陽もまだ出始めた頃の早朝。泊地内に設けられている弓道場にて矢を射る。泊地での勤務に休みと言うものはない。身体を休めはするがいつでも動かせるようにはしている。こうして陽が昇る前から矢を射るのも不規則ながらも万全であるという矛盾に慣れるためだ。
(当たらん)
何度矢を放つが的に当たらない。仮に当たっても中心からズレる。
「何か悩み事でもあるのですか、提督?」
不意に声を掛けられる。
「赤城か」
「おはようございます」
この時間に此処に足を運ぶものは少ない。赤城はその中の一人だ。
「今日は、加賀は居ないのか?」
「加賀さんは、朝に弓を見るそうですので今は」
「そうか。赤城、加賀は鳳翔の次に古株だからな。此処では、鳳翔を師とし、赤城と加賀が姉弟子になる。私も三人には、此処では頭があがらんよ」
弓を覚えたのは此処に来てからだ。一人で行える鍛錬として鳳翔に教えを乞い、二人はその手伝いをしてくれた。
「では、姉弟子としてお聞きします。何を悩んでおられるのですか?」
静かな此処で、赤城の澄んだ声がよく耳に届く。しかし、それに答える事はできない。
「姉弟子でも話せない事はある。別に赤城を軽視しているわけではない。ただ……口に出しにくいものもある」
言えるわけがない。催眠術を手に入れてから妄想で夜も眠れない時があるなど。
「そうですか。では、無理に聞かない事にします」
そう言うと、隣へと来る。
赤城の艦装は、弓を使用する物となる。流石に此処では艦装を身に着けてはいないが、弓を番える姿は戦場のそれだ。美しく、凛々しい。今の赤城に惚れる者は少なくはない。もちろん、私も例外ではない。
「――お見事」
「ありがとうございます」
赤城が放った矢は、そうあるべきとも言わんばかりに的へと吸い込まれる。自分の姿が情けなくなるほどに見事なものだ。
「これでは、赤城には当分は勝てそうにないな」
「そんな事はありません。こうして誰よりも早く鍛錬を行っているのですから」
「……そうだな」
今の赤城には、私の姿はどう見えているのだろうか? どうしよう恥ずかしいし、情けない……だが、私は変わったのだ。飢えた獣へと。
「少し集中力でも高めるとしよう」
弓道場の隅に置いてある楼台と一式を此処へと持って来る。これは、昔に聞いた話。武士は、集中力と精神力を鍛える為に暗闇の中、蝋燭の灯りをジッと見て鍛えていたという。実際にしてみると分かるが、物凄く飽きる。ただ、蝋燭の灯りは綺麗で、その揺らぎを見ていると時間を忘れる事もある。要は、上手くできれば効果があるのかもしれないと言いたいだけだ。
「私もお呼ばれしても?」
「もちろん」
そんな話を赤城にしたことがある。その時は、鳳翔や加賀も居たが今は二人だけ。これを使わない手はない。鍛錬とか煩悩の前では無力なのだ。
「既に明るいが、気持ちが大事だからな」
楼台に蝋燭を乗せ、明かりを灯す。世界は既に明るいが、それでも蝋燭の光は見えるものだ。後は、ジッとして機会を待つ。赤城は既に蝋燭の灯りに集中している。座して見ているその姿は、武人のそれだろう。向かい合うようにして座っている私の事など眼中にない。
(……頃合いか?)
催眠の合図は紙だけではない。コレでも行けるはずだ。
「『我が虜となれ』、赤城」
「……はい」
どうやら成功したらしい。これも積み重ねていった結果だろう。
「すまないな、赤城。別に私は悩みを抱えているわけではないのだよ。ただな……別の物を胸中に抱いてしまっているのだ」
返事は返ってこない。しかし、これでいい。今の赤城は正座の形をとっている。丁度いい枕ができた。
「実は、少し寝不足なんだ。膝枕を頼む」
「……わかりました。どうぞ、お好きになさってください」
「失礼する」
楼台をサッサと片付けて、赤城の膝を借りる……素晴らしい。何が素晴らしいか? お姉さん気質な赤城の膝枕を説明せねばならない時が来るとは……先ずは、この頭ナデナデだ。言わなくても頭を撫でてくれるこの感じ。今回が初めてではないにしろ、自然とそうしてしまう所が素晴らしい。それに催眠術が掛かっているために表情はあまり変わらないが微笑んでいるように見える。あぁ……本当に寝不足だったから寝てしまいそうだ。
「……眠られないのですか? 時間が来たら起こしますから」
「んー、そうしてくれると助かる。今日は、居酒屋鳳翔がある日だ。顔を出したい」
「……おやすみなさい、提督」
「おやすみ、赤城……」
赤城に見守られながら夢へと落ちる。これなら僅かな時間でも十分に休息が取れそうだ。