いつも利用している居酒屋の、定位置とも言える個室にいつも通り向かった二人は、
もう先に始めていた五人に軽い調子で挨拶をした。
「ういっす」
「ごめ、お待たせ」
「………ヤサ、バンダナ、遅かったな」
この七人の飲み会は、お互いの名前をプレイヤーネームで呼び合うのが常であった。
というか、実はこの七人は、まだお互いの本名を名乗り合ってはいない。
SAOから解放される直前に待ち合わせ場所を指定したせいでこうして会えてはいるが、
ただ会えただけで、お互いのプライバシーに踏み込む事は一切していないのだ。
これはネットリテラシーを考えての事であり、
ヤサとバンダナがお互いの素性を知っているのは、
同人誌の作成に必要だからそうなだけで、この中では特別なケースなのである。
「ちょっと仕事が押しちまったんだ、すまん」
「悪い、まあそんな感じだわ」
「………そうか」
いつもの飲み会だと、多少の遅刻など気にせず、
軽い感じで出迎えてくれるゴーグル、コンタクト、フォックス、テール、ビアードの五人は、
今日は何故か、こちらに胡乱げな視線を向けてきており、
二人は嫌な予感がしてならなかった。
「まあ座れよ」
「お、おう」
「あ、うん」
二人が席に着いても誰も何も言わない。
そのただならぬ雰囲気に二人はゴクリを唾を飲んだ。
そのまましばらく無言の時間が続いたが、やがてゴーグルがぼそりと二人に言った。
「実は今日、SDSに入った新人が、
お前達二人が、ヴァルハラの奴らと仲良くしてたって言うんだよ。
その事について、何か言いたい事はあるか?」
ヤサとバンダナは、この五人だけではなく、
SDSのメンバーに関してもかなり気を配っており、
ヴァルハラの誰かと会う時は、うっかり鉢合わせしないように、細心の注意を払っていた。
だがさすがのふたりも、今日加入したばかりのプレイヤーに対応出来るはずもない。
(まずい)
(どうする?)
(何とか誤魔化すしか)
(何かいいネタはあるか?)
(今なら歌姫でいける)
(それだ)
同人誌の製作の過程で苦楽を共にしてきた二人は、
アイコンタクトでこれだけの意思疎通が出来るまでに、新密度を深めていた。
それで意思の統一に成功した二人は、明るい顔でこう答えた。
「それって多分、今話題のウズメとピュアの事だと思うんだよな」
「うん、心当たりがあるとしたらそれだけかな」
「でもまああの二人は確かにヴァルハラのメンバーだけど、
立ち位置的にはちょっと特殊なんじゃないか?」
その二人の言葉に、五人は顔を見合わせた。
「た、確かに………」
「ヴァルハラとか関係なく、あの二人の歌は聞きたい」
「実は俺、この前のフランシュシュのミニライブに行ってきたんだよ!
で、その時水野愛も紺野純子も見たんだけど、マジでそっくりだったわ!」
「うお、マジかよ、羨ましい………」
「でもそう考えると確かに………」
「俺としても、あの二人を見に行くのまでアウトって事にされるのはちょっと困るな」
五人は口々にそう言い、ヤサとバンダナは、これで何とかなりそうだと胸を撫で下ろした。
「何だ、そういう事かよ」
「確かにあの新人、ヴァルハラの誰とは言ってなかったよな」
「そっかそっか、悪いな二人とも、おかしな空気にしちまって」
「いや、気にしないでくれよ、俺達も全然気にしてないから、なぁ?」
「そうそう、それよりこっちも遅れちまって悪かった」
「仕事が忙しいんだろ?イラストの」
「一芸を持ってる奴は、やっぱ強いよなぁ」
「まあ運が良かっただけだって」
バンダナはそう言って謙遜したが、テールとフォックスは、尚も二人を持ち上げてきた。
「でも好きな事で食っていけるのはいいよな」
「そろそろ補助金の残りも少なくなってきたし、俺達も何とかしないとなぁ………」
「まあバイトはしてるけど………」
「俺も何か、緩やかに死んでる気がしてる」
「というか俺達五人、全員そうだろ」
どうやらヤサとバンダナ以外の五人は財政的に厳しくなってきているようだ。
