その日、材木座義輝は、朝から企業見学の案内をする役目を言い渡され、
これは明らかな人選ミスではなかろうかと、胃を痛くしながら見学の開始時間を待っていた。
その姿をたまたま見掛け、様子がおかしい事に気が付いたのか、義輝に声を掛ける者がいた。
「義輝君、大丈夫かい?具合が悪そうだけど」
「西田さん、おはようございます……すみません、体調不良というほどではないのですが、
我はどうも、企業見学の案内のような、社交的な仕事には向いていないので、
ちょっと胃の調子がですね……うぅ……社の内部の人が相手なら、平気なんですが……」
義輝も、社会で揉まれるうちに、他人との一般的な会話はこなせるようになったようだ。
その辺り、成長の跡が伺えるのだが、自分を我と呼ぶ癖と、
まったくの他人相手に人見知りが激しい所は、未だに改善の余地がありそうだ。
そんな義輝の様子が平気では無さそうに見えたのか、西田は心配そうに義輝に言った。
「もしあれなら、誰か他の人に代わってもらうとか……」
「いや、それがですね……今回の話は、ボスからのトップダウンの指示らしいんですよ……」
「ああ……そういう……」
「はい……」
最初にこの話を聞いた時、義輝は、当然何かしら理由を付けて断ろうとしたのだが、
メッセンジャーを仰せつかったらしい薔薇~ロザリア~が、義輝にこう言ったのだった。
「詳しい理由は聞いていないけど、この件はどうやら、
あなたに対しての、ボスからの名指しでの『お願い』みたいよ」
「お……『お願い』ですか……わかりました……」
ボス~もちろん陽乃の事だが~の『お願い』は、
この会社では、何よりも優先される事になっていたため、
そこで義輝は、この話を断る事を、スッパリと諦めたのだった。
「でも、我はこういうのは本当に無理なんですよ……今回に限って何故我が……」
「まあまあ待ちなさい義輝君。陽乃さんだって、そんな事は承知の上なんじゃないかな」
「……と、言いますと?」
「陽乃さんは私達の事を、いつもちゃんと気に掛けてくれていると思うんだよ。
だから、今回の『お願い』にも何か意味があるんじゃないかってね」
義輝はそれを聞き、確かにボスは理不尽の塊のような存在だが、
~~この事を考えた時、義輝の背筋が一瞬寒くなったのは気のせいだろう、多分~~
いじめのように、無理難題を押し付けてくるような人ではないのは確かだなと思い直し、
今回の役目が自分に回ってきた、裏の事情を考え始めた。
実際の所、今回の件は、陽乃が八幡と義輝の為に時間を作ってくれようとしただけなのだが、
そんな事実はまったくもって義輝の想像の埒外であった。
そう、今からここに見学に来るのは八幡なのだ。正確には八幡『一行』なのだ。
ちなみに今回のメンバーは、八幡、明日奈、雪乃、結衣、優美子、いろはという、
義輝にとっては鬼門と呼べるメンバーであった。
陽乃は、八幡が明日奈以外に誰を連れてくるかは知らなかった為、これが結果的に、
義輝にとっての死刑宣告に等しい指令になってしまった事は、陽乃のせいでは決してない。
「もしかして、見学に来るのが君の知り合いとか?」
「ははっ、もしそうなら八幡くらいですが、それなら我も少しは気が楽になりますね」
「そういえば義輝君は、高校の時八幡君と親しかったんだよね?
八幡君はどんな子だったんだい?」
西田は義輝に、本当に何となくそう尋ねたのだが、それに対して義輝は、
苦虫を噛み潰したような顔でこう答えた。
「そうですね……八幡の周りには、何故か常に美人の女子生徒がいました……
正直当時は、我と八幡との間にどれほどの違いがあるのかと、悩んだ事もありました」
「……そうなのかい?」
西田は明日奈と共にいる八幡の姿しか知らなかった為、少し意外に思ったが、
同時に職場では真面目な堅物で通っている義輝にも、
色々と溜め込んでいる物があるんだなと考え、義輝を、今度飲みにでも誘おうかと考えた。
丁度その時西田は、入り口から、予想通り八幡が入ってくるのに気が付き、
そちらに笑顔で手を振った後、その事を義輝に教えようとしたのだが、
義輝はそれには気付かずに、下を向いたまま、ぶつぶつと何事か呟いていた。
「そう、我と八幡との間には、そこまで違いは無かったはず……あるとすれば、
八幡の方が、我より多少勉強が出来て、多少スポーツが出来て、
多少ルックスが良くて、多少社交的で、多少スリムな体型をしていた事くらい……
それなのに、八幡の周りには、雪ノ下嬢、由比ヶ浜嬢、一色嬢という、
そうそうたる美少女軍団が常に顔を揃えていた……何故だ、いつからそうなったのだ……」
