そして迎えた十二月二十四日のクリスマスイブの朝早くから、
ソレイユ社内の大会議室は、急速にクリスマスの装いを整えられていた。
指揮をしているのはハチマンと理央である。
「八幡、これはここでいい?」
「おう、大丈夫だ」
「これは?」
「それは………理央、どこだ?」
「それはあっちだね」
「オッケー!」
予定よりも早く、飾りつけは順調に進んでいた。
「このペースならまあ、余裕で間に合いそうだな」
「料理や飲み物は大丈夫かな?」
「飲み物はさっき小春さんが届けてくれてたはずだ、
料理も今日はねこやを休みにするらしいから、マスターが頑張ってくれるだろう。
ちゃんと助っ人も派遣したから問題ない。でもまあ一応様子は見てくるか」
「うん」
そのねこやでは、大勢の人間が食材の仕込みに奔走していた。
「いやぁ、手伝ってもらって凄く助かるよ」
「いえ、みんなで楽しむ為ですから、気にしないで下さい」
「悪いね、バイト料ははずむからさ」
「ふふっ、ありがとうございます」
そこにいたのは明日奈、優里奈、雪乃、クルス、いろは、小町、直葉の、
料理が得意な面々であった。
「マスター、こっちは大丈夫ですか?」
そこに八幡と理央が顔を出した。
「ああ、余裕余裕、人を貸してくれてありがとうね」
「いえいえ、それくらいお安い御用です」
「後は飲み物の確認かな?」
「と言ってもちゃんと冷えてるか確認するだけだけどな」
ソレイユには精密機械用の冷蔵室が存在し、
飲み物はそこに一時的に保管される予定となっていた。
「和人、大丈夫か?」
「ああ、今丁度全部しまい終わったところかな」
「悪いな、手伝ってもらって」
「バイト代をもらってるんだから気にするなって」
他にも風太や大善に保、おまけに珍しくレコンこと、長田慎一もここにいた。
「よし、残るは………」
八幡がスケジュール表に目をやったその時、薔薇から連絡が入った。
「おう、どうした?」
『今社長が戻ったわ』
「分かった、すぐ行くわ」
八幡は理央に現場を任せ、すぐに社長室へと向かった。中には薔薇も同席している。
「帰ったのか、姉さん」
「ただいま!苦労したわよぉ!」
陽乃はそう言って八幡に飛びついた。だが八幡は当然それを避けてしまう。
「ちょっと、何で避けるの?」
「いや、当たり前だろ………」
「むぅ、それじゃあ先に、向こうで何があったのか、説明するわ」
そして陽乃が得意げに語っていくにつれ、八幡の機嫌がどんどんと悪くなっていった。
「という訳で、関西は制覇したと言っても過言ではないと思うわ」
「おいこら馬鹿姉!」
突然八幡にそう言われ、陽乃はビクッとした。
「な、何よ」
「危ない事はするなって言っただろ!」
「で、でも………」
「まったく………」
八幡はそう言って、陽乃をしっかりと抱きしめた。
「は、八幡君………」
「まったく、次からこういうのは無しだぞ、安全に、安全にだ」
「う、うん、気をつけるね」
「分かってくれればいい」
陽乃は殊勝そうな態度でそう言ったが、
その表情をずっと見ていた薔薇にしてみれば、茶番もいいところであった。
(ああっ、もう、何でそれが演技だって気付かないのよ、馬鹿八幡!)
