(ど、どうします?)
(咲太がさっき注文しちまったからな、
それが来るのを待って、テーブルを移動させてもらえばいい)
(な、何かすみません………)
(いや、お前のせいじゃない、運が悪かっただけだって)
八幡と咲太はひそひそとそう囁き合い、これからどうするか決めた。
その時、隣の席からこんな会話が聞こえてきた。
「はぁ、参ったね、冬コミの新刊ネタが中々出てこない………」
「そうなんだよねぇ、比企谷君から何かインスピレーションが得られればいいんだけど」
その姫菜の言葉に、八幡と咲太は顔を青くした。
(八幡さん、これって確実にネタにされる流れじゃないっすか?)
(だな、絶対に見つかる訳にはいかねえ………)
(素人の私でも、ヤバさが伝わってくるんだけど………)
同じく顔を青くした理央が、そう会話に加わってきた。
どうやら理央は腐汚染されていないと悟り、八幡はその事にはホッとした。
「やっぱりハヤハチ、トベハチ、キリハチ、ゼクハチに続くネタが欲しいよね」
「大佐さんは良かったけど、あんまり出すのは私的に何か申し訳なくってさ………」
「ああ、梨紗は金銭面でかなり援助してもらってた訳だしね」
「そうなんだよね………はぁ、比企谷君が、
若くて生きのいい男の子を連れてきてくれないかなぁ」
「そうしたらこんなシチュエーションで………」
「いやいや、こういうのも………」
その後も延々と続けられた腐った会話の数々に、八幡は眩暈を覚えた。
咲太は完全にびびってぶるぶる震えており、理央は自分でも気付かないうちに、
八幡の腕をしっかりと抱いて、恐怖と戦うように目をつぶっていた。
この場は気付かないうちに、完全に腐海と化している。
そして注文の品が届き、咲太は店員さんに、
更に一つ隣のテーブルに移動しても構わないか尋ねた。
幸い空きテーブルは数多く存在し、店員さんは快くその頼みを承諾してくれ、
咲太はそのままこっそりとテーブルを移動した。
「ふぅ、これでとりあえずひと安心か………」
そう考えた八幡は、この時初めて理央が自分の腕をしっかり抱いている事に気が付いた。
「おい理央、海老名さんに声をかけるから、その手を離し………」
そこで八幡は、ピタリと静止した。
(待てよ、もしかしてこれは、
俺が女好きのナンパ野郎だというイメージを植え付けるチャンスなんじゃないのか?)
八幡はそう思い、このまま姫菜に声をかけてみようと考えた。
実に甘いと言わざるをえない考え方だが、この時の八幡は、それを名案だと思っていた。
「やっぱりそのままでいい、よし………」
そのまま八幡は立ち上がり、くるりと振り返って姫菜に声をかけた。
「ん、あれ、海老名さん、いつの間に来てたんだ?」
「あれ、比企谷君?もう来てたんだ、随分早いね?その隣の子は誰?」
「あ………は、初めまして、私は双葉理央と言います、八幡の部下をやってます!」
理央はぷるぷると震えながらも頑張ってそう答えた。
「へぇ~、お盛んなんだ」
「お、おう、こいつがどうしても離してくれなくてな、あはははは」
八幡は自棄になり、そう言い放った。
だが思ったよりも姫菜の反応は薄く、姫菜は平然と八幡に尋ねた。
「って事は、全部で何人になるのかな?」
「約束してた部下がもうすぐ来るから、全部で五人かな」
「あっ、その子とは別なんだ?」
「おう、こいつとは、この後デートに行く予定になってるんだよ」
八幡はもうどうにでもなれというつもりでそう言ったが、姫菜は特に反応を示さず、
逆に笑顔でこう提案してきた。
「そっかぁ、それじゃあちょっとの間だけど宜しくね、双葉さん」
「あっ、はい、宜しくお願いします」
八幡にデートと言われ、本来なら天にも登る気持ちになっていてもおかしくない理央だが、
この時ばかりはそんな気分にはなれず、萎縮したままそう答えた。
「それじゃあ比企谷君、あそこの六人がけのテーブルに移動させてもらわない?」
「そ、そうだな、そうしよう」
そして八幡は店員さんを呼び、頭を下げながら移動のお願いをした。
理央も既に八幡から離れている。
四人は店員さんに案内されるままにテーブルの移動を開始したが、
その途中で姫菜がふらっと横に逸れた。
「海老名さん?」
「比企谷君、この子も忘れないように連れてかないと駄目でしょ?」
そう言って姫菜は、咲太の肩をガシっと掴み、満面の笑みを見せた。
「うわっ、な、何ですか?」
「え、海老名さん、そいつは知り合いなのか?」
あくまでもとぼけようとする二人に、姫菜ははぁはぁしながらこう答えた。
「またまたぁ、ふふっ、もしかして、私が気付いていないとでも思ってた?