まあバイトとはいえ働いているだけマシである。
「おっと、二人とも、注文がまだだよな、今店員を呼ぶわ」
「悪い、頼むわ」
「さて、それじゃあ今日も楽しくいきますか」
「俺、ビールで!」
こうして飲み会が無事に始まった。
「最近忙しくて顔を出せてないけど、SDSはどうなの?」
「さっきも新人が入ったって言ったけど、どんどん大きくなってるぜ」
「まああまり無秩序にデカくすると、連合みたいになっちまうかもだから、
シグルドさん、一旦募集を止めるってよ」
「今何人くらいいたっけ?」
「やっと百人を超えたところらしい」
「うへ、そんなにか」
「うわ、凄えな」
二人はその事実に素直に感心した。
二人から見ると、シグルドはハチマンとは比べるべくもなく、
数段落ちる存在という認識なのだが、人望だけはそれなりにあるようだ。
もっとも反ヴァルハラプレイヤーからの需要にマッチするのが今はSDSくらいだというだけで、
他に受け皿となるギルドが出てくれば、そちらにも確実に人が流れていくのだろう。
だが少なくとも七つの大罪が大きく評判を落とした今は、
他にそういう存在が出てくるような動きは見られない。
一応チルドレン・オブ・グリークスがその受け皿候補ではあるのだが、
名前に関する縛りがあるせいで、メンバーを増やすのに苦労しているのが現状だ。
ちなみにチルドレン・オブ・グリークスは、
七つの大罪の崩壊と同時にアルヴヘイム攻略団を離脱しており、
現在アルヴヘイム攻略団に残っているのは、アルン冒険者の会とソニック・ドライバー、
ALO攻略軍の三つだけとなっている。
「もう一大勢力だよな」
「でも人数だけじゃなく、実力も上げてかないと、ヴァルハラには勝てないからなぁ」
「それだけじゃなく、装備も何とかしないと………」
「まあ今育ててる職人連中がモノになるまでの我慢だろ」
「職人?小人の靴屋は?」
ヤサはキョトンとしながらテールにそう尋ねた。
「最近あそことはちょっと距離を置いてるんだよ」
「グランゼの奴、調子に乗りすぎだからなぁ………」
「あいつは何で、常に上から目線なんだろうな」
「まああっちも戦闘系プレイヤーを増やしてるみたいだし、
あっちはあっちでうちと手を切る算段をもう付けてる気がするけどな」
「そうなんだ」
「お前らだって、あいつの事は嫌いだろ?」
「それはもちろん」
「というか、グランゼの事が好きな奴なんて小人の靴屋の中にもいないんじゃないかな」
「かもなぁ」
それからグランゼの悪口大会が始まった。
日ごろから鬱憤を貯めていたのか、出るわ出るわ、
その話題はそれから一時間も続いたが、今でもまだネタが尽きる気配はない。
だがさすがに飽きてきたのか、その頃から他のプレイヤーが標的になり始めた。
そうなるとこういった場合、このメンバーの間で名前が挙がるのは、
主にヴァルハラのメンバー、というか、ハチマンという事になる。
「しかしハチマンの奴、イベントをクリアしてから随分調子に乗ってきてるよな」
その言葉を受け、ヤサとバンダナがチラリと視線を交差させる。
(ハチマンさん、調子に乗ってたっけか?)
(いや、全然)
(だよな………)
「くそ、最初から邪神側についてれば………」
「今度はフェイク情報に惑わされないようにしないとな」
「ハチマンの野郎、ソレイユとのコネを使って情報を手に入れたに決まってる!」
(むしろ何も言わないように念押ししてるような………)
(うん、間違いない)
「くそ、今頃メンバーとやりまくりなんだろうなぁ………」
「あそこはハチマンの性奴隷の集まりだからな」
(ハチマンさんはそんな事しないっての!
言い寄られて困ってる時はあるけど、絶対に一線は超えねえんだよ!)
(まあまあ、酒の上の話だから)
「性奴隷ってキリトもかよ!」
「決まってるだろ、ハチマンは両刀なんだよ」
「あはははは!」
(っ、んだと………)
(おい待てってヤサ、落ち着け、な?)
