ハチマンくんとアスナさん   作:大和昭

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第998話 涙腺が緩む日

「四月から、私が君達の担任になる」

 

 その静の言葉に一瞬固まった後、明日奈は飛びあがって喜んだ。

 

「そうなんですか?やったぁ!」

 

 そして八幡は、僅かに涙腺を緩ませていた。

 

「でも先生、どうしてそんな事に?」

「ああ、元々この学校は特殊な学校で、二年限定だ。その事は分かるよな?」

「あっ、はい、それは知ってます」

「で、教師の手配についてだが、他の学校に移動する予定になっていた者が、

一年赴任を遅らせてその任に当たる事になってるんだ。

一年くらいなら、まあ学校側も何とか出来るだろうという事でな」

「………ああ、負担を平均化させる、みたいな感じですか」

 

 八幡は静の言葉を咀嚼し、その理由に納得した。

 

「そういう事だな、そして次は私の番だったと、まあそれだけの話だ」

「そうなんですか、って、先生、総武高校をやめちゃうんですか?」

 

 どうやら八幡にとって、総武高校と平塚静はイコールで繋がっているらしい。

これはおそらくちゃんと卒業出来なかった事に起因しているのだろう。

そんな八幡に静は笑顔を向け、冗談混じりに言った。

 

「そういう事になるな、また君の面倒を見なくてはならないというのは苦痛だが、

これも上の決定だ、まあ仕方がない」

「む、昔みたいに問題児のままじゃないですから」

「ははっ、そうだといいな」

 

 そんなムキになる八幡を見て、明日奈は八幡君かわいい、などと内心で思っていたが、

その表情がとても嬉しそうなのを見て、自然と笑みがこぼれた。

 

「だがまあまだ秘密だからな、誰にも言わないでくれよ」

「あっ、はい、分かりました」

「先生、春からお世話になります!」

「うむ、こちらこそ宜しくな、二人とも」

 

 そして静は打ち合わせがあるとかで去っていき、代わりに戻ってきた保健の先生から、

八幡は病院に検査に行くように伝えられた。

移動はキットで行うが、一応付き添いがつくらしい。

 

「分かりました、それじゃあ明日奈、ちょっと行ってくる」

「うん、結果が分かったらすぐに連絡してね?」

「おう、まあ先生がかばってくれたから大丈夫だとは思うけどな」

「それでもだよ!」

「ははっ、分かってるって」

 

 心配そうな明日奈を宥め、八幡はそのままキットの所に向かったが、

そこで待っていたのはまさかのまさか、理事長の雪ノ下朱乃であった。

 

「………り、理事長?何でここにいるんですか?」

「あら、そんなの私が付き添いだからに決まってるじゃない」

「えっ、そうなんですか?ほ、他の人でよくないですか?」

 

 八幡は及び腰でそう言った。

朱乃と一緒だと、どう考えても穏便に終わるとは思えなかったからである。

 

「他の人は授業とかがあるし、一番影響が少ないのが私だったというだけよ、

ささ、早く行きましょう八幡君」

「は、はぁ………」

 

 八幡はそう正論を言われ、嫌々ながらも朱乃に従う事にした。

そして病院に向かう途中で、朱乃がいきなり爆弾を落としてきた。

 

「ところで八幡君、平塚先生から、担任の事は聞いたかしら?」

「あっ、はい、まだ秘密でとは言われましたが、さっき聞きました」

「うふふふふ、それ、私の手配だから、一生恩に着るのよ?」

「そうなんですか!?」

「ええ、本当よ」

 

 その事自体には感謝の念が耐えないが、

八幡はその事を理由に朱乃が何か無茶ぶりをしてくるのではないかと警戒していた。

だが朱乃の口から続けて出てきたのは、八幡が全く考えもしていなかった言葉であった。

 

「これは今年度限りで学校を去る事になる、私からの八幡君への贈り物よ、

だから特に裏は無いから安心してね」

「えっ、理事長も交代ですか!?」

「ええ、さすがの私もソレイユ建設の社長との掛け持ちをこれ以上続けるのは辛いのよ、

だから三月には別の人が理事長として赴任してくるわ」

「そ、そうですか、それは残念ですね」

 

 八幡は朱乃がいなくなる事を純粋に寂しいと感じていた。

色々困らさせられてはいたが、それでも朱乃は頼りになったし、

何より八幡は、朱乃と一緒に過ごす時間がとても楽しかったのだ。

 

「あら、随分と寂しそうじゃない」

「当たり前じゃないですか、俺、理事長には本当にお世話になりっぱなしで………」

 

 八幡は再び涙腺が緩むのを感じていたが、そこは男の子らしく必死で我慢していた。

そんな八幡を朱乃はそっと抱き寄せると、我が子を愛おしむようにその頭を撫でた。

 

「別に永遠の別れって訳じゃないわよ、また仕事絡みですぐに会う事になるわ」

「は、はい、そうですね」

「だからそんなに寂しがらないで、後任の人とも仲良くしてあげてね」

「誰が来るかにもよりますが、努力します」

 

 そして朱乃は八幡を解放し、心配ないという風に明るく笑った。

 

「うふふ、その心配はないわよ、だって後任は、あなたの身内ですもの」

「えっ、そうなんですか?」

「ええそうよ、後任は結城京子さん、あなたの将来のお義母さんよ」

「京子さんが!?」

「だから安心してね、八幡君」

「そうですか、京子さんですかぁ………」

 

 後任がおかしな人物だったら嫌だなと思っていた八幡は、それで肩の力を抜く事が出来た。

 

