「社乙会………」
薔薇が頑張って八幡の功績を持ち上げ、
三人に八幡の傍で働く為の基礎知識を伝授していた頃、
萌郁は一人で部屋にある鏡に向かい、ため息をついていた。
「これくらい伸びたらもうこれはいらないんだけど………」
そう言いながら萌郁が握りしめていたのはウィッグである。
初めて八幡と出会った時、坊主頭にしていた萌郁は、
今ではかおりや南、あるいは千佳辺りと同じくらいまで髪が伸びているのである。
ウィッグをつけていたのは、坊主頭では目だってしまい、
諜報員としては問題があったからなのだが、
八幡と出会ってからの萌郁は護衛や八幡の秘書代わりをするのが主な任務になっており、
髪を短くして変装しやすいようにする必要もまったく無くなっていたのである。
「むぅ………」
だがいざこうして髪が伸び、ウィッグが必要なくなってくると、
別の問題が浮かび上がってきた。萌郁が今唸っているのもそのせいである。
それはどんな問題かというと、要するに今萌郁が持っている服だと、
今の髪型には微妙にミスマッチになってしまうのだ。
それが萌郁は気に入らず、ため息をついているという訳である。
萌郁は実は、それなりに服は持っている。
出会った当初の八幡が心配して、陽乃や明日奈に頼んで服を買い与えたからだ。
もう何度か社乙会に参加している萌郁だが、
これまでは普段仕事で着ている服のまま参加していた。
これは単に仕事帰りにそのまま会に参加したからなのだが、
実は萌郁は心の中で、他の女性陣のファッションの華やかさを羨ましく思っており、
今年は予定日がオフになっている為、服を選ぶ時間も十分とれる事から、
今回は他の女性陣と並んでも恥ずかしくないような格好をしたいと、
密かな野望を抱いていたのであった。
それには今持っている服だと、別に変ではないのだが、ベストとも言えないのだ。
「やっぱりウィッグをつけて行こうかな………」
単に新しい服を買えばいいだけの話なのだが、
萌郁は自分の服選びのセンスにはまったく自信がない。
「………考えても仕方がない、こういう時は誰かに頼るべき」
そう呟きながら、萌郁は眼鏡を外してこめかみを揉んだ。
ちなみに萌郁の視力はかなり良く、眼鏡をかける必要はまったくない。
そもそも今かけている眼鏡は伊達眼鏡である。
だが当の萌郁には、眼鏡をかけるのをやめるという選択肢を選ぶ気は微塵もなかった。
何故なら萌郁は憧れていたからだ。詩乃、美優、理央の三人に。
「………私にはいつあだ名をつけてくれるんだろ」
萌郁はそう言ってため息をついた。この言葉でお分かりだろうが、萌郁の価値観だと、
詩乃のツンデレ眼鏡っ子、美優の肉食眼鏡っ子、理央の相対性妄想眼鏡っ子というのは、
例え本人達が嫌がっていようがどうしようが、
八幡が名付けたという一点において、非常に価値が高いものなのである。
「………今度おねだりしてみてもいいかな?」
萌郁は鏡の中の自分にそう話しかけたが、当然返事はない。
「………私、無愛想」
萌郁は不満そうにそう言うと、口の端に両手の人差し指を当て、少し上へと持ち上げた。
「ニコッ」
萌郁は口に出してそう言ったが、鏡の中の自分が笑っているようにはどうしても見えない。
「私ですら分からないのに、どうして八幡は私がどんな機嫌かすぐに分かっちゃうんだろ」
萌郁はそう疑問に思いつつ、まあ八幡は分かってくれるのだからそれでいいかと考え直し、
再び鏡に向かい、最初の悩みについて、もう一度考える事にした。
「問題は誰に頼るかだけど………」
その時萌郁の頭の中に、南の顔が浮かんだ。
「そういえばこの前南と一緒に今度買い物に行こうって約束したっけ」
具体的には何も決まっていない約束だったが、
萌郁にとってはその約束が、タイミング的に天啓のように感じた。
「………よし」
そして萌郁はスマホを取り出し、南に電話をかけた。
『萌郁さん?いきなりどうしたの?』
「うん、ちょっとお願いがあって………」
萌郁は南に、髪の事も含めて事情を説明した。
『萌郁さんって実は私くらいの髪の長さだったんだ!
それならうちもアドバイス出来ると思うし一緒に服を買いに行こっか!
