哀歌   作:ニコフ

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2話 夢見る少女じゃいられない 前編

 

「で、なんで俺に言うの?」

 

 某日、陽も傾き始めた午後5時頃、帝丹高校2年B組でその密談は行われていた。

 

「本当は工藤君に頼もうかと思ったけどいないし。それに萩原君って大層な腕っ節だそうじゃない」

「だったら俺じゃなくて蘭ちゃんでもいいじゃない」

「私は家で夕飯の準備とかしないといけないし」

「男の方が効果あるって、この園子様が知恵を絞ったってわけ」

 

 茶髪のショートヘアにカチューシャで前髪を止めている女性、鈴木園子。艶やかな黒いロングヘアの毛利蘭。彼女たちが帰宅の準備をする萩原伊吹の机を囲んでいる。

 

「まぁ、とりあえず相談に乗るくらいならいいけど」

「OK、それでいいわ。じゃあ明日のお昼休みに中庭のベンチ集合ね。よろしくー」

「ごめんね、萩原君。じゃあ明日、よろしくね。ちょっと待ってよ園子ー」

 

 手を振りウィンクを残し颯爽と去っていく園子と、追いかける蘭。ぽつんと一人残された伊吹は2人が去っていった廊下に目をやり、ため息を吐く。

 なんの気なしに窓の方へ目を配る。放課後の教室には校庭からの運動部の掛け声が響き、雲が眩しいオレンジの陽に染まり、空は薄らと紫色に侵食されていた。

 

「ストーカー、ねぇ……」

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「で、この子が昨日話してた椎名深月(しいな みつき)ちゃん」

「空手部の1年生。私の後輩なの」

「ん。よろしく」

「あ、あの、よろしく、お願い……します」

 

 翌日の昼休み。約束通り3人は帝丹高校内の中庭に集まり昼食がてら昨日の話をしている。話題の中心は1人の女の子、椎名深月。黒曜石のように深い黒髪を肩口に切りそろえ、前髪は目が隠れるほど長い。背は低く体は華奢で声は小さい。おどおどした態度はとても蘭の後輩の空手部員とは思えない。

 

「それで、相談って? ストーカーがどうのこうのって聞いたけど」

 

 花壇のレンガに座り込む伊吹。ストローを吸い紙パック入りのカフェオレを飲みながら、あまり興味なさそうに尋ねる。眠たそうな半眼はぼんやりと足元の蟻を追いかけていた。

 

「そうなのよ。彼女、少し前からストーカー被害にあってんの。こんないたいけな少女を怯えさせるなんて許せないわ!」

「なんでも学校の行き帰りとか、休みの日とかも誰かにつけられてるみたいで。メールや電話もすごいんだって」

 

 ベンチに座り弁当箱を膝に乗せた園子が、右手に箸を握り締める。隣の蘭も弁当を食べながら詳しく説明を付け足す。

 

「ふーん。で、どうなの?」

 

 チラリと蘭の隣でもそもそと食事をとる深月を見る。

 

「あ、あの、はい……そうです。め、メールとか、電話とか、すごくて……無言で。み、見られてる、気がする、といいますか……実際、変な人を、お、同じ人を……何度も、見てて」

 

 慌てたように俯きながら話す深月。見られることに慣れていないのか、恥ずかしがるように顔を朱に染め前髪で隠そうとする。手元のレモンティの紙パックが握りつぶされており、中身があれば飛び散っていただろう。

 

「んー、まぁ最近はそういうのにも厳しくなっているし、高木刑事とかに相談してみたら?」

「もうしたわよ! 生活安全課だかなんだか担当の部署に話を通すとか言ってたけど、毎日つきっきりで守ってくれる訳じゃないでしょ?」

「それは俺もだよ。俺だって四六時中一緒にいられるわけじゃないし」

「それは百も承知よ。むしろ萩原君に四六時中一緒に居られたら、そっちも危ない気がするわ」

「おいおい」

「その無駄に鍛えられた筋肉を使うチャンスよ」

「無駄……」

 

 人にお願いする立場でありながらハッキリとものを言うのは園子の良いところでもある。

 

「あ、あの、私は、その……だ、大丈夫です……」

 

 自分を抜きに話が進んでいく様子をオロオロしながら見ていた深月だったが、意を決したように声を上げる。両の手を膝の上で握り締め、プルプルと震えながら今にも泣き出しそうに訴える。

 

「……」

「……」

 

