「こいつアウトォォオオ!!!」
深く沈んでいた意識が、門番の発する耳障りな絶叫で浮上する。
──最悪な目覚めだ。
監視室の長椅子に横たえていた体を起こすと、小さく欠伸をして周囲を見渡した。
いつの間にやら、眠る前より人が増えている。
ここ〝監視室〟は普段から人の出入りが少ない。だからこそ仮眠場所に選んだというのに……
「おはよう、サフィー」
眠気が残る頭でぼんやりと考えていた私に、背後から一人の男が親しげに話しかけてきた。
その長身は未だ座ったままの私に合わせてか、親切にも屈んでいる。
ちらりと視線をやると、いつもと変わらない朗らかな笑顔が返ってきた。
周囲の騒ぎが見えていないのだろうか、彼はいっそ清々しいほど我関せずを貫いていた。
「なんだか慌ただしいけど、何かあったの?」
「いや、何でもな──『コムイって人宛に……』い、よ」
言葉の途中で、監視用ゴーレムの無線から知らない声が割り込んできた。
監視室にいた人々の視線が一斉に私の背後に立つ男、サポート派の最高権力者であり黒の教団本部の司令塔、コムイ・リーに注がれた。
誰も彼もが口を噤み、コムイを見つめる。
一緒になって笑顔のまま固まっている彼を見ていると、不意に目が合った。
それは縋るような視線だったが、どうしてだろう。全面的に彼に非があるような気がして何も言えない。
いや、どうしてもなにも完全に日頃の行いの所為か。反省してほしい。
「そこのキミ!」
「は、はい?」
時が止まったかのように静まりかえっていた空気を打破したのは、視線を集めていたコムイ本人だった。
大勢の部下から向けられた呆れを含む視線に居たたまれなくなったのかもしれない。
一人の科学班員を指差して呼ぶと、続いて紙の山が出来上がっている机を差して言った。
「ボクの机調べて!」
蜘蛛の巣まで張ってる机を見て、哀れ指名された科学班員は青ざめた。
可哀相に……
しかしコムイによるこれ以上の勝手は許されない。
何故ならこの場には、彼の
「コムイ兄さん」
「コムイ室長……」
「───ボクも手伝うよー」
紙山の絶望に
最愛の妹と信頼の置ける部下に促され、コムイは自身の執務机へ突入していった。
そういえばと、見張りのゴーレムが映し出す外の映像を見る。
そこにはこの場の緩い雰囲気とは真逆の、とても緊迫した空気が漂っていた。
映っていたのは黒の長髪を靡かせ殺気立つ、神田ユウ。
任務に出ていたはずだが、帰ってきていたらしい。また怪我をしているようで、体に包帯を巻いている。なんだか不機嫌そうだが、それが原因だろうか。
対して彼のイノセンスである〝六幻〟を眉間に突きつけられて硬直している、見覚えのない誰かさん。
神田が苛立っているなんてのはいつもの光景だけど、人間相手に六幻を突きつけているのはあまり見ない。
……と思ったが、そういえば先日もラビに斬りかかっていたかもしれない。私が知らないだけで、普段から似たようなことをしているのだろうか。残念ならが否定できるだけの材料がなかった。
運悪く不機嫌全開の神田に目をつけられたのは、白髪の少年。
その色で一瞬、老人かとも思ったが、顔には幼さが残っていた。無線から聞こえてきた声も高めだ。リナリーと同じ年頃か、もう少し下か。そう考えると、神田は年下にも容赦が無いことが窺える。
少年の頭上では、薄らと見覚えのある金色のゴーレムが飛んでいた。
確信はないし、最後に見たときよりも小さい気はするけど、クロス元帥のゴーレムがあんな感じではなかっただろうか。間違いでないなら、彼は神出鬼没なクロス元帥の貴重な情報源、ということになる。上の連中には朗報だろう。
「あった! ありましたぁ!!」
殺伐としている神田と少年をよそに、科学班員がやっとの思いで見つけ出したのは一通の手紙だった。
それも珍しいことに、失踪中(おそらく、きっと、多分生きていると思われる)のクロス元帥から。
手紙の内容はといえば、探す手間には到底見合わないほど短いものだった。
──アレンという名の少年を教団に送るから、あとはよろしく。
こんな感じのことが数行だけ。
何年も教団との連絡を絶ち様々な憶測を呼んでいるクロス元帥は、現在地すら記していなかった。
交流は然程ないが、彼はいかにも縛られるのが嫌いそうな質だ。探されるのを
飽きもせず殺気を放ち続ける神田を宥めるコムイの様子を横目に様子を窺っていると、話がついたのかコムイが私の正面に立った。
神田は門番の元へ向かったリナリーがどうにかしたようで、ゴーレムの映像では三人が大人しく教団の中へ向かっていた。リナリー様様である。
「サフィー、帰ってきたばかりで悪いんだけど」
「また任務?」
「そう。神田くんとさっきの子、アレンくんも一緒に。場所は南イタリアだよ」
今日、違う任務から帰ってきたばかりなんだけど……って、言っても仕方ないか。
エクソシストは万年人手不足で、文句を言ってる暇さえないのが現状。こういうこともよくある。残念だが休日はもう少し先になりそうだ。
それにしても、神田と新人がセットか。
どうしてこんな、あからさまに衝突しそうな組み合わせにしてしまったのだろう。
え、もしかして緩衝材として私が加えられた?
