だな。えーっと、後で武道館にて提督指導の下で鍛錬があります。参加したい人はご自由にどうぞ」
泊地内のスピーカーから摩耶の声が木霊するように各地から聞こえてくる。
「これでいいな。提督、あたしも準備してきていいか?」
「別にかまわんが、何かあるのか?」
「それは……あれだよ。別にいいだろ。じゃあ、行ってくるから」
摩耶は足早に部屋から出て行く。
「着替える以外に準備などあったか?」
もしかして道着をどこに仕舞ったか忘れたのか? いや、摩耶だけならともかく同室に高雄や愛宕、鳥海が居るのだからあり得ないだろう。考えても仕方がないので摩耶が置いていった分も行おう。
♢♢♢♢♢♢
時間が時間なので暇をしていた者はそう多くない。それでも意外と集まった気がする。
「では、私が相手をする。順番に掛かって来なさい」
道着に着替えた提督が仁王立ちで身構える。敢えて相手から先に行動させる。
「比叡! 頑張って! 行きます!」
気合十分な比叡が提督目掛け突進する。形式は特にとってはいないが空手と柔道を基本としている。
「悪くないな」
比叡が胴体に飛び込むようにぶつかってきた。技ではなく、勢いに任せての物だがなかなかに堪える。
「ふふふっ、今日の比叡は一味違いますよ。なにせ、金剛お姉様の声援を受けていますから。お姉様への愛の力で勝ってみせます!」
「いつもと何が違うんだ」
「ひえぇー!」
ただ抱きついていただけなので転がすように投げる。受け身はとれているようなので問題はなさそうだ。
「次は、誰だ?」
「はい。榛名が行かせて頂きます」
「そうか。掛かって来なさい」
榛名は、ゆっくりと身構えながらにじり寄って来る。比叡もそうだが一応は泊地に居る艦娘達には教えてある。守るかは別として。
「えいっ!」
榛名が胸に飛び込んでくる。しっかりと背中まで手を回し、道着を掴んでいる。
「掴んだままでは何もできないぞ?」
「いえ、榛名はこのままで大丈夫です」
顔が胸に埋まって見えないが自信があるようだ。ここからどうする気なのだ?
「……榛名、何かしないのか?」
「榛名は、大丈夫です」
試しに身体を揺らしてみる。しっかりと抱きつかれている。
「技を仕掛ける気が無いのならこちらから行くぞ?」
とは言え、ここまで密着されると対応がし辛い。とりあえず回ってみるか。
「どうだ榛名? 早く手を離さないと危ないぞ?」
グルグルと回ると榛名の足が畳から離れる。
「負けません」
それでも榛名は必死にしがみ付く。
「良い根性だ。だが、隙を見逃す気もない」
提督と榛名の間に空いた僅かな隙間を利用し、榛名の腕をひきはがし畳へと転がす。
「今がchanceデース!」
突然の奇襲。背中に抱きついて来た金剛に押し倒されそうになるが、気合で踏ん張り間一髪持ち堪える。
「やるな、金剛」
「もうここから離れないネ!」
腕だけではなく、足も胴体に巻きつかれる。背中という事もあり手も足も出ない。
(どうするべきか?)
今の状況はあまりよくない。解決法として転がるようにして畳に叩きつける方法があるが金剛を下敷きにしてしまう。今の金剛は、人間の女性と変わらない。提督の体重が乗った一撃はキツイはずだ。
「もっとギュってするヨー♪」
腕と足に力が込められる。顔も背中に押し付けられる。
「本気だな、金剛」
「私は、いつでも本気デース」
「……そうか。すまなかったな、金剛。私としたことが手加減をしてしまった」
本気で行っている金剛に対して失礼な態度をとってしまった。
「威力は抑えるが痛いから気をつけろ」
言うが早いか、提督は腰を落とし姿勢を低くしてから横に転がる。
「Auchi! テイトク酷いですヨ……」
「本気で来た金剛に応えたまでだ」
「意味が違うヨ……」
倒れている金剛に手を差し出して立たせる。
「さて、次は誰だ?」
「いよいよ、俺の番だな!」
意気揚々と天龍が前に出る。天龍は、数少ない提督が教えている弟子になる。
「摩耶はまだ様子見か?」
「……もうちょっと待ってくれよ」
そう言うと、自分の髪を確認するように触る。
「これから戦うんだ。気にしてもしょうがないぞ?」
「あたしにもいろいろあんだよ! それよりも天龍の方を気にした方がいいんじゃないか?」
「なに?」
天龍は、僅かな隙を見逃してはいなかった。コッソリと接近していた天龍は、ガッチリと道着を掴む。
「隙あり!」
そこから一本背負いへと入ろうとする。
「甘い!」
身体の下に潜りこまれないように重心をずらし、天龍のバランスを逆に崩す。提督と天龍の身長差に筋力も合わせれば造作もない。
「うわぁ!?」
体勢を崩した天龍を抱きかかえ、そのまま畳の上に転がす。
「さてと、準備はいいな?」
最後の相手に声を掛ける。
「……わかった」
摩耶はまだ髪を気にしている。なにかあるのか?