 蘭はそっと彼女の頭を撫でながら伊吹を見る。園子も何かを訴えるような目で伊吹の方を見つめてくる。

 先日に引き続き、今日も伊吹は大きなため息を吐いた。

 

「はぁ……えっと、よろしく、深月ちゃん、だっけ?」

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「ほう、ストーカーとはまた物騒じゃのう」

「それで、どうしたの?」

「了承したよ。なんか可哀想だったし、ほんとに被害に遭ってるみたいだったし」

 

 その夜、阿笠宅のダイニングには伊吹と灰原、阿笠博士が美味しそうな夕食を囲っていた。コンソメスープにオニオンサラダ、ペペロンチーノとスライスされたフランスパンが並んでいる。伊吹が腕を振るったようだ。

 

「まあ警護って程のものじゃないし、休日まではどうしようもないし。一緒に登下校するくらいだよ。万が一には警察が何とかしてくれるだろ」

「……ま、あなたの無駄に鍛えられた筋肉を見たらそのストーカーも逃げ出すんじゃない」

「無駄……」

「その警護はいつまでする気?」

「うーん、ストーカーが消えたら?」

「曖昧ね。いつ居なくなるかも分からないし、居なくならないかもしれない。そうなったらずっと続ける気かしら」

「いや、ずっと続けたりはしないけど」

「そう……」

 

 静かに食事を続けながらも、どこか刺のあるような灰原の口ぶりに頭を傾ける伊吹。博士は余計な口を挟むまいと黙々と食事を続けている。

 心なしか食卓はいつもよりも冷たい空気に包まれている。

 

「あと、パンをスープに浸して食べるのやめてくれない?」

「……結構いけるんだけど」

 

 灰原の冷たいジト目の奥に僅かな嫉妬が見え隠れしていることを、伊吹は見抜けなかった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「随分と早いのね」

 

 翌日の朝。今日から椎名深月の警護として登下校を共にするため、いつもより早く起床した伊吹。制服に着替え準備を整えた彼が欠伸を噛み殺しながらリビングに顔を出すと、既に目を覚ました灰原がコーヒーを沸かしていた。

 

「今日から行くって約束したから。そっちこそあくび娘の割に早起きだね」

「別に、たまたまよ」

 

 キッと睨みながらも二つのカップにコーヒーを注ぐ灰原。寝巻きから着替えてはいないが、少し前から起きていたようだ。

 二人がダイニングに向かい合わせで座り、香り立つ淹れたてのコーヒーをすする。

 

「うまいね。哀はコーヒーを淹れるのが上手だなぁ」

「そう、光栄ね」

 

 昨日の雰囲気を思い出した伊吹がよいしょするも、華麗にスルーする灰原。

 

「今日は何時に帰るのかしら?」

「彼女の部活が終わるのを待って、家まで送らないといけないし。彼女の家が少し遠いから……7時半は回るかも」

「あら、もう家まで知ってるのね」

「大体の場所を聞いただけだよ」

 

 テレビで今日の天気を確認しながら灰原の方は見ずに仕事用の携帯電話をチェックする。伊吹のいつもの習慣である。

 

「夕食はいるの?」

「そりゃ、いるよ」

「そう」

 

 当然だと言うように答える伊吹の返事に、灰原は薄らとどこか満足そうな笑みを浮かべる。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 夕方6時30分。帝丹高校、空手部の道場の前で伊吹は待機していた。じきに部活が終わるため深月を待っているのだ。

 空はほとんど日が暮れ、濃紺に染められている。橙の光に照らされ浮かぶ雲は幻想的でもありながら、言い知れぬ不気味さも混在していた。

 購買に売っているお気に入りのカフェオレを飲みながら何をするでもなくぼーっと彼女を待っている。眺める校庭では運動部が用具を片付け始めていた。

 

「あ、あ、あの……お、お待たせ、しました。す、すみません、こんな、時間まで……」

 

 弱々しいか細い声が背後からかけられる。振り向くと鞄を両手で持ち、自信なさげに背中を丸めた椎名深月が立っていた。俯きがちに内股で立つ彼女を見ると、どうしても先程まで空手部で汗を流していたとは信じられない。空手部の見学でもしていればよかったと、伊吹は少し後悔した。

 

「じゃあ彼女のことよろしくね」

「はいよ」

 

 深月の隣に立っていた蘭はそういって彼女を伊吹に預け、急ぎ足で帰っていった。ぶつぶつと聞こえた呟きによればタイムセールが終わりそうだとか。

 

