階段を駆け上がる二人の前方に、キリトの後ろ姿が見えてきた。
その後ろ姿は、遠くから見てもかなり落ち込んでいる事がわかったが、
ハチマンとアスナは容赦する気は微塵も無かった。
足音が聞こえたのか、キリトが後ろを振り向いた。
二人の姿を見つけて、慌てて逃げようとしたキリトは、
すがさず二人に取り押さえられた。
最初に口火を切ったのは、ハチマンだった。
「おい、なんで逃げるんだよ。天駆ける漆黒の堕天使」
「……え?」
「ん?どうかしたのか?天駆ける漆黒の堕天使」
「………」
「何で黙るんだよ、天駆ける漆黒の堕天使」
「い、いや……その……」
「言いたい事があるなら気にせず何でも言えよ、天駆ける漆黒の堕天使」
「ごめんなさい……」
「何だよ俺達の仲じゃないか。何か謝る事でもあったのか?天駆ける漆黒の堕天使」
「ア、アスナ………」
キリトは助けを求るようにアスナの方を見た。
アスナは、輝くようなドス黒い満面の笑みを浮かべていた。
「私がどうかした?天駆ける漆黒の堕天使君」
「あ……」
「どうしたの?ぽかんとしちゃって。天駆ける漆黒の堕天使君」
「二人とも……その……」
「おいアスナ、なんか天駆ける漆黒の堕天使は疲れてるみたいだな」
「そうだね、天駆ける漆黒の堕天使君は疲れてるみたいだから、特製ドリンクが必要だね」
ハチマンは厳かに、例の物を二つ取り出し、一つはアスナに渡した。
「なあ天駆ける漆黒の堕天使。これは俺が天駆ける漆黒の堕天使のために作った、
特製ドリンクだ。是非絶対強制で飲んでくれ天駆ける漆黒の堕天使」
「そうだよ天駆ける漆黒の堕天使君。ハチマン君がせっかく用意してくれたんだから、
是非絶対強制で飲んでね。天駆ける漆黒の堕天使君」
「大好きだって言ってたから丹精込めて作ったぜ。天駆ける漆黒の堕天使」
「大好きだって言ってたから沢山用意したよ。天駆ける漆黒の堕天使君」
キリトは自主的に正座をし、二人から差し出された天駆ける漆黒の堕天使用ドリンクを、
二つ一気に飲み干して、こう言った。
「ごめんなさいもうしません許してください」
差し出されたその飲み物は、苦手なはずだったのに、
とても美味しく感じられたのが、キリトには不思議だった。
「まあ口が疲れたしこのくらいで勘弁してやるか」
「そうだね、早口言葉みたいでちょっと大変だったよ」
そして二人は、口を揃えて言った。
「もうやんなよ。天駆ける漆黒の堕天使」
「もうやらないでね。天駆ける漆黒の堕天使君」
「は、はい……」
「んじゃまあ、積もる話もあるわけだが、とりあえず先に第二層に行けるようにしようぜ」
「そうだね、きっとみんなの希望になるだろうしね」
第二層の主街区ウルバス。
テーブルマウンテンを、外周だけ残して繰り抜いて作られた街である。
「何これ。火口の中みたいだね」
「おお~なんつーか、絶景だな」
「多分もうすぐ鐘が鳴るんじゃないか?」
その言葉を待っていたかのように、カラ~ンコロ~ンと鐘の音が響いた。
それはまるで三人を歓迎しているかのようだった。
「おいキリト」
「ん、どうした?ハチマン」
「腹減ったわ……飯おごれ」
「飯おごれ!」
アスナもそれに便乗した。
「あ、ああ。それじゃこっちだ」
キリトの案内によって三人は、少し歩いた所にある、
牛のマークの看板がかかったレストランに入った。
「え、何牛肉食わせてくれるの?キリトお前大富豪なの?」
「いや、このエリアは野牛型モンスターが多いからこれ系の店が多いんだよ。
そういうコンセプトなんじゃないかな。アメリカっぽいみたいな?」
「カウボーイとかああいうのか、なるほど」
「私も今はがっつり食べたかったし丁度いいかな。
甘味も捨てがたいけど、そっちはさっき補給したしね」
「お前らほんとあれ好きだよな……」
「そういうお前もさっきは普通に飲めてたっぽいけどな」
先ほどの自分の事を思い出し、キリトは答えた。
「ああ、なんかさっきは美味く感じたんだよな……なんでだろうな」
「よしえらいぞキリト。お前に名誉千葉県民の称号を与えよう」
「ははーっありがたき幸せ」
「ハチマン君、私は?私は?」
「アスナには、名誉ミス東京ドイツ村の称号を与えよう」
「千葉じゃない……」
「あ、いや、東京ドイツ村は千葉にあるんだよ」
「東京ディスティニーランドみたいなもんか」
三人は、ゆるい会話を楽しみつつ、食事を楽しんだ。
食べ終わった三人は、食後にコーヒーを頼み、情報の刷り合わせを始めた。
「ま、あれからどうなったかは、こんな感じだな」
「そっか……俺のやった事は無駄だったんだな……」
「いやそんな事はまったくないぞキリト。なんでそうなる」
「え、そうなのか?」
「お前がもし何もしなかったら、あー、そのままアスナのご威光をお借りしてだな、
皆に話をしたとすんだろ。そうするとな、ディアベルの事はともかく、
何故前線にβテスターが少ないのかとか、そこらへんの話は出来なかったはずなんだよ」
