明日奈がそう言った途端、さすがの訓練されていたクラスメート達もどよめいた。
明日奈もそれにはやや驚いたようだったが、あくまで基本に忠実に、
さも当然だと謂わんばかりに、にこにこと笑顔を崩さず、八幡に笑顔を向け続けた。
八幡は、今日の明日奈は随分ぐいぐいと押してくるなと思いつつも、
断る理由などがあるはずもなく、むしろ喜んでそれを承諾した。
「よし、それじゃあ和人、今日は屋上で五人……」
「八幡、今日は俺達は食堂だから、たまには二人で行ってこいよ」
和人は里香に前もって言い含められていた通り、
その先は言わせるものかとばかりに早口でそう言った。
「それなら購買で何か買って一緒に……」
「いやー、今日は何を食べようかな、よし、早速行こうぜ、里香、珪子」
「それじゃ二人とも、また後でね~」
「お先です!」
「あ、おい……」
和人が再び被せるようにそう言い、サッと教室を出て、二人もその後に続いた。
八幡は三人の背中に声をかけようとしたが、三人の行動はそれよりも素早かった。
そして八幡は気を取り直し、明日奈に言った。
「あいつら妙に素早いな。それじゃ、俺達も行くとしますかね」
「うん、そうだね」
そして二人はそのまま屋上へと向かった。昼休み開始から間もない事もあり、
屋上の人影はまだまばらだった。より目立たない場所に座ろうかと考えた八幡だったが、
明日奈が先に歩き出し、屋上全体からよく見える中央に近いベンチに座り、
八幡に手招きした為、八幡は仕方なく、そのいかにも目立つであろう場所へと足を運んだ。
「な、なあ明日奈、本当にここでいいのか?」
「うん、どうして?」
「い、いや、明日奈がいいなら問題ない」
既に屋上全体からの視線に晒されており、動揺していた八幡は、
まあこの視線もそのうち減るだろうと、半ば諦め気味に明日奈の隣に腰を下ろした。
まあ、明日奈もあまり気にしてはいないようだし、俺さえ気にしなければ問題ない、
そう考えた八幡は、素直にこの状況を楽しもうと考え、明日奈の取り出す弁当を、
わくわくしながら期待のこもった目で見つめていた。
そして八幡が見つめる中、明日奈は三つの弁当箱を取り出した。
「お?弁当箱が三つ?」
「あ、えっとね、八幡君のお弁当は、特別製でご飯とおかずを分けてあるんだ」
「なるほど、特別製なのか。早速開けてみてもいいか?」
「うん!」
「よし……それじゃあご飯を……う、うおっ!」
周囲の生徒達は、八幡がどんな反応を示すのか、興味津々で様子を伺っていたが、
いざ弁当箱を開いた瞬間、不覚にも八幡は、
目立たないようにしようと思っていた事などすっかり忘れたかのように大声を上げてしまい、
一瞬にして、その場にいた生徒全員の注目をを集めてしまった。
その沢山の生徒の視線には気付かないまま、八幡はさらにこう言った。
「ま、まさかこれ、ラグーラビットか?」
「うん!」
その言葉が響いた瞬間、周囲の生徒は驚愕した。
「ら、ラグーラビット?」
「あのS級食材の?」
「え、まさか実在すんの?嘘だろ?」
「見せて見せて!」
周囲の生徒達は、二人の都合などはお構いなしにその弁当に殺到し、中を覗き込んだ。
八幡と明日奈はさすがにびっくりしたが、これは八幡がいけないだろう。
いきなりラグーラビットなどと、今ここにいる者達の間では周知であり、
特別な意味を持つ、有名な食材の名前を叫んでしまったのだ。
周囲の生徒達が慌てて集まるのも無理はなかった。
「こ、これは……」
「これがラグーラビット?誰か見た事のある人は?」
「どれどれ……」
「やばっ、これすげーな!」
もちろんラグーラビット料理が現実に存在するはずもなく、
どんな肉料理なのだろうかと思いながら、弁当箱を覗き込んだ生徒達の期待は、
当然のごとく裏切られたのだったが、だがしかし、確かに八幡の言葉は真実だった。
その弁当のご飯の部分には、ふりかけのような物を使って、
かわいくデフォルメされたラグーラビットの、とてもカラフルな絵が描かれていたのだ。
それを見た一同は、どれほどの時間がかかったのか想像も出来ず、ただひたすら感嘆した。
「俺、一度だけ遭遇した事があるぜ!これは確かにラグーラビットだ!」
「こ、これがラグーラビット?なんかかわいい!あとすごいカラフル!」
「すげえな閃光……感動すら覚えるぞ」
「副団長、さすがです!」
二人は固まっていたが、先に我に返った八幡が、生徒達に控えめな口調で言った。
「あー、すまん、気持ちは俺も同じだからよく分かるんだが、
そろそろ飯にしたいんだがいいか?」
その言葉を聞いた一同も我に返ったのか、ぺこぺこと頭を下げながら、
それぞれの定位置に戻り、屋上は表向き、平穏を取り戻した。
「な、なんかすごい注目を集めちゃったね、八幡君」
「すまん、俺が思わず叫んじまったせいだ……」