「朝も言ったけど、そんなに畏まらなくてもいいよ、気楽にさ。園子様いわく、俺みたいなやつが友達か恋人かと思わせてビビらせるって作戦だそうだし、自然体でいないと」

「は、はい、そ、そうですね……」

 

 隣を付かず離れずの距離で歩き、話しかける度にビクッと反応する彼女を見て内心「この作戦はうまくいくとは思えない」とため息をつく伊吹だった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 米花駅に着く頃には彼女の小動物のような態度も少しはなりを潜め、徐々に笑顔も見られるようになっていた。

 2人の手には伊吹の奢りで買ったアイスが握られている。アイス片手に笑顔で話しながら歩く2人の姿は仲睦まじく、恋人同士にも見える。小さく控えめに笑う彼女も、伊吹と一緒に過ごすこの時間はまんざらでもないようだ。

 

「あー、伊吹お兄さんだ!」

 

 自分に向けられる女の子の声に振り向く伊吹。隣の深月は少女の声にビクッと肩を震わせ、恐る恐る振り返る。

 伊吹を指差す少女は歩美、その後ろには少年探偵団と阿笠博士がいた。

 

「おー、お前ら。こんなとこで何してんの、良い子は帰る時間だよ」

「悪いことはしてませんよ! ヤイバーショーを見てきた帰りです」

「伊吹兄ちゃんこそ何してんだよ」

「もしかして、デート?」

「ははは、違うよ。あゆみちゃんはおマセさんだなぁ」

 

 どこか悲しそうな顔で尋ねてくる歩美に思わず苦笑いを浮かべてしまう伊吹。

 

「お、お知り合い、ですか……?」

「うん、近所に住んでる知り合いの子達だよ」

「そ、そうですか。あ、あの、し、椎名深月と、いいます。は、萩原先輩の、後輩です……。は、はじめまして」

「姉ちゃん声ちっせえなー」

「ちょっと元太くん! 失礼だよ、そんなこと言っちゃあ」

「そうですよ、初対面の女性にそんなこと」

「うぅ……す、すみません……」

 

 挨拶した深月だったが小学生からの無垢な指摘にへこみ、さらに小学生に庇われたことに傷ついていた。

 

「お姉さんは伊吹お兄さんの恋人さん?」

「えぇっ、ち、違いますよぉ……」

「違うわよ」

 

 歩美の質問に慌てて否定する深月と、さらりと否定する灰原の声が重なる。思わぬ所からの声に全員の視線が灰原へと注がれる。

 

「なーんでお前ぇが知ってんだよ?」

「別に……なんとなくよ」

 

 灰原はコナンの質問にも目を閉じ腕を組んだままクールに返答する。

 

「ふーん、じゃあ恋人さんでもデートでもないんだね! よかったー」

「あゆみちゃんは可愛い反応するなぁ、誰かに見習わせたいよ」

「……」

 

 頬を少し朱に染めながら笑う可愛らしい歩美の頭を伊吹は思わず撫でてしまう。目を閉じて嬉しそうに撫でられる歩美。腕を組んだままの灰原の鋭い目には気づかないフリをする。

 

「それじゃあ、そちらが例の?」

「うん、そう。今から送ってくるから、また後でね」

 

 博士の質問に対し、子供たちに深く聞かれないようさらりと答えその場を離れる。

 

「じゃあね、伊吹お兄さん! ばいばーい!」

「まったなー!」

「またですー!」

 

 探偵団の元気な声に振り返らずアイスを持った手を挙げて応える。2人の背中は駅の人混みへと消えていった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 米花から3駅ほどで彼女の最寄駅へと到着する。改札を抜ける頃には日は完全に沈み、夜の帳が訪れていた。彼女の駅は住宅街の方であり、駅周辺は賑わってはいないが、帰宅するサラリーマンや学生の姿は多かった。

 彼女の家は駅から少し歩く必要があり、道には街灯が立ってはいるものの暗がりが多く人通りは少ない。気の弱い彼女が暗い中この道を帰るのは心もとないだろうと伊吹は納得していた。ましてやこの道を誰かが尾けてくるなら尚更である。

 そして伊吹は既に、駅から何者かが後を尾けて来ていることに気がついていた。

 

「あ、あの……き、今日は、あ、ありがとう、ございました……」

「……」

「あ、あの……」

「……」

「せ、先輩……?」

「……っ、あぁ、ごめんごめん。いいよ、気にしないで。俺が引き受けたことだし、それに……本当に必要だったみたいだし」

 