「あなたが今言った事は、十分違いと呼べる物だと思うのだけれど……」
「ひいっ」
西田は小声で、義輝君、後ろ後ろ!と必死で呼びかけていたのだが、結局それは届かず、
義輝は、背後からの雪乃の急襲をまともに受ける形となったのだった。
「ゆ、雪ノ下嬢……」
「そんな呼び方で呼ばれたのは、生まれて初めてなのだけれども、
あなたが何故女性に対してそんな呼び方をするようになったのか、少し興味があるわね」
その当然の問いに対し、義輝は困った顔で言った。
「女性をさんづけで呼ぶのは、ちょっと気がひけてですね……その、なんとなく……」
「嬢、とつける事の方が、ハードルが高そうに聞こえるのは気のせいかしらね」
「そ、それは……」
このままだと話が変な方向に進むと思ったのか、結衣がフォローに入った。
「まあまあゆきのん、さっきの話だと、私達の事を褒めてくれてたみたいだし、
そこらへんはまあいいんじゃない?」
その結衣の言葉に、いろはが笑顔で同意した。
「そうですよぉ、雪乃先輩。美少女軍団とまで言ってくれたんですから、
ここは大目に見てあげましょうよぉ」
「そ、そうね、まあこの話はこれくらいにしましょうか」
美少女軍団という単語が出ると、その言葉を少し意識してしまったのか、
雪乃は少し頬を赤らめながら、義輝に話し掛けるのを一旦終わりにした。
ちなみに先ほどの義輝の言葉を聞いた瞬間の結衣といろはは、
顔を見合わせながらにやにやしていたので、まあこの二人も素直に嬉しかったのだろう。
昔ならともかく、義輝に感謝の気持ちを抱いている今の状況では、
どうやら義輝の言葉を素直に受け入れられるようだ。
だがこの話はここで終わりでは無かった。終わらせなかったのは優美子であった。
「さっき、あーしの名前が出なかったんだけど、
あーしはその美少女軍団とやらには入っていないって事?」
「ひ、ひぃ……」
義輝は、何故三浦嬢がここに?という疑問を抱く間もなく、
その優美子の剣幕に、完全に萎縮した。それを見た八幡は、さすがに助け舟を出す事にした。
「あの頃優美子は、俺との接点が、この三人ほどには無かったんだから、
まあそこらへんは仕方ないんじゃないか?
優美子も材木座とは、まったく接点は無かっただろ?」
「それはそうだけど……」
「まあ今日はお礼を言いに来たんだし、あんまり材木座をいじめないでやってくれよ」
「八幡がそう言うなら……」
八幡は、優美子が素直に納得してくれた事に顔を綻ばせ、義輝に向き直った。
「材木座には、確か説明していなかったかな。実は優美子も、今は俺の仲間なんだよ。
久しぶりだな、挨拶に来るのが遅れてすまん。今回お前には本当に助けられたよ。
本当にありがとな。やっぱりお前は俺の親友だ」
「あなたのおかげで私達が勝利する事が出来たわ。本当にありがとう」
「ありがとね、材木座君!」
「ありがとうございます、材木座先輩!」
「あーしは直接関わってないんだけど、今のあーし達があるのはあんたのおかげなんだね。
その事については素直にお礼を言っとく。その……あ、ありがと」
「あ、ど、どういたしまして」
義輝はいきなり四人の美少女にお礼を言われ、口をぱくぱくさせながらも、
何とか普通の返事をする事に成功した。
そんな中、後ろに控えていた五人目の少女が、八幡に促され、義輝の前に出た。
「初めまして、結城明日奈です。今回は、私の命を助けてくれて、本当にありがとう。
これからも仲良くしてね、材木座君」
「はっ、はい、こちらこそ!」
固まっていた義輝は、明日奈の笑顔にどぎまぎしながらも、しっかりと返事をした。
そんな義輝に対し、八幡が、明日奈の事を正式に紹介した。
「あ~、話には聞いていたと思うが、そんな訳で、俺の彼女の明日奈だ。
これから長い付き合いになると思うが、俺共々今後とも宜しくな、材木座」
「宜しくね、材木座君」
「よ、宜しくお願いします!」
材木座は、ここまでずっと、緊張した様子で返事をしていたが、
明日奈の柔らかい雰囲気に、徐々に緊張がほぐれてきたのか、
西田も交えて皆で話しているうちに、いつの間にか普通に話す事が出来るようになっていた。
義輝は、五人の美少女からの会社に関する質問に、想像以上にハキハキと説明をしていた。
八幡はそんな義輝を見て、こいつもすごく成長したなぁと、深い感慨を抱いていた。
そんな中、一歩下がってその会話に耳を傾けていた八幡の肩に、何かが当たった。
振り返ってもそこには誰もいない。いぶかしんで周囲を見回した八幡は、
足元に消しゴムが落ちているのを見つけた。その消しゴムは紐で繋がれており、
その紐を辿ると、その先には物陰から手招きをしている薔薇の姿があったのだった。