ハチマンくんとアスナさん   作:大和昭

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2018/06/13 句読点や細かい部分を修正


第174話 二人の時

 遼太郎が車に乗り込むと、静は静かに車をスタートさせた。

遼太郎は、静から何か説明があるかなと思い、その言葉を待っていた。

だが案に相違して、静は機嫌は悪くは無さそうだったが、特に話し掛けてはこなかった。

 

(静さんと楽しくお喋りするのは当然楽しいとして、

こういう静さんを見ているだけでも問題なく楽しいし、まあ、こういう時間も必要かな)

 

 そう考えた遼太郎は、静の息遣いを感じながら、心地よい時間を過ごしていた。

静は車の運転は得意であり、という事は、車の事を良く知っているという事でもある。

ちなみに静は、かつて某マンガに影響を受け、

満タンにしたコップの水をこぼさないように運転をする訓練をしていた時期がある。

そんな静は、まったくの自然体で運転を続けているだけだったのだが、その訓練のせいか、

車はとても滑らかな挙動で走り続けており、いつしか遼太郎は、

深い眠りの世界へと誘われてしまったのだった。

 

 

 

 どれくらい時間が経ったのだろう、遼太郎は、唇に何かが触れた気がして、

ぼんやりと目を覚ました。どうやらいつの間にか、車は停車しているようだ。

遼太郎は重い瞼を頑張って開くと、そこにはこちらを覗き込んでいる静の顔があった。

心なしか、その顔は少し紅潮しているように見えた。

 

「あ……すみません、俺、寝ちまってました?」

「すすすすすすみません、ちょっと魔がさしただけなんですうううう」

「へ?」

 

 遼太郎は、きょとんとしながら首をかしげた。

それを見た静は慌てながら、何でもないです!と言うと、車のドアを開け、外に出た。

遼太郎はそれを見て、同じく車のドアを開け、外に出た。

遠くに新都心らしき明かりが見え、周囲には潮の香りが漂っていた。

遼太郎は興味深げに、更に周囲を注意深く観察した。

 

「ここは……橋の上……?」

 

 どうやらここは、東京湾河口にある橋の上のようだ。

橋の欄干は、カップル達の落書きだらけで、遼太郎はそれを見て、かつての八幡と同じく、

けっ、と思ったが、直ぐに、そういえば今の自分達もカップルなんだったと思い直した。

遼太郎が振り向くと、そこには静の姿は無かった。

どうやら少し離れた所にある自動販売機で、何かを買っているらしい。

そして戻ってきた静は、遼太郎に一声掛けると、缶コーヒーを放ってきた。

遼太郎はそれを片手で簡単にキャッチすると、静の方へと歩み寄った。

静は橋の欄干にもたれかかり、じっと海の方を見つめていた。

遼太郎は静の隣に並び、同じように欄干にもたれかかると、静に言った。

 

「あざっす、静さん。ここが目的の場所ですか?」

「はい、遼太郎さん」

 

 静はそう答えると、少し遠い目をした。

遼太郎はそんな静を見て、昔ここで何かがあったのかなと思いながらも、

それが悪い話ではない事を祈りつつ、大人しく静の言葉を待つ事にした。

 

「……懐かしい」

「懐かしい、ですか?」

「ここに来るのは久しぶりなんですよ、前は一番のお気に入りの場所だったんですけどね」

「そうなんですか。しばらく来なかった理由を聞いてもいいんですかね?」

「はい。実はここは……あの事件が起こる直前に、比企谷と二人で話した場所なんですよ」

 

 静はそう言うと、遼太郎の方を向いた。

 

「生徒会長だった一色に、他校との合同クリスマスイベントの手伝いを頼まれた比企谷は、

何とかそのイベントを成功させようと、一人であがいていました。

その時は、雪ノ下と由比ヶ浜との関係が少しおかしくなっていた時期でもあり、

私の目には比企谷は、今にも壊れそうなガラスのように見えていました。

なのでここに連れてきて、少し話をしました。その甲斐があったのか、

比企谷は雪ノ下や由比ヶ浜との関係を改善し、そのイベントを立派にやりとげました。

その直後です、比企谷がいなくなったのは」

「そう、ですか……」

 

 遼太郎は、その時の静の気持ちを考え、胸が締め付けられる思いをした。

 

「それ以来、私はここに来るとどうしても、悲しみと同時に、

怒りをおぼえてしまうようになったんです」

「怒り、ですか?」

 

 遼太郎は、怒りと聞いて少し戸惑ったが、次の静の言葉を聞いて納得した。

 

