ハチマンくんとアスナさん   作:大和昭

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第997話 昇降口の衝撃

 学校に到着した八幡は、キットを駐車場に停め、そのまま昇降口へと向かった。

歩きながらふと目を上げると、教室の窓からこちらを見ている明日奈の姿が見える。

八幡が自分に気付いた事に喜んだのか、明日奈がぶんぶんと、

千切れんばかりにこちらに手を振ってきた為、

八幡は苦笑しながらそちらに手を振り返した。

 

「さて、今日もしっかり学ぶか」

 

 八幡は清々しい表情でそう呟くと、そのまま昇降口へと向かった。

そして自分の下駄箱から上履きを出そうとした瞬間、

八幡は背後から殺気を感じ、咄嗟に体を反らした。

 

 ブンッ!

 

 それまで八幡が立っていた位置を何者かの拳が通過する。

それを見上げる格好のまま八幡はその手を掴むと、

そこを支点に腹筋に任せて力任せに体を起こそうとし、それと同時に握った腕を引っ張って、

敵のバランスを崩して引き倒そうと試みた。

だがここで八幡にとって、想定外の出来事が起こった。

八幡に避けられるとは思っていなかったのか何なのか、

敵がほとんど抵抗も出来ずにそのまま八幡の方に倒れてきたのである。

八幡はこのままだと後頭部を痛打する可能性があると考え、必死に顎を上げて受身をとった。

だが八幡のそんな努力をあざ笑うように、更に予想外の事が起こった。

 

(何っ!?)

 

 いきなり顔に柔らかい物が押し当てられ、受身がとれなくなったのだ。

 

(やばい!)

 

 八幡は後頭部を床に打ち付ける事を覚悟したが、

その時八幡の顔がその柔らかい物にぐいっと押し付けられ、

頭の後ろにクッションのような物が差し込まれた。おそらく相手の手だと思われる。

だが衝撃を殺しきる事は出来なかったようで、八幡は後頭部に衝撃を受け、

徐々に遠のく意識の中でこう考えた。

 

(もしかして敵じゃなかったのか………?)

 

 だがその真偽を確認する事も出来ず、八幡の意識は暗転した。

 

 

 

 八幡の到着を教室で待っていた明日奈は、担任の先生が教室にやってきても、

まだ八幡が到着しない事を訝しく思っていた。

 

「ねぇ里香、八幡君、どうしたんだろ?」

「さっき登校してたよね?う~ん、もしかしてまた理事長にでも捕まったんじゃない?」

「あっ、そうかも」

「というかそれくらいしか思いつきませんよね」

「まあ学校で危険なんか無いだろうし、大丈夫じゃないか?」

 

 和人のその言葉に、里香はジト目を向けた。

 

「別の意味で身の危険ならあると思うわよ」

「た、確かに………」

 

 和人は八幡の頭の上に、理事長が胸を乗せている光景を思い浮かべ、

ぶんぶんと頭を振ってその光景を振り払った。

その時スピーカーからザザッという音が聞こえ、急に校内放送が響き渡った。

 

『結城明日奈さん、結城明日奈さん、至急保健室までお越し下さい』

 

「えっ?」

「おい、もしかして八幡に何かあったんじゃないか?」

「かも………先生すみません、ちょっと行ってきます!」

「明日奈、後でどうなったか教えてくれよ」

「八幡の事お願いね!」

「明日奈さん、慌てすぎて転ばないで下さいね!」

「気を付ける!それじゃあみんな、後でね!」

 

 心配そうな顔をした仲間達にそう告げると、

明日奈は教室を飛び出して保健室へと向かった。

 

 

 

 頭に衝撃を受けた直後、八幡は、まどろみの中にいた。

 

「………………谷!」

 

(くそっ、やっちまった………)

 

「………………企谷、比企谷!」

 

(この声、何か聞き覚えがあるような………)

 

 直後に浮遊感があり、八幡はどうやら自分は誰かに抱え上げられたらしいと感じた。

そのまま八幡の意識は消失し、気が付くと八幡は、総武高校の奉仕部の部室にいた。

雪乃と結衣が、しげしげと自分を見つめている。

 

