哀歌   作:ニコフ

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作中に登場する「フナチ」はアニメオリジナルのキャラクターです。知らないという方も特に問題はないと思います。


3話 人を助けるために 前編

 

「江戸川様! 後生であります! どうか再びこのフナチをお助けください!」

 

 休日の朝、阿笠宅に少年探偵団が遊びに来ていた。みんなでテーブルを囲んでゲームでもしようかというところに、その珍客は来訪した。

 明るいブラウンに染められたセミロングの髪を、左右の高い位置にリボンで縛っている。鼻にかかったような甲高い声で鳴きながら、フリルの付いた可愛らしい服に身を包み、口元は猫のように曲がっている。子供っぽい声色やファッションとは裏腹に、その体つきは大人のそれだ。

 玄関で彼女を迎え室内に連れてきたのは伊吹だが、普段は飄々としている彼も彼女のキャラクターに押され気味のようだ。

 

「誰?」

「いや、なんかコナンに用があるとか玄関で喚いてたから、案内したんだけど」

 

 見知らぬ女性の登場に灰原の突き刺すようなジト目が向けられる。伊吹は気まずそうに頭をポリポリとかいて答える。

 

「別に怪しくはないと思ったんだけど……」

「どう見ても怪しいじゃない」

 

 2人のやり取りを背にフナチと名乗る女性はコナンの元へと駆け寄り、足元に跪いてソファに手をかけ改めて懇願する。

 

「どうか! どうかフナチに救いの手を!」

 

 やたらテンションの高いその珍客にコナンは苦笑いを浮かべ、灰原はみるみる機嫌が悪くなっていった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「はじめまして皆々様。申し遅れました、わたくし中居芙奈子(なかい ふなこ)と申します。よろしければ、フ・ナ・チとお呼びください!」

 

 ニコニコと明るい笑顔を浮かべ、右手の人差し指をピンと立てて自己紹介する芙奈子。流れるような早口で舌が回っている。

 

「ふなちさん?」

「さんは不要です」

 

 きょとんとしながら名前を聞き返す歩美に即座に訂正を入れる。

 

「ちなみにフナチとは某有名乙女ゲームで「蜃気楼の君」様をお慕いするヒロインの名前から拝借したものでして、そこには……」

「そ、それで! フナチは僕になんの用で来たの?」

 

 以前の経験から「長くなる」と直感的に察知したコナンが、すかさず言葉を挟んで芙奈子の語りを遮る。

 探偵団の子供組はまるで珍しい動物でも見るかのように様子を伺い、灰原は既に我関せずといった具合に瞳を閉じて腕を組む。伊吹は席を立ちキッチンでせっせと各人の飲み物の準備をしはじめた。

 

「はい、実はですね……重大な事件なのであります」

「事件?」

 

 伊吹が立った席に腰を下ろし、芙奈子は伏し目がちに語りだす。隣の灰原はチラリと横目で彼女を確認し、少し鬱陶しそうな表情を浮かべる。

 先程までの高すぎるテンションから一変して急に重苦しく口を開く彼女に一同は思わず耳を傾ける。実際、彼女は以前にとある事件に関わっており、コナンもそのことを知っているから尚更だ。

 

「はい、実は…………今日はアニメショップにて某有名乙女ゲームの限定グッズの発売日なのであります! 一人一つしか購入できない、中身は完全ランダムの運任せ! フナチはその数あるシークレットの中から「蜃気楼の君」様を救出しなくてはならない使命があるのでございます!」

「……」

 

 拳を握り、何か決意を固めたように斜め上を向く芙奈子。その目はキラキラと少女のように輝いて、背中には燃え盛る覚悟の炎が見えるかのようだ。

 事件と聞いて少しワクワクしていた子供たちはゲンナリとし、コナンは思わず頭を抱える。灰原はため息をついて席を立ち、キッチンへと向かった。

 

「おー、哀は紅茶でいいよな。フナチちゃんはどうしよか。オレンジジュースかな」

「彼女の分は要らないわ。すぐに帰るでしょうし」

「え、そうなの?」

 