「普通にハチマンが気付いたんじゃないのか?」
「いや、お前の痛いセリフが無かったら、気付いてなかっただろうな」
「痛いは余計だよ!」
「私はその時置き物状態だったから、もちろん無理だったよ」
「でも、そうか。ハチマンはすごいな」
「いや、すごいのはアスナだと思うぞ」
「そんな事ないと思うけど……」
「アスナに背中を押されて、正面から誠実に接したのが良かったと思う。
俺一人なら多分、聞いてもらえたとしても、正論正論で押す事しか思いつかんし、
相手にもっと嫌われて状況を悪化させるまであっただろうな」
「そ、そうなのか……」
「まあ、まだ知り合って一日だけど、三人のコンビネーションが良かったって事だね!」
「たまたま噛み合ったってのが強いけどな」
「でも二人とも本当にごめん」
「今度なんかあったら事前に相談してくれよ」
「そうそう」
「ああ。もう勝手はしないさ。後……俺がβテスターだって黙っててすまなかった」
それを聞いて、ハチマンとアスナは顔を見合わせて、ため息をついた。
「お前馬鹿なの?天駆ける漆黒の堕天使」
「また飲まされたいのかな?天駆ける漆黒の堕天使君」
「もうその呼び方は勘弁してくれ!」
「いいか、お前がβテスターだと、俺達になんか不都合があんのか?」
「え?えーっと……」
「分かったか?何も無いんだよ」
「はい……」
「だから俺達の前で、そんな事気にすんなよ。正直どうでもいい」
横で見ていたアスナが、どや顔でキリトに告げた。
「そうそう、どうでもいいのだよキリト君。分かればよろしい」
「ああ。何か二人の前だと、自分はつまらない事で悩んでたんだなって本当に思うよ」
「あ、あと、エギルが宜しく言ってたぞ」
「そっか、エギルが……」
そしてハチマンは、低い声で、さらにキリトに告げた。
「よくも踏み台にしやがったな、後で絶対捕まえる。とも言ってたな」
「え……まじか……?」
「まあそれは冗談だ」
「良かった……街中で捕まったら逃げられる気がしないからな……」
「あいつ見た目からしていかにも強そうだしな……」
「二層のボスでもこき使うたる」
キリトは、そんなアスナのいきなりの言葉にびくりとした。
「これはキバオウさんからね」
「キバオウがそんな事を?」
「ああ、あいつ嫌なやつだけど、意外と見るとこ見てたみたいでな。嫌なやつだけど」
「ハチマン君そんなに嫌いなんだ……」
「後は……ディアベルか」
場の雰囲気が、ややしんみりとした。
「ディアベルがβテスターだったかも、か……」
「まあ、俺は別にどっちでも気にならないんだけどな」
「確かにそれっぽい感じはしてたけど、
言われてみると確かに状況からはそうとしか思えないのは確かだな」
「でも、死んでいい理由なんかまったく無かった」
「そうだな……」
「私は、あれを見て、やっぱりショックだった……
あんな死に方、人間の死に方じゃないよって思った……」
「もう犠牲者、出したくないな」
「ああ」
「うん、とにかく慎重に頑張るしかないね」
その後も雑談まじりに色々な話をした三人は、
疲れていた事もあり、そのまま解散する事となった。
キリトはそのまま二層の宿に入り、ハチマンとアスナは、一層の宿に戻る事にした。
「それじゃあ二人とも、またな」
「おうお疲れさん」
「お疲れ様!」
そのまま二人は、連れ立って宿の方へと向かった。
「そうだアスナ、リズが心配してるだろうから、早めに連絡しておけよ」
「うん。リズとアルゴさんにはもう送った」
「仕事が早いな」
「ねぇ、ハチマン君。私達、ついにやったんだよね」
「ああ。最初の一層さえ超えれば、後は少しのレベル上げと探索でボスに挑めるから、
今後はペースも上がっていくはずだ」
「色々な事があったね」
「そうだな……」
「ハチマン君、色々助けてくれてありがとう。これからもよろしくね」
「いや、俺の方こそ助けられてばっかりだったよ。ありがとな」
「明日はどうする?」
「そうだな……一日中ごろごろ休みたい……」
「相変わらずだね!それじゃ私はリズと一緒に二層の街の中でもまわってくるよ」
「おう、じゃあな」
「うん、またね」
アスナと別れた後、ハチマンが宿の前に着いた時、入り口に人影が見えた。
「気配も消さずに珍しいな、アルゴ」
「無事に倒せたみたいだな、ハー坊」
「……今後はお前の仕事も多少やりやすくなるはずだ。これからも色々頼むわ」
「ハー坊、今回の事は……」
「気にすんな。キリトにはちゃんとお礼を言っとけよ。後、今度おしおきな」
「ははっ、ハー坊は変わらないな。その…ありがとな、ハー坊」
ハチマンはそれには答えず、ひらひらと手を振って宿に入っていった。
「ふう……」
ハチマンはそのままベッドに横たわった。
(今日はもう何もしたくねえ……大丈夫だとは思うが、リズにアスナのケアだけ頼むか)
ハチマンはリズベットに、簡単な詳細付きで、
出来ればアスナの所に泊まりにいってくれとメッセージを送り、眠りについた。