「あ、あれ?」

「あら比企谷君、やっとお目覚め?」

「お、おう、すまん、俺、寝ちまってたのか」

「ヒッキーが部室で寝るなんて珍しいね」

「もしかして疲れているのかしら、今日は依頼も無いし、もう少し寝ててもいいわよ?」

 

(あ、これ、夢ってやつだ)

 

 その雪乃の反応で、八幡はそう自覚した。

高校時代の雪乃が八幡にそんな優しい言葉をかけてくる事などありえないからだ。

本物の雪乃なら恐らく、学校は寝る所じゃないとお説教してきた事だろう。

 

「そうだね、帰る時はあたしが起こしてあげるし」

 

 対する結衣は、高校の時からあまり変わっていないような印象を受ける。

 

(何で突然こんな夢を見るんだろうかなぁ、理由が分からん)

 

 そう思いつつも、八幡はとてもだるかった為、二人の勧めに従いそのまま寝る事にした。

 

「悪い、それじゃあお言葉に甘えるわ」

「ええ、ごゆっくり」

「おやすみ、ヒッキー!」

 

 そして八幡が目を瞑った瞬間に、いきなり教室のドアが開いた。

同時にノックの音が聞こえてくる。

 

(先生、相変わらず開けるのと同時にノックするんだな………)

 

「先生、ドアを開けるのはノックの返事を確認してからにして下さい」

 

(ああそうそう、先生いつもそうやって雪乃に怒られてたっけ)

 

「おお、すまんすまん、ん、比企谷は寝ているのか?珍しいな」

 

(すみません、何か眠いんです)

 

「ふむふむ………」

 

 八幡はじろじろと観察されている気配を感じ、

そのプレッシャーに負けて仕方なく目を開いた。

目の前にあったのは、当然の事ながら自分の顔を覗き込む平塚静の顔であったが、

意外にもその顔は、かつて一度も見た事がない、半分泣きそうな顔であった。

 

「は?え、あれ、先生、何でそんな顔をしてるんですか?

もしかして雪乃にガチで怒られましたか?」

 

 八幡は静の事を心配し、慌てて体を起こした。

 

「ひ、比企谷、良かった!」

 

 直後に静が八幡の顔を、自分の胸に押し付けて思いっきり抱きしめた為、八幡は狼狽した。

 

「ちょ、先生、自分が嫁入り前だって事を自覚して下さい!」

「そんな事、今は別にいいんだ。とにかく本当に良かった!」

「良くないですって、ほら、離れて下さい!」

「むぅ、仕方ない、分かった」

 

 静はそう言って八幡を解放した。気が付くとそこは奉仕部の部室ではなく、

いつの間にか帰還者用学校の保健室へと変わっており、

だが静だけが夢から飛び出してきたように、八幡の目の前に確かに存在した。

 

「あ、あれ?雪乃と結衣は………」

「ん、まだ意識が混濁しているのか?あの二人がここにいる訳がないだろう?比企谷」

「あれ、俺の名前を呼ぶその声………ついさっき聞いたような」

「ああ、すまない、確かに私はずっと君の名を呼んでいたから、

それがおそらく耳に残ったんだろう」

 

 それで八幡は、何故先ほど昔の夢を見たのかその理由を理解した。

静の声で、古い記憶が刺激されたのだろう。

その事に一人納得しつつも、特に言う事でもない為、八幡はその事に触れなかった。

 

「俺の名前をですか?というか先生、何でうちの学校にいるんですか?」

「うむ、さて、何から説明したものか………」

 

 そして静は事の顛末を八幡に説明し始めた。

 

「実は今日、私は用事があってこの学校を訪れたのだが、

偶然昇降口で君の姿を見つけてな、久々にスキンシップをとろうと思って、

君の背後から近付いて、こう、一発いいのを入れてやろうとだな………」

「あの殺気は先生かよ!てかそれスキンシップじゃねえから!」

 

 八幡は昇降口での殺気の正体を知り、抗議の声を上げた。

 

「あはははは、まあそう言うな、

で、必殺の気合いを込めて君に一撃をお見舞いしようと思ったんだが、

まさかあの状態から避けられるとは思いもしなかったぞ、本当に強くなったな、比企谷」

「先生ももう結婚するんですから、いい加減そういうのはやめて下さいよ………」

「う、うむ」

 