 リビングから避難してきた灰原がダイニングテーブルへと腰掛け、右手で頬杖をつく。伊吹はお湯を沸かしながら灰原の言葉を聞き、顔だけをひょこっと突き出してリビングを見やる。何やら揉めているようだ。

 

「お願いです江戸川様! フナチが頼れるのは江戸川様しかいないのです!」

「そういうのは友達に頼めばいいんじゃないかな」

「本日わたくしの学友は皆忙しいようなのです……しかしあのグッズが購入できるチャンスは今日しかない次第でして……」

 

 内股気味に両膝を閉じ、手をその間に挟みながらしょんぼりと落ち込むフナチと苦笑いのコナン。博士はその様子を眺めるのみで、子供たちに至ってはもう興味をなくしたのかゲームに勤しみ始めた。

 

「前に知り合った、彦根さんだっけ? あの人に頼んでみたら?」

「はい、彦根様にもお声がけさせて頂いたのですが、執筆のお仕事の方が忙しいらしく、協力は難しいと……」

「……」

 

 彦根とは以前にある事件でフナチと友人になった男性である。

 正直面倒だと思いながらも、仕方ないから手伝ってやろうかと思案するコナン。その向かいで落ち込んでいた様子の芙奈子だったが、テレビから聞こえてくる耳慣れた音楽に思わずピクリと反応し、ガバっと顔を画面へと向ける。

 

「やややっ! それはもしや累計売上本数が100万本を突破し、未だに販売本数を伸ばしている神ゲー「タイタン・ハンター」ではありませんか!?」

「なんだおめー知ってんのか?」

「もちろんでございます小嶋様、僭越ながら助言をさせていただきますと、そやつは尻尾の先が弱点で御座いますゆえ、そこを狙うとよろしいかと」

「フナチのお姉さんすごーい!」

「フナチさんもタイタンハンターをしているんですか?」

「さんは不要ですよ、円谷様。わたくしこう見えましても既にハンターランクをカンストしておりますゆえ、お手伝いいたしましょう」

 

 子供たちが徹夜でやり込むほどにハマっているゲームソフト「タイタンハンター」をどうやら芙奈子もプレイしていたらしい。そして様々な助言やテクニックを披露するうちにすっかり探偵団の心を掴んだようだ。

 

「コナン! フナチを手伝ってやろうぜ!」

「ええ、助けていただいたのでお返しをしなくてはいけません」

「困っている人を助けるのも少年探偵団のお仕事だもんね!」

 

 芙奈子の肩を持ち協力を買って出る子供たち。コナンはやれやれと言った具合に肩をすくめる。

 

「帰らないじゃん」

「……みたいね」

 

 芙奈子を含め人数分の飲み物を用意した伊吹が灰原と共にリビングへと戻ってくる。ジュースに釣られた子供たちもソファへと座り、芙奈子も席つく。

 みんなの前に飲み物を置いた伊吹が自身の席がないことに気づくと、当然と言わんばかりの自然な動作で灰原を膝に乗せて座ろうとする。

 

「ちょっと」

「あ、だめ?」

「だめ」

 

 間髪いれずに灰原に拒否された伊吹は、そそくさと歩美の方へと移動し彼女を膝に乗せて座る。

 

「えへへ」

「あゆみちゃんは素直で可愛いなー」

「……」

 

 経験と慣れにより、伊吹は灰原のじとっとした目をスルーするスキルを身につけつつある。

 

「それで、結局そのフナチちゃんは何しに来たの?」

「あのね、フナチお姉さん買い物に行きたいんだって」

 

 伊吹の質問に対し歩美が顔を上げて伊吹を覗き込みながら答える。伊吹は彼女の髪をくすぐったそうに抑えて撫でる。

 

「そっかー……え、勝手に行けば?」

「なんでも一人一個の限定販売だそうで」

「オレたちも一緒に行って買ってやろうって思ってんだ!」

 

 すっかり彼女の仲間となっている子供たちが話の流れを説明する。興味なさそうに目を半分ほど伏せた伊吹がコーヒーを片手に聞いている。

 