だがそんな事を言う訳にはいかず、
薔薇は陽乃にラブシーンを見せつけられ、ぐぬぬ状態であった。
「それじゃあしばらくゆっくり休んでてくれ、
クリスマス会が始まる時間になるまで寝ててくれてもいいぞ」
「え~?それなら一緒に寝て欲しいなぁ」
「俺が指揮しないと駄目だろ、とにかく今は体を休めてくれよ」
「仕方ないなぁ、それじゃあ休んであげよっかなぁ」
陽乃は機嫌良さそうにそう言うと、そのままマンションの、八幡の部屋へと向かった。
「さて、おい小猫、そっちはどうだ?通常業務は時間までにちゃんと終わるか?」
「ええ、おとといから前倒しで進めてあったから、余裕ね」
「オーケーだ、それじゃあこっちもさっさと準備を終わらせちまうか」
「ええ、頑張りましょう」
そして部屋を出ていく直前に、八幡がぼそりと薔薇に言った。
「しかし危なかったのはマジなんだろうが、姉さんも随分大げさに説明してくれたな、
まったく演技ばかり上手くなりやがって」
「えっ、分かってたの?」
「当たり前だろ、どれだけ姉さんと一緒にいると思ってるんだよ」
どうやら八幡は、全て承知の上で陽乃に優しくしていたらしい。
「まあ俺にとって姉さんは特別だからな、
本当はもっと優しくしてやりたいところだが、
あんまり甘やかすと調子に乗りすぎるからなぁ………」
八幡はそう言って部屋を出ていき、薔薇は思わず笑ってしまった。
「八幡も成長してるのね」
一方陽乃は八幡の部屋で、一人悶えていた。
「しまったなぁ、ちょっと演技しすぎたわ、完全に八幡君にバレてたじゃない、
まあそのまま押しきったから結果オーライとしても、今後はもう少し気をつけよっと………」
狐と狸の化かしあいは続く。
そして準備が終わり、開場時間が訪れ、続々と参加者達が受付に現れた。
受付事務はかおりとえるに任せ、八幡はその横で、にこやかに来客に挨拶をしている。
その横にはちゃっかりと、陽乃の姿もあった。
そんな中、最初に部屋に入ってきたのは、まさかのフランシュシュであった。
「八幡、それに社長、こんばんは!」
「おう愛、よく来たな」
「えへへ、待ちきれなくて、みんなを引っ張ってきちゃった」
その愛の態度に他のメンバー達はざわっとした。
愛のそんな態度を見るのは初めてだったからだ。
「ははっ、まあ楽しんでってくれ」
「うん!」
「あ、あと」
「うん?」
「そのサンタの格好、かわいくていいな」
「っ………」
愛はその不意打ちに顔を赤くした。
「あ、ありがと」
「おう、それじゃあまた後でな、愛」
「う、うん!」
その光景に陽乃と、今まさに会場入りしてきた明日奈が衝撃を受けていた。
二人の間では、ファンから熱い視線や好意を向けられる事に慣れているアイドルが、
そう簡単に八幡に転んだりはしないだろうと予測されていたのである。
明日奈は陽乃にハンドサインを送り、陽乃はそれを受け、辺りを見回した。
そして沙希の挙動が怪しいのを見て、陽乃は明日奈にハンドサインを返した。
直後に明日奈が沙希に駆け寄り、その肩をポンと叩く。
「ひっ………」
「サキサキ、ちょっと向こうで話そっか」
「わ、分かった………」
明日奈にマークされてしまった沙希は、隣の部屋で必死に状況説明を始めた。
「えっとね、麻衣さんがサンタ服を取りに来たんだけど、
その時に、愛さんのサンタ服がほつれちゃったから直してくれって頼まれてね」
「ふむふむ」
「で、直し終わった頃に、八幡がいつの間にか愛さんの後ろにいて」
「ああ、あるあるだね、八幡君ってほとんど足音を立てないから」
「で、驚いた愛さんが、反射的に八幡を叩こうとして避けられて、
転びそうになったところを八幡が支えてあげたのね。で、その直後に八幡がこう言ったの。
『ごめんな、今度はちゃんと叩かれるようにするからさ』って。
愛さんの様子が変わったのはそれからよ。
で、流れで麻衣さんと三人でねこやにご飯を食べにいく事にした、
私が知ってるのはそこまでかな」
その言葉に明日奈は沈黙した。
