「さて、顔合わせも済んだようだし、後は二人にお任せします」
そろそろ頃合いだと思ったのだろう、八幡は二人にそう言った。
「今日はわざわざすまないな、比企谷。本当にありがとう」
「ありがとな、二人とも!」
「いえ、どうって事ないですよ」
「クラインさん、頑張って!」
「明日奈さん、あざっす!」
「それじゃ俺達はそろそろ行きますね。先生、ラーメンの件、また連絡します」
「ああ、比企谷、楽しみにしているよ。結城君もまたな」
「はい、またです!」
こうして八幡と明日奈は、二人を見送り、帰途についた……ように見えたのだが、
八幡は、自らの愛車の所に着くと、唐突に明日奈に言った。
「よし、このまま隠れて二人の後を追うぞ」
「あ、やっぱり?」
明日奈は、その展開を、半ば予想していた為、そう言った。
「何だ、予想してたのか?」
「うん、だって八幡君、平塚先生の事が大好きそうだったし、
多分心配で、こっそり着いていくんじゃないかなって」
八幡はその言葉を聞き、少し焦ったように言った。
「だ、大好きとかじゃなく、あくまで尊敬だ、尊敬。一番好きなのは、当然明日奈だ」
明日奈はその八幡の言葉に、顔を赤くしつつも表情を綻ばせて言った。
「もう、分かってるって。私も大好きよ、八幡君」
「お、おう……」
明日奈に笑顔でそう返された八幡は、かなり照れながら、そのまま明日奈を助手席に乗せ、
遼太郎と静のいる方へと車をスタートさせた。
そして、目立たない場所に車を止め、遠くから二人の様子を伺った。
「あの、静さんは、車の運転が好きなんですよね?」
「そうですね、車を運転するのはまあ、好きですね」
「それじゃ最初はとりあえず、適当にドライブしてみませんか?
事前に色々考えてはいたんですけど、正直俺、まだ静さんの事何も知らないし、
最初は静さんの好きな事を一緒に楽しみたいって思うんですよ。
それにドライブしながら色々話すのも楽しそうですしね」
静はその提案に対し、こう返事をした。
「遼太郎さんがそれでいいなら」
「もちろんですよ!正直、静さんと一緒にいるだけで俺は嬉しいです!」
「あ、その……ありがとうございます」
静はその遼太郎の言葉に、目に見えて赤くなった。
そして二人は静の車に乗り込み、特に目的を設定する事もなく、車を走らせる事になった。
「とりあえず、市街地を出ましょうか」
「はい、そうしましょう!」
遼太郎は、楽しそうに鼻歌を歌っていた。
静はその鼻歌が気になり、何の歌なのか、遼太郎に尋ねた。
「あ、これは、SAOのテーマソングですね。crossing fields」
「SAO……ですか」
静はちらりちらりと遼太郎の方を見ながら、何事か思案しているようだったが、
やがて意を決したのか、遼太郎に尋ねた。
「あの……」
「はい!何ですか?」
「遼太郎さん、その……SAOって、どんな所だったんですか?
大変だったとは聞いていますけど、正直実感がわかなくて……」
「あ~、まあ、実感はわかないでしょうね」
遼太郎は、苦笑しながらそう答えた。
「まあ、現実世界に人を殺す事を目的とした動物がうろうろしていて、一歩街を出ると、
そいつらが全て襲ってくるようなもんですかね。自衛の手段が無いと、すぐ死にますね」
「……」
「まあ、無理をしなければ大体大丈夫っす。頼りになる仲間もいましたし」
仲間、と聞いて、静の脳裏に、先ほど別れた二人の顔が浮かんだ。
「比企谷とか、結城君……ですか?」
「まあそうですね。八幡と明日奈さんは、SAOの四天王って呼ばれてましたからね。
一緒の時は、本当に頼りになる奴らでしたよ」
「そうですか、比企谷だけじゃなく、結城君も……」
「あの二人は、ゲーム開始当初から、偶然一緒にいたらしいですよ。
それから基本的にずっと一緒に行動してましたね。まあ要するに、八幡は明日奈さんを、
最初から最後まで守り通したって事になるんでしょうね」
「あの比企谷が……」
静は感無量といった感じで天を仰いだ。そして静は、偶然巻き込まれた危険な世界で、
立派に一人の女の子を守り通した自分の教え子を、とても誇りに思った。
「どうやら今度のラーメンは、おごってやらないといけませんね」
「ははっ、昔は問題児だったみたいですけど、今は褒めてやって下さい」
「ええ、そうですね」
「でも……」
静はそう言うと、少し間を置いた後に、言った。
「教え子に、教える事が無くなるというのも、少し寂しいものですね」
静の脳裏に、腐った魚のような目をした、それでいてどこか寂しそうな、