「まあこれもまだ秘密だから、誰にも言っちゃ駄目よ?」

「あっ、はい、分かりました、特に明日奈には絶対に秘密にして、

当日に驚かせてやる事にします」

「それがいいわね、ふふっ、うふふふふ」

「あは、あはははは」

 

 二人はそのまま楽しそうに笑った。

こうして朱乃と一緒に悪だくみをするのは八幡にとってはとても楽しい事のようである。

 

「ところで検査ってどこの病院でやるんですか?」

「あなたが入院していた病院よ」

「ああ、あそこですか!それじゃあちょっと鶴見先生にも挨拶しないとですね」

「リハビリの先生だったわね、そうするといいわ」

 

 そして病院に着いた後、八幡を看護婦に託し、

朱乃は顔を出す所があると言って去っていった。

ここは雪ノ下系列の病院なのだし、色々としがらみもあるのだろう。

 

「さて、早く検査を受けて、明日奈を安心させてやらないとな………」

 

 八幡は大人しく検査を受け、どこにも異常が無い事が確認出来た為、

直ぐに明日奈に連絡を入れた。

 

「………という訳で何も問題は無かった、心配させてすまなかったな」

『そっか、良かった、それで今日はこれからどうするの?』

「念の為に帰って寝ておくように、だとさ、なのでマンションで大人しく寝てる事にするわ、

あそこならもうすぐ優里奈も帰ってくるし、何かあっても問題ないだろ」

『確かにそうだね、分かった、それじゃあまた明日だね』

「ああ、明日奈、また明日な」

『ぷっ』

 

 いきなり明日奈が噴き出した為、

八幡は自分の発言がおやじギャグになっている事に気が付いた。

 

「い、いや、違う、今のは偶然だからな」

『分かってるってば、それじゃあまたね、八幡君』

「おう、またな」

 

 八幡は明日奈との通話を終え、そのままリハビリ室へと向かった。

 

「さて、鶴見先生はっと………あ、いた」

 

 遠くで二人組の少女の面倒を見ている鶴見由美の姿を見つけた八幡は、

ゆっくりとそちらに近付いていく。だがそんな八幡を呼び止める者がいた。

 

「あら、八幡君?」

「ん、あれ、経子さん?どうしてここに?」

「それはこっちのセリフなんだけど………」

 

 経子は苦笑しながら、今まさに八幡が向かおうとしていた二人組の方に目を向けた。

 

「ほら、あそこで藍子と木綿季がリハビリしてるじゃない?私はその付き添い」

「えっ、あれ、アイとユウですか?」

 

 八幡は驚いた顔でそちらに目を凝らした。

 

「あっ、本当だ………」

「分かってて向かってたんじゃないの?」

「あ、いえ、あの二人を見てくれている先生に、以前俺もお世話になったんですよ、

だから挨拶しようと思ってたんです」

「ああ、そういう事なのね」

 

 経子はそう言うと、八幡を二人から見えない位置まで引っ張っていった。

 

「ふう、ここならいいわね」

「どうしたんですか?」

「これ言っていいのかしら、まあ仕方ないわね、

ほら、今日はあの二人、学校を休んだでしょう?」

「え?ああ、すみません、実は俺、登校中に頭を打っちゃって、

今日は一応検査って事でここに来たんですよ」

「えっ、大丈夫だったの?」

「はい、問題ありませんでした」

「それならいいけど………」

 

 経子はホッとした顔をし、チラリと二人に目を走らせた。

 

「それでね、あの二人のリハビリなんだけど、今日一日状態を確認してみて、

問題無かったら今日で終わりって事になってるのよ」

「えっ、早くないですか?」

「そうでもないわよ、だってあの二人、

メディキュボイドに入るまでは普通に歩いてたでしょう?

それも大した長さじゃないし、足に疾患があった訳でもないし、

筋力の衰えだけが問題だったんだもの」

「そ、そう言われると確かにそうですね」

 

 自分がリハビリした時のイメージがあったからか、

八幡はまだまだかかると思い込んでしまっていたが、

そう考えるとなるほど、そんなに長くかかるはずがない。

 

「そうですか、あの二人が遂に………」

「あの二人、明日あなたを驚かせるんだって張り切ってるから、

出来れば今日は挨拶は諦めて、このまま大人しく帰って欲しいんだけど………」

「ああ~、俺がサプライズを台無しにするところだったんですね」

 

 八幡は、危なかったと冷や汗をかいた。

 

「分かりました、そういう事なら挨拶はまた今度の機会にします」

「本当にごめんなさいね」

「いえいえ、って事は、あの二人が明日から登校してくるんですね」

「そうなのよ、だから頑張って驚いてあげてね」

「演技っぽくならないように頑張ってみますよ」

「あと明日はあの二人にお弁当を持たせるから、八幡君達も付き合ってあげてね」

「なるほど、分かりました、連絡を回しておきます」

 

 八幡は笑顔でそう答えると、チラリと二人の方を覗き込んだ。

 

「………確かにもうリハビリの必要は無さそうですね」

 

 そこには元気良く飛び回る二人の姿があり、八幡は目頭を熱くした。

どうも今日は泣かされそうになる事が多いな、などと考えながら、

八幡は経子に挨拶をし、朱乃と合流してそのまま学校に向かって朱乃を下ろすと、

自分はそのままマンションへと向かった。

 

「明日は頑張って驚いてやるとするか、飯も教室で机を並べて………」

 

 八幡はそう考え、理由を告げずに仲間達に明日は弁当を持ってくるように伝えた後、

どこかに再び電話を入れ、その日はしばらく何か調べ物をしていたのであった。


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