その言葉を聞いた章三は、一瞬固まった後、突然笑い出した。
「あはははは、さすがは八幡君、理由を聞いても?」
「理由も何も無いですよ。未来の義父と義母を侮辱されているのに、
そんな奴らをのさばらせておくなんて、俺には出来ないってだけですけどね」
「八幡君……いや、我が息子よ!」
「明日奈!すぐに八幡君と結婚しなさい、いい、すぐによ!」
「お父さん、お母さん、落ち着いてってば。せめて学生の期間が終わるまでは、ね?」
明日奈にそう諭された二人は、それもそうだと思ったのか、とりあえず落ち着いた。
「しかし八幡君にそんな嬉しい事を言ってもらえるなんて、私達は本当に幸せ者だな」
「ええ、本当にね」
「こうなったら、例え実現性が低かろうが何だろうが、
少しでも八幡君へのヒントになるような情報を伝えないとね」
「と言うと、本家に関しての情報が、何かあるんですか?」
「まあ、少しというか、かなりどうしようもない話ではあるんだけどね」
章三は、そう前置きをすると、その情報を披露した。
「八幡君、メディキュボイドという物を知っているかい?」
「……どこかで聞いたような気はするんですが、ハッキリとは分かりません」
「終末医療の一環らしいんだがね、要するに、重病患者を常時VRに接続状態にして、
痛みやら何やらをずっと感じさせないで、治療を行う技術らしいんだ」
「らしい、ですか。それなら、『ザ・シード』で代用出来そうにも思えますけどね」
確かにそれは、正論に思えたが、章三は横に首を振りながら、八幡にこう言った。
「おそらく『ザ・シード』でも、それは無理だろう」
「どうしてですか?」
「なぁ八幡君、ナーヴギアとアミュスフィアの違いは何だと思う?」
「すぐに思いつくのは、安全装置の有無、ですかね」
八幡のその答えに、章三は頷いた。
「ナーヴギアは、プレイヤーが現実世界で失神したら、ゲーム内でも同じように失神するが、
アミュスフィアの場合は、プレイヤーが失神したら即座にログアウトさせられる。
つまり八幡君が言いたいのは、そういう事でいいかい?」
「はい」
「確かにそれはそうなんだがね、実際の事情は少し違うんだ」
「……と、言いますと?」
章三は、真剣な目をすると、八幡にこう答えた。
「アミュスフィアは、ナーヴギアに安全装置を付けた物、要するに発展型。
世間ではそういう事になっている。だが本当は、劣化ナーヴギアなんだよ」
「劣化……ですか」
「要するに実際はね、誰もあのナーヴギアの、失神しようが何をしようが、
ずっとゲームに接続し続ける機能を、再現する事が出来なかったんだ。
プレイヤーの意識がクリアなのが絶対条件なんだよ。さすがは天才茅場晶彦というべきだね」
「そうなんですか!?」
八幡は、始めて聞かされたその真実に驚愕した。
そして章三が何を言いたいか、何となく理解した。
「要するにメディキュボイドを作る為には、ナーヴギアの中身についての理解が、
絶対に必要となるって事なんですね。前のナーヴギアの生産ラインを単純に利用しても、
そんな恐ろしい物は誰も利用したがる訳は無い、そんな事をしたら確実に会社が潰れる。
そして治療中の患者は、当然の事ながら、治療中に意識を無くしたり、
通常の精神状態を維持出来なかったりしてしまう。だからアミュスフィアは使えないと」
「その理解で合っているよ。要するに、問題はソフトではなくハードなんだ」
章三はその八幡の言葉を肯定し、更にこう続けた。
「つまりね、メディキュボイドの技術を手に入れる事は、
医学界を牛耳れる程の、とんでもない可能性を秘めている事と同義なんだ」
「つまり、結城総合病院から得られる利益なんか、その技術の前には、ゴミみたいな物だと」
八幡のその言葉に、章三は笑いながらこう答えた。
「ははっ、ハッキリ言うね。だが実際その通りなんだ。
そしてどうやら本家の長、結城清盛老のお孫さんが、かなりの難病にかかったらしく、
どうしてもその技術を手に入れようと、今結城本家は、
メディキュボイドの入手にかなりやっきになっているらしいんだよ」
「なるほど、その技術の使用許可をエサにちらつかせれば、
結城本家に不干渉を要求する事が出来ますし、
結城総合病院の系列にだけその使用許可を与えなければ、結城本家は壊滅しますね」
「まあ、そういう事になるね」
八幡は、確かにそれなら必ず目的を達成出来ると考え、
メディキュボイドという言葉をどこで耳にしたのか、必死で思い出そうとした。
そんな八幡に、今まで無言だった陽乃が声を掛けた。
「ねぇ八幡君、私も菊岡さんからその話を聞いた事があるんだけど」
「菊岡さんから!?」
驚く八幡に、陽乃は更に、こんな話をした。
「八幡君は、私が茅場とお見合いをしたのは知ってるでしょう?」
「あ、はい」
「その噂は本当だったのか。もし成立していれば、すごいカップルが誕生していたんだね」
「まあ、私がふられたんですけどね」
陽乃は、その事には特に興味が無いようで、章三にそう言うと、続けて八幡に言った。
「菊岡さんはどうやら、茅場に一番近い人物とされる、そのメディキュボイドの研究者を、
必死になって探しているようだったわ。多分今もその人を探し続けていると思う。
茅場が死んだのはおそらく確実だと思うけど、その死体はまだ見つかっていない。
そしてその行方を知っているかもしれない唯一の人物がその人みたい。
その人が研究していたテーマがメディキュボイドだと、菊岡さんは言っていたわ。
要するに、ゲームにログインしていた間、茅場の体の面倒を見ていたのではないかと、
そう思われる人物だって事みたい。
菊岡さんは、私と茅場の関係から、もしかしたら私がその女性の事を、
茅場から聞かされてはいないかと思って、私にその事を聞いたらしいわ」
「その人、女性なんですね。俺は菊岡さんからそんな話をされた事は無いんですが……
晶彦さんとの関係から言ったら、俺に聞いてもいいような話ですけどね」
その八幡の疑問に、陽乃はこう答えた。
「八幡君がもしその人と知り合いで、その人の行方を知っていたら、
何を置いてもその人に会いに行こうとしたんじゃない?