あ、そうだ、この前その話をしたら、クルスも一緒に行きたいって!』
「そうなの?分かった、それじゃあ三人で行こっか」
『やった、それじゃあクルスには私から連絡しておくね』
「うん、お願い」
こうして萌郁は頼りになる助っ人を二人確保する事に成功した。
所変わってこちらは北海道である。
薔薇からの連絡を受けてすぐに、美優はシャーリーこと霧島舞から連絡を受けていた。
『もしもし、美優ちゃん?社乙会の話は聞いた?』
「聞いた聞いた、私は参加するけど舞さんはどうするの?」
『もちろん参加するよ!』
「やった~!それじゃあまた一緒に東京に行こっか!」
『うん!』
「あ、でも私ってば、その後のクリスマス会と大忘年会にも参加するから、
新年はあっちで迎える事になるんだけど、舞さんはどうする?」
『宿泊費が嵩んじゃうから、私は社乙会とクリスマス会に参加した後、
一旦こっちに戻ってきて忘年会の時にもう一回出直そうかと思ってたんだけど………』
舞は狩猟シーズンが始まってから今日まで熱心に仕事をこなしてきていた。
日曜も返上して稼ぎ続けたその努力が実り、軍資金はそれなりに潤沢にある。
だがさすがに東京に二週間滞在し続けるのには若干心許ないのであった。
「大丈夫大丈夫、リーダーのマンションに泊まれば宿泊費はかからないから!」
『あっ、そっか、その手があったんだ』
舞はどうやらその事を失念していたらしい。
『でもそんなに長くお世話になっちゃっていいのかな?』
「いいっていいって、リーダーなら快くオッケーしてくれるよ」
実際八幡は、その美優からの頼みを快く了承してくれた。
というかクリスマス会と忘年会は、そもそもソレイユ側から招待したという理由もあり、
飛行機のチケット代も出すつもりでいたくらいである。
当然宿泊に関しても、むしろ積極的に部屋を利用するように言ってきたのであった。
『それなら軍資金はむしろ余裕かな、というか全然余るね。美優ちゃんは大丈夫?』
「余裕余裕!リーダーに会う為に集中してバイトをしたからね!」
『そっか、それなら良かった』
「でも二週間の滞在ってなると、荷物が多くなっちゃいそう」
『優里奈ちゃん宛てに先に荷物を送る?』
「そうだね、それが良さそう。それじゃあ私が連絡しておくね」
『うん、お願い!』
数日後に荷物が届き、優里奈はそれを受け取って、ふふっと笑った。
「今年の年末は楽しくなりそう………」
「いろはちゃん、次、次の仕事は?」
「次はレコーディングですね、喉の調子は大丈夫ですか?」
「もちろん!いくら寝不足でもそこだけはしっかりキープ!」
エルザの事務所でバイトとして働いているいろはは今、
エルザのスケジュール管理を行っていた。
「まだ若干時間に余裕があるんで、それまで仮眠して下さいね、
時間になったら起こしますから」
「いろはちゃんは寝なくて大丈夫?」
「午後からは豪志さんと交代するんで大丈夫ですよ、
年末の為にもここが踏ん張りどころです、頑張りましょう!」
「だね!」
いろはが来てから豪志の労働環境はかなり改善される事になった。
事務所内の雰囲気も良くなり、エルザはいろはの助けも得て、
社乙会の忘年会とクリスマス会、それにソレイユ主催の忘年会全てに参加すべく、
無理なスケジュールを進行させる事に何とか成功していた。
「ふふっ、ここで頑張って、年末は一緒に
「はい、そうですね!」
そう微妙に不穏な事を言いながら、エルザはそのまま眠りについた。
そして眠りの森では、藍子と木綿季が焦ったように言葉を交わしていた。
「あ~っ、服、服を買わないと!」
「だねぇ、ボク達、お出かけする為の服ってあんまり持ってないもんねぇ」
「さすがに学校の制服で参加するなんてのは、私のプライドが許さないわ!」
「でもボク達、そういうセンスはほぼ無くない?」
「もちろん誰かに相談して助けてもらうわ、問題は誰に相談するかだけど………」
「ここはやっぱり学校で明日奈に相談する?」
「う~ん、でも八幡にはまだ知られたくない気もするのよね」
「あ~、サプライズしたいもんねぇ」
「学校でこそこそすると、八幡にはすぐにバレちゃうから………」
これが二人の悩みであった。
だがそんな二人の悩みを解決する神は、まったく予想もしないところから現れた。
「あっ、アイ、電話だよ」
「あら?誰かしら………あっ、師匠だ」
「師匠?」
「一体何の用事かしら」
そして電話口で、保は藍子に向かって言った。
『いきなりごめんね。前に言ってた八幡にメイド服を着せる計画についてだけど、
その事について相談したいと思ってね』
「あ~!」
『一度現地で相談したいと思ったんだけど、メイクイーンに来れる日ってあるかい?』
「オーケー師匠、明後日の帰りに電車でメイクイーンに行くわ!」
『分かった、それじゃあ明後日だね』
「うん、わざわざありがとう師匠!」
『いやいや気にしないで、二人が出歩けるようになったから、やっと約束を果たせるよ』
保との通話はそれで終わり、藍子は木綿季にその事を報告した。
「ユウ、服選びの算段がついたわよ」
「どうするの?」
「明後日にメイクイーンに行って、八幡と一緒にメイド服を着る為の相談をするんだけど、
その時にフェイリスに相談すればいいわ!」
「ああ~、師匠の電話ってそれだったんだ、そっかそっか、それはいいね!」
こうして藍子と木綿季もまた動き出した。あちこちで、乙女達の奮闘は続く。
いろはがエルザの所で働く事になったのは725話ですね。
二人が八幡と三人でメイドになると言い出したのは862話です。