……いや、それはないか。
そういうのはリナリーかラビが適任だから、わざわざ私を選ばないはず。
だとしたら、私は単純に戦力としての参加かな。
次の任務のことを鬱々と考えていると、楽しそうな笑みを浮かべたコムイと目が合った。
私は何も楽しくはないが、コムイはコムイで色々と苦労している。
ご機嫌な理由は知らないけど、今が楽しいのなら良いことだ。
ついでとばかりに頭を撫でられ、視界の端に黒い髪がさらさらと揺れた。
「なに、寝癖でもついてた?」
「いいや?」
コムイはそう否定すると笑みを深め、更に目を細める。
本当に、今日はご機嫌な日らしい。
新しいエクソシストが増えたこと、そんなに嬉しかったのかな。
しかし周囲の慌ただしさを確認すると、どこか名残惜しそうに手を離した。
「今日はゆっくり休んで」
「そうする」
「明日、準備が出来たら司令室に来てね。その時に詳細の資料を渡すよ」
一つ頷くと、コムイは出入り口へ去って行った。
サボり魔に見えて意外と働き者な彼のことだ。また仕事に戻るのだろう。
そのすぐ後のこと。
「お疲れ、リーバー」
そう声をかけると、ぐったりと別の長椅子に寄りかかっていた男がひどく緩慢な動きで私を見遣った。
「おぅ、サフィールか……」
「その様子だと、また徹夜続き?」
「もう二日は寝てねぇな」
「そろそろ切り上げないと、婦長に叱られるよ」
「うっ。まぁ、そうだな」
科学班はとにかく多忙だ。
エクソシストになる前は、私も彼と同じく科学班に所属していたからよく知っている。
不眠不休は当たり前の職場だが、別にそれが平気というわけではない。
何日も眠らずに作業を続ければ、倒れてしまう人もいる。
そして倒れてしまった人は例外なく、医療班フロアへ運ばれていく。
毎回それらに対応し、叱りつつも一番心配してくれているのは他でもない、婦長だった。
科学班に所属する者は皆、彼女に頭が上がらないのだ。
「明日の任務前、少し時間あるだろから手伝いに行くよ」
「……悪いな、助かる」
そう言って監視室から出て行ったリーバーの目元にはくっきりと刻まれた隈があったが、おそらく睡眠の予定はまだまだ先なのだろう。
彼が倒れでもしたら間違いなく科学班の多忙は今以上に極まるだろうから、この後ちょっと婦長のところに行ってお願いしてみようか。
リーバー・ウェンハムを病室に放り込んでおいてください、って。
流石に婦長の言うことなら素直に聞くだろう。婦長、怒ると怖いから。
私も、明日の任務に備えて体を休めよう。
部屋に戻る前に、まずは婦長がいるであろう医療班フロアに寄るため監視室を出て向かう。
──と、前方から神田が歩いてくるのが見えた。
体に巻かれた包帯には、所々で血が滲んでいる。
察するに、治療の途中で門番の元へ駆けつけたのだろう。
場合によっては真面目と捉えられる行動も、神田がやるならまた別の話。どうも自分の体を大切にしない、というかできない子だからね。
……まぁ、物のついでだ。
そこそこ長い付き合いだから、どういう考え方をする子なのかはそれなりに理解している方だと思う。
ここは一つ、お姉さんが世話を焼いてやろうじゃないか。
私は目も合わせずにすれ違おうとする可愛げのない神田の腕をしっかり掴むと、そのまま医療班フロアへ足を進めた。
すれ違いざまに腕を掴まれ連行されてる神田は何か言っていたが──まぁいい。そんな威勢もすぐになくなるだろう。
これから向かう先では今頃、治療の途中で飛び出していったであろう神田を婦長が首を長くして待っているのだから。
残り僅かな道、行き先を察したのか激しくなった抵抗に笑うと、ただでさえ悪い目つきで睨まれた。
しかし私は婦長の味方。脱走した患者は元の場所に送り届ける義務がある。
逃げようとする神田は母のお仕置きを待つ子供のようで可愛いが、見逃してやる理由にはならない。
私は神田を引きずりながら、般若を背負う婦長に手を振った。
ちょいちょい加筆修正しています。
実は更新が滞っている間、サフィールについてのメモが消えてしまって……どこ行っちゃったんでしょうね。不思議。
そういう訳で、新しく設定を練り直しつつ本編の修正をしています。ご了承ください。