哀歌   作:ニコフ

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1話 今日はいい日

「あら、おはよう」

 

 AM8:32、土曜日の朝、阿笠邸。萩原伊吹(はぎわら いぶき)は目を覚ました。寝起きの頭をぽりぽりと掻き、窓から差し込む日差しに目を(しばたた)かせながらリビングに顔を出すと、室内はコーヒーの心地よい香りに包まれていた。陽の光を弾くような鮮やかなブラウンの髪をした少女、灰原哀がカップにコーヒーを注いでいる。

 

「おはよ……」

 

 コポコポという耳触りの良いコーヒーサイフォンの音と、向こうから小さなテレビのニュース番組の声が耳に届く。眠い目をこすり欠伸を噛み殺しながら、こちらに気がついた彼女と朝の挨拶を交わした。

 

「哀くん、朝食の準備が出来たぞ。おぉ、伊吹くんも起きておったか」

 

 キッチンからお腹がぽっこり出た髪の少ない眼鏡の男性、阿笠博士が出てきた。

 

「おはよう、博士。朝ごはん俺の分もある?」

「うむ、3人分用意しておるぞ」

「その前に顔洗ってきたら」

「うぃ」

 

 顔を洗い寝巻きを着替えテーブルに着く。机には焼きたてのトーストと目玉焼きにコーヒー、苺ジャムの瓶が置かれている。

 

「では、いただこうかのぉ」

「いただきます」

「まーす」

 

 伊吹がサクサクとパンをかじっていると、コーヒーを飲みながらニュースを見ていた灰原が苺ジャムの瓶を差し出しながら声をかける。

 

「それで、今日はどうするの」

「ん? はひか、ほほもはひはふふんはほ」

「飲み込んでからから喋りなさいよ」

「ん……。確か子供たちが来るんだろ?」

「あなたも一緒に行くの?」

「約束だからなー。ていうか俺が引率だろ、一応。てか、この瓶固いな。誰が締めたんだ」

「あなたよ」

「わしは今日、発明の発表会があるからのう」

 

 伊吹は先日、近所の子供たち「少年探偵団」を近所の動物園に連れて行く約束をしていた。

 

「ほんと、平和ね。あなたが組織の人間だってこと、たまに忘れるわ」

「潜入だ。どっぷり組織の人間じゃない。それに今のところ“ベルモットに個人的に雇われている”って形であって、潜入も完璧にできてないよ」

「でも、仕事はしてるんでしょ」

「そりゃ信用されないとダメだからなぁ。ベルモット経由でそれなりに受けてはいる」

 

 食事を済ませた灰原はソファーに腰掛け、テレビをBGMにファッション雑誌をめくる。コーヒーを飲み終えた伊吹も追いかけるように隣に座る。

 

「ま、危害が無い限りはいいけど。忘れないでよね、あなたが間違いを犯すと私たちまで巻き込まれるんだから」

「うっ……」

 

 隣に座る伊吹をジトっとした目で睨みつける。思わずとたじろぐ伊吹。見かねた阿笠博士が苦笑いを浮かべながら助け舟を出す。

 

「ま、まあまあ哀君。伊吹くんも哀君を守るために、こうして一緒にいてくれてるんじゃから」

「頼んでないわよ」

「朝からキツいなぁ。こいつ、なにかあったの?」

 

 博士の言葉を不機嫌そうに突っぱねる灰原。いつも以上にご機嫌斜めなその様子に、何かあったのかと振り返り博士に尋ねる。

 

「あー、まぁ、実はのぉ……」

「別に、なんでも無いわよ。それより、食べ終わったなら支度したら? 朝から出発するんでしょ。あの子たち来ちゃうわよ」

 

 遮るように口を挟み、パタンと雑誌を閉じる。そのまま立ち上がりパタパタとスリッパを鳴らしながら地下室へと消えていった。

 

「どしたの、あれ」

「あぁ、なんでも夢見が悪かったらしくてのぉ。起きてからずっとあの調子じゃ」

「やだなー。噛み付かれないように大人しくしておこう」

 

 ソファから立ち上がり、二杯目のコーヒーを注いでいると、室内にインターホンが鳴り響いた。伊吹はカップを片手に玄関の戸を開ける。

 

「おはよう、伊吹お兄さん!」

「おーい、早く動物園いこーぜー!」

「まだ開いてませんよ、元太くん」

「はぁ……ったく」

 

 順に吉田歩美、小嶋元太、円谷光彦、江戸川コナン。少年探偵団御一行の到着である。

 