 伊吹の眼が鋭く鈍く光る。脇の隙間から携帯のカメラをそっと覗かせ音を鳴らさないように撮影する。フラッシュをたいていないため画面は暗いが、伊吹にはハッキリとその姿が確認できた。間違いなく何者かがつけてきている。

 

「尾行は稚拙……素人か……やはりただのストーカー……」

「せ、先輩、ど、どうか、しましたか?」

「深月ちゃん、次の角を右折だよね……?」

「は、はい、そ、そうです……」

 

 次の角にカーブミラーが無いことを確認する伊吹。曲がってもすぐには相手に見られない。

 

「深月ちゃん……」

「は、はい……?」

「いくよ……っ!」

「へ……? きゃぁ……っ!」

 

 角を曲がり相手の死角に入った途端に深月の腕を引き抱きかかえ走り出す伊吹。相手が曲がり角に到達してこちらを覗き込むまでの僅かな時間に、伊吹は更に先の角を曲がりすぐの家の塀へと隠れる。

 僅か数秒の間に、いわゆるお姫様抱っこで抱えられ風のように走り出し、ふわりと降ろされた時には隠れていた。深月はなにが起きたのか頭が追いつかない。

 

「あ、あぁ……あ、あのあの……」

「しっ、静かに……」

 

 深月が確かに覚えているのは自分を抱えても全く軸のぶれない伊吹の体幹と、屈強な体と逞しい腕の安心感。静かにするよう自分の唇に当てられた指の温かさである。彼女は場違いな胸の鼓動と顔に集まる熱を感じていた。

 伊吹はそんなことを全く気にすることもなく、変わらない鋭い眼で塀の外の様子を伺っている。次第に荒々しく走る足音が聞こえてきた。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……あれ、どこだ……?」

 

 月明かりに照らされて姿を見せたのは中肉中背の男だった。額に脂汗を流し、走ったことで息が上がっている。深月を見失い焦ったのか憤ったのか、隠れる素振りは見せない。

 徐々に近づいてくる男を仕留めようかとも思った伊吹だったが、現状その男がストーカーである証拠もなく、警察に突き出すこともできないため、この場は一先ず息をひそめるだけにした。

 しばらくすると男は舌打ちをし、駅の方へと引き返していった。どうやら今日は諦めて帰ったようだ。

 

「行ったか」

「……」

「しかし、ほんとにストーカーだったとはね」

「……」

「おーい、深月ちゃん大丈夫?」

「あ、は、はいっ……、だ、だいじょぶで、す」

 

 どこかボーっとした様子の彼女だったが、伊吹の声に我に返る。無意識に両手を頬に当てて赤い顔を隠そうとしている。

 

「とりあえず今日のところは大丈夫だと思うけど、家までは送るよ、念のため回り道してね」

「は、はぃ……よろ、よろしく、お願い、せます……」

 

 少し打ち解けてきたと思ったが、なぜか最初よりも言葉が詰まっている彼女を見た伊吹は、よほど怖かったのだろうと見当はずれの納得をしていた。

 念のため回り道をして彼女の家へと到着したが、男の姿は影も形もなかった。

 

「やっぱり今日は大丈夫みたい」

「は、はい……あ、あり、ありがとう、ございます……」

「明日は休みだし、俺は来られないけど、まあ暗い時間に出かけなかったら大丈夫だと思う。警察に突き出せるよう証拠集めもするから」

「は、はい……よろしく、お、お願い、します……です」

「うん、じゃあまた、月曜日に迎えに来るから」

「は、はい、お、おや……」

「ん?」

「おや……すみ、なさい……です」

「うん、おやすみ」

 

 深月が家に入っていくのを確認してから、伊吹は帰路についた。深月は部屋のカーテンから顔を覗かせ、去っていく伊吹の背中を見送った。恥ずかしそうに手を振りながら。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 空は更に暗くなり、かすかに見える星と大きな満月を見上げながらトボトボと歩く伊吹。

 阿笠邸の前に差し掛かる頃、家の前に小さな人影が見えた。時期的には寒いほどではないものの、夜はまだ冷える。

 

「哀じゃん。何してるの、こんなところで」

「別に、買い物の帰りよ。偶然ね」

 

 彼女の手には近所のコンビニの袋が握られており、中には女性向けのファッション雑誌と清涼飲料水が見える。

 