(チッ、うぜえ………)
「しかしヴァルハラのあの女の多さはおかしいよな」
「一体どんな弱味を握ってんだろうな、ハチマンの奴………」
「あいつら、絶対に陰で泣いてそうだよな」
(ストップ、ストップだ、バンダナ)
(ハチマンさんが、そんな事する訳ねえだろ!)
「ウズメとピュアの二人って、金で雇われて人気取りの為にALOに来てんのかな?」
「政治家とかから汚い金、受け取ってそう」
「あるある!」
(………)
(………)
ここで我慢の限界が来たのか、二人は青筋を立てて立ち上がった。
「ん、ヤサ、どうした?」
「バンダナ?」
「それ………………言うな」
「ああん?」
「それ以上兄貴の事を悪く言うなっつってんだよ!」
「おわっ、いきなり何だよ、兄貴?誰だ?」
「「ハチマンの兄貴に決まってんだろ!」」
「「「「「………えっ?」」」」」
ブチ切れた二人が同時にそう言い、五人は一瞬ポカンとした。
だがすぐにその言葉の意味を悟り、五人は立ち上がった。
ここが個室だったのはある意味最悪であった。
何故ならこの不穏な状態を止めに入る者がいないからだ。
「お前ら、まさか………」
「やっぱりヴァルハラと繋がってやがったのか!?」
「どういう事だよ!ヤサ、バンダナ!」
「どうもこうもねえ、お前達が思ってる通りだ」
「ふざけんな!」
「ふざけてるのはどっちだよ、ある事ない事………いや、デタラメばかり並べやがって!」
「お前が兄貴の何を知ってるって言うんだよ!」
「んだと!?」
「あ、あの、すみません!」
ここで女性の店員が慌てて飛び込んできて、一同にそう声をかけた。
それで多少冷静さを取り戻したのか、七人は同時に着席した。
「すみません、ちょっと声が大きかったですね」
「気を付けますね、すみません」
「申し訳ありません、宜しくお願いします」
女性店員はそのまま去っていった。
「………で?」
「………俺達はハチマン兄貴には本当に世話になってるんだよ、
だからお前らの暴言は絶対に許せねえんだ」
「そりゃこっちのセリフだよ」
再び一触即発状態になりかけたが、そこはビアードが間に入った。
「まあ待て、いつからだ?」
「年末だよ、それから俺達はヴァルハラ側だ」
「何だよそれ………」
「俺達を裏切ったのかよ!」
「ああそうだ、名前も知らない奴らより、俺達は兄貴を取ったんだよ」
「でもその判断は間違ってなかったわ、
デタラメな作り話で他人を悪く言うクズにはなりたくないからな!」
「お前らとは確かに長い付き合いだけどな、さすがに今回の事で腹が決まったわ」
「俺達はこの集まりから抜ける、これからはもう他人だな」
「もう会う事も………いや、まあALOでなら会う事もあるか、
その時は殺し合いだ、いつでもかかってこい」
「チッ、ヴァルハラをバックにいきがりやがって」
「その時もしヴァルハラの誰かが一緒でも、手出ししないように言っとくから、
安心してかかってきな、クソ共が」
「その言葉、忘れるなよ!」
「あばよ!金はここに置いておくから貸し借り無しだ!」
ヤサとバンダナはそう言って立ち上がり、足早にその場を後にした。
幸い誰も追っては来なかったが、駅のホームに着いた直後、二人は頭を抱えた。
「「やっちまった………」」
事情はどうあれ、これで二人はスパイ活動をする事が出来なくなった。
だが仲間を裏切っているという罪悪感からも解放された為、
気分的には悪く無かったのが幸いである。
「………とりあえず兄貴に謝るか」
「兄貴、怒るかな?」
「んな訳ねえだろ、あの兄貴だぞ!」
「だよな!」
「でもしっかり頭は下げないとな」
「もちろん!」
こうして二人は正式に、SDSと、そしてかつての仲間達と縁を切る事になったのだった。
これが二人が八幡に語った事である。