その後、少し大学関係の事について話した後、健は恐る恐る、凛子に晶彦の話を切り出した。
「それで凛子先輩、あの、もし迷惑じゃなかったら、聞きたい事があるんですけど………」
「あら、何かしら?」
「茅場先輩って、どんな人だったんですか?」
「健君は晶彦に興味があるの?」
「そりゃぁ、ゼミの偉大な先輩っすから」
「偉大な、ね」
世間一般に持たれている茅場晶彦のイメージは、最悪に近い。
日本史上、最悪の犯罪者だと断定する者もいるくらいである。
だが凛子は健のその表現から、健が晶彦に悪いイメージを持っていない事に気がついていた。
これはまあ、技術畑の人間には多い事ではある。
「どんな人、ねぇ………まあ自分が興味を持った事しかやろうとしない人だったのは確かね」
「なるほど、つまりそれは、興味を持たせさえすればこっちの勝ち、って感じだったんですね」
「あら、よく分かってるじゃない。そう、晶彦に何か頼み事をする時は、
とにかくどうやって興味を惹こうか頭を悩ませたものよ」
「あはははは、どこかのドラマの主人公みたいですね」
「凄く大変だったから、笑い事じゃなかったんだけど、でも笑っちゃうわよね」
「俺がもう少し早く生まれてればご一緒出来たんですけどね」
「あら、そしたらあなたは今頃逮捕されてたかもしれないわよ?」
「………ああ、それは勘弁ですね」
健はそれは無理という風におどけた調子で両手を上げた。
「ところで楽しいから別に構わないんだけど、
あっちのお仲間が凄くこっちを気にしてるみたいよ、このままこっちにいてもいいの?」
「ああ、まあ俺は外様なんで別にいいかなって」
「そういうドライなところ、晶彦に似てるわね。
そういえばさっき、重村ゼミでは自分一人だけって言ってたけど、
他にも誰か、ゼミの子が開発の手伝いをしていたりするの?」
「何人かはたまに来ますけど、常駐は俺だけですね」
「あらそうなんだ、随分優秀なのねぇ」
「いや、どうですかね」
ゼミの大先輩に褒められた健は、まんざらでもないように表情を緩めた。
だがその表情は、直後の凛子の言葉のせいで一変した。
「健君は、晶彦の後を追いたいの?」
「えっ?」
「随分と晶彦に興味津々みたいだったから」
「そ、そりゃまあ興味はありますよ、SAOに使われていた技術の一部は、
あの教授ですら理解出来ないものがあったみたいですし」
「あらそうなの?その点に関しちゃ、まあうちは直接………」
「凛子!」
凛子が何か言いかけたが、それは経子が止めた。健は言葉の続きが気になったが、
おそらく直接サーバーを調べて、とでも言いかけたのだろう、
健はそう考え、その点に関して深く問いかける事はしなかった。
「ごめんなさい、ちょっと酔っちゃったみたいね」
凛子はぺろっと舌を出し、そのままトイレへと向かった。そして残った経子に健は謝罪した。
「すみません、凛子先輩に会社関係の言っちゃいけない事を言わせそうになっちゃいましたかね」
「………まあそんな感じね、まあ続きが聞きたかったらうちに来るといいわよ」
「………ソレイユにですか?」
「ええ、あなたにとっても凄くためになると思うわよ。
ジャンルは違うけど、うちにはあの牧瀬紅莉栖ちゃんがいるしね」
「牧瀬………紅莉栖………」
「彼女の専門は脳科学だけれど、貴方の研究とも関係は深いわよね?」
「………はい、そう言われると確かに」
今までまったく意識していなかったのだが、確かに経子の言う事はその通りであった。
確かにARやVRにとって、脳科学は切っても切り離せない分野であり、
その第一人者とも言える研究者が同僚だというのはとてつもないアドバンテージになるだろう。
「そっか、進路を選ぶのに、そういうのも参考にしないとか………」
「健君は今何年生?」
「三年です、そろそろ進路をどうしようか考えないといけませんよね」
「進路?」
そこに凛子が戻ってきた。多少酔いも覚めたようで、スッキリしたような顔をしている。
「健君は進路に迷ってるの?」
「いや、まだそこまでじゃないですね」
「丁度今、うちに来たらどうかって言ってみたところなの」
「ああ、なるほど、そういう………」
凛子はその経子の言葉に頷きつつ、じっと健の目を見た。
「………な、何ですか?」
「………健君、口は堅い方?」
「………軽くはないつもりですけど」