「おはよう、みんな。準備するから中で待ってな」

「「はーい!」」

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「今日は猛犬注意だぞ」

 

 リビングのソファにくつろぎ、テレビを観る探偵団。ダイニングのテーブルには博士とコナン、伊吹がコーヒーを飲みながら話している。

 一口すすった伊吹がおもむろにコナンに話しだした。

 

「猛犬?」

 

 背もたれに体重を預け椅子に胡坐をかき、両手を後頭部に添えて頭を支えるコナンがジト目の呆れた顔で聞き返す。

 

「哀だよ」

「灰原? あいつがどうかしたのかよ」

「機嫌が悪い」

「いつものことじゃねーか」

「いつもより悪い」

「別に、悪くないわよ」

 

 ぬっ、と横から現れ、会話に口を挟む灰原。着替えをし身支度を整えて、準備万端の様子。

 

「それより、そろそろ出たほうがいいんじゃない」

「あ、あぁそうだな。そろそろ出るか」

 

 チラリと時計を見て、仮面ヤイバーに夢中の探偵団に声をかける。

 

「おーい、そろそろ行こっか」

「ちょっと待ってください!」

「今いいところなの!」

「いけ! ヤイバー!」

 

 ソファーから身を乗り出し拳を握りながら、テレビの中のヤイバーの活躍に夢中の子供たち。

 

「録画なんだからいつでも観られるだろうに……」

「はぁ……まったく、ヤイバーなんて観せるからよ」

「いや、勝手に観始めて、俺が観せたわけじゃ……」

 

 本日何度目かの灰原のジト目が伊吹に突き刺さった。

 

「それじゃあわしは研究の発表会に行ってくるかの、夕方には帰るからの」

 

 いつもの白衣ではなくフォーマルな服で大きなお腹を包んだ博士が、伊吹たちへ声をかける。

 

「こっちも夕方には戻るだろうし、博士も一緒にみんなで夕飯でも食べに行こうか」

「おー、いいのぉ。じゃあまた戻る頃に連絡入れるかの」

「いってらしゃい」

 

 テレビに夢中の子供たちには無視され、伊吹と灰原、コナンに見送られ出かける博士。

 「さて」と一息つきながら食器を片付け、子供たちへ声をかける。

 

「じゃ、テレビはそれくらいにして俺たちもそろそろ行かないと」

「「はーい」」

 

 テレビを消し戸締りを確認する。玄関を開けると青い空が視界に広がり、暖かい日差しと爽やかな風が頬を撫でていく。

 

「お出かけ日和のいい天気だねぇ」

「……」

 

 空を見上げつぶやく伊吹に釣られるように、空を見上げる灰原。寂しそうに眩しそうに目を細める。吹き上げた風が少し髪を乱した。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 電車で少し足を伸ばすと、それなりの規模の動物園に到着する。言わずもがな動物園には様々な動物がいた。休日の園内には家族連れやカップル達で溢れている。

一行が着いた時にちょうど、大きなアフリカゾウが何かショーを行っていた。

 

「すごいすごーい!」

「感激ですね!」

「でっけえなぁ!」

 

 年相応にはしゃぎ象の芸に夢中になる探偵団。

 

「あの子一頭を飼育するのにどれだけの食費がかかってるのかしら」

「一日に2〜300キロの草と100リットル以上の水が必要だからなぁ」

「お前らも小学生なんだから素直に象さんを楽しもうや……」

 

 年不相応にはしゃがない灰原とコナン。

 

「わー、すごいね! 象もかわいいかもー!」

「象って頭いいんだなぁ」

「あんたよりお利口なんじゃない?」

「俺の方がまだマシだよー」

 

 隣ではしゃぐカップルの声に、灰原はふと視線を向ける。恋人達は手を結び顔を近づけて笑い合う。その光景になにを思っているのか、彼女にしては珍しくぼーっとしながら眺める。

 

「お兄ちゃん待ってよー」

「ほら、早くおいで」

 

 後ろから聞こえた声に灰原が振り向くと、青年が少女の手を引いて目の前を通り過ぎていった。年の離れた兄妹のようだ。

 

「…………」

 

 灰原は去っていく兄妹の後ろ姿の、繋がれたままの手を見つめていた。

 

「灰原、次行くぞー」

「……」

「おーい哀、どした。次行くぞ」

「……っ! え、ええ⋯⋯、行きましょ」

「「……?」」

 

 ぼんやりしていた灰原がコナンと伊吹の声で我に返る。象のショーは終わり、探偵団は既に次の動物の元へと駆け出していた。

 怪訝な顔で自分を見てくる伊吹とコナンの視線を受け流し、灰原は子供たちを追いかけていく。

 

「ちょっと、あなたたち、迷子にならないでよ」

 

 すっかりいつもの、子供たちの保護者へと戻っていた。

 

「どうしたんだろ、哀のやつ」

「どうって、朝から機嫌が悪いんだろ、お前がそう言ってたじゃねえか」

「ああ、うん、まぁ……。けど今のは機嫌が悪いっていうより……」

 

「キャーーーーーー!!」

 

 灰原の背中を見つめる伊吹が何かを口にしようとした時、園内に耳をつんざくような女性の悲鳴が響き渡る。

 振り返りいち早く駆け出すコナンと伊吹。それを追いかけるように駆け出す灰原と探偵団。悲鳴の聞こえた現場は少し離れた建物内のフードコーナー。悲鳴をあげた女性は腰が抜けたのかその場に座り込み、一人の太った男性が倒れていた。男性の腹部に刃物が突き刺さり、服は血に濡れている。痛みにうめき声は上げるものの動くことはできない。

 

「止血する、大丈夫だ、落ち着けおっさん、俺を見ろ。そこのあんた! 綺麗なタオルを持って来い!」

「灰原、警察と救急車だ! お前たちはそこを動くな!」

「ええ、わかったわ!」

 

 伊吹はすぐさま男性へと駆け寄り応急処置に取り掛かかり、係員に清潔なタオルを持って来るよう指示を飛ばす。コナンは灰原に救急車と警察の手配を頼み、探偵団たちには現場に近づかせないように一喝する。その後すぐさま係員と警備員に現場の人間に動かないよう指示を出させる。

 周りの人達がざわつく中、止血作業を行う伊吹に灰原が駆け寄って来る。片手には携帯を握り救急車の要請をしているようだ。

 

「どんな状態かわかる範囲で聞かせて欲しいってっ」

 

 灰原が慌てた様子で伊吹に状態を尋ね、救急隊との連絡役を買って出る。

 

「対象は4、50代男性。目測で身長165前後、体重80前後。腹部右側、恐らく刃渡り20センチ程の刃物が5から10センチ刺さっている。幸い出血はそれほど多くはない、腹部大動脈は傷ついていないだろう。とりあえず刃は抜かず救急隊が来るまでタオルで圧迫する。おいおっさん! 大丈夫か!?」

「うぅっ……あ、ああ、痛え……」

「ああ、だろうな! 意識はしっかりしている、出血も多くはないから脳の低酸素症もない。この厚い脂肪のおかげだろう。救急車が遅れなければ十分間に合う」

 

 男性に大声で話しかけながらも、淡々と落ち着いた様子で隣の灰原へ状態を報告する伊吹。それを一字一句違わず電話越しに伝える灰原。

 コナンは忙しく現場を動き回り、探偵団たちは警備員と一緒に出入り口に立ち、建物への客の入退場を規制していた。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 救急車と警察が駆けつけ、辺りは騒然とし始めた。建物及び園内の入退場は規制され、伊吹と少年探偵団も現場から追い出される。が、いつものようにコナンは捜査に首を突っ込んでいるようだ。元太、光彦、歩美の三人は現場の規制ラインから中の様子を伺おうとしている。

 伊吹は血で汚れた手を洗い、灰原と一緒に現場から少し離れたベンチに座る。

 

「さすがね、落ち着いた応急処置だったわ、状況の報告も。救急隊の人が助かったって」

「結局傷口押さえてただけだし、大したことしてないよ」

「その知識や技術も、CIAで訓練されたのかしら」

「あー、まぁね……」

「人を殺す訓練しか受けてないと思ってたわ」

「キツいなぁ。今日はどうしたんだよ、今朝言ってた夢が原因?」

「別に」

「さっきもなんかボーっとしてたし」

「……」

「そりゃあ今の哀を護衛してるのは組織でもCIAの命令でもなく、俺の勝手でしてることだけどさ。研究者時代は正式に哀の、というか志保の護衛だった訳だし。それなりの付き合いだから何かあったらすぐわかるよ。少なくとも何か様子がおかしいなってくらいは」

 

 ベンチの下まで届かない脚を組んで、頬杖をつく灰原。目を細めて前を見つめている。視線の先では馴染みのある目暮警部や高木刑事がコナンと話し、他の捜査官が慌ただしく動き回っている。

 灰原は彼らを視界に捉えてはいるが、見てはいなかった。今朝の夢のことや、かつて体が小さくなる前、伊吹と共にいた頃のことを思い出していた。

 

「それに……ほら、俺と志保、じゃなくて哀は、なんていうか。一応、恋人……な訳だし」

 

 伊吹も目線は現場を捉えたまま灰原の方を見ようとはせず、右手で髪をかき上げ頭をかく。照れているのか、中身がどうあれ見た目は小さい小学生の女の子相手だからなのか、バツが悪そうに歯切れが悪く呟く伊吹。

 

「あら、まだそうだったの。私はてっきりこの体になった時に、私が脱走した時にその関係は終わってると思ってたわ」

 

 灰原も視線を前から逸らさず、伊吹を見ようとはしない。つまらなさそうに、ぷらぷらと組んだ足を揺らしている。

 

「脱走には俺も手を貸しただろ。それで終わりにするつもりなんてないし、死なせたくないから手伝ったんだよ。まぁ小さくなってるのは予想外だったけど。おかげで探すのに手間取ったよ」

「あなたいくつだったかしら」

「さぁ、実年齢はわからないけど。確か今のIDでは17だったかな」

「17歳の男と7歳の女の子、犯罪ね」

「まぁ、そこだけ言われると……」

「……」

「……」

 

 隣同士の二人の間は30センチ程度の距離。しかし二人を包む沈黙はその距離をより長く感じさせる。二人の視線の先では、コナンの無邪気さを利用した推理に目暮警部たちが驚いている様子が見えた。

 

「今朝……」

「ん?」

「昔の夢を見たわ」

「どんなの?」

 

 ポツリポツリと呟くように話す灰原に、呟くように聞き返す伊吹。

 

「昔、一緒にいたけど、仕事以外に二人で出かけることなんて滅多になかったわ」

「まぁ、仕事柄な」

「こんなところにも来なかったしね」

 

 ふう、とため息をつく灰原の横顔をチラリと横目で見た伊吹が、ふと先ほどのことを思い出した。手を繋ぐ恋人同士を見る灰原のどこか寂しそうな顔である。

 空を仰ぎ見、少し考えた伊吹が灰原に自身の右の手を差し伸べる。

 

「手、繋ぐ?」

 

 灰原は少し目を細め、じとりとした目で伊吹を見つめる。右手では頬杖をついたまま軽く嘆息し左手を伊吹の手に重ねる。

 

「……この歳の差だと、まるで兄妹ね。全然様にならないわ」

「まぁ、確かに」

「このまま歩いても、兄に手を引かれる妹ね」

「気の強い妹が兄貴を引っ張る図、だろ」

「……」

 

 無言でキッと伊吹を睨む。思わず目を逸らし、再度現場の方へ目を向ける。短い溜息のあとに灰原も視線を戻した。

 現場では容疑者と思しき男性が警察、もといコナンに追い詰められてた。

 

「一件落着、かね」

「みたいね」

 

 お互いに目を合わせることはなかったが、手は繋いだままの二人。気まずいわけではないが、会話の途絶えたむず痒い空気が二人を包む。

 ぼんやりと現場を見ていると、先ほどの容疑者が観念したようにうなだれていた。かと思うと突然に隠し持っていたナイフを取り出し暴れ、野次馬をかき分け走り出した。

 

「あっ、コラっ!」

「待たんかっ!」

「萩原ぁ!!」

 

 慌てる高木刑事と目暮警部。コナンが慌てて伊吹に向かって叫ぶ。呼ばれたのは名前だけだが、「捕まえろ」という意味なのは明白だった。

 

「仕事よ」

「あいあい」

 

 犯人は伊吹と灰原のいる方へと走ってくる。どちらかともなくお互いは手を離し、伊吹は両手を膝につきやれやれと言わんばかりに立ち上がる。

 

「怪我、気をつけてね」

「俺が? まさか」

「相手にさせないように、よ」

「あ、はい」

「どけどけーっ!!」

 

 後ろから聞こえる怒号に、灰原から目を離して振り返ると、犯人がもうすぐそこまで迫っていた。頭に血が上っているのか顔は赤く、息は荒い。キョトンとした表情のまま動こうとしない伊吹に斬りかかるようにナイフを握った右腕を振り上げる。

 身長180近い決して小さくない伊吹に対して頭一つ背の高い犯人が、上から振り下ろすように刃物で切りつける。その瞬間、伊吹の目つきが鋭く研ぎ澄まされ、鈍く光る。刃物を持った男の右腕を左手でいなし、がら空きのボディへ右拳の一閃が走る。

 

「ぐぉっ! うぐぅっ……!」

 

 男は口から胃液を吐き出し体をくの字に折り曲げる。目玉が飛び出したかと錯覚するほどの激しい衝撃と、骨が砕け内臓が潰れたかのような鈍い痛み。息を吸うことも吐くこともできず、悶えながら尻餅をつくように体が沈んでいく。

 顎が引かれ下がった頭に流れるような右膝が叩き込まれる。

 

「ぁがっ……!」

 

 トドメと言わんばかりの一撃に顎が跳ね上がり天を仰ぐ。鼻血を吹き出し仰向けのまま倒れこむ犯人。

 一連の、あまりに衝撃的な出来事に辺りが静まり返る。

 

「……確保ぉっ!!」

 

 目暮警部の一喝に我に返った警官たちが一斉に動き出した。もっとも、完全に伸びた犯人が逃げ出すことはなかったが。

 

「よしっ」

「よし、じゃないわよ。やりすぎよ」

「ったく、むちゃくちゃしやがる」

 

 コナンと灰原が半ば呆れたように、伊吹に責めるような視線を送る。

 

「いや、だって、刃物持ってたし……かなり手加減はしたんだけど」

「萩原くん、協力してくれてありがとう。しかしちょっとやりすぎたかのぉ、改めて事情聴取ね」

「えー……」

 

 後日、伊吹は目暮警部に少し怒られた。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「いやー、にしてもすごかったですねー伊吹さんのパンチ!」

「ねー、あゆみびっくりして目つむっちゃったもん!」

「こうぼかーん! どーん! ってな!」

 

 夕暮れ、一行は園内の喫茶店のテラス席で一服していた。事件も解決しそろそろ帰ろうかと言うところだが、探偵団たちの熱はまだ冷めないようだ。

 

「オレも強くなって、バーンと悪い奴をぶっとばしたいぜ!」

「だめよ。あんな野蛮なものに憧れるもんじゃないわ」

 

 グッと拳を握り締め目を輝かせる元太に灰原が鋭く諭す。

 

「野蛮って……キツい」

 

 苦笑いしながら会計を済ませた伊吹が戻ってくる。

 

「じゃあそろそろ帰ろうか。今日は博士と合流して夕食だから、待たせると悪いし」

「わーい! あゆみお寿司食べたーい!」

「オレはうな重」

「ボクはイタリアンな気分ですねえ」

「あんまり博士の財布をいじめないであげて」

「あなたも出せばいいじゃない」

「それはちょっと……」

 

 夕食談義に花を咲かせながら喫茶店を後にする。コナンと元太、光彦、歩美が先導して歩き始め、その少し後ろを灰原と伊吹が並んで歩く。

 

「……」

「……」

 

 犯人確保の騒動でうやむやとなったが、先ほどまで手を繋ぎ、何とも言えない雰囲気だった二人。微妙な気まずさに沈黙が降りる。

 伊吹がチラリと横目で灰原の顔を確認するも、灰原は何も気にした様子もなくすまし顔である。

 

「あの、手でも、繋ぐか?」

 

 みんながいる手前、ダメ元で自身の左手を灰原へ差し出す。何を考えているのかわからないが、いつものすまし顔を崩すことなく伊吹を見つめ返す灰原。二人の視線が静かに絡み合う。

 灰原がふっと視線を前に戻し、談笑する探偵団を見つめる。『人前じゃ嫌がるか』と手を下ろそうとする伊吹の手のひらに、黙って自分の右手を重ねる灰原。少し驚いた伊吹だったが、灰原の手を優しく握り返す。

 伊吹は改めて記憶よりも小さくなった灰原の手に、灰原は改めて大きく感じる伊吹の手に、互いの距離を感じた。

 

「まるで兄妹ね」

「さっきも聞いたぞ、それ」

「はぁ、⋯⋯様にならないわ」

「それも聞いた」

「私は7歳なのよね」

 

 寂しげに、虚しげに呟く灰原。

 

「いつか元に戻れるよ、そしたら一応哀が年上になる。戻る気が無くても俺は気にしない。そのまま大きくなるのを待つさ。互いに歳食ったらいい。世の中10歳差くらいそこらにゴロゴロいる」

「今の私は何もできないわよ。あなたを満足させることも、恋人として出かけることもね」

 

 悲しげな瞳のまま、伊吹を見上げる。

 

「まあ、俺はこのままでも気にしないよ」

「あら、それは犯罪じゃないの」

「いや、別に犯罪行為をするつもりはないよ。ていうかそんな体じゃ興奮しない」

「……」

 

 灰原の瞳から悲しさは消え、怒気を孕んで睨みつける。

 

「いや、睨むなよ。そこは仕方ないじゃん。まあでもデートくらいはできるんじゃない。哀が言ったように、周りが仲良し兄妹だと思っても、俺たち本人が納得してるなら関係ないし」

「仲良しとは言ってない」

 

 はぁ、と今日何度目かのため息を吐く灰原。その嘆息に怒りや悲しみ、寂しさが溶け込み、体から抜けていくのを感じた。

 ざわめく周りの音も、先ほど起こった事件の血生臭さも忘れてしまうような爽やかな風が吹き抜ける。灰原のブラウンの髪が風に揺れ、夕日に照らされてキラキラと光る。赤く照らされた横顔が優しく微笑んだ。

 

「ま、いいわ。今日のところはそういうことで」

「素直じゃないなぁ……結構いいこと言っただろ?」

「そうね……悪くなかったわ」

 

 微笑みはすぐさま消え、いつものすまし顔へと戻る。しかし伊吹はその一瞬の微笑みを脳裏に焼き付けていた。そして繋がれた手も離される様子はない。

 

「あー! 哀ちゃん伊吹お兄さんと手繋いでるー!」

 

 後ろでコソコソとする二人に歩美が気づき、声を上げる。釣られてコナンたちも振り返る。キョトンとする元太に、面白そうだとニヤつくコナン。嫉妬混じりの視線で見つめる光彦と歩美。

 

「おいおい、灰原さんよー、甘えちゃってんの? 普段はそんなことしねーのに」

「今日はいいのよ、今日は。なに? なにか文句あるの?」

「あ、いえ……なにも」

 

 灰原の弱味を見つけたと言わんばかりにからかうコナンに対し、慌てて手を離すでもなく、怒りも照れもせず、さも当然かのように聞き返す灰原。あまりの素の対応に逆にたじろぐコナン。

 

「哀ちゃんずるーい! あゆみも伊吹お兄さんとお手て繋ぎたい!」

「そうですよ、ボクも灰原さんと、じゃなくてその……」

 

 頬を膨らませて訴える歩美と、何かを言いかけて口ごもる光彦。

 

「ダメよ。今日は、私だけ。ごめんなさい、吉田さんはまた今度ね」

「えー、そんなぁ」

「灰原さぁん……」

「あーもう! そんなのどうでもいーから、さっさと行こうぜ! オレ腹減ったよー!」

「そうだな、博士も待ってるし、さっさと行こう」

 

 我慢していた元太が大声で訴える。手繋ぎ騒動はうやむやになり、一行は博士の待つレストランへと向かう。歩美と光彦の羨望の眼差しを背に、レストランに着くまで伊吹と灰原の手が離されることはなかった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「いやー、ここの食事はうまいのぉ!」

「そうね、悪くないわ」

「悪くないわ、だってよ」

「気取ってらぁ」

 

 コナンと伊吹のからかいをキッと睨みつけて黙らせる灰原。

 

「でね、でね、伊吹お兄さんすごかったんだよ博士!」

「こうドーン! ってな!」

「まさに疾きこと風の如し! 一瞬でしたよ!」

「またその話か、もういいよ」

「あなたがあの子達の前で暴力振るうから」

「暴力って、俺はただ」

 

 一行の談笑は尽きることはない。

 

「しかし、なにやら哀くん機嫌も直ったようじゃし、よかったのぉ」

「別に、最初から悪くなかったわよ」

「悪くなかったわよ、だってよ」

「気取ってらぁ」

 

 二人のからかいを無視して、食後の紅茶を楽しむ灰原。カップを片手に香りを楽しむように目を閉じる。口元には薄らとほほ笑みが浮かんでいた。

 

「別に朝から機嫌が悪かった訳じゃないわ。ちょっと考え事してただけ。今日はむしろ……」

 

 紅茶を一口すすり、カップを置く。開いた瞳には悲しさも寂しさもなく、優しげな暖かい光が浮かび、チラリと伊吹の様子を伺ったあと博士に視線を戻す。

 

「今日はむしろ、なんじゃ?」

「今日はむしろ……悪くない日だったわ」

「?」

 

 朝とは打って変わったその表情。今日彼女に何があったのか、博士には知る由もなかった。

 

 

 

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少しでも楽しんで頂けたなら幸いです。

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