多分八幡君は、もう一度茅場に会いたいと思っているだろうしね。
だからまったくそんなそぶりを見せない八幡君の姿を見て、
菊岡さんは、八幡君は何も知らないんだと推測していたんだと思う。
それでも聞けばいいと思うんだけど、多分あの人、八幡君に気を遣ったのね。
これ以上茅場の亡霊に惑わされないように、ってとこかしらね」
「なるほど……」
八幡は、その陽乃の推測に納得した。
確かに自分なら、その話を聞いたら、必死でその人の行方を探していたかもしれないし、
案外きめ細かい気配りをする菊岡なら、確かにそう考えるかもしれない。
そう考えた八幡は、何となく陽乃に、その人の名前を尋ねた。
「で、その人は、なんて名前なんですか?」
「えっとね、確か……何とか凛子、苗字は何だっけな……」
「え?」
その陽乃の台詞で八幡は、メディキュボイドという言葉をどこで聞いたのか思い出した。
そしてその言葉を誰から聞いたのかも。
「あ……神代凛子……メディキュボイド……」
「そう、確かそんな名前……って、八幡君?」
その八幡の反応を訝しげに見ていた陽乃は、ある可能性に気付き、目を見開いた。
「まさか八幡君、その人の事を知ってるの?」
「はい、晶彦さんに紹介されて一度会った事があります。
そうだ、その時確かに、メディキュボイドって言葉を聞いた覚えがあります。
実はその時に、妙に凛子さんに気に入られちゃったみたいで、連絡先も教えてもらいました」
「……菊岡さんは携帯会社に問い合わせて、神代凛子の携帯の番号も調べたけど、
既に解約されていたと言っていたけど」
「俺が教えてもらったのは、凛子さんの個人的な研究所の番号らしいんで、
菊岡さん達の調査で出てこなかったなら、別名義か何かの場所なんじゃないですかね。
まあ、今でもこの番号が繋がるかどうかは、正直なんともですが」
八幡のその告白を聞いた陽乃は、困ったように章三の顔を見た。
「章三さん、これ、どうしたらいいのかな、さすがに私の手にも余るんだけど」
「普通に考えたら警察に通報とかになるんだろうが、事が事だしね……
とりあえず、菊岡さんに連絡してみたらいいんじゃないかい?」
「そっか、確かに菊岡さんなら、多少融通をきかせてくれそうだしね。
八幡君もそれでいい?」
「あ、は、はい」
八幡は、茅場のその後について何か分かるかもしれないと思い、
自分の心臓が早鐘のように鳴り響くのを感じていた。
そんな八幡の手を明日奈はそっと握り、八幡は明日奈に微笑みかけた。
「八幡君、大丈夫?」
「ああ、どうやらかなり緊張はしているみたいだけど、大丈夫、俺は大丈夫だ」
「あんまり気を張り詰めすぎないでね」
「ああ、お前もな」
八幡は、明日奈もどうやら緊張しているようだと気付き、そう声を掛けた。
明日奈にとっての茅場は、敵でありながらも、かつてのリーダーで戦友であった。
緊張するのも当然だろう。二人は菊岡が到着するまでずっと手を握り合っていた。
陽乃の連絡を受けた菊岡は、誰にも相談する事無く一人で結城邸を訪れた。
どうやら菊岡は、この件について政府の密命を受けているらしく、
出来れば凛子をただ罪に問うのではなく、可能なら取引をし、
その高い技術力を、主に医学方面で有効に活用してもらう方向で話を進めたいらしい。
菊岡は、オフレコでね、と笑いながら、八幡達にそう話してくれた。
そして八幡は、他の者達が見守る中、指先が震えるのを必死で抑えようとしながら、
凛子に教えられた番号を選ぶと、通話ボタンを押した。
『プルルルルルル……』
電話が普通に発信音を鳴らした瞬間、八幡の緊張は頂点に達した。
どうやらまだこの番号は生きていたらしい。
そして数秒後に着信音が止まり、誰かが電話に出た。
八幡はゴクリと唾を飲み込むと、電話の向こうの相手に話し掛けた。
「もしもし、凛子さんですか?お久しぶりです、八幡です」
相手はしばらく無言だったが、数秒後、その電話の相手、神代凛子は八幡にこう言った。
「随分この番号の事を思い出すまでに時間がかかったわね、八幡君、待ちくたびれたわよ」