「ふ~ん」
凛子はそれ以上何も言わず、話は雑談に戻った。
健は凛子が何を意図してそんな事を聞いたのか気になったが、
それが判明したのは帰り際であった。
「結局ずっと私達につき合わせちゃったわね」
「いえ、さっきも言いましたけど俺は外様ですし、
カムラの人達とはいつでも飲みに行く機会がありますから」
少し前に、カムラの者達が次の会場に行くと健に声をかけてきたのだが、
健はそれを断り、凛子達と同席を続ける事を選択していたのだった。
「今日は色々聞けて楽しかったです、また機会があったらご一緒しましょう」
「そうね、後輩との繋がりは大切にしないとだし………、
ああ、健君、ACSって知って………るわけないわよね」
「何です?それ?」
「AI・コミュニケーション・システムってアプリよ、
私達がよく利用してるんだけど、良かったらそれ、使ってみない?」
「聞いた事ないですね、どこで手に入るんですか?」
「待ってて、今教えるわ」
健は凛子から説明を受け、実際にACSを使ってみて、
そのオーバースペックぶりに驚愕し、躊躇いなくその使用を決めた。
「これの事は、他の人には言わないでね」
「はい、もちろんです!」
ACSを入れる事で、自分の動きがある程度ソレイユに把握されるのかもしれないが、
健はそんな事はお構いなしであった。
「これ、凄いですね、一般販売はしないんですか?」
「いずれはすると思うわ、まだ予定は立ってないけどね」
「というか、タダでもらっちゃっていんですか?」
「いいのいいの、うちの関係者はみんな使ってるんだから。
例えば防衛大臣とか、レクトの社長とか、帰還者用学校の理事長とかね」
「ぼっ、防………」
健は絶句し、そんな健に凛子は追い討ちをかけるようにこう言った。
「健君、うちはいずれ、世界の支配構造に大きく食い込むようになれる………かもしれないわ」
「それはまたスケールが大きな話ですね」
「なので興味があったらうちにいらっしゃい。そうすればその時あなたは………」
「あなたは?」
「望みが一つ叶うわ」
「っ!?それってどういう………」
それには答えず、凛子と経子はいたずらめいた表情のまま去っていった。
一人残された健は、訳が分からないままぽかんとするばかりであった。
「………ソレイユか。ハチマンさんはソレイユの関係者だって話だし、
今度会った時に相談してみようかな」
健はそう呟くと、この日はそのまま真っ直ぐ家に帰る事にした。
一方真っ直ぐ家に帰った徹大は、持ち帰ったデータをユナに見せる準備を着々と進めていた。
『お父さん、それは?』
画面の中のユナが、徹大にそう問いかけてくる。
「今日偶然手に入った、本当のお前のデータだよ、ユナ」
『本当の私?そうなんだ!』
ユナは嬉しそうにそう言うと、機嫌良さそうに歌い始めた。
「うわぁ、私にもフィードバックしてね、お父さん!」
「ああ、もちろんだよ」
足元に座り、こちらを見上げてくるぬいぐるみのユナにもそう答え、
徹大は順調に作業を進めていく。
「………二人とも、準備が出来たから一旦落とすよ」
『「うん、分かった!待ってるね!」』
二人はハモりながらそう答え、そのまま沈黙した。
そして徹大は二人のAIに、持ち帰ったデータを参照させた。
「さて、どうなるかな………?」
この時点で徹大は、結果に関してそこまで期待してはいなかった。
だが再起動させたユナ達は、目に見えて変化していた。
『「お父さん」』
二人は同時にそう言ったが、そこまで変わったようには聞こえなかったのに、
なぜか徹大は全身が震えるのを自覚した。どこがどう違うという訳ではない、だが確実なのは、
今の徹大の身体が歓喜しているという事であった。
ユナのどこが変わったのか、具体的には説明出来ないが、
今まで気づかなかったレベルで微妙にズレていた歯車がピタっとはまったように、
徹大には、ユナがより悠那に近づいているように感じられた。
「素晴らしい………」
今日この日、この瞬間から徹大の意識は完全に変わった。
鎌倉の地で眠る悠那の事を見捨てる訳ではもちろん無いが、
仮にもし助からなくても、このまま強めのスキャンを続けていけば、
悠那を復活させる事は可能だと強く思うようになったのである。
「もっと、もっとだ………」
徹大の暴走が始まる。