「いつでもいいぞ」
摩耶も天龍同様弟子の一人になる。負ける気はしないが、なにかあるのなら注意が必要だ。
「行きます」
摩耶は、慎重に提督へと構えを崩さずにじみ寄る。見る限り、組み技に持ち込むようだ。なら敢えてそれを受けよう。摩耶の手が道着を掴む。こちらは敢えて何もせずにそれを受け入れる――ん? この香りは?
(シャンプーか?)
互いに道着を掴んだことによりその距離は近くなる。するとどうだろう摩耶から良い香りがする。
「風呂に入ったのか?」
摩耶は何も答えないが、代わりに顔を真っ赤に染め上げる。
(汗を気にしたのか)
普段は男勝りな摩耶だが、やはり年相応の女の子なのだろう。別に私は気にしないと――
(これは!?)
意識した事により提督の一部が反応してしまった。今思うと、今までも抱き合ったりしていた。
(まさか……こんな罠があるとは……)
不覚。この状況は、飢えた獣となった今の自分にとっては好都合――ではなく危険ではないか? 今も一部が怒張しそうな勢いだ。クソッ……良い匂いだな、おいっ!
(早く終わらせなければ)
幸運な事に後は摩耶だけだ。これを乗り越えれば適当にやり過ごせばいい。
「行くぞ!」
気合いが入る。だが、それは簡単にかき消される。
(密着だと!?)
摩耶が急接近し、より近くに感じる。顔を真っ赤にしながらも摩耶は勝負を捨てていない。もしやこれは憤怒の表情なのか? 照れているように見えるが本当は闘争心に燃えているのではないだろうか?
(強くなったな)
どうやら一筋縄ではいかないようだ。強敵となった事は心から嬉しく思う。しかし、立場として負けるわけにはいかない。摩耶の胸元を掴む手に……手に……ピンク? 道着を引き寄せると胸元が開く。摩耶は、白地のシャツを着ているのだが薄っすらとだがピンクが透けて見える。
(なんという事だ)
あれは、ブラだ。間違いなくブラだ。どうやら摩耶は本気らしい。シャンプーの匂いで意識を戦いからエロへと誘導し、組みつくことで匂いを嗅がせる。それどころか白いシャツによる透けブラを隠し持っているとは……まずい、まずいぞ。このままでは立つのが難しくなる。
「摩耶さん、今がチャンスです!」
比叡の声が武道館に響く。
「……へぇ? チャンス? なにが?」
言われた摩耶はそれに気づいていない。
「なにを言ってるんですか! 提督が前かがみになっています!」
言われて気づく。普段よりも提督の顔が近い。
「ち、近づくんじゃねぇー!!」
摩耶は渾身の力で提督を背負い、畳へと叩きつける。なんの抵抗もなく決まった見事な一本背負いだ。
「……見事だ、摩耶」
畳に仰向けになった提督は見事な受け身をとり、何事もなかったように背中を向けて立ち上がる。
「もう私が教える事はない」
提督は、背中越しに摩耶を褒めたたえる。
「……勝ったのか? あたしが?」
「そうだ、摩耶の勝ちだ。すまないが、少し外す」
提督は背を向けたまま武道館の入口へと向かい、外へと出て行く。
「やりましたね、摩耶さん! 提督に勝ちましたよ!」
「すげーじゃねぇか、摩耶!」
勝利を祝いに比叡と天龍が摩耶の傍にやって来る。
「あぁ、うん。勝ったみたい」
勝ったにも関わらず手応えが全くない摩耶をよそに金剛と榛名は全てを理解していた。
「……明らかにアレでしたネ」
「……はい」
金剛と榛名の顔が赤い。二人は気づいた。提督の下半身が途中からアレだったことに。そして、それを隠すために前かがみで腰がひけていたのも。
「摩耶は、時間がありましたからネ」
「榛名も急いでお風呂に入ればよかったです」
摩耶はあくまでも汗の匂いなどが気になって事前に風呂に入っただけだが、それによって提督から勝利を得た。この事は瞬く間に泊地内で広がり、青葉による艦隊新聞で他所にも知られる事になる。