「………」
「………」
「ねぇサキサキ」
「う、うん」
「何かさ、八幡君って、時々そういう女心にドストライクな事を言ってくるよね」
「分かる………」
「でもさ、よりによってアイドル相手にいきなり発動する!?」
「ね………」
「はぁ………まあ起こっちゃった事は仕方ないか、後は麻衣さんに事情を聞いて、
今後は八幡君を他のアイドルの子とあまり接触させないように注意だね」
「うん」
沙希としてもこれ以上ライバルが増えるのは本意ではない為、
当然といった顔で明日奈に頷いた。
そして会場に戻った二人は、そのまま麻衣を捕まえて再びこちらの部屋に戻り、
詳しく事情を説明してもらった。
「………という訳なのよ、悪いとは思ったけど、
おかしな着地の仕方をさせるよりはマシかと思ったの」
「た、確かにその状態だと、変に燃え上がらせるよりは良かったかも………」
実際説明を聞くと、確かに覚悟させる前の愛は、とても情緒不安定なように感じられた。
「まあALOをやるってなら、八幡君の中ではもう完全に身内って事だよね、
ならもう仕方がないや、完全にこっちに引き込むしかないね」
「まあそうかも」
「はぁ………今度はアイドルが相手かぁ………」
明日奈が苦しそうにそう言ったが、麻衣にしてみれば、はぁ?である。
明日奈はどう見ても、普通にアイドルとしてデビュー出来る見た目と性格をしているし、
他の女性陣もそのレベルに達している者が数多くいるのだ。
(明日奈も八幡さんに影響されて、自己評価が低くなってるのかな?)
麻衣はそう思いつつ、まあ何か問題が起こる事もないだろうと思い、
特に何も言う事はなかった。
そして三人はホールに戻り、明日奈は陽乃をこっそり呼び出し、事情を全て説明した。
「ちょっと何それ、私も言われてみたいんだけど」
「あの愛さんって子、持ってるよねぇ………」
「まあそういう事なら仕方ないわね、ゆっくり色々と教えていきましょう」
「うん、とりあえず後で声をかけてみるよ」
こうして愛の件についてはひとまず落ち着いた。
陽乃は八幡の隣に戻り、来客の相手を再開した。
「おう嬢ちゃん、京都では随分派手にやったみたいだな」
「あら嘉納さん、お久しぶり」
「八幡君も、一体何をやったんだ?警察や公安の連中がびびってたぞ」
「あはははは、ただの穏便な話し合いですよ」
「穏便ねぇ、まあ危ない事はしてくれるなよ」
「はい、もちろんです」
そんな八幡の姿を遠くて見ていた愛は、
防衛大臣とも知り合いなんだと八幡に対する尊敬を深めていた。
続けて厚生労働大臣や、何度かパーティーで見た大野財閥の会長などが現れる度、
その尊敬の度合いは深まっていった。
「凄いなぁ………」
「何が凄いの?」
「きゃっ」
いきなり背後からそんな声がし、愛は思わず手を出しそうになったが、
先日の事を思い出し、頑張って踏みとどまった。
「ふう………」
「ふふっ、大人しく叩かれてあげようと思ってたのに、よく止めたね」
「えっ?」
よく見るとそこには、とんでもない美人が立っていた。
「あ、あの………どこかの事務所の方ですか?」
「事務所?何の?」
「あ、えっと、芸能関係の?」
その言葉に明日奈は微笑んだ。
「あはははは、違うよ、私は八幡君の正式な彼女の、結城明日奈だよ」
「あっ!」
愛は明日奈を見て、おそらく自分を怒る為に来たのだと、
間違った推測してしまったが、それは仕方ないだろう。
「あ、あの、私………」
愛は思わず謝りそうになったが、それは明日奈が止めた。
「違う違う、そういうんじゃないから安心して。
愛さんはもう、八幡君の身内になったんだから、何に対しても謝る事なんかないんだよ。
とりあえず私は、八幡君について色々教える為にここに来たの。
これは最終確認。その気があるならこの手を掴んでね」
そんな明日奈の手を、愛は躊躇いなく掴んだ。
「ふふっ、ようこそ、八幡君のいる世界へ」
こうして愛は、明日奈の手によって、新しい人生の第一歩を踏み出した。