ねぇ、今どんな気分?ねぇ、どんな気分?」
「ま、まさか………」
姫菜にそう言われた八幡の顔は、絶望に染まっていた。
「は、八幡さん………」
咲太は泣きそうな顔で八幡を見つめてきたが、
そんな咲太に八幡は、全てを諦めたような表情で首を横に振った。
「俺達の負けだ、諦めよう、咲太」
「………ですね」
八幡達はそのまま席につき、そして姫菜からの質問が始まった。
「で、比企谷君、この子は?」
「梓川咲太です、梓川サービスエリアの梓川に、花咲く太郎の咲太」
「私は腐海のプリンセスの海老名姫菜だよ、宜しくね、咲太君」
「同じく腐海のプリンセスの葵梨紗、宜しくぅ!」
二人はとても上機嫌でそう自己紹介をした。
これで新しいネタが出来ると喜んでいるのだろう。
「で、二人はどんな関係?」
「ただの友達だな、元々咲太は理央の同級生だったんだ、
俺が理央をスカウトに行った時に知り合った感じだな。
ちなみに女優の桜島麻衣さんの彼氏だ、だから下手にネタにするのはやめた方がいい」
八幡はそう予防線を張り、姫菜は驚いたような顔をした。
「あ、ああ~!テレビで見た事あるかも!」
「目にはモザイクがかかってたけど、よく覚えてますね。
ニュースになったのは一瞬だと思いましたけど」
「ふふん、男の子の顔を覚えるのは得意なんだよね、何故ならいつもネタを探してるから!」
「は、はぁ、そうですか………」
咲太はそれ以上深入りせず、淡白な返事をした。
「で、モデル料の話だけど」
「おい………」
電卓を取り出しながらいきなりそう言い出した姫菜に、八幡がそう突っ込んだ。
「前回の新刊の売り上げがこんな感じだから、歩合で換算して、
多分今回の報酬はこのくらい、これでどうかな?」
電卓を覗き込んだ咲太は、その金額にギョッとした。
「え、マジですか、こんなにですか?」
「ふふっ、うちはこれでも大手なんだよ、このくらい軽い軽い」
「おい咲太、お前まさか………」
八幡は絶望に顔を染めたが、時既に遅し、
そもそも金額を提示される前に止めるべきだったのだが、今更それを言っても仕方がない。
既に金額は提示されてしまい、咲太は明らかに腐海に足を踏み入れようとしている。
「あ、梓川、あんた正気?」
「お前はもう働いてるからそう思うかもだが、
卒業を控えた学生にとって、この金額はかなりでかいぞ」
「それはそうかもだけど………」
「そもそも出来上がった作品を目にしさえしなければ済む話だ、違うか?」
「ま、まあね………」
「咲太………」
八幡は咲太の裏切りに焦ったが、その気持ちも理解出来た。
確かに自分が今の咲太の立場なら、一顧だにしない事は不可能な金額だったからだ。
「くっ………この勝負、俺の負けか………」
「す、すみません八幡さん」
「いや、あれだけの金額を提示されたんだ、大金なんだし仕方がないさ」
「うんうん、麗しい愛情だよねぇ」
横から姫菜の声がし、二人は慌ててそちらを見た。
いつの間にか姫菜と梨紗がスケッチブックを取り出し、
二人を熱心に観察して何か書きながら、鼻息を荒くしている。
「ひっ………」
理央は思わず悲鳴を上げて八幡に抱き付き、咲太は下を向いてぶんぶんと首を振った。