 静が曖昧に頷くに留めた為、八幡は、これはまたやるなと直感した。

 

「そしてここからはお詫びになる。

君に反撃されそうになって私はパニックを起こしてしまってな、

バランスを崩して君を押し倒してしまいそうになったんだ。

ああ、おかしな意味じゃないぞ、あくまで言葉通りの意味だ。

で、このままだと君が後頭部から床に激突すると思った私は、

咄嗟に君の頭を抱え、衝撃を若干緩和させる事に成功した。

だがそれでもかなり衝撃があったらしく君は気絶した。

なので私は慌てて君を保健室に運び、今が目覚めるのを待っていたと、まあそんな感じだな」

「ああ、そういう事ですか………」

 

 八幡はそれで事情をやっと理解する事が出来た。

要するにあの柔らかい物は先生の胸………そう考えた瞬間に、八幡は顔を赤くした。

 

「せ、先生、嫁入り前なんですから、もっと自分の体を大切にして下さい」

「ん、何故顔を赤くしてるんだ?ははぁ、さては私の胸の感触を思い出しているのだな、

まあ言いたい事は分かるが今回の事は明らかに事故だ、遼太郎も分かってくれるだろう」

「それはそうですが、わざわざ報告しないで下さいね、俺の身が危険になりますから」

「もちろんだ、それくらいは私も理解している」

「でもその原因を作ったのは先生なんですから、今後は自重して下さい」

「う、うむ………まさか君に諭される日が来るとはな………」

 

 静は気まずそうな顔でそう言った。自分でも失敗したと思っているのだろう。

 

「で、先生はどうしてうちの学校に?」

「ああ、それなんだが………」

 

 その時校内放送が流れてきた。

 

『結城明日奈さん、結城明日奈さん、至急保健室までお越し下さい』

 

「お?」

「ああ、私がさっき、明日奈君をここに呼んでもらえるように、

事務の先生に頼んでおいたんだよ」

「そういう事ですか、よく俺が目覚めたのが分かったなって驚いちゃいましたよ」

「ふふ、それは偶然だがね、せっかくだし、話の続きは彼女が来てからにしよう」

「あ、はい」

 

 意外にもそれほど待つ事はなく、明日奈は一分くらいですぐに姿を現したが、

おそらく全力で走ってきたのだろう、明日奈はかなり息をきらせていた。

 

「はぁ、はぁ………八幡君、いるの?」

「おう、こっちだ明日奈、ベッドの方な」

「どうしたの?具合でも悪く………あっ、静先生!」

「久しぶりだね明日奈君」

「はい、お久しぶりです!」

 

 明日奈は息を整えながら静の横に座り、二人は再会を喜んだ。

 

「で、何があったの?」

「ああ、実は朝、

私がいたずら心を起こして比企谷に一発いいのを入れてやろうとしたんだが」

「あ、あは、相変わらずですね………」

 

 明日奈は苦笑し、その後の説明を八幡が引き継いだ。

 

「それに反撃しようとした俺が足を滑らせて頭を打っちまって、

気絶して保健室まで運んでもらったと、まあそんな感じだな」

「そっかぁ、ちっとも教室に来ないから心配してたんだよ、平気そうで良かった」

「まあだが検査はしてもらった方がいいだろうから、

この後病院に行った方がいいな、

さっき頼んでおいたから、おそらく今病院の予約をとっているはずだ」

「そうですね、わざわざすみません」

「なに、私はそうしてもらえるように頼んだだけだ。

私が言わなくてもそう手配していただろうしな」

 

 当然静の言う通り、既に予約済である。さすがに仕事が早い。

おそらくまもなく病院に行くように指示が来るはずである。

 

「で、先生はどうしてうちの学校に?」

「ああ、その事を今比企谷にも説明しようとしていた所だ」

「あっ、そうだったんですね!」

「それでだな」

 

 そう言って静は口を開いた。

 

「これはまだ内密にして欲しいんだが、四月から私が君達の担任になる」

 

 その言葉に二人は目を見開いた。


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