「なるほどねー。じゃあ探偵団諸君、手を貸してあげたまえ。俺はパス」

「私もパス」

「えー、伊吹お兄さん行かないの?」

「灰原さんもですか?」

 

 あっさりと断りを入れる伊吹と灰原。その言葉にショックを受けたような歩美と光彦。

 

「お願いであります萩原様! 灰原様! どうか、どうかご助力くださいませ! 可能性を、蜃気楼の君様救出の可能性を高めるためには人海戦術しかないのです!」

「伊吹お兄さん、哀ちゃん……」

「……」

 

 あまりにも必死に懇願する芙奈子と歩美の潤んだ瞳に気圧されて、伊吹は頭を縦に振らざるを得なかった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「おめーはパスするんじゃなかったのかよ?」

「別に。よく考えたら暇だったからよ」

 

 少年探偵団と伊吹が芙奈子に引っ張られるように買い物へと出かける。結局灰原も伊吹に釣られて付いてきたようだ。

 

「フナチお姉さん、そのグッズってどんなのなの?」

「よくぞ聞いてくださいました吉田様! これは某有名乙女ゲームのキャラクターグッズなのであります。その中でもわたくしが狙うのは「蜃気楼の君」様のグッズコンプリート! 各キャラに一つずつ存在するシークレットグッズも含めてであります!」

「それで、その蜃気楼の何とかって、なんなの」

 

 灰原は興味なさそうにも、話のタネに芙奈子へ尋ねる。芙奈子は頬を染めながら両手を当て、クネクネと体を揺らして早口に喋る。

 

「蜃気楼の君様でございます! 某有名乙女ゲームに登場するミステリアスでクールでスタイリッシュな殿方で御座いますよー。その緻密に考えられた世界観と時代設定なども然ることながら、この作品の最大の魅力はキャラクターなのであります! あぁ蜃気楼の君様……」

 

 恋に焦がれているように頬を染め、両手の指を組んで潤んだ瞳で空を見上げる芙奈子。口からは「はふぅ」と吐息が漏れている。

 

「蜃気楼の君ねえ……」

 

 興味なさそうに呟いた伊吹の方へ向き直る芙奈子。その体を上から下までじっくりと観察する。

 

「萩原様はご立派な体をしておられますね」

「まあ、鍛えてるから」

「それは一体何のための筋肉なのでしょうか。顔はよろしいのですから、もう少し細くなられてはいかがでしょう。今時筋肉系キャラは「噛ませ」にしかならないかと」

「これは……一応、人助け? のための筋肉で……」

「この平和な日本でその某少年漫画の主人公のような、世紀末を生き抜けそうな筋肉はどう見ても火力過多なのではありませんか。細マッチョ程度なら人気を博すること間違いなしかと思いますよ、とフナチなりに助言させていただきます」

「そうか……ダメか」

「一女子大生としてフナチが言わせていただくならば、“なし”かと思われます」

 

 芙奈子の辛辣な酷評に肩を落とす伊吹。腕を組みながらそのやり取りを見ていた灰原が「ふう」とため息をついて口を開く。

 

「あまりゲームばかりするのはお勧めしないわ。現実との区別がつかなくなるから。あと、現実での男を見る目も養われないみたいだし」

「伊吹お兄さんの筋肉はかっこいいよ!」

 

 落ち込む伊吹をフォローをする歩美と、芙奈子へ辛辣なカウンターを返す灰原。「ぐぬぬ……」と唸る芙奈子と視線をぶつけて火花を散らす。

 さっさと帰りたい、場の空気に1人そう思うコナンだった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「蜃気楼の君様―!!」

 

 買い物へ行った全員が一つずつグッズを購入し、阿笠宅へと帰ってきた。伊吹の買った袋から無事芙奈子のお目当ての商品が出てきたようで、家中に彼女の甲高い絶叫がこだまする。恐らくお気に入りのキャラクターを模して作られたと思われるぬいぐるみを両手で持ち上げ、その場でくるくると回る。

 

「よかったね、フナチお姉さん!」

「はい! ありがとうございます吉田様! 皆々様! フナチはこのご恩を一生忘れません!」

「オーバーな」

 