八幡がそう謝ったが、明日奈は逆に嬉しそうに言った。
「あは、八幡君があそこまでびっくりしてくれたんだから、頑張って作った甲斐があったよ」
「確かにあまりの絵の上手さにびっくりしたな……よし、次はおかずだな。
今度は変な声を出さないように、落ち着いて開けるように気を付ける」
「あっ……」
「ん、どうした?」
八幡が、おかずと言った瞬間に、明日奈は顔を真っ赤にし、おずおずと言った。
「う、ううん、そっちは他の人に見られたら、ちょっと恥ずかしいなって思っただけ」
「そ、そうか」
八幡は、一体中はどうなっているのだろうと、ドキドキしながら、そっと蓋を開けた。
中に入っていたのは、ハート型のハンバーグ、ハート型の玉子焼き、ハート型の……
とにかく全てがハート型のおかずだった。八幡はそれを見た瞬間、真っ赤になった。
「あ……そ、その……ありがとう」
「ど、どういたしまして」
「……それじゃあ早速一緒に食べるか」
「う、うん」
そして二人は、並んでお弁当を食べ始めた。
「明日奈の弁当は、普通なんだな」
「まあ、さすがに自分の分はね」
「ん、美味い!」
「ふふっ」
八幡が、本当に美味しそうに食事をする姿を見て、明日奈は幸せに包まれていた。
そして明日奈は次の作戦を実行する事にした。
「えっと、八幡君、ちょっといい?」
明日奈は距離を詰め、二人はピッタリとくっつく形となり、再び周囲がざわついた。
「お、おう、いきなりどうした?」
「えっとね」
そう言うと明日奈は、八幡のお弁当のおかずを、自分の箸でつまみ上げた。
そのおかずの形だけは、遠くからでもバッチリ確認出来た為、
周囲の者達は皆、ハートだ、ハートだな、ハートね、と囁き合っていた。
そして明日奈は、そのおかずを八幡の口の近くに持っていき、いきなり言った。
「はい、あ~ん」
「あ、う……」
「あ~ん」
「う、うう……」
八幡は、いきなりの事におろおろしていたが、明日奈はあ~んと言い続けた。
これは当然里香からの指示であった。里香の指示は二つ。
あ~んをする時は、必ず明日奈の使った箸を使う事、そして八幡が何を言っても、
どんな態度をとっても、あ~ん以外の言葉は絶対に使わない事。
「いい明日奈、これが必殺技、自分の箸であ~ん、よ!
ちゃんと実行出来れば、ムッツリスケベの八幡が内心喜ぶ上、周囲へのアピールも完璧よ!」
昨日の夜、里香は明日奈にそう力説したのだった。
その言葉通りに八幡は、絶対に回避出来ない明日奈の必殺技に対抗出来ず、
あ~んと口を大きく開け、明日奈の差し出したおかずを食べた。
ちなみにムッツリスケベかどうかは分からないが、八幡が内心で喜んでいたのは間違いない。
そしてその瞬間、周囲にいた女子生徒の間から、きゃ~っという黄色い声が上がり、
男子生徒からは、多くの落ち込んだ声と、少数の祝福の声が上がった。
八幡がすごく照れながらも、どこか嬉しそうにおかずを頬張る姿を見て、
八幡君がすごくかわいいと思った明日奈は、
次のおかずを箸で摘んで八幡の口元に持っていき、再び、あ~ん、と言った。
それを見た周囲の生徒からも再び、ハートだ、またハートか、全部ハートなんじゃないか?
という声が上がり、もう恥ずかしさに慣れたのか、それとも開き直ったのか、
八幡は今度はそれを平然と食べ、再び周囲の女子生徒の間から黄色い声が上がった。
ちなみにほとんどの男子生徒は、もはやお通夜状態であった。
そんな周囲の状況をよそに、八幡は明日奈に言った。
「うん、どれも美味いな。やっぱり明日奈は料理が上手だな」
明日奈はその感想を受け、得意げに胸を張った。
「料理スキルはカンストだしね!」
「ははっ」
八幡は笑いながら明日奈に言った。
「さすがにそれは、こっちじゃ関係ないけどな」
「あ、やっぱり?」
明日奈は、いたずらが見つかった子供のようにそう言った。
「でもまあ、本当にそれくらい美味いと思う。ありがとな、明日奈」
「えへへ、そう言ってもらえると、本当に嬉しい」
その後も二人の周りには、ピンク色の空間が形成され続け、
周囲にいた者達は、その甘さに砂糖を吐きそうな気持ちになった。
この屋上での出来事は、その者達がそれぞれの教室に戻った後、またたく間に拡散された。
そして放課後、五人は下駄箱の前にいた。今日は明日奈の下駄箱には、
一通のラブレターも入ってはおらず、女子三人は、作戦は成功だねと囁き合っていた。
「で、今日はどうする?どこか寄ってくか?」
和人がそう言い、里香と珪子は、う~んと考え込んだのだが、
その時明日奈が、里香ですらまったく予想もしていなかった、本日最大の爆弾を落とした。
「あ、ごめん。えっとね、今日は八幡君の家に泊まる事になってるから、
真っ直ぐ帰って、途中で夕飯の買い物とかしたいんだよね」