「はい、神は何故、幸せになろうとする比企谷の邪魔をするのかと、

一体比企谷が、どんな悪い事をしたのかと、この時ばかりは、

いるはずもない、運命の神などというものに、心から怒りを覚えました」

「はい……」

「それから何度かは、一人でここを訪れてみたんですが、

結局私は、ここに来るのをやめました。

私にとっては、一番心が落ち着くお気に入りの場所だったんですけどね、

ここに来るとどうしても、私のアドバイスを聞いた後、帰り間際に、

空を見上げながら、どこか困惑したような、それでいてどこか晴れやかな、

何とも言えない表情をした比企谷の顔が頭に浮かんできて、

どうしても怒りや悲しみといった感情を抑えられなくなってしまって」

 

 静は話を一旦そこで切ると、遼太郎の目をまっすぐ見つめながら、話を続けた。

 

「私は結局、この場所にいるのがつらくて、逃げたのかもしれませんね。

あれだけ熱心にやっていた婚活も、まったくやる気が起きませんでした」

「静さん、それは……」

 

 静は首を横に振ると、

 

「そしてついに比企谷は、自力で私達の下へと帰ってきてくれました。

比企谷は、過酷な環境の中にいながらも、とても立派に成長してくれていました。

それを今日、きちんと確認出来た私は、ふと思ったんです。

今ここに来たら、私は何を感じるのかと。でもやっぱりちょっと怖くて、

遼太郎さんに一緒に来てもらうようにお願いする事で、やっと勇気が出ました」

「なるほど……で、どうでしたか?」

 

 静はそれまでの深刻そうな表情を改め、笑顔で言った。

 

「やっぱり神様に文句を言いたくなりました。

結果的には良かったものの、ちょっと厳しすぎる試練じゃありませんでしたか?って」

「ははっ、まあ確かに、俺達にとっては、すげーきつい試練でしたね」

「あと、比企谷や遼太郎さんにはちょっと申し訳ないですけど、お礼も言いたくなりました」

「お礼、ですか?奇遇っすね、俺もっすよ」

 

 そして、二人は同時にこう言った。

 

「静さんに出会う事が出来たっす!」

「遼太郎さんに出会う事が出来ました」

 

 二人はお互いの言葉を聞き、顔を見合わせると、少し照れながらも微笑みあった。

遼太郎は、ここではっきりと自分の気持ちを伝えられないのは男じゃねえ、

と思いながら、意を決して静に言った。

 

「静さん、さっき、逃げたって言ってたじゃないですか」

「は、はい」

「俺個人としては、そういう時もあるよなって思いますけど、

静さんがそれを許せないって言うなら、次からは俺が、静さんが逃げないように、支えます。

一人なら耐えられないような事でも、二人ならきっと耐えられます。

もっともそこまでつらい事なんか、起こらない方がいいんですけどね。

っと、すみません。話が少し反れました」

 

 静はその前置きで、遼太郎の言いたい事を察したのか、かなり緊張している様子で、

何も言葉を発する事が出来ず、真っ赤になりながらも静かに遼太郎の顔を見つめていた。

 

「俺はまだ会社でもペーペーですし、静さんに苦労をかけるかもしれません。

でもその代わり、静さんの背中は必ず俺が守ります。

今日一日、ありのままの静さんの姿を見て、それでも俺の気持ちは変わりませんでした。

俺にはあなたが必要なんです。あなたしかいません。

静さん、あなたの事が大好きです。俺と、結婚を前提にお付き合いして頂けないでしょうか」

 

 背中を守る、という言い回しは、この場には微妙に不適切な気もするが、

その言葉は、SAOから生還した遼太郎にとってはとても大事な言葉であった。

それを察した静は、嬉しさのあまり、しばらく口が聞けなかったが、

やがて静は、大粒の涙をぽろぽろと流し始めた。それを見た遼太郎は、かなり慌てた。

 

「し、静さんごめんなさい、俺、何かまずい事を言っちゃいましたか?」

「いえ、ごめんなさい遼太郎さん、これは違うんです」

 

 静は涙をぬぐいながら、遼太郎に笑顔を向けた。

 

「誰かに必要とされる事がこんなに嬉しいなんて知らなかったので、

少しびっくりしてしまって、それで涙が」

「そ、それじゃあ……」

 

 そして静は、この日一番の笑顔で遼太郎に言った。

 

「はい、もちろんお受けします。遼太郎さん、私もあなたが大好きです」

「静さん」

「遼太郎さん」

 

 二人は固く抱き合い、そのまま見つめあった二人は、そっとキスをした。

キスを終えた二人は、とても幸せな気分で、お互いのぬくもりを感じていた。

同時に遼太郎は、今の静の唇の感触に、確かに覚えがある事に気が付き、

からかうように静に言った。

 

「静さんとは二度目のキスになりますね」

「あっ……き、気付いてたんですか?」

「ここに着いた時、唇に何かが触れた感触があったんですよね。

あの時は良く分からなかったけど、今のキスで分かりました」

「うぅ……遼太郎さんの、意地悪」

 

 そんなじゃれあう二人の姿を、月が祝福するように明るく照らしていた。

こうして遼太郎の彼女いない歴は終わりを告げ、

静はついに、婚活生活に終止符をうつ事となったのだった。


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