「ガタッ」
その時横からそんな声がし、八幡はそちらに目を向けた。
見るといつの間にかフラウが到着しており、物欲しそうな目でこちらを見ている。
「………来たか」
「こ、神代フラウ、ただ今着任致しました、デュフフ」
「海老名さん、葵さん、これが俺の新しい部下の神代フラウだ、
二人の大ファンらしいから、適当に相手をしてやってくれ」
「て、適当にとか、そのぞんざいな扱いに鼻血出そう、
悔しい、でも感じちゃう、ビクンビクン」
そんなフラウを見て、姫菜と梨紗は首を傾げた。
今の言動は、腐という感じのセリフではなかったからだ。
「もしかして両方イケる口?」
「は、はい、ホモが嫌いな女の子など、この世には存在しません、
むしろ常に欲していると思うべき」
「なるほどね」
その返事を聞いた二人はフラウに微笑みかけた。
「同士よ、私は葵梨紗だよ、宜しくね」
「私は海老名姫菜、比企谷君の元クラスメートだよ」
「お、お二人にお会い出来て光栄です、八百万様シリーズは全部持ってます、大好きです!」
「だってよ、八百万様」
「お、俺をそんな名前で呼ぶな!」
「ファッ!?」
姫菜は八幡にそう呼びかけ、フラウはあんぐりと口を開けた。
「まあとりあえず座ったら?」
「あっ、はい、失礼します」
フラウはそう言って姫菜の隣に座り、八幡に向けてまくし立てた。
「は、八幡が八百万様だなんて聞いてない、どういう事か説明よろ」
「俺にそう言われてもな………」
「そ、そもそも性格が全然違うから気付かなかった、確かに外見は似てるけど………、
ガタッ、ま、まさか自分が八幡に惹かれるのはそのせい………?」
「ああ、やっぱりフラウちゃんもそうなんだ、相変わらずモテるよねぇ。
性格が違うのは、八百万様のモデルが高校の時の比企谷君だからだよ」
「ファッ!?こ、この八幡が、高校の時はあんな陰キャだったと?」
「うん、まあそういう事」
「変わったにもほどがあるお!」
「まあほら、それは………ねぇ?」
姫菜はさすがに気まずそうに八幡を見た。
SAO事件の事を口に出すのは憚られるのだろう。
「この前聞いたんだろ?俺の事」
「そ、それはどういう………………あっ」
フラウはそれで、八幡の過去に思い当たった。
「ご、ごめんなさい、自分、ちょっと空気が読めなさすぎでした」
「気にするなって、自分でも変わりすぎたって自覚はあるからな」
八幡は鷹揚にそう言い、フラウを慰めた。
「と、とりあえず追加で注文しようよ八幡、みんな飲み物しか頼んでないみたいだし、
元々ここで朝ご飯を食べるって事になってたじゃない」
その時理央が、場を明るくする為にそう言い、八幡も明るい声でそれに同意した。
「そ、そうだな、ここは俺が奢るから、みんな遠慮しないで注文してくれ」
その言葉で場の雰囲気は戻り、みなメニューを見ながら楽しそうに会話を始めた。
「ふう、助かったわ理央」
「ま、まったくもう、八幡は、私がいないと駄目なんだから」
恥ずかしそうにそう言う理央に、フラウが即座に突っ込んだ。
「ツ、ツンデレ乙」
「ち、違うから!」
理央は顔を真っ赤にしながらそう抗議し、場は明るい笑いに包まれたのだった。