 朝と同じように一同はリビングで寛いでいる。違うのは伊吹がキッチンで昼食を作っていることだ。

 

「本当に皆様ありがとうございました。長々とお邪魔するのも申し訳ありませんので、利用するだけして帰るようで気が引けますが、フナチはこれにて失礼しようと思います」

「えー、フナチお姉さんもう帰っちゃうの?」

「一緒にゲームしようぜ!」

 

 購入した他のグッズを自身のキャリーケースへと詰め込み帰り支度を進める芙奈子に別れを惜しむ子供たち。そこへ調理をしていた伊吹が顔を覗かせて声をかける。

 

「フナチちゃんのご飯も作っちゃったし、食べてけばいいじゃん」

「そ、そうですか……、ではお言葉に甘えさせていただきたく存じます!」

 

 芙奈子は右手で小さく敬礼をする。

 全員でリビングのテーブルを囲むには人数が多すぎるため、伊吹と灰原はダイニングの方で食事をとる。お皿の上には可愛らしく黄色い卵に包まれたオムライスが乗っかっている。

 

「むむむっ! こ、これは……非常に美味ですっ! シェフを呼んでくださいませ!」

「伊吹お兄さんが作ったんだよー」

「伊吹兄ちゃん、これうめー!!」

「ありがとう」

 

 伊吹の作った料理に舌鼓を打つ一同。芙奈子は握り締めたスプーンを持ち上げて叫ぶ。そのテンションの上がりっぷりは相当なものだ。

 

「料理の作れる殿方はポイント高しですよ、萩原様!」

「それを食べて現実の男を見て、少しは見る目が養われるといいわね」

「ぐぬぬ、しかし筋肉は料理に関係ないかと……」

 

 ふふん、と少し得意げな顔で芙奈子を見ながら嫌味を零す灰原。芙奈子はブツブツと呟きながらもスプーンを口に運ぶたびにその瞳は輝いていた。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「夕食までご一緒してしまい、恐悦至極でございます!」

 

 結局昼食のあとも芙奈子は帰ることなく、子供たちとゲームで遊んでいた。

 部屋が薄らと暗くなり始め、2階の窓から西陽が差し込み始めた頃、博士がみんなで夕食を食べに行くことを提案した。はじめは遠慮した芙奈子だったが、子供たちの懇願と博士の「ご馳走する」という言葉には断りきれなかった。

 日が完全に暮れる頃には一同は目的のレストランへと到着し、注文を済ませていた。最近できたビルの4階部分に位置するイタリアン料理店である。

 

「博士、こんなところ来て金は大丈夫なのか?」

「はっはっは、実はの、福引でこの店の無料食事券を当ててのぉ」

 

 コナンの質問に待ってましたと言わんばかりの笑顔を浮かべて答える博士。右手にはひらひらと食事券が見える。

 

「博士といい蘭ちゃんといい、引き運強すぎる……っ!?」

「「!!?」」

 

 伊吹が呆れたように博士を見ながら突っ込もうとしたとき、脳と内臓を揺らすような轟音と、ゴメラが尻餅でもついたかと思うほどの地響きが一同を襲った。

 床と壁にヒビが入り、どこからか地鳴りのような音がする。咄嗟に動いた伊吹は灰原を抱えて転がるようにテーブルの下へと飛び込む。しかしコナンや伊吹でも、即座に事態の全容を把握するのは難しかった。

 

「キャーー!」

「うう、うわあ!」

「なな、なんなんですかっ!!」

「君たち大丈夫か!?」

「あわわわ! なな、何があったのですか!?」

 

 博士と子供たち、芙奈子はその場で体を縮こませるしかできない。灰原に「ここにいろ」と指示を出した伊吹がテーブルから抜け出していく。コナンと並んで窓の外を確認すると、ビルの足元が赤く輝き、道路にかかる大きな影が揺らめいていた。

 

「くそっ、火事だ!」

「さっきの衝撃からして下の階で何かが爆発したな」

「爆弾か!?」

「C4……いや、爆薬の類いじゃない、恐らくガス爆発かなんかだろう」

 