高校時代の八幡の姿が浮かんだ。そして今の八幡の、いかにも頼り甲斐のありそうな、
立派に成長した姿がそこに重なり、気が付くと静は、知らないうちに涙を流していた。
その涙に気付いた遼太郎は、慌てて静に言った。
「す、すんません、どうか泣かないで下さい!八幡はもう大丈夫、大丈夫ですから!」
「いえ、そうじゃないんです。ただ、とても嬉しくて……」
「嬉しい……ですか?」
「はい、あの比企谷が、危険を顧みず、一人の女の子の為に、
全てを掛けて戦い抜いたと思ったら、つい涙が……すみませんご心配をおかけして」
遼太郎は涙を流しながらも、とても嬉しそうな静の姿を見て、
この人は、心の底から本物の教師なんだなと、静に尊敬の念を抱くと共に、
静をずっと守りたいと思う気持ちが、自分の心の中で膨らんでいくのを感じていた。
「俺も学生時代、静さんのような先生に教わりたかったですよ」
「いや、私なんか……」
静は謙遜したが、遼太郎は、首を左右に振りながら言った。
「八幡は、最初からすげー真っ直ぐで、意思が強くて、いい奴でしたよ。
それはきっと、全部じゃないかもしれないですけど、静さんの教えのおかげです。
静さんの教えは、きっと今もあいつの中に、立派に根づいてますよ!」
「……そうですか、はい……はい、だといいんですが」
静は涙をぬぐいながら、笑顔で遼太郎に言った。
それが少し照れくさくて、外を向いた遼太郎の視界の隅に、見覚えのある車の姿が映った。
遼太郎は、ん?と思いながら、後ろに振り返り、後方を確認すると、
後ろを走っている車の運転席で、やべっという顔をした八幡と目が合った。
ちなみに明日奈は平気な顔で、笑顔で遼太郎に手を振っていた。
それを見た遼太郎は、堪えきれないようにくっくっと笑いながら、静に言った。
「静さん」
「あ、はい」
「どうやら八幡も、静さんの事が心配みたいで、車でこっちの後をつけてきてるみたいっす」
「ええっ!?」
「まあ、興味本位かもしれないですけどね」
静は慌ててバックミラーを確認した。後方の車の運転席に、確かに見慣れた顔が見え、
静はその顔をじっと見つめた後、何かにハッと気付いたように、遼太郎に言った。
「遼太郎さん、まだ私にも、あいつに教えられる事があったみたいです」
遼太郎は、その嬉しそうな静の声を聞き、これまた嬉しそうに、問いかけた。
「そうっすか、それは良かったっすね!で、何を教えるんですか?」
「比企谷に、世の中には決して越えられない壁があるって事を、教えてやろうと思うんです」
「超えられない壁、ですか……具体的には?」
「初心者マークごときが、私についてこようなどとは百年早いと教えてやります」
「えっ?」
遼太郎は、今感じた嫌な予感に冷や汗を流しながら、静に聞き返した。
「えーっと、つまりそれは……」
「もうすぐこの車は市街地を出ます。そしたら、一瞬であいつの視界に、
この車が映らないようにしてやるつもりです。それが、比企谷に対する私の最後の授業です」
「まじっすか……」
「ええ。もう私には、これくらいしかやれる事は無さそうですしね」
不敵な笑みを浮かべながら、そう言い放った静を見て、遼太郎は、覚悟を決めた。
「わ……分かったっす。静さんの好きにして下さい。オーケー、いつでもいいっすよ!」
そう言うと遼太郎は、しっかりと足を踏ん張り、シートベルトをぎゅっと握った。
そしてその直後に遼太郎の視界が開けた。どうやら市街地を出たようだ。
その瞬間、静は笑いながら、アクセルをベタ踏みした。
静の運転する車が加速し、一瞬にして、八幡達の視界から静達の姿が消えた。
「う、うおおおおおお」
「あはははははは、未熟者め!」
「静さん!静さん!」
「あははははは、はははははは」
遼太郎は必死に静に呼びかけたが、大声で笑う静はそれに気付かない。
やがて怖さを通り越したのか、遼太郎も、いつの間にか、静に合わせて笑い始めていた。
「あははははははは」
「ははっ、はは、ははははは」
ひとしきり笑った後、遼太郎は、とても楽しそうに笑う静に向かって言った。
「静さん、今日はもうこのままとことん突っ走りましょう!」
「はい、遼太郎さん!あはっ、ははははは」
「俺はそんなあなたと、ずっと一緒にいますから」
「え?遼太郎さん、何か言いました?」
「何でもないっす!」
こうして遼太郎との最初のデートで、静は八幡に、
最後の強烈なパンチをお見舞いしたのだった。
交通ルールは守りましょう!