「あー。晩御飯はある?」

「用意してるわよ。私と博士は食べたけど」

 

 灰原からコンビニの袋を受け取り、家の中へと入っていく。その時、伊吹は灰原の手がひどく冷たくなっていることに気づいた。

 

「おー、哀君おかえり。お、伊吹くんも一緒じゃったか」

「博士ただいまー」

「ただいま」

 

 哀と伊吹は揃って洗面所で手を洗いうがいをする。リビングへと戻った哀に、博士が夕食を温め直しながら声をかける。

 

「それにしても哀君、随分と遅かったの。どこのコンビニまで行っておったんじゃ?」

「博士っ、頼まれてた飲み物買ってきたわよ」

「お、おぉこれじゃこれじゃ、ありがとう哀君」

 

 制服を着替えに自室へと戻ろうとする伊吹の後ろから灰原と博士の会話が聞こえたが、何も聞かなかったことにして伊吹は自室へと消えていった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 部屋着へと着替えた伊吹が博士に温め直してもらった夕食にありつく。

 

「それで、どうじゃったんじゃ? ストーカー事件の方は」

「あー、どうやら本当っぽいね。困ったことに」

 

 伊吹と博士はダイニングテーブルを囲んで話している。博士の手にはコーヒーカップが握られ、灰原は紅茶のティーカップを片手に隣のリビングのソファに座りニュースを見ている。

 

「物騒じゃのう。どうするんじゃ?」

「とりあえず本当だった以上、無視はできないし、登下校の警護はするよ。ちょこちょこ証拠を集めて警察につき出す」

「そうじゃの。ただ、警察が動いてくれるだけの証拠が集められればいいがのぉ」

「まぁ月曜から何とかしてみるよ。明日は休みだし、暗い時間に出歩かなきゃ大丈夫だろうし」

 

 食事を取りながら話す伊吹の表情は晴れない。どうしたもんか、と悩んでいるようだ。

 

「あら、随分と浮かない顔ね」

 

 灰原が軽く振り返り、横目に伊吹の顔を捉えて2人の話に参加する。

 

「そりゃ、まあ。言っちゃ悪いけど、被害妄想とか気のせいじゃないかって可能性も少しは疑ってたからな。なんとなく悪かったなぁってのと、正直面倒なことになったなぁって」

「あら、その割に楽しそうに見えたけど」

「なにが?」

「今日の帰り道。鼻の下が伸びた締りのない顔してたわよ」

「そんなことないだろ」

「どうだか……」

 

 灰原は伊吹から半眼のジト目を外し、買ってきた手元の雑誌へと視線を落とす。博士は2人のやり取りを苦笑いを浮かべて見ているしかできない様子。

 

「機嫌が悪いの?」

「別に」

 

 夕食を食べた伊吹がグラスのお茶を飲み干し、灰原の方へと振り返る。椅子にまたがるように座り、背もたれに両腕を起き顎を乗せている。そんな伊吹には目もくれず、灰原は雑誌をぼんやりと見つめている。

 

「明日さ」

「……」

「哀」

「……なに?」

「明日休みだし、どっか出かけようか」

「どこへ?」

「どこでもいいけど、どこがいい?」

「そうね……買い物かしら」

 

 灰原が雑誌のページをヒラヒラと後ろの伊吹に見せながら言う。

 

「子供用の服って高いんだよなぁ」

「……」

 

 灰原はキッと、いつものキツい目つきで伊吹を睨む。

 

「冗談だよ。それで、買い物だけ?」

「服を見て、本屋へも行きたいわ。あとは食事でも行って……デザートも欲しいわね」

「はいよ。なに食べたい?」

「なんでもいいわ。でも、デザートはジェラートがいいわね」

 

 伊吹は食後のコーヒーをカップに入れて灰原の横へと座る。灰原は気にした様子もなく再び雑誌を眺めている。

 

「ジェラート、ってどんなだっけ?」

「……アイス、みたいなやつよ」

「あーはいはい。……なんでまた」

「ただの気分よ」

「ふーん……」

 

 互の気持ちを知ってか知らずか、気づかぬふりをしているのか。2人はそれぞれカップを片手にテレビを見始める。

 

「この新婚はうまくいきそうにないな」

「どうかしら」

 

 2人で同じ脚を組み同じタイミングでコーヒーを飲む。揃ってテレビのゴシップの話をしながら夜は更けていった。

 


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