 2人は外の状況を確認するとすぐさま振り返り、店内の消防設備と非常口を確認する。

 

「諸君、どうやら下で花火を打ち上げた馬鹿がいるみたいだ。火の手が回る前に急いで脱出するぞ。えー、みなさんも! 俺が誘導しますから、口にハンカチか何か当てて身を低くして付いてきてください!」

 

 伊吹はテーブルの下から灰原を引っ張り出し、探偵団と芙奈子へ状況を説明する。そして未だ何があったかわからず困惑する他の客と従業員へ指示を出す。

 非常階段にはまだ火の手は回っていないようで、避難は順調に進んだ。しかし爆発現場と思われる2階に近づくに連れて壁や床はボロボロになり足を取られそうになる。黒い煙が辺りを包み込み視界も悪い。爆発の規模が大きかったのか、天井も下から押し上げられたようにヒビが入り、スプリンクラーはひしゃげてその力を発揮できていない。折れた水道管からは申し訳程度の水が垂れている。

 

「うらぁっ!!」

 

 曲がって変形してしまい開かなくなった非常ドアを力ずくで突破する伊吹。思わず他の客や従業員から拍手が上がる。

 

「いや、どうもどうも」

「いいから、早く行って」

 

 照れくさそうに拍手に応える伊吹を睨みつける灰原。「あなたと違って一般人には余裕がないの」と伊吹の前を通り過ぎざまに吐き捨てる。

 全員が扉を潜ったとき、2回目の爆発がビルを揺らした。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「うへー、たすかったぁ」

「ぼく、もうダメかと思いました」

「あゆみもぉ」

 

 服や肌が多少すすで黒く汚れてはいるが、全員無事に脱出することができたようだ。その場で座り込む子供たちに博士とコナンが寄り添う。

 外には未だ救急車や消防車は到着していない。ビルの炎は更に激しさを増し、辺り一帯を赤く染めている。

 

「……」

「大丈夫よ、どこも怪我なんてしてないわ」

 

 何も言わずに灰原の手足や体、顔を触って確認する伊吹。灰原は少し呆れ顔ながらも、どこか嬉しそうに無事を伝える。それを聞いて安心した伊吹がほっと胸を撫で下ろす。灰原の頭へと手を伸ばすと、彼女は目を閉じて珍しく黙って撫でられる。少しすると灰原がポケットからハンカチを取り出し、集団の先頭を歩いていたために人一倍黒く汚れている伊吹の顔を拭く。

 そんなふわふわとした2人の空間を少女の声がかき消した。

 

「あれ、あれれ!? フナチお姉さんがいないよ!」

「フナチー!?」

「フナチちゃん!?」

 

 歩美がキョロキョロと辺りを見回したあと、慌てたように声を上げる。伊吹やコナン、博士が立ち上がり辺りを見渡すも、服も髪も目立つはずの彼女の姿はどこにも見えない。大声で辺りに呼びかけても、あのテンションの高い早口は聞こえてこない。

 全員の考えが一致し、伊吹の「まさか」という声と共にビルを見上げる。炎は上へと登り、3階部分も完全に飲み込んでいた。

 

「すまん、哀。ここで待ってろ」

「……」

 

 そう伝えると伊吹は灰原へハンカチを返し、近くでバケツリレーをしていた列からそれを奪い頭から水を被る。停めてあったバイクからフルフェイスのメットを拝借し、それを身につけて止める間もなくビルへと飛び込んで行った。

 

「伊吹お兄さん行っちゃった……」

「大丈夫でしょうか、火もどんどん強くなってますよぉ」

「うへぇ」

「現状で彼女を救出できる可能性があるのは、彼だけじゃからのぉ」

 

 子供たちと博士の不安と期待の籠った言葉は野次馬たちの喧騒へと飲み込まれていく。

 

「……ばか」

 

 ハンカチを持った右手を胸元で握りしめ、不安に揺れる瞳で燃え盛るビルを見つめる灰原。彼女の小さな呟きは彼の耳には届かなかった